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第21話 降り注いだ災厄

 何を絶望する必要があるのか、とリプカは思う。

 だってシュタルクなんて、頭と体が離れただけじゃないか。
 レイラとタウィザーだって腹に穴が開いているだけだし、ドゥクスはそれに加えて手が千切れているだけだ。

 この程度で絶望する意味が分からない。

 だって自分は治癒魔法が使えるのだから。
 この時のために治癒魔法を覚えたのだろう? だったらこの治癒魔法でちょちょいのちょいと……、

「治せるわけないだろ! しっかりしろ!」
「そんな事ない! だってそのための治癒魔法なんだから! 治せないわけないじゃない!」
「治せない! よく見ろ、もう死んでいる! どんな聖女様が大回復魔法を掛けたって、もう手遅れなんだよッ!」
「何でそんな事言うの!? まだやってみてもいないのに! 最初から無理だなんて、決め付け……」
「やらなくたって分かるだろ! なあ、本当はお前だって分かってんだろ? もう死んでいるんだ、遅れだって……。止めてくれよ……オレにこんな事、言わせんなよ……っ」
「だって……だって、だって……っ!」

 サイドの言う通り、そんな事はもう分かっている。
 でも認めたくなかった。
 だからまだ希望はあると、そう思い込みたかったのに。

 でも思い込んだところでそれは無駄な事。
 少し傷を塞ぐ程度の治癒魔法は勿論の事、聖女様クラスのどんな大回復魔法を掛けたところで、彼らは二度と動かない。

 一度失った命は二度と甦らないのだ。

 だから彼らが微笑む事は、もう二度とない。

「とにかく、カンパニュラに連絡を入れないと……」

 ムナールやリプカ程親しくはないが、サイドとて、彼らとは交流があった。

 レイラやタウィザーには一つ上の先輩として面倒を見てもらっていたし、ドゥクスにはそれぞれのギルドのリーダーとして、何度かやり取りをした事もある。
 シュタルクとはそこまで交流があったわけではないけれど……でも何度か投げ飛ばされた事もあったっけ。

 とにかく彼らとは、サイドとて無関係なわけではない。
 彼らの死は辛くて悲しいし、当然、認めたくなんかない。

 しかしそれでも、同じギルドで働くムナールや、ムナールを通じて交流の深かったリプカよりはまだマシだろう。
 蹲って泣くムナールにも、立ったまま俯いているリプカにも、その役目を任せるには荷が重い。
 カンパニュラの連絡先は、自分だって知っているのだ。
 ならばここは、自分が連絡を入れ、彼らの死を伝えるべきだろう。

 そう判断をすると、サイドは小型電話から彼らが所属していたカンパニュラへと連絡を入れる。

 しかし……、

「……?」

 その異変に、サイドは眉を顰めた。

 繋がらないのだ、電話が。コール音すら鳴りやしない。
 例え話し中や回線が込んでいたとしても、何らかの音やアナウンスは聞こえて来るハズなのに。

 何故だろう。
 この電話、壊れただろうか。

「リプカ、悪いけど電話を……」

 電話を貸してくれ。
 繋がらない電話を故障だと判断したサイドが、リプカにそう伝えようとする。

 しかしその言葉の途中で、彼は再度眉を顰めた。
 僅かにだが、騒がしいその声が彼の耳に届いたからである。

「なあ、何か聞こえないか?」
「え?」
「何かぎゃあぎゃあ言ってねぇ? 街の方から?」
「街?」

 サイドにそう指摘された事により、ゆるゆると顔を上げると、リプカは意識を街の方へと向け、仕方なく耳を澄ませる。

 確かにはっきりとよく聞こえて来るわけではない。
 けれどもサイドが言うように、ぎゃあぎゃあと騒がしい声が、街から聞こえて来ているような気がする。

 サイドにも聞こえているようだから聞き間違いではないと思うが……。
 でも何だろう? 何故僅かとはいえ森の中にまで、こんなに騒がしい声が聞こえて来るのだろうか。

「魔物……?」
「え?」

 ふと、それまで蹲っていたムナールが顔を上げ、ポツリとそう呟いた。

 何が言いたいのか、と眉を顰めるサイドとリプカの反応になど構う事なく、ムナールはその憔悴し切った青色の瞳を、ゆるゆると街の方へと向けた。

「レイラが言っていたんだ、D地区に生息しているハズの魔物がニ十体くらい、街の方に向かっているって。万が一の事が起きたら大変だから、リプカちゃんと一緒にこっちに合流してくれないかって、最期にそう連絡が来たんだ……」
「そ、それって!」
「まさか……っ!」

 その言葉に、嫌な予感がブワリと背を伝う。

 D地区に生息しているハズの凶悪な魔物。そのニ十体が街の方へと向かっている。

 もしもそれが本当なのだとしたら、レイラ達はその魔物達を食い止めようとして返り討ちに遭い、食い止められなかった魔物達が街に侵入、そしてそのまま街で暴れていると、そういう事なのではないだろうか。

「行かないと……」
「ムナール?」
「僕が、みんなの代わりに街を守らないと!」
「ちょ、ムナールさん!?」
「待って、ムナール!」

 ふらりと立ち上がり、そのまま全力で街へと走って行くムナール。

 当然、そんな彼を放っておくわけにはいかない。

 リプカとサイドもまた、ムナールの後を追って街へと走って行った。









 耳に届くのは、老若男女の断末魔。
 目に入るのは、レイラ達と変わらぬ惨殺死体。
 そして香るのは、死の香り。

 眼前に広がる光景に、三人は言葉を失った。
 いや、失ったのは言葉だけではない。感情も、思考も、全ての機能が停止したのだ。

「何、これ……?」

 ようやくそれだけを絞り出したのは、一体誰の声なのか。

 嫌な予感を覚えて街に戻った三人だったが、それは既にもう手遅れであった。

 レイラ達が取り逃がしたのだろう魔物達が、街で破壊の限りを尽くしている。

 逃げ惑う人々を捕えては悪戯に殺し、歯向かう人々にはそれ相応の制裁を下し、絶望に立ち尽くす人間をも容赦なく嬲り殺している。

 建物も魔物達によって破壊されたのだろう。
 既に瓦礫の山と化している建物のところどころから、人間の体の一部が見え、至る所からは赤い液体がドロリと流れ出ていた。

 今はまだ動かなくなっている人よりも逃げ惑う人の方が多いが、それも時間の問題だろう。すぐに全員動かなくなる。

 この街はもう終わりだと、そんな未来が三人の脳裏を過った。

「だ、駄目だよ、そんなの……まだ生きている人がいるんだ……助けなきゃ……助けて、安全なところに避難させなくっちゃ!」
「ま、待ってよ、ムナール! 助けるってどうやって!? 安全なところってどこ!? 私達だって生き延びられるかどうかも分かんないのに! それなのに何をどうしたら良いのよ!」

 フラリと、力なく飛び出そうとするムナールの腕を掴み、リプカが悲痛の声を上げる。

 リプカが言いたい事は分かる。
 何も考えずに飛び出したところで犬死にするだけだ。
 それに全員なんて助けられるわけがないし、安全なところに避難させると言っても、安全なところがあるのかどうかすら分からない。
 自分達だって生き残れるかどうかも分からないし、戦闘能力に秀でた他のギルドの隊員達や、保安局のメンバーが今どうしているのかも、どんな対策をとっているのかも、そもそも生きているのかどうかすらも分からない。
 全てが分からない事だらけ。がむしゃらに動いたところでただ死ぬだけなのも分かっている。

 だけど……。

「でも、だからって、このままここで街が死んで行くのを見ていろって言うの!? そんなの嫌だよ! 僕は助けられる人だけでも助けたい! まだ母さんは生きているかもしれない、友達も、恋人も、まだ生きていて、僕が助けに行くのを待っているかもしれないんだ! 例え無駄だったとしても、それでも僕は、助けに行きたいよ!」

 ムナールの気持ちはよく分かる……いや、分かりたかった。
 もし、この街にまだブロッサムの仲間や友達、暖かな家族が生きている可能性があったのなら、リプカだって何も考えずにただただ飛び出していたのだろう。
 だからムナールを引き止めようとしている自分が、彼にとって酷い事をしているのは分かっている。彼の事を思うのなら、死を覚悟してでも行かせてやるべきだ。

 だけど……。

「まず、現状を把握しようってのは、無理みたいだな」

 ポツリと、ようやくサイドが言葉を零す。

 そして街を眺めていたその碧色の瞳を、ゆっくりとリプカ達へと向けた。

「ムナールさんの言う通り、出来る事なら安全な場所を見つけ出し、助けられる人だけでも助け、安全な場所に避難させるべきだ。けど、現状それは難しい。他人を助けようとしている間に、自分達がやられてしまうし、安全な場所だって、探したところで無駄だと思う」
「それじゃあサイド君も、みんなの事を諦めろって言うのかい!? ここで黙ってみんなが死ぬのを眺めながら、自分が殺されるのをただ待っていろと!?」
「違います。この状況下で少しでも多くの人が生き残るためには、外部に助けを呼ぶしかないと思うんです」
「外部に?」
「はい。ここはオールランド、ドーナツ状に繋がる本州のちょうど真ん中に位置する小さな島国です。海を挟んだ向こうには本州があります。そこに連絡し、救助を要請する。それしか方法はありません」

 パッと見だけでも沢山の魔物達が暴れ回っているのだ。一体でも厄介なこの魔物達を全員倒してみんなを助けるというのは、正直不可能だし、ムナールの言う安全な場所も、このオールランドにはもう存在しないのだろう。

 ならばサイドの言う通り、外部である本州に助けを求めるしかない。
 本州に連絡を取る事が出来れば、この魔物達を倒せるだけの戦闘部隊を投入してくれるかもしれないし、生き残ったオールランドの人達を、本州の方に避難させてくれるかもしれない。

 少しでも多くの人が生き延びれる方法。
 それは、一刻も早く外部に助けを呼ぶ事ではないだろうか。

「さっき、小型電話でカンパニュラに連絡を取ろうとしたところ、全く反応がなく、コール音すらしなかった。おそらくもう魔電波を飛ばす塔がやられている。小型電話はもう使えないと思った方が良い」
「じゃあ、どうやって外部に連絡を?」
「固定電話だよ。あれは魔電波とは違う回線で離れたところにいる人と会話が出来る。この状況だ、回線ももう切れてしまっているかもしれないけれど……でも、まだ生きている回線があるかもしれない。何とかしてそれを探すんだ。それに……」

 そこで一度言葉を切ってから。
 サイドは更に話を続けた。

「他の地点の魔物が暴れたり、コイツらに気付かれたら終わりだけれど、森のA地点なら、まだ比較的安全だと思う。可能なら、そこに人を誘導した方が良いと思う」
「森の中……諸刃の剣だね。避難する人の多くは、戦闘を得意としない一般人だ。A地点とはいえ、そこに生息する魔物に見付かったら終わりだよ」
「だから一刻も早く助けを呼ばなくちゃいけないんです。魔物に見付かる前に助けてもらうために」
「……分かった、そうしよう」

 サイドの案に、ようやく落ち着きを取り戻して来たのだろう。
 震える拳をギュッと強く握り締めながらも、ムナールはコクリと力強く頷いた。

「ねぇ」

 しかしふと、リプカが声を上げる。
 その声に視線をリプカへと向ければ、彼女は俯きながらもポツリと言葉を漏らした。

「だったら手分けした方が良い。そっちの方が見付かる可能性が高いし、それに……」

 そこで一拍置いてから。
 リプカは更にポツポツと言葉を続けた。

「そのついでに、って言い方は悪いけど……、でもそのついでに、大切な人の安否を確認して来た方が良いと思う」
「……」

 その提案に、ムナールとサイドは言葉を詰まらせる。

 正直五分五分だ。生きている可能性はあるが、それと等しく死んでいる可能性も高い。

 けれども自分にとって大切な人達。その安否は確認したいし、生きているのなら、それこそ何が何でも助け出したい。

 ああ、そうだ。ムナールとサイドにはまだ大切な人がいる。
 ムナールには母親と恋人がいるし、サイドには両親と妹がいる。
 だったらその人達の安否を確認して来たら良い。そしてついでに回線の生きている電話を探して来たら良い。

 生きるか死ぬかの瀬戸際である街の人達が聞いたら、きっと彼らは激怒するだろう。
 何をそんな甘い事言っているんだ、と。自分の家族や恋人よりも、不特定多数の人間を助ける方が優先だろう、と。

 でも……。

 こんな時にまでギルドの仕事を優先する必要はないと、リプカは思った。

「……ブロッサムにも固定電話がある。繁華街からも少しずれているから、もしかしたらそこならまだ生きているかもしれない」
「サイド?」
「リプカはそこを確認してくれ。オレは妹のいる学校の固定電話を確認して来るから、後でブロッサムで落ち合おう。妹も連れて行くよ」
「僕もカンパニュラの固定電話を確認して来るよ。その後、母さんとリンちゃんを連れてブロッサムに行く。リプカちゃんはそこで大人しく待っているんだよ」
「……うん」

 街を見れば地獄絵図。
 沢山の人が死んでいる。

 それなのに、不謹慎にも嬉しいと思ってしまった。

「二人とも、死なないでよ!」
「努力します!」
「ブロッサムで、待っているから!」

 短く言葉を交わし、三手に別れて走って行く。

(それにしても……)

 二人と別れ、ブロッサムへと向かいながら、リプカはふと思う。

 街で暴れ回っている魔物達。
 彼らの周りを包み込んでいるあの黒いモヤは何なのだろうか。

(D地点の魔物はみんな、黒いモヤで包まれているのかな?)

 そんな事を疑問に思いながら、リプカは目的地へと向かう。

 しかしリプカが疑問に思うその黒いモヤとやら。
 それはムナールとサイドの目には、映ってなどいなかったのである。

しおり