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第22話 希望の回線

 こんなにも、良心を抉られるような思いをした事があるだろうか。

 助けを求める声を無視して、サイドは目的地へと急ぐ。

 背後から断末魔や嫌な音が聞こえれば、何故助けてやれなかったのだと自分を責めたくもなるが、それで立ち止まるわけにはいかない。
 ここで走るのを止めれば、その魔物の次の標的になるのは、自分かもしれないのだから。
 それで自分がやられてしまえば何の意味もない。
 ここは他人を犠牲にしてでも、目的地へと急ぐべきだろう。

 幾度となく助けを求める声を無視してようやく辿り着いたのは、妹の通う学校。

 今は魔物の姿は見えないが、ここにも魔物の襲撃があったのだろう。
 学校は半壊し、校門付近には教職員と見られる大人の死体、校庭には迎えに来たのだろう親と抱き合うようにして死んでいる子供、そして崩れていた瓦礫の下には、潰されて死んでいる沢山の生徒達の姿があった。

(だいたい、魔物は何体いるんだよ? ムナールさんはニ十体くらいだって言っていたハズなのに。ニ十体どころの話じゃないぞ)

 心の中でそんな悪態を吐きながら、サイドはまだ形を保っている校内へと侵入する。

 既に沢山の被害が出ている学校。妹とて、もう死んでいるかもしれない。

 それでも一縷の望みに掛けて、サイドはまだ生きているかもしれない妹の姿を必死に探した。

「ココナ! ココナ! 誰か! 誰か生きている人はいませんか!?」
「誰……?」
「っ!?」

 まだ形を保っている校内には、意外にも死体が見当たらない。
 相手は大型の魔物だ。それ故に、ヤツらから見れば狭い校内に侵入する事は不可能だったのだろう。
 まだ原形を留めているこちらの校舎で身を潜めていた生徒達は、校内に魔物が入って来る事もなく、運良くヤツらの襲撃から逃れる事が出来たようだ。

「あ! ブロッサムのリーダーさんだ! 助けに来てくれたんだ!」
「ココナちゃんのお兄ちゃんだ!」
「ハゲの兄ちゃんだ!」
「まだハゲてねぇ!」

 サイドが大声で生存者を呼びかければ、意外にもすんなりと、何人かの生徒達が姿を現してくれる。

 わらわらと集まって来る子供達にホッと胸を撫で下ろしながらも、いらん事を言ったヤツに、サイドが思わず声を荒げてしまった時だった。

 背後から、今にも泣き出しそうな少女の声が聞こえて来たのは。

「お兄ちゃん……?」
「っ、ココナ!?」

 その声に勢いよく振り返れば、そこにいたのは自分が探し求めていた少女の姿。
 自分よりも丸くて愛らしい碧色の瞳に、禿る気配など微塵も感じさせない金色のみつあみ。
 
 間違いない、妹であるココナだ。
 良かった、まだ生きていた!

「ココナ、良かった、無事だったんだな!」
「お兄ちゃん! お兄ちゃんッ!」

 いつもは「ウザい、暑苦しい、ハゲが移る」とか言って近寄ってすらも来ないのに。
 よっぽど怖かったのか、ココナはサイドに飛び付き、その震える体を摺り寄せて来る。

 そんな妹の体を抱き締めると、サイドは「もう大丈夫だ」と、優しく彼女の頭を撫でてやった。

(ブロッサムに戻るつもりだったけれど……でも、ここは既に魔物の襲撃を受けている事から、再びヤツらが襲撃に来る可能性は低いし、何より校内は、大型の魔物が入って来れる程広い空間じゃない。この子達はブロッサムに連れて行くよりも、ここで匿っていた方が安全かもしれない)

 ここに来るまでは自分一人だったから、助けを求める声を無視すれば、難なく来る事が出来た。
 しかし、ここから再び移動しようとなると、今度はそうはいかない。
 自分の他に小さい子供達が何人かいるのだ。
 その子達を連れて街へ出れば、当然魔物の目に留まるだろうし、襲い来る魔物達から子供達を守りながらブロッサムへ行くのは、正直難しい。
 必ず戻ると約束したリプカやムナールには悪いが、助けが来るまで、自分はここで子供達を守っていた方が良いだろう。

(でもその前に、電話の回線を確認しないと)

 ここに留まるにしても、戻るにしても、まずは外部と連絡を取らなければならない。
 この学校の教務室にも固定電話があったハズだが、その回線は果たして生きているだろうか。

「ココナ、一度教務室に行こう。本州の人達に助けを求めなくちゃいけないんだ」

 妹がコクリと首を縦に振るのを確認すると、サイドは彼女の手を引き、他の子供達を連れて教務室へと向かう。

 幸いにも教務室はまだ無事であり、そこに設置されている何台かの固定電話もまだ原形を留めている。
 後はこの中からまだ外部へと繋がる電話を見つけ出せば良いだけなのだが……果たしてまだ無事な電話はあるのだろうか。

「ハゲの兄ちゃん、コレ! コレは!?」
「ハゲのリーダーさん、この電話、一番キレイだよ!」
「おいハゲ! この電話が最推しだ!」
「ハゲハゲうるせぇ!」

 一体妹は、自分の事をクラスメート達に何と伝えているのだろうか。
 一応彼女とて自分の妹であり、禿る家系の一員なのだ。幼いながらにもその事実を、そろそろちゃんと認識するべきだと思う。

 とにかく子供達に進められるまま、一番近くにあった電話の受話器を手に取る。
 
 しかし、これが外部に繋がってくれますようにと、サイドが願いながらボタンに指を掛けた時だった。

「あ、ギルドのイケメンさんだ!」
「ママの推しだ!」
「フサフサの兄ちゃんだ!」
「え……?」

 子供達のはしゃぐ声に、サイドは受話器を握ったままゆっくりと振り返る。

 するとそれと同時に傍にいた妹が、嬉しそうな声を上げながらその人物の下へと走って行った。

「カルトさん!」

 ぎゅっと抱き着いて来るココナを、優しく受け止めてやる。
 そしてしゃがむ事によって彼女と目線を合わせると、彼は以前のような優しい微笑みを、フワリと彼女へと浮かべてやった。

「久しぶりだね、ココナ。無事で何よりだよ」
「はい、お兄ちゃんが助けてくれたんです!」
「そっか。頼りになるお兄ちゃんで良かったね」
「はい! でも、カルトさんの方が好きです!」
「ふふっ、ありがとう」

 ココナの頭を優しく撫でてやってから、彼はゆっくりと立ち上がる。
 そうしてから、緊張で表情を強張らせるサイドへと、真っ直ぐにその笑みを向けた。

「ごめん、サイド、帰るのが遅くなっちゃって。それよりも聞いて、ローニャ達を見付けたんだ。みんなブロッサムに戻ってる。オレ達も早く帰ろう」
「カルト……」

 突然現れたその人物に、サイドは警戒の眼差しを向ける。

 何がローニャ達を見付けた、だ。
 街が破壊されているの、見えていないのだろうか。

「ブロッサムにはリプカがいるハズなんだが……。アイツには会ったのか?」

 ゆっくりと受話器を置き、カルトと対峙する。
 するとカルトは、ニコニコと微笑んだまま、間髪入れずに首を縦に振った。

「会ったよ。怒られるかな、って思ったけど、それよりもローニャ達が無事だった事に安心して喜んでいたよ。また杖でぶん殴られなくて良かったよ」
「そうか……」
「オレ達も戻ろう。みんな待っている。さ、みんなも怖かっただろ? ブロッサムに来れば安全だよ。一緒に行こう」
「あのさ、カルト」
「うん?」

 子供達を連れてその場から立ち去ろうとするカルトを呼び止めれば、彼は首を傾げながら振り返る。

 そんなカルトを真っ直ぐに見つめながら、サイドは慎重に言葉を紡いだ。

「お前に、聞きたい事があるんだけど」
「奇遇だね。オレも、サイドに聞いておきたい事があるんだ」

 でも先に言って良いよ、と話を促すカルトの言葉に甘えて、サイドはその疑問を伝える。
 
 それは、以前リプカに指摘された事。
 彼女がカルトを疑った、最大の理由。

「お前は……」
 
 そしてその記憶を面と向かって突き付けた時、カルトの表情から笑みが消えた。










 助けを求める声を無視しても、良心を抉られるような事はもうなかった。
 次は誰が死ぬのか。自分か、はたまた隣にいた人か。
 そんな、死を隣合わせの状況なのだ。誰だって正気でいられるわけがなかったのだ。

 先程、魔物に殺されそうな母娘がいた。
 まだ幼い娘を抱き抱えた母親は、今にも魔物に殺されそうになっていたのだ。

 そんな母親と、ふと目が合った。
 瞬間、彼女は震える唇で、確かに「助けて」と口にした。

 今、自分には一刻も早くブロッサムへと行き、外部に助けを求めるという任務がある。それを優先するべきだった。

 けれども助けを求めている母娘を、見捨てる事も出来るハズがない。

 結果、リプカは足を止めて、今にも母娘を殺そうとしていた魔物へと炎の魔法を放ち、二人を助ける事にしたのだ。

「燃え上がれ、真紅の業火……火炎ッ!」

 呪文の後、杖から放たれた炎の塊が魔物の後頭部に命中する……否、したハズだった。
 
 リプカは多様の魔法を操る魔術師だ。
 中でも特に、炎系の魔法には自信がある。

 今だって、普通であれば相手を吹き飛ばす程の火力を持つ炎を放ったハズなのだ。

 それなのに……。

 後頭部に炎を受けた魔物の頭は、確かに吹き飛んだ。
 それなのに絶命するどころか全く痛がる様子もなく、それは頭のない状態でゆっくりとこちらを振り返ったのである。

(は!? どういう事!?)

 頭が吹き飛んだんだぞ? 何故、何のダメージも感じていないのか。

 悪戯に攻撃してしまったせいで、魔物は標的をリプカへと変えたらしい。
 魔物は全身で殺気を放ちながら、リプカへと襲い掛かって来た。

「く……っ!」

 巨体な体で振り下ろされる腕。
 杖で受け止めれば最後、杖ごと叩き潰されてしまうだろう。
 慌てて飛び避ければ、振り下ろされた腕の下に空く大きな穴。

 ここは力を出し惜しみしている場合ではない。
 こちらが力尽きでぺしゃんこにされる前に、さっさとケリを付けてしまおう。

(災厄の力で片付けてやる!)

 通常、魔法を使うには、呪文を唱える事によって、言霊を魔法として具現化する必要がある。
 しかし、災厄の精霊の力を使う場合は、言霊を用いる必要はない。

 何も唱えずとも、杖の先端が大きく燃え上がる。

 それは、先程放った真っ赤な炎ではない。
 黒が混ざった赤色。轟々と燃え上がっていると言うよりかは、どことなくドロドロと燃え上がっている。

「燃えろ……ッ!」

 幼い頃からシュタルクの下、レイラとともに修行をしていたおかげで、身体能力には自信がある。威力は高いものの、単調な動きをする魔物の攻撃を躱す事など容易い事だ。

 再度振り下ろされる腕を飛び避けると、リプカは燃える杖でその腕をぶん殴る。

 今度は効いているのだろう。
 標的を焼き尽くすまで消えそうもない炎に、魔物は声にならぬ悲鳴を上げた。

「はあ……っ!」

 その隙を突き、リプカは立て続けに燃える杖を魔物の足へと叩き付ける。
 次は胴体、首と、容赦なく魔物を殴り続ける。

 黒炎に身を包まれ、のたうち回る巨大な魔物。
 そしてその炎が消えた時、魔物は炭と化し、風に飛ばされるようにしてようやく消滅した。

「大丈……」
「酷い! 何て事するの!?」
「え……?」

 まだ、震えたままその場で蹲っている母娘に、リプカは声を掛ける。
 すると娘を大事そうに抱えたまま、母親はギロリと鋭くリプカを睨み付けた。

「こんな、幼い娘の前で生き物を火炙りにするなんて! 何て可哀想な事をするの!? 娘が泣いたらどうしてくれるのよ!」
「はあ……?」

 可哀想って……え、何が?

 頓珍漢な怒りに呆れつつも、リプカは視線を抱き締められたままの娘へと移す。

 そして気付く。

 ダラリとした腕に、ポタポタと流れている赤黒い液体。

 この子、もう死んでいるのではないだろうか。

「この化け物! 二度と娘に近寄らないで!」
「あ、待……っ!」

 暴言を吐くだけ吐いて、母親は娘を抱き締めたまま走り去って行く。

 しかしその直後、右から勢いよく走って来た巨体の魔物に踏み潰されて、二人はリプカの前であっけなく潰れてしまう。

 走って来た魔物は母娘にもリプカにも気付いていなかったのだろう。
 二人を踏み潰した魔物は足の裏の異物感に気付く事もなく、そのままどこかへと走り去ってしまった。

「……」

 死んでざまあみろ、とは思わないが、可哀想に、とも思わない。
 他人の死を前にして何も思わない自分も、彼女のように正気ではないのだろう。
 その後は、誰の声を聞いても無心で走った。
 少しでも正気でいられるうちにブロッサムへと辿り着き、外部に助けを求めるために。

「っ!」

 ブロッサムの前で、リプカは足を止める。
 そこに、既に事切れた二人の男が重なるようにして倒れていた。

 一人はもう無残に殺されていて見る影もないが、もう一人は奇跡的にキレイなまま死んでいる。

 見覚えのあるキレイな死体。
 これは、先日ブロッサムにやって来て、減給の原因を作ってくれた胸糞悪い男ではなかっただろうか。

(そっか、本当に死んだんだ……)

 あの時は、本気で死ねと思って杖でぶん殴った。
 でもその時の本気の死ねは、本気ではなくって。
 ただ、腹が立ってその怒りを杖に乗せて殴っただけで、本当に本気で死んで欲しいなんて思っていなくって。

 それなのに彼らは今、本当に死んでしまった。

(本当に死んだら良いと、思っていたのに……)

 それなのにそんなヤツの死を前にして、今度は悲しいと思ってしまうなんて。
 もしかして自分はもう少しだけ、正気でいられるのだろうか。

「ただいま……」

 男達の死体を飛び越えて、リプカはギルド・ブロッサムの扉を開ける。

 一応挨拶をしてみたものの、やっぱり返事はなくって。
 昼間だというのに、ギルドの中は薄暗く感じられた。

(焦るな、焦るな……っ!)

 まだ原形を留めているギルド・ブロッサム。
 もしかしたら、まだ回線は生きているかもしれない。

 震える指先で、間違えないように、リプカは固定電話のボタンを順番に押していく。

 電話の相手は、本州にあるもう一つの精霊憑きの保護団体。
 ムナール達のように、表向きはギルドとして運営している、カンパニュラの姉妹店、ギルド『ミモザ』。

(お願い、繋がって……っ!)

 そう祈りながら、リプカは受話器を耳に押し当てる。

 すると、プルルプルルと聞こえて来るコール音。

 良かった! 繋がった!

『はい、こちらギルド『ミモザ』。ご用件は何ですかー?』

 ガチャンと受話器を取る音がして、聞こえて来るのはこの場には似つかわしくない、どこか気怠げな青年の声。

 その聞き覚えのある声に、リプカは縋るようにして必死に声を上げた。

「アトフ! アトフ、助けて!」
『え? その声……もしかしてリプカか?』
「そう、リプカです! お願い、アトフ、助けて!」
『ちょ、待てって。え、何、どうしたんだよ?』
「だから、街が襲われて……っ!」
『と、とにかく落ち着けって。それじゃあ分かんねぇよ。な、大丈夫だから、ゆっくり落ち着いて状況を説明してもらえるか?』
「だ、だから、その……、森から入って来た凶悪な沢山の魔物達にオールランドが襲われているの。街のギルドも、保安局も機能していないし、魔物達に街が滅茶苦茶に破壊されている。沢山の人が死んで、もう誰が生きて……」

 誰が生きているのかも分からない。

 しかし、リプカがそう伝えようとした時だった。

 ドオオンッと大きな音がして、地面が大きく揺れたのは。

「きゃあ……っ!」

 思わず受話器を放し、その場に尻もちを着いてしまう。

 魔物が近くの建物を破壊したのだろうか。
 しかし幸いにもブロッサムは棚から物が落ちただけで建物自体は無事。
 それにホッと息を吐きながらも、リプカは再度受話器を耳に押し当て、電話の向こうにいる仲間と……、

「あ……」

 話を続けようとしたが、今の衝撃で回線が切れてしまったのだろう。
 電話の向こうからは、もう何も聞こえなくなっていた。

(でも、仲間に島の危機は伝えた。後はそれを感じ取ってくれた仲間がここの現状を知り、助けを寄越してくれるかもしれない)

 問題はそれまでにどのくらいの人間が生き残っているかだが、それはもう運でしかない。
 とにかく早く助けが来る事を願いつつ、ムナールとサイドが戻って来るのを待っていよう。

 そう考えると、リプカは受話器をそっと本体へと戻す。

 と、その時であった。
 カランと扉が音を立てて、リプカに来訪者を告げたのは。

「ムナール! サイ……」

 やあ、リプカちゃん。お互いに無事で良かったよ。
 ただいま、リプカ。ちゃんと外部に連絡は取れたか?

 ムナールかサイド。
 どちらかが戻って来てくれた事を期待して、リプカは勢いよく振り返った。

 しかし、振り返った彼女は、そこにいた人物を見て固まる事となる。

「カル、ト……?」

 そこにいたのはカルト。
 いつもの青いジャージではない。
 真っ黒のマントを身に付けたカルトが、全身を赤く染めて、その扉の前に立っていたのである。

しおり