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愁傷 そして…….9


 木立が根をはりはじめるあたりに移動したふたりと……後から来たひとり。

 セレグレーシュが、じとっとした視線を前方へそそぎ稜威祇の少年(~標的~)のようすをうかがっていると、その彼が姿勢を低くした。

 これと目をつけている少年が、その場にしゃがんだので、セレグレーシュも足を止め、膝を屈し、うずくまる。
 そして、ふと、右まわりに六〇度ほど、木のない方面へ体の向きを変えた。

 そちらで封魔法印が築かれようとしているのだ。

 夜闇なのにくわえて距離ができてしまったが、その道を歩む者としては若干なりとも見ておきたい作業である。

 すとんと腰をおろした地べたに、なまあたたかさを感じる。
 先刻、一帯を走破した炎のぬくみが、まだ大地にのこっているようだ。

 後から来た女性は、彼らからいくらか距離を維持しながら森のはじまりに生えていた木の前で足を止めた。

 ふたりの位置をちらと横目で見定めてから、空き地の方へ向きなおる。
 そこにいることにしたようだ。

 セレグレーシュは左後ろ手にいる少年と、そのあたりから伸びている力場を強く意識しながら口頭をきった。

〔あの男、まだいたんだな。妙におとなしいけど、君がなんかやっているんだろう?〕

〔あのままなら、いずれ限界を超え、生体を(そこ)ないそうだが……〕

〔倒れる……死ぬってことか?〕

〔こんな形で逝かれたのでは後味が悪い。その前に閉じこめてしまえるのなら、上々。あれは本気で怒らせると面倒だ〕

〔強いのか?〕

〔安定を()疲弊(ひへい)もしているが、弱いというには(およ)ばない。自棄(じき)をおこしていても力の使い方をよく知っていそうだ……〕

〔ふぅん……〕

 それを抑えてしまう彼はどうなんだろう?

 セレグレーシュは理解できないものを見るような目で、ななめ後方にいる少年を見た。

 とうの彼は星明かりに背をむけ、森を見るようにしてしゃがんでいる。

 闇になれはじめた目に明確にとまではいかなくとも、相手の肩や背中の輪郭、茶色っぽくしずんで見える頭部が判別できた。
 そのおもては反対といってもいい方面へ向けられている。

 自分も厚いほうではないが、そんな自分より、はるかに子供に近くて(うす)い肩。

 そういえば…――、
 ヴェルダは、ふたつみっつ年上のお兄さんだと思っていたが……。
 出会いと別れを重ねるごとにセレグレーシュの背は、彼においついていった。

 そう遠くない未来、追い越せそうな勢いを知って喜びすぎて、不平そうな目をしたその人に、ぐいと頭を抑えられたこともあったが、いま思えばヴェルダの背があまり伸びなかったのだ。

 現在、ヴェルダがどんな姿をしているのかはわからない。
 セレグレーシュより背が高くなっているかもしれないし、低いかもしれない。

 あれから三年ほどになるが、最後に見た時のままということがありうるのだろうか?

 セレグレーシュは、すっと視点をもどした。
 無数の法具が空中をとび交い、とどまったり、おりたり、時には幾何学模様を描きながら発光し、目的にそう光をふりまいたりしている空き地を眺望する(のぞむ)

 ここ数日。懸命に理解しようとした法印の縮小形態が、その下のほうにまぎれている。
 立体的に立ちあげてみたかったのに、結局は理解する機会を逃してしまったものが……。

〔気になるか?〕

 後ろで声がしたが、セレグレーシュは主語の欠けたその問いには答えなかった。
 背後にいる少年を強く意識しながら空を見あげる。

 頭上に広がっている闇には幾ばくかの青みがさしていて、瞬いている星の数がこころなしか少なくなったように感じられる。

 真夜中の(さか)りが過ぎたのだろう。

 まだ群青の域だが、いずれこの天空は、星のまたたきを呑みこみ、うち消すような爽快な青へ変貌してゆくのだ。

〔いま、ここにある法印を攻略しても何者(なに)も出ない〕

 セレグレーシュが背後にいる少年の方をちらと見た。

〔なにも出ないって……。いたぞ?〕

〔もう一度、のぞけば納得するだろうが。どうしても確かめたいのなら後にしろ〕

 機械的というほどではないが、そう告げた少年の言葉には、あまり情操が感じられない。

〔おそらく……ここに封じられていたのは、いま封じようとしている闇人だろうから〕

(……は?)

 セレグレーシュは相手をまじまじと見た。

 今度はちらとではなく左肩を後ろに()らし、そちらに顔を向けて、じろじろと。

 少年がふせ目加減に肉眼の枠に収まらぬ感覚で、セレグレーシュを意識したので、いっぽうの彼――セレグレーシュがそれと知ることなく双方の知覚が闇の中で交差(こうさ)する。

〔むこうから闇人を呼べる君だ。人間がそのへんに築いた擬似空間から、ものを取りだすくらい、わけはない。魔を……特に闇人を封じてある印を(さぐ)る時は気をつけることだ。むやみに呼んではならない〕

(むやみにじゃない。呼ぶつもり、なくても出てくるんだ……)

 セレグレーシュは、もてあましている作用を禁止されて、むっと腹をたてた。

 それよりなにより気に(さわ)ったのは、自分を知りすぎているその少年の正体である。

 自分の異能がバレている。

 いつからか彼を見ていたらしいから、ありえないとまでは思わないが、そこまで踏みこんだことを口にされると、抵抗……というか、身の危険を感じる。

 その少年がヴェルダであれば、気にすることはないのだ。けれども…――。

 セレグレーシュは、ヴェルダが闇人の言語を使うのを聞いたことなど無かったし、ヴェルダの人称は「ぼく」だ。
 〔われ〕とも「われ」とも、言わなかった。

 それにヴェルダなら——…

 彼の能力を否定したりしない。

 声は似ていても、口調はどことなく違う。

 《高邁(こうまい)》と言おうか《豪毅(ごうき)》とでも言おうか——妙な威厳があって、なんとなく偉そうだし、つき放すようなところはなくても対応に距離が感じられるのだ。

 違うのだろうか?

 これは、やはり…。その人がそばにいたのだと……そう思いたいがゆえの錯覚。妄想なのかもしれない……。

 セレグレーシュは、その対象を見るのをやめ、もどした視線を近場の苔野に落とした。

 そして、立てていた片膝にあごをのせる。

「っん!」

 瞬間、刺されるような痛みが走った。
 左の(おとがい)のあたりに手を持っていくと、そのへんを(あっ)する鈍くも鋭い痛みと、凝固しかけた血がくっついているようなおかしな感触があった。

 はれぼったい違和感。(うず)きは、ずっと感じていたのにセレグレーシュは、自分がそのへんを打撲していたことをすっかり忘れていたのだ。

〔君は(はめ)められたんだ。眠っていたのは、稜威祇(いつぎ)という規準で呼ばれるものではない。ここには暴走傾向のある闇人が封じられていた。この法印を解こうが解けまいが、触れたことが問題になる。すぐに試験のやり直しとはいかないだろうが、君は学生だ。こういった経緯なら、追い出されることもないだろう。家長(いえおさ)には、われからひと言、口ぞえしておく〕

 セレグレーシュは、ため息まじりに肩をおとした。

(読みが甘い。それで済むとは思えない……)

 問題はそれだけではない。
 その闇人が、法の家のトップに対してどれほどの影響力を持っているのかわからないが、セレグレーシュ自身が大きな禍根をかかえている。

 追放されるだけなら、まだ、やさしい。
 へたすれば処分されることも有りなのかもしれないし、魔人、妖威とおなじようなあつかいで、どこぞに閉じこめられかねない。

 闇人を召喚する能力だけなら大目にみてもらえたかもしれないが、コントロールがなってない彼は、よく失敗するのだ。
 結果として、悲惨な現実がある。

 呼ばれる方はたまったものではないだろう。どんな性質のものを招いてしまうのか、自分でも予測がつかない。

 いま話している相手が、どこまで知っているのかも不確かだ。

 事実を知るのはヴェルダと、もしかしたら見習い店員のアントイーヴ……。
 それに少し距離をおいて、木立の下に立っている女の稜威祇(いつぎ)だ。

 彼女は彼に対し、いい感情をもっていないから、露見を防ぐのは難しいだろう。

 その女人(ひと)(はめ)められた……(おとしい)れられたのだと、背後の少年は言ったが、それも寝耳に水で、とっさには信じられない。

 彼を焼き殺そうとした(らしい)から、そうおうの大義・言い分があるのだろう。
 きっと恨まれてもいる。だが。
 試験を利用したその人の画策だったとまで言われてしまうと、どうも、しっくりこない。

 この地にあるのは、触れてはならない種類の法印——妖威が封じられていたもので、

 封魔法印は初心者が持っている法具で解除できるものではなく…――

 適性考査で稜威祇(いつぎ)交渉がおこなわれることも、あまり例がないという。

 聞きかじった情報は、その稜威祇(いつぎ)がもたらしたものだけではなかったが、一度は〝読みが甘い〟と感じた少年が口にしたことなので、セレグレーシュは、その見解を(うたが)った。

 それにセレグレーシュが違うのではないかと思う理由は、(ほか)にもある。

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