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愁傷 そして…….8


 空中をただよっていた青白い(ほのお)が、小さくなっていって()せた。

 再度、あたりにおりた闇の静寂。

 女稜威祇(いつぎ)が、その場に足をくずして、しゃがみこんでいる。
 口論は穏便な方向に(おさ)まったようだった。

 なぜ、その人が戦意をなくしたのか——。
 盲点の多いやりとりだったので、セレグレーシュは理解できていなかった。
 それでも事態を収拾してくれる人間が来てくれてよかったと胸をなでおろす。

「……女って、どうしてこう、火遊びが好きなんだろう」

 セレグレーシュには、それよりも、ずっと気になることが身近にあって…――うかつにも、ため息といっしょにこぼれた言葉がそれだった。
 本音といえば、そのとおりでも、あまり考えて口にした言葉ではない。

〔遊びではないわ……! それって、どうゆう了見? あなた……わたしに喧嘩、売っているのっ?〕

 女稜威祇(いつぎ)が、目のあたりをこすりながら抗議したことで、セレグレーシュは失言を自覚した。
 その時、彼の近くに微笑をふくむような息づかいが生まれた。

 相手の姿は、夜の闇に隠されていて、よく見えない。
 しかし、こらえがちなクスクス笑いが、間違いなく、そのあたりから聞こえたのだ。

 ある人と過ごした過去の安逸な場面が、いま、ここによみがえったようにも思えて……セレグレーシュは、しばし思考が停滞しているような、なんともいいがたい顔をした。

〔…。…おまえ、なんで笑ってるの? なにか、おかしいこと、あったか?〕

〔いや、君がそれを(たわむ)れにするとは思わなかったから……〕

 ジョークにしたつもりはなくても、女が関係する火をいうなら過去に思いあたることもある。

 セレグレーシュは、となりにいる少年の顔をじろじろ物色した。
 確かめたい意思がなにより先行していたので、暗かろうと明るかろうと遠慮などしない。

 母とのいざこざを熟知していたとは限らなくても――。
 ヴェルダなら、彼が幼いころ、炎にまかれそうになったことを知っている。

 いま正体をさらすような、ぼろをだしたのではないだろうか? と。

 暗いので、ほとんどなにも見えなかったが。

〔笑ってはいけないか?〕

〔べっつにぃ……〕

 セレグレーシュは、ストレートな会話をさけた。

 その闇人がヴェルダなら正体をあかさなかった理由がわからなくなるが、こうして出会ってしまった。
 白か黒か。事実を知るのも時間の問題だろう。

 セレグレーシュは急にだるくなったように感じられた身体から力をぬいて、すとんと地べたに腰をおとした。

 ひたすら(しの)ぎつづけていたが、かなり疲労困憊(ひろうこんぱい)していた。
 身体が重怠(おもだる)く、ひどい頭痛もしている。とにかく、しんどかったのだ。

〔このあたりは()げてない。(すす)がつくよ〕

(……え? はげてない?)

 注意されて稜威祇(いつぎ)の少年を見あげたとき、それと前後して、彼らの方へなげられた言葉があった。

〔大丈夫? まだ、抑えはきくかい?〕

 あとから来た青年の声だ。
 セレグレーシュがその方をふりあおぐ。

〔浪費したくない。早々対処しろ〕

 答えたのは稜威祇(いつぎ)の少年である。

〔先に増幅印、配置してからにしようか?〕

〔そのまえに、あれをなんとかしろ〕

〔うん…、だけど、はでにやりあっていたみたいだから……〕

〔われは攻撃していないが?〕

 足音が近づいてくる。

〔ぅっわ! ——…あ~~……これって……〕

 近くにきた人影が立ち止まったあたり。
 そこで、面食らい途惑うような、少し、くぐもった声があがった。

 遠隔的に他者を捕縛している稜威祇(いつぎ)の少年の体から、その方面にのびる浅いアーチ状の気脈の道筋が形成されている。
 けばたち、しがらみ合う、四つあみ八つあみの奔流のごとく場を占めている力場。
 物理的に見えるわけではないが、遠方にある対象の頭上に降りて、すっぽりのみこみ地表にへばりついているそれ(・・)には、空気(固定化された空域)をふくみながらも固くねじり編まれた注連縄(しめなわ)のような頑強さがあった。

 距離が生じてから形成されたのだろう。
 稜威祇(いつぎ)の少年が、はじめにその標的を捕捉した時にはなかったものだ。

 正しくは捕縛していた者に抵抗(攻撃)された後、三重四重に補強するかたちで築かれたものである。

〔配置……できそうもないね〕

〔時間のムダだ。そちらのことをしろ〕

〔じゃぁ、早急に済ませるよう努力するよ〕

〔そうしろ〕

 少年稜威祇(いつぎ)の言葉を受けた青年は、微妙そうな吐息をついた。

(う~……ん。正直、その力場(抑え)は邪魔だけど――もう目測はつけてるし、ま、なんとかなるかな……)

 つかの間思案して、それと催促された相手に視線を向ける。

〔垂直とまでは言わないけど、ここからだと、あと三〇度くらい…。可能なら、五〇度ていど…。角度をつけて高く(たも)てるかい?〕

〔いいだろう〕

 ふたりのやりとりを上方に。
 地面にすわっていたセレグレーシュは、暗がりに立つ人物を見あげるようにして、目をこらした。

〔君は?〕

「ん? 自己紹介は、してたと思うけど」

 闇人の言語でたずねたセレグレーシュに対し、その人は、人間の言語で答えた。

「面と向かって話すのは二度目だよ。ぼくは、アントイーヴ。イーヴでいいよ」


 ——アントイーヴ…


 それと耳にして、その人物像がさして遠くない過去、法具店で見かけた店員のものと一致する。

 いまは暗くて確認もあやういが、そうだったかもしれないと。

「《鎮め》が……店でアルバイト(するのか)?」

「残念ながら《鎮め》じゃないし、見習い従業員だよ」

「ふぅん…。でも、どうしてここに……」

〔われが話す。おまえは作業にもどれ〕

 長くなりそうなやりとりに()れたのか、稜威祇(いつぎ)の少年が口をはさんだ。

「じゃぁ、君らは、木が生えているあたりまで移動してくれないかな? ――〔君(稜威祇(いつぎ)の少年)は、適う距離でいい〕――君たちにここにいられると、資材不足に(おちい)りそうで…と、いうかね……。悪い癖で…。
 必ずしもいま必要ない構造を不必要に考案してしまいそうだから……。
 普段なら、それもおもしろいんだけど、最終的に(はぶ)くとしても、その分、時間を(つい)やすことになってしまう。どうせ使わない案なら、本番ではひかえないとね。
 資材・気力を節約する上でも間合いは広くとってもらった方が(気が散らなくて)やりやすい」

 さほど残念そうでもなく、希望を述べ、所懐(しょかい)を明かしたしたアントイーヴが、あらためて稜威祇(いつぎ)の少年へ目を向けた。

〔距離が出来ても大丈夫かい? あのへんの高度……角度は維持した状態で、あの彼から、そうだな……。四…五〇メートル圏外なら、いてくれていい。難しいなら、それはそれで対処する。どのくらいが可能(いけそう)?〕

〔維持するだけなら、さほどでもない(すでに捕まえ、縛り終えている——この程度の距離であれば(やす)い)〕

〔じゃあ、頼むよ(んだ)。少し時間をもらうよ〕

 立ちあがるのが億劫だったので、セレグレーシュは疲労を感じさせるため息をついた。

「……。なにするんだ?」

〔あの迷惑な男を封じるんだ〕

 答えたのは稜威祇(いつぎ)の少年だ。

(迷惑な、って…あの魔人(ひと)かな……。まだ、そのへんにいたのかも)

 状況を理解しようと思案したセレグレーシュだったが、はたと思いいたると、いきなり顔をあげ、地面に手をついた。
 その手のひらに、さくっと。
 (こけ)の原型をとどめていた(すす)がくずれるような感触がある。

「って……。ちょっとまて! ここにか?」

 彼の確認の声に、その場から離れようとしていたアントイーヴが地表に視線を落とした。

「これは固い。穴さえあけなければ、重ねても平気だよ――そう簡単にあけられるものでもない」

「ここに重ねられると困るんだ。オレ、これ、解かないと……。時間はまだあるんだ。せっかく、オレ…ん…? あぁ、でも……。ストップかかったようなものか。だけど……」

 セレグレーシュのとまどいを背後に聴いて、先へ進むことを中断したアントイーヴが(きびす)を返し、その場立ちに彼らの方へ向き直る。

「考査中の人間が、自主的に稜威祇(いつぎ)交渉(こうしょう)(こころ)みる例はあっても、一次考査で、そんな課題を提示されることはないはずだよ。
 修復や封じられている稜威祇(いつぎ)との交渉……視察(など)は、修了検定の課題だし、解除も適当な材料・奇特な人材協力がなければ、試験用に築いた中が(から)のものを使う。
 《封魔法印》《封魔方陣》とひっくるめて言うけれど、《稜威祇(いつぎ)封陣》と《妖威封陣》は似て非なる別もの(・・・)だ。
 その知識は、《月流し》をはじめとする一連の《適性試験》の後、段階を踏んで得られるもので、ふつうは、いま君が持っている道具で解除できるものでもない。
 後のことは後として、彼の力が有効なうちに処理しないと……。また、暴れだされたら面倒だろう?」

「たしかにそれは、オレの課題じゃないのかもしれないけど…。——ここじゃなく、ほかに構築するべきじゃないか?」

「固い法印の上は構想の自由度が高い。なにより対象を移動する手間がはぶける」

「だってここに(闇人が……)稜威祇(いつぎ)が封じられているんだろう?」

 しっくりこないものを感じたセレグレーシュが、そのへんを明らかにしようとたたみかけると、その答えをもらうまえに、稜威祇(いつぎ)の少年が()の肩に手をのせた。

〔その懸念にはおよばない。いまは、あの者を封じなくては――〕

 その人の言葉(声)にはどうにも、逆らえないものを感じてしまうセレグレーシュである。

 しかし、だ。

 ()の組み方や相対距離(隔たり)にもよるのかも知れないが、法印に法印を重ねたら、後に配置されたものを先に解かないと先のものは解けなくなる。

 妖威ならまだしも稜威祇(いつぎ)がいる法印の上に、そんなことをして問題にならないのだろうか?
 それとも、それをしてもまったく問題にならないような解決策、構築方法……解除理論、手段でも存在するのか?

 状況を正確に把握できていないセレグレーシュは、そんな無視できない疑問を抱えていた。

(えぇと……。でも、一次考査って、《月流し》のことだよな。こういう(ゆー)のは、やらないって…。つまり、どうなってるんだ? 審査官は、これ解けっていったのに…。やっばり、誰かの課題をとり違えて……)

 疲労によるものか、寝不足だからか、頭痛のせいなのか。
 それとも、ひと段落ついたことで、気が緩んでしまっているのか……。セレグレーシュの思考はうまく回らなかった。

 からまわりしている感覚なのだ。

 理解しているような気もするのに実感するまでには(いた)らなくて、事実そうであるなら考えるまでもない情報、すでに終わった事柄・結論だというのに、繰り言のように頭の中でくり返す。

〔いつまでも抑えておけるものでもない。行こう〕

 困惑していたところにかけられた響きに正気をよびおこされたセレグレーシュは、とっさに足を立て、その相手を追いかけた。

 ほとんど条件反射でした行動だ。

(…この声。やっぱり…、こいつ……)

 自分より低い位置にある少年の肩を意識しながら、離れていこうとする、その彼についてゆく。

 うっかり()がしたら、おいていかれそうな予感をもたらす、その人物(ひと)
 相手は闇人だ。
 ありえない気もするのだが……。

 ……ヴェルダ(~彼~)、なのだろうか? と。 

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