愁傷 そして…….7
左右にまたたく、黒と金の色彩。
同性の目にも愛くるしい瞳が、上目づかいにこちらを
『ねぇ、プルー。彼のことは好き?』
『うん? どうかな……? あなたが
『ふぅ〜ん……』
それは、日光の照りかえしがまぶしい昼下がり。
薄紅色の建物にかこまれた白いテラスで、お菓子をつまみながらに語られた。
そのころは、めずらしくもなかった贅沢なくつろぎの時間…——
『プルー。わたしたち、彼が呼んでくれたから、いま、ここにいられるのよ?』
『そうね』
『……。わたし、彼に感謝しているの。だから、プルー…。……』
そこで形にするのをためらうように言葉がとぎれ、わずかな会話の間が生じた。
『ん? なに? 言いかけてやめるの?』
艶やかな黒髪の少女は、すっと
その色彩が異なる左右の瞳に、とても深刻な印象の光を宿して。
『プルーデンス。わたしは平気なの。動けなくても夢を見ていられる……。だから、きっと…大丈夫……、なの…。だから……。だから、お願い…、彼に悲しみをぶつけないでほしい……』
『悲しみ? なんのこと? わたしがいつ、そんなことを……』
予測の斜め上どころか、はるか遠方を駆けていくような話の
同時に〝またか……〟という思いにも駆られ、事態の
例の少年の身のまわりに、その子が勘違いするような出来事でも起きたのかも知れないが、それを
『わたし、あの子になにもしてないけど――? わたしだって少しは感謝してる。ここは嫌いじゃないもの』
対象がそれであれば、その子の先走りは、いまに始まったことではない――いつものことだったので、こみあげてくる笑いの衝動に襲われた。
『そぉ…? そうよね……。変なこと言って、ごめんなさい。わたし……こっちへ来てから変なものを……幻影をみるの。自分がいない気がしたり、ある気がしたり。いまがいつか…、過去か未来か……。ほんとうに自分が存在しているのか、よく、わからなくなる…。――それで、なの。気のせいよね…。……』
気がつけば、いつも、どこか遠くを見ていた金と黒の瞳…——
『白昼夢っていうんだって』
『白昼夢?』
『うん。起きている時に見る夢……。イーヴが言ってた。プルーは見ない?』
『向こうにいる時はいろいろ観ていたと思うけど……(こっちでは、全然……)白昼夢は見ないわね。どんなのが見えるの?』
『うー…ん…。いろいろ…——いまは知らないのに知っている人がいたりする……』
他人とは異なるものを見ていた魔の視力……。
人間の子よりもひ弱に見えた……彼女の能力は、きっと〝それ〟だったのだ。
まわりの者も、本人さえも気づいていなかったが…——思いかえせば、そうと思える言動がけっこうあった。
『メル。夢見るのもいいけど、現実を見なくちゃ。あの子より楽しい事を見つけるの』
『彼は幻影じゃない。現実だわ。彼が陽炎とか霞のようなものだったら、わたしもあなたもここには居ない。そうでしょう?』
『そうだけど……。べつにいいのだけど、わたしには何が楽しいのかわからないわ』
もしかしたら、と…——
思いあたったのは、その人がいなくなってからだった。
闇人なのに、なんの力もない子。
人の子のようにかよわい子……
そんな固定観念が強くあって…。それでも、変な感じに鋭い
おかしなことを口にすることが少なくなくて…――不思議な違和感をおぼえてもいた。
ずっと、いっしょにいた。それなのに、どうして、わからなかったのだろう?
とめられなかったのだろう。
事実、そうだったのか、今となっては確かめようがないが、まぼろしだろうと錯覚だろうと……。
思い込みだろうと、なんだ…ろうと……。
とにもかくにも現実が悔しくて、口惜しくて……。
彼女の言葉を信じて行動していれば、その身に降りかかる災難を避けられたかもしれないと……。
あんな状況など蹴散らして、助けられたかもしれないと考えてしまうのだ。
プルーデンスは、あの日。
その数日前から――アントイーヴが何をしようとしているのか、その行動を観て憶測して――知っていたのだから。
あの子が花畑に行けるようになるなら、それもいい。わるいことではない。だから、
勝手にすればいいのだと。
それだけに……
彼女の願いを聞かなかったアントイーヴがゆるせなくて…。
そんな他人よりなにより、助けられなかった自分の不甲斐なさがゆるせなくて……
あの子を見ようともしなかった召喚主の態度も目障りで……ゆるせなくて……
結果を受けとめきれずに、そんなことを始終考えて…。
現実がもどかしくて。苦痛でしかたがなかったのだ。
それと目指して行動しても、時は、そのように流れて、変えられなかったのかも知れないのだけれども――…
🌐🌐🌐
(思い…出しちゃったじゃない……)
悲しくて…苦しくて……
くちおし過ぎて…、情けなさ過ぎて……
わかっていたつもりなのに、自分の行動を分析し理解する感覚がまひしていたようだった。
(そうよ…。わたしは、ただ……、あの子にいてほしかっただけ……)
そこに自覚してしまった、みっともない感傷がある——
記憶の中の彼女はよく言っていたから。
知りもしないくせに、その純粋な思いを拒絶しているように思えた召喚主の態度が…――
どうしても許容できなかった。
——わたし、うれしいの…。この思い、どう表現したら正確に伝わるかな? ありがとう…だけじゃ、たりないよ……。
ねぇ、プルー。
彼が受けとめてくれそうな、すてきな言葉、知らない?
わっ! って驚いてしまって、思いもよらず受けとめちゃいそうな、すてきな言葉!——
(そうよ…。わたしは、べつに……、彼に消えてほしかったわけじゃない…。そんなこと、どうでもいいもの…。関わらなければいいだけのことだもの……)
わかっていたから抵抗があった。割りきろうとしたのだ。
けれども……
なにも知らず、平和そうに生きているその少年の姿を見かけるたび、苛立ちをおぼえた。
以前は、おもしろくない、ていどに看過できたことだった。
彼がその子を拒絶したのは一度だけ。
後は接することもなかったのに彼女を失ってからは、その事実が憎くて
あの子が大好きだった人。
あの子はもういないのに、どうして……。そんなふうになにもなかったように平然としていられるのかと……。
その態度が……ありかたが信じられなかった。
——知らないからだ。
そんなことは考えるまでもなく思いつく。
けれども。
伝えに行っても闇人のこととつっぱねられそうな、そんな予感があったから、それはしなかった。
できなかった。
あの子の思いを否定されたくなかった。
話したら、いまより苦しくなりそうだったのだ。
——関わるつもりはないから…——
ふたりを見つけ…、
それと認めて、呼んで……
闇から解放してくれたその少年は、手のひらをかえすように、そう宣言したのだから。
話しても、きっと正確には伝わらない。
聞き耳をもつことなく、一蹴されるかもしれない。
彼に、あの子の思いを否定する権利など、ない……!
ありはしないのに……
あの子の思いを踏みにじられたくはなかった。
いらだち。悔しさ、悲しみばかりがつのって……。
それを器用に発散することも、
自分はこんなに悲しくて苦しいのに、この辛さをもたらす存在は、目の届くところで、なにも知らずにのうのうと生きている。
メルはいないのに。
そんな現実が
おもしろくなくて……。許容できなくて。
ままならない感情をもてあまして、我慢しきれずに…――。
あいつがいなければ考えなくていい。少しは楽になる…。
あいつが呼びだしさえしなければ、メルはいまも彼女のそばにいて……なにも起こらなかったのだと…――。
そう、……思いあたってしまったのだ。
——悲しみを、ぶつけないで……
記憶のなかに埋没していた、あの子の言葉。
その通りのことをしていたのかも知れない。
言葉では表現できずに、いきなり暴力でうったえたようなものだ。
彼が生きているかぎり、なにを見ても、けむたく思えてしまいそうで……目ざわりで……なのに無視できなくて、気になって…。だから……。
いっそ消えてくれないか――。
消えてくれないなら、消してしまおう。
いなくなってしまえばいいのだ……と。
とり戻しの叶わぬ喪失に悲しみだけとも思えない、もやもやした感情にさいなまれ、なにを見ても腹をたてていた。
そんな憤懣やるかたないなかに彼女が活路を求めるように導きだした結論——…それが、いまのばかげた行動だったのだ。
その少年を破滅させようとしたり、アントイーヴを遠ざけたり…——
メルレインの面影を思い起こさせるものをてっていして否定し、こちらで過ごした時間を。出来事すべてをなかったものにしたくて、状況がそれをゆるさなければ関わらないようにと……。
彼女の思い出がしみついた場所から離れることもできずにいたのに…——
そうして関わった人間を遠ざけても平穏がおとずれるわけではなくて……。
自棄になって……
逃避して…――
むくわれるどころか、堕ちてゆきそうな選択をした。
未来など、どうでもよくなっていた。それは、いまも変わらない。
けれども、
自分の行動を決定づけたものが
(
実際は、あたりちらす存在さえあれば、誰でもよかったのかもしれない。
殺したいほど、その少年を憎んでいたわけではないのに、気づいたら憂さまぎらわせに抹消しようとしている自分がいたのだ。
どうでもよいことなど、なかったのだ。
そんな思考のにごりを——愚昧さを、いびつさを……自分のなかに認めるのは、彼女のプライドがゆるさない。
それなのに理解できてしまったことが、うらめしかった……。
救いようもなく愚かでも、気づかぬまま自滅できたら良かった。
ずっと楽だったかもしれないのだ。それなのに……。
悟ってしまった事実がいたたまれないほど
〔…。どうして来たのよ、まぬけ男……〕
〔どうしてって、後味が悪すぎる。君もぼくも不遇になる。そんなのは彼女が望んでいない。…メルは、楽しいことが……平穏が好きな子だった〕
〔あなたのことなんか、知ったことじゃないわ。ばかばかしくなった…もうやめる。退くけど……。これは自分が後悔しないためよ〕
女
——…メルが大事にしていたもの…。
それを壊すわけにはいかない…。
本気で怒ったところなど見たことがないその子が、これを知れば、さすがにぷんすかするかもしれない……
——ぶつけないでって、言ったのに……と。
だから、やめるのだと…。
(…でも、…——)
そんな彼女の脳裏に思い起こされたのは、身動きもとれない漆黒の闇。
それは時の流れもないような空間にありながら、すべてが遠く感じられるなかに、たったひとつ…。
身近に感じられた魂だったのだ。
——…プルーデンス……
メル…レイン…? ——…
その少年がふたりを呼ぶまでは言葉をかわすこともなく、
――とくん…とくん…とくん…
…とくん…とくん…とく…
輪唱し…刻まれていたふたつの心臓の音……
父親が違っても、母親のおなかの中にいた頃からいっしょだった——異父懐胎。
産まれ出た記憶がなくても、プルーデンスはいろいろ観るなかにそれと理解して、知っていたのだ。
闇にのまれる前も、後も……。
永いのか……短いのかもさだかではない暗黒のなか、その子だけは変わらず、ずっとそばに存在していたのに……。
――…とくん…とくん…とく…
闇にのまれるとどうじ、聞こえなくなった音…。
闇にのまれても、すぐそばにあるように思えた。
たしかに、身近にあったから、音として聞かなくても感じていられたのだ。それなのに……。
その子はいなくなってしまった。
(わたしには、あの子しか……。メルしか…いなかったのに…――)