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愁傷 そして…….2


「けほ……ごほっ…くそ………」

 熱い空気をもてあまし、肺と(のど)が飽和状態に(おちい)っている。
 セレグレーシュは左手で口元をかばうことで、やっと呼吸していた。

 安定性をなくしてしまった布陣。
 すでに触媒(しょくばい)である法具を目標とするポイントに向かわせるどころではなくなっている。
 陣形を乱して、ちりぢりにはじけ跳んでいこうとするそれを自分のまわりに(とど)め置くだけで、せいいっぱいだった。

 守りの薄い部分を強引にやぶりかねない熱風。

 ゴォオオオォ…、ボゥォオオオゥ…――

 大気を焼き、天をめざして暴れる炎の騒音は、耳障りといえる次元をこえて、彼の鼓膜を容赦なくふるわせている。
 わずらわしくても、どうにもならなかった。

 少しでも気をぬけば、のまれるであろう灼熱の青。
 セレグレーシュは、それに捕まってしまったのだ。

 その炎にまぎれて消えた(ひと)は、どうなったのだろう?
 無事なのだろうか?

 憂慮(ゆうりょ)をおぼえながらも彼は、いまにもばらけてしまいそうな不完全な構成を維持しつづけた。

 この石玉の布陣が(やぶ)れれば、炎にのまれる。
 いつかは終る人生でも、こんなところで焼け死ぬなんてごめんだと彼は抵抗した(あらがった)

 黒い天然磁石からなる玉が、彼のまわりを変調を(きた)した衛星のごとくめぐり惑っている。
 どうにかつなぎ()めている、その変動的な防壁――(さく)が、彼の最後のたのみの綱だ。

 外部からもたらされる力と彼が維持しようとする法具の摩擦。そこに浮力がうまれ、セレグレーシュの足が地面から二〇センチほども浮きあがっている。

 なれない作業に身体がギシギシいって、なまけたがる……。
 それに、
 熱せられた空気に包みこまれ(あお)られて、とても息苦しかった。

 間近に(せま)灼熱(しゃくねつ)にさらされた皮膚の表面が、じりじり痛みを訴えて……その凄まじい熱気だけで身に着けている服が燃えだしまいそうな予感をおぼえた。

 休めぬまま心力を……心気を放出している。こんなやり方では永くはもたない。
 確実にのまれる——…

 セレグレーシュは煮えたぎる空気を(しの)ごうと目を閉じては細くひらき、前後左右、出口のない炎の壁を(すが)め見た。

 いちかばちか、そこを抜けるしかないのかもしれない……と。

 なにをどうしたら抜け出せるのか、わかりはしないのだったが。

 そうしていると青白かった視界に、すっと闇がさしこみ、こころなしか涼しい風が吹きこんできた。

「……???」

 微風が流れてくる方向……
 上の方を見あげると、そのあたりを占めていた炎がセレグレーシュの頭上で、ぐるりと外側へ()りかえっている。

 そこに白っぽい光にのまれがちな、青黒い空の一天(いってん)(のぞ)いていて、次第(しだい)にひろがりだした。

 湾曲(わんきょく)している部分()がするする放射状に抑えひらかれ、おりてきて、彼の目の位置より下になり、さらに落ちてゆく。

 それは堅く閉じていた蕾をほころばせ開花する、ろうと(・・・)型の青い巨花のようでもあり……。
 やがては重力にうながされ、広く弧を描きながらなだれ落ちる噴水にも似た状態に変化していった。

 その内側。
 中心にいる彼。セレグレーシュは、当惑がちに事態を受けとめながら理解しえぬ成りゆきに圧倒されていた。

 まだ腰から下――足のほうは熱く煮えるようだったが、陽炎のように拡がりたなびく炎にとり巻かれながらも、彼の肩から上、頭部は熱気から解放されている。

 ウエストのあたり――法具が占める支配領域の向こうには、いまも反りかえり、()りていこうとする青い火焔の流れがあり……そのさらに向こう。
 女稜威祇(いつぎ)の姿を見つけたセレグレーシュは、安堵をおぼえて、にわかに肩の力をぬいた。

 折り返された焔の輝きより下になる部分……下肢までは確認できなかったが、危険なことなど何もないようにたたずんでいる。
 見えない圧力に阻害された炎が、さらに反りかえり、大地の上を()める面積を広げたので、女稜威祇(いつぎ)は、二歩、三歩と、後ろへまろび退(しりぞ)いて標的との間合いをとり直した。

 彼女のその瞳は、火中にある彼ではなく他方に向けられている。
 なにかを注視しているようだった。

 そちらになにがあるのだろう?

 状況を把握しきれていないセレグレーシュがぼんやり思うのと前後して、その耳に飛びこんできた声があった。

〔女……。われが相手だ〕

 周囲の炎を抑圧する不可視の力にまぎれ届いたその響きは、驚くほど近く、彼の頭上から降ってきたようでもあって…——

(…え……ヴェ…?)

 意表をつかれたセレグレーシュは、それと思った声の主をもとめて、あたりに視線を迷わせた。

 (あいだ)にたなびく青い火炎がまぶしくて、その先のようすがよく見えない。

〔邪魔をしないで!〕

 女稜威祇(いつぎ)が、むっと目を怒らせて一方向を睨みすえている。

 セレグレーシュの腹の高さで抑え曲げられ縮みゆく焔が、青から白緑、黄色、そして赤黒いオレンジ色へ……
 遠い端の方から色を変えていた。

 ()りかえり、薄くなった部分部分がさらに分断される。そうして、ぽとぽとと燃えおちた(くず)()が、熱気にさらされ乾きかさついていた地面をまばらに焼きはじめた。

 いまもセレグレーシュを包囲している炎が、そのあたりの大気温度をあげていることに変わりはないのに何故か、
 彼を(かば)って展開する不可視の力場……回遊する法具が形成する(かたどる)(さく)の周辺……なかでも上の方は涼しく、さわやかにさえ思えて……。

 空気を吸いこんでも、乾いてじりじりいっている喉が焼けるほどではなくなっていて……

 ――それは現実には、いま、彼が考えているほど涼やなもの(~の温度~)ではないのかもしれない……。
 急激な体感の変革をもとに生みだされた心理的なゆるみ。解放感からなる生体の錯覚なのかもしれないのだったが……。
 救わ(逃れら)れそうな流れ(なりゆき)のもとに、がちがちに(かた)められ限界まできていたセレグレーシュの緊張感……集中力が、本人の了承を得ることを省略・無視して、いっきにほぐれだしていた。

 そこではじめて、ガンガンと。
 脳みそが頭蓋(ずがい)にさえぎられながらも()れあがり、あふれんばかりに抑えつけられているような……そんな、頭痛がしていたことを彼は自覚する。
 オーバーワークを知らしめる肉体の一症状だ。

 すぅっ……と。限界を越えそうな疲労感に意識がとけるようなめまいを覚えたセレグレーシュだったが、どうにか現実に踏みとどまった。
 そして、心臓が生きようとして、どくどく(うごめ)くのを胸のあたりに感じながら、女稜威祇(いつぎ)が見つめている方面に視線を移動した彼は、そこで目撃したものの意外さに目を(みは)った。

 走ってきて速度を落とし、すたすたと。
 まばらに燃え落ちている炎の合間(あいま)を歩きだしたその少年には見おぼえがあった。

 表層の部分が躍動的(やくどうてき)な流れをみせるその金色っぽい毛髪が、あたりにちらばる残り火と闇の陰影をともなって暗いオレンジ色に透けて見える。

 まだ三〇歩ほどの距離があって近いともいえないのに、その()りようが、いつか、かたわらに見た過去の情景と重なった。

 直前に耳にした声のせいか、場面を変え角度を変え幾度となく身近に見たその人物のように思えて……。

 錯綜(さくそう)する(ほのお)明滅(めいめつ)の加減か、自分がちゃんと目をひらいていられないだけなのか、
 いま視野に捕捉している人の姿が見えたり消えたりしているようでもあり――…。

 セレグレーシュは細くなりがちな視界を明確に(たも)とうと、幾度となくまばたきした。

 緊張感のない笑顔が印象としてのこっているその少年。

 いまは、にこりともしていないが、彼の身のまわりによく出没する稜威祇(いつぎ)の子供だ。
 それは間違いないのだが……。

(あいつが…——。…どうし、て……?)

 セレグレーシュがあらぬ予感にとまどい、あっけにとられていると、少年の琥珀色の双眸がこちらに向けられて、まっすぐに彼を映した。

〔まだ気をぬくな。火傷(やけど)するぞ〕

(…うん。…でも、この声……。ほんとうに、あいつの声なのか?)

 微妙にかすれをおびた、はりのある声だ。
 若々しい透明感が残存する変声期もまぎわの気丈な響き。
 口調そのものは、静虚で大人びている。

 その音をつむいだ少年のおもてに峻厳(しゅんげん)な怒りが見てとれたので、瞬間的にぞくりともしたが……、

 冴え冴えとたたえられたその非難のまなざしは、すぐにも彼のもとを離れ、女稜威祇(いつぎ)にそそがれたので、その感情が彼女に向けられているものと理解する(さとる)

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