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愁傷 そして…….1


 意思をもって燃えさかる高温の炎……
 圧し(押さえ)(つぶ)すにせよ散らすにせよ、それを消し飛ばすだけなら(やす)かった。

 しかし、その中には()がいたのだ。
 灼熱にあらがい、青い炎に(おお)われた頭上を見あげている少年が…——。

 高温の火柱(ほばしら)に、すっかり捕りこまれてしまっている。

〔…、遠い……〕

 一〇〇歩に充たない距離だったが……。
 ぽつと独白したのは、一帯の炎を鎮めたくせっ毛の少年稜威祇(いつぎ)だ。

 思うような処置をほどこすには遠く、その内部にあるものの安全を期すのが難しい(には確実性が危うい)

 中にいる者が築き維持しようとしている(かこ)いが、不意の干渉にどう反応するかも読めない。

 ここから手を出したのでは、対応しきれる保証がない。
 さらなる変化に対処がおよばないかもしれないのだ。

 ちらと。
 いま動きを抑えている存在()を流し見た少年の目許(めもと)や口もとに、不服そうな表情がうまれた。

 使いたくない力を無駄に使わされている……というような顔だ。

 それでも放置すれば、なにをしだすかわからない――捨ておくわけにもいかなかったので、そのままに干渉を縛《しば》りを維持して、彼は青い火柱との間合いを(ちぢ)めるべく走りだした。

 いっぽう。
 アントイーヴはというと、

 目を開いたまま眠っているような状態の対応対象(~男~)を視界に警戒しながら、一帯の気の状態を推し量っていた。

 目で(じか)に見るまでもなく、研ぎ澄ました感覚にひっかかった死角に存在する異物を強く意識する。

「……。手こずって…、いるのかい? まだ高温が残留(ざんりゅう)しているね。いびつにゆらぐ……流動的な(さく)があるあたり……。その力場()も邪魔だな。炎の威力を押し返し、まき散らして始終変化している。それ、なんとかならない? それを寄せられないなら場所を変えたほうがいいな。さっきまで(は)、なかったと思うんだけど…——っ」

 事態を見きわめようと、それがあると思われる方角をふり仰いだアントイーヴは、そこで、ぎょっと目を見開いた。

「…え? あ……もしかして、プルゥ? 君、なにを……?」

 静けさをとりもどした夜半の闇にたち昇る青白い光源。
 その熱風を(ともな)うかがやきが、炎の側面にたたずむ女性の姿を夜の大地にさらしだしている。

 左右の肩にゆれる金色の髪。氷のような目をしたその人は、なにに(おびや)かされることもなく、ひっそりと立っていた。

 光のおよばない部分に暗い陰影をまといながら……。

 🌐🌐🌐


 ——どうして、ほうっておいてくれないの…——

 
 それは火炎に包まれている少年に対しても共通する思い……。

 
 ——ほうっておいてくれたらよかったのに、どうして…——

 
 あの男……アントイーヴが力ある〝おまけ〟を連れて現れた。

 おそらく彼らは自分の邪魔をする。
 きっと彼女のおこないを非として、やめさせようとするのだ。

 その時、そばには炎の動きを見て兢々(きょうきょう)としている宿敵(・・)の姿があって…——

 彼女に対しては隙だらけだった。

 そこに図ったように炎をとりもどす好機がおとずれた。

 あの男と共に現れた稜威祇(いつぎ)の少年が、(はた)からはなにをしたのか理解し得(よくわから)ない方法で暴れていた無法者の感覚を(から)めとり、注意をひき……その動きを抑止・捕縛したことで、一帯の風と炎を支配していた力が途絶えたのだ。

 いま行動しなくては手を出せなくなる。

 ならば、やってしまおうか?

 とっさに判断した彼女は、一度は他人に奪われた近くの火炎に目をつけ、消される前にとり戻し、集中的に活性化した。

 すぐに終ると思っていた。

 その生きものの熱に対する耐性は、たかがしれている。法具など、あやつる暇もあたえず済ませられるはずだったのだ。

 けれども。

(ねばるわね……)

 女稜威祇(いつぎ)は、天を焦がさんばかりに立ちのぼる青白い奔流を冷めた目で見すえた。

 ゆうに一万℃をこえる高温の中心に人の子がいる。

 その手に法具を(たずさ)えていなければ一瞬で決着がついたはずだ。

 体力・精神力には限界がある。それは互いに言えることだが……。

 個体差はあれ、人の子の気力の上限など、たいして高いものではない。
 人の子(それ)が相手なら時間の問題だろう。

 炎が容赦(ようしゃ)なく酸素を喰い、温度を上げている。
 がんばっているが、いずれ息ができなくなる。思考など保てなくなるだろうから…。

 焼かれるのが先か。
 構成が崩れるのが先か。
 その子が窒息(ちっそく)して意識を手放すのが先か……。

 結末を予測して対象のようすを(うかが)うなかに、数十日前(過去)に見た、その少年の苦痛の表情が思い起こされた。


 ——酸欠…呼吸困難……


〔あなたがいけないのよ…。こんなところに呼ぶから……〕

 たおやかな面差しの女の闇人は、ぽつりとこぼした。

 できるなら、自分の手ではしたくないと思っていた。
 けれども彼女は、その少年がこの土地にある法印の()にひっかからない時は――

 そして開封に成功したとしても、解放された者が彼に危害をおよぼさなかった時は、きっぱり引導を渡すと……。
 そう、心に決めていた。

 これ以上は耐えられない…——限界を感じていた。だから、邪魔など、されたくなかったのだ。

 こうなってしまったのならば、
 後から来たふたりが狂った男の相手をしているうちに、決着をつけてしまえばいい。そうするしか解決への選択肢はない。

 自分がこの苦境から解放されるには、他の誰よりも目障りなその少年を灰にしてしまえばいいのだと。

 追求されようが報復されようが後のことはどうでもよかった。
 彼女は、なにがなんでも着手した宿願をはたしたかったのだ。

 すがるような固執。

 そうしなければ自分が壊れてしまいそうで…――
 もう、そうするしかないのだと覚悟した。

 思いのほか標的の対応が速くて、抵抗されているが……。

 彼女が不運を望み、いっそ、この世から消しさりたいと願うその少年。セレグレーシュは…――瞳に金と黒の光をたたえた少女が誰よりも慕っていた人。

 いまはもういない無二の少女が信じて、大切にしていた存在だった……。



 ——プルー……わたしね。彼に〝ありがとう〟って言いたい…——



(メル…。…でも、伝えに行ったって、邪険にされるのよ……)



 ——そうね…。そうかもしれない……。でも、それでもね、プルー。
   わたし嬉しくて、楽しくて仕方ないの…——



 その子が彼のことをよく知っていたはずはない。

 まともに話したことなどないのだから。

 その子は、ただ、向こうから呼びだしてくれたこと。連れ出してくれたという事実だけで彼を信頼し、()がれ、そこに(ゆる)るぎない思いを(はぐく)んでいた。

 (おな)い年なはずなのに、外見的に年若に見えるその子の思慕(しぼ)は、盲目的で行きすぎに思えたものだ。

 それでも、その子が楽しいならかまわなかった。彼女さえ無事でいてくれたら、どうでもよかったのだ。

 ……それなのに現実は…。

(…こんな人……。あなたが慕うほどの価値はない。はじめから存在しなければよかったのよ——…)

 確信する女稜威祇(いつぎ)の瞳は、ふところが広くありながら酷薄にして無慈悲でもある太虚(天空)の青。

 そこには憂いと悲しみにくもった寒々しい光があった。

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