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魔神招来.9


〔っひゃ…‼〕

(『ひゃっ』…って、おい…)

 飛び火してきた焔を追いやるようなしぐさを見せている女稜威祇(いつぎ)を横目に、セレグレーシュは手にある法具をにぎりなおした。
 ついで、そのへんに転がっていたリュックを逆の手に確保した。

 持っている法具は《天》に(もち)いた一つだ。
 まだ心力を断ってはいないので、残りの玉もつかず離れず、彼の周囲をただよっている。

「…——これをオレに、どうしろって…」

 さっき、高空(たかぞら)からおりた大量の水が地面をぬらした後だ。

 ただの風なら湿っぽいところに生まれた局地的な炎など、もみ消したかもしれないが……。水をふくんでいた土壌は炎の熱にあてられ、あっという間に()あがってしまった。

 この風は自然現象ではない。炎もそうだ。

 彼女が青い炎柱で標的を襲った時も、いまも。無秩序な大気の流動はやむことなく、あたりを荒らしまわっている。

 炎に飲まれたようにも見えたが、おそらく——。
 その闇人……暴れていた妖威は健在なのだ。

 理由の読めない行きあたりばったりの八つあたりめいた動きが多いが、それは、いまに始まったことではないから、きっと、
 彼女が生みだした炎を逆手にとられている。

 支配下においた熱源を一帯にふりまきながら、反抗的な異物と知覚した彼らを圧倒しようとしているのかもしれない。

 攻撃したので、敵と見なされたのか?

 青白くはためく火焔が彼らを包囲し、間合いをつめてきた。

 セレグレーシュは崩壊した法印をもう一度たちあげようと、黒い天然磁石の玉に心力をそそぎはじめた。

(……温度限界は、ある…。どれだけ防げるかわからないけど構成と力の注ぎ方を工夫すれば、ある程度まで耐性をあげられるから……これが形成する法則は炎にも有効なはず。流動的なだけに流れを生みだせばどうとでもなる――…そうするにも限界はあるけど可能なうちは、どうにか配分をコントロールすればいい。
 より問題なのは、炎や窒息性の高い外気に(かこ)われると充分な空気を確保できないことだけど……)

 今度は正確にポイントをとらえ、堅固なものを築かなければと強く意識しながら。

 だが、その時。

 あらぬ方角に視点を投げていた女稜威祇(いつぎ)が、すっと……。

 セレグレーシュの視界から身を退いたのだ。

 彼女の姿が接近していた火炎にまぎれて見えなくなる。

 法印を築こうとしていたセレグレーシュは、一瞬、行動するのを迷ったが……。
 勢いを増した熱気がさらに速度をあげて彼にせまってきたので、焼かれる前には法具を使っていた。

 彼がたちあげた空間の内側に連れの姿はない。

 それに、後手をふんだ……。

「……くっ‼」

 黒い玉が指示どおりのポイントをとらえようと、青い灼熱の威力にあらがっている。

 いくらか炎を()しかえしても、目指す位置——安定ポイントにはとどかない。そこに作用する力が輪郭の表層に()れだして、十九個の玉が右へ左へとゆらぎ惑った。

 組み直す余裕などなかったし、《一天十二座(いってんじゅうにざ)》は、こういった急激な変化に対応できる手段でもない。
 一度、適切なポイントを押さえてしまわなければ、本来の確かさ・堅固さは維持されない。
 当初計算に入れてしまっていた稜威祇(いつぎ)がぬけたことによって生じた不正確(手違い)……不備(ふび)よる穴もある。

 セレグレーシュは、腕をのばせば届くところで震えている天のひとつを上へ上へ、おし上げようとしながら空を見あげた。

 そこにあると思っていた深夜の天涯が……見えない。青白い光が、まばゆくはためいているだけだ。

(――…まずいな。固定できない。補強したくても……矯正したくても、これじゃぁ…――熱い……。暑苦しく、なってきた……)

 🌐🌐🌐

「……。風と(ほむら)が邪魔だな…——(しず)めよう」

「うん。頼むよ」

 稜威祇(いつぎ)の少年が誰にともなく告げ、アントイーヴが受けて答える。

(……条件反射的に対処することはありそうだが、守備を固めてはいないな…。――おのれが気まぐれに干渉するその炎で自滅しそうなほど隙だらけだ……)

 服のすそが(くすぶ)っている男を視界に。その状態・あり方を分析した少年稜威祇(いつぎ)が、なにをどうしたのか……。

 二〇歩ほども離れたあたりで、あらぬ方角を見ていたその男が、なにか存在(・・・・・)を見て、誘われ願い求めるような、もうろうとした足どりで、一歩、二歩……前へまろび進んだ。
 そこで、ヒタと動きを止めてたたずむ。

 (はた)から確認できない〝なにか〟に気をとられているようだった。

 せわしなく回遊していた大気が、あっちやこっちでぶつかりあいながら方向性を(うしな)い、たわみ、ゆらぎだす。

 ともなく……。

 一帯を焼いていた炎が、琥珀の双眸をそなえた少年とその対象、二カ所を中心軸として、放射状にふつふつと。
 不燃性の空気のようなもので()し消されるように()せていった。

 あたりが急に暗くなったが、しかし、(すべ)てではなく…——

 そこに残された太い火柱がひとつ。

 細事に集中し、銀色っぽい冷淡な光をたたえていた稜威祇(いつぎ)の少年の瞳が、ぎらっと黒くひらめいた。

 一瞬、紫の発色をかいま見せ、いくらか冷静さを()いた琥珀色に燃えあがる。

 その瞳が、ひとつ、衰えることなく残された青白い火炎の(はしら)を睨み消さんばかりに捕捉した。

 そこに意思をもって燃えさかる高温の火焔(かえん)……

 ただ圧縮し打ち消すだけなら、そんなに難しいことではなかった。

 しかし……。
 残さないわけには、いかなかったのだ。

 なぜなら、その中……内側には…——

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