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魔神招来.8


〔ひどいな……。どうなっているんだろう〕

 球形の力場に保護されたその人馬は、暴風にみまわれている森の道を苦もなく疾走していた。

 彼らの先を行き(先行して)、暗い道筋を知らしめるのは、浮遊する白い発光体。

 ただよう三つの光が馬の鼻先から一定の間隔を(たも)ちながら進み、あたり(進路)にあるものをひそやかな燦爛(さんらん)で照らしだしている。

 影絵のように浮かびあがってみえる黒馬の背には、成長のきわに達するのもそう遠くない細身の若者と十代前半の少年の姿がある。

 異常な天候に誘われるままに——ふたりは先を急いでいた。

 道もなかば。ひっかかっていた倒木に行く手をさえぎられ速度をおとすこともあったが、迂回することなく騎乗したまま幹を跳びこえて前進しつづける。

 そんなふうにして、しばらくゆくと、
 目指している方角。闇につつまれていた木々の頭上に青白い光がもやのように広がり息づくのがかいま見えた。

 得体の知れない幻覚のようでもあったが、すぐに天をめざして高く立ちのぼったので、光源の正体がそれと知れる。

 闇をわけて色あざやかにはためいたのは、青白くも盛大な火柱だ。

(まさかと思うけど、中の者を解放しちゃったんじゃないだろうな)

 馬の手綱をさばいている青年。アントイーヴは道なりの隙間の少ない視界にちらほら臨めるさほど遠いとも思えない異変を見あげながら、よぎった予想を瞬時にうち消した。

(いや、見つけたからって、(こころ)みる理由なんてないよな。簡単に解けるものでもない……)

 この異常気象がただの嵐ではないことは明白だ。

 目標としているあたりに面倒なものがいて力をふるっていることは疑うべくもないが、素人が封魔法印を解いてしまうなど――彼の常識では、どうしても考えにくいのだ。

(プルーがひとりで暴れているとも思えないし、なにか出たのかな……)

 生木(なまき)を焼くオレンジ色の焔を左に見ながら、さらに馬を進めた彼らの視界が左右前方にひらけた。

 そのふたりと一頭が石碑の立つ草地に出たとき、一帯は火炎の林と化していた。

 強風のなかを舞いおどる青い炎柱が、多少の水気などものともしない高温で飛び火し、そりかえり、のびあがってはとり着いて、存在するものを手あたり次第に燃やしている。

 不穏な煙があたりをただよい、どこを見ても青白いひらめきが目に入り、その熱に触発されて発生したと思われる緑色の陰影がまざりこんだオレンジ色の光源()が、いたるところでゆれ動いていた。

〔印を解け〕

 後ろで生まれた要求に、アントイーヴは眉をひそめた。

〔この状況で? 火傷するよ〕

〔解け。手間どるようなら壊してやる〕

〔はいはい。ケガはしないでくれよ?〕

 ぐるりと駆る馬ごと囲っていた保護の力場を解除しようとした——その視界のすみ。
 アントイーヴは、青い火炎のそばをよこぎって行く人影を見た。

 燃えさかる炎と闇のはざまに、ほんの短い時間確認できた、その痩身の男に見覚えはない。

 アントイーヴたちがいることに気づいていないというよりは、眼中にないようだった。
 瞬間的に目が合ったようなのに、それと彼らを意識したようには見えなかった。
 のったりとした自適な動作のなかにもその男は、その先に立ち昇る炎にまぎれ、すぐに確認できなくなってしまったのだ。
 さながら、空気に(ほど)け消えるようにして……。

 円形の原っぱに目をおとしてみれば――封魔法印の収縮形態は健在だ。

(やっぱり。じゃぁ、どこからか妖威が迷い出たんだな。彼女たちは……いるのかな……?)

 保護障壁を解除して地面におりたアントイーヴは、さっと手をかざすだけの所作で馬具付属の別途防御法印を立ちあげることで黒馬の安全を補強しながら、周囲に目を走らせた。

 動いた気配も感じなかったのに、後ろに乗っていたはずの少年の姿が見あたらなかったのだ。

 その声が彼の背後からきこえた。

〔道具は(そろ)っているか?〕

〔うん。ひとつくらいなら築けるよ。相手の性質・程度にもよるけどね〕

 応じながらその場から離れたアントイーヴは、肉眼では見てとれない遺物(法印構成)の前にしゃがみ、その焼け焦げた大地の上に手のひらをかざした。

「あつ……〔だいじょうぶ。これだけ固ければ、そのまま重ねられる〕…にしても、なかなか凝った趣向だね、この構造(これ)は……」

 火傷しそうになった手をふって熱感を散らしながら、せかせかと——地表に圧縮されている封魔法印(陣形)の範囲を出る。
 そこでアントイーヴは、ふところからとり出した巾着の口をゆるめた。

 さらりふわりと…

 解放された羽虫ごとく均等に拡散してゆくのは、億単位の白い沙塵(さじん)

 適切に心力を投入すれば即座に成立するよう前もって構成してあったそれが、木立のかたわらに半球状の安全地帯を形成する。
 その中のアントイーヴが手早い動作でとり出し広げたのは、十四個に分裂する玉で封じ(て)所持していた煤竹(すすたけ)色の法具箱だ。
 ひとつに集約された透明な球体(法具)を地面に転がすことなく、開いた法具箱の中に収め、その内部をのぞきこむ。

 数ある法具をいくつかの袋に小分けして、ベルトの鍵に引っかけたり、亜空に閉じこみ、着衣のふところに収めたりしている。

 必要と判断したものをひととおり身につけ終えると、アントイーヴは法具箱をその場に残したまま抜けだすのになんの障害もないように半球の外へ出てきた。

〔暴れているやつは、さっきの人影かな? 抑えられるかい?〕

 他方に投げられていた稜威祇(いつぎ)の少年の視覚()が、声をかけたアントイーヴに向けられて彼を映す。
 そこで稜威祇(いつぎ)の少年が返したのは、問いに対する答えではなかった。

〔準備はできたか?〕

〔だいたいね。残りは後でもいい〕

〔手間どるなよ? 不要な行使は避けたい〕

〔きもに命じておくよ〕

 アントイーヴが首につるしていた蛋白石(オパール)のようなかたまりに心気をこめた。

 ともなく、遊色効果が見えるその紡錘形(ぼうすいけい)法具の集まり(・・・・・・)が、順々に膨張(ぼうちょう)してゆく雲霧(うんむ)状の光をあみだす。
 さらには不規則なタイミングでそのあたりから飛びだしたのは無数の光の点。それが、さながら闇に舞う蛍のごとき軌跡をえがいて行使者をとりまいた。

 次いで、多様な色彩色のさざれ石のごとき部品——紡錘形の法具の集まりを支えていた鎖状の連なりが、さっと、ばらけて定位置を目指して散っていく。

 鎖を()した支えを(うしな)っても落ちることなく浮いていた紡錘形(法具の集まり)が発し続けている耀きとそのへんを舞う光の点——
 それが、いま解き放たれたさざれ(・・・)の……――解き放たれる前は鎖を形成して、紡錘形の法具の集合を支えていたものの間をせわしなく行き交い、その中心にあるアントイーヴの身をやさしく包みこむ。
 そうして。
 空気のように希薄でありながら柔軟かつ緻密な仕組みを編みだし、その基軸(紡錘形(オパール調)のペンダント・トップ)を模した拡大形状の守りを築きあげる(包囲網が成立する)とそれは、即座(瞬時)に、色も光も外形()も無くした。

しおり