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魔神招来.7


 法印の外は、今も強い風が吹き荒れていた。

 彼が維持する厚みをそなえた透明な壁面を、様々なものがかすめていく。

 小枝、土くれの(たぐい)なら、あたりまえのようにむかってくる。
 どこからさらわれてきたのか悩むようなイグサあみの敷物が飛んできて、表面に()りつき(すべ)り、はじかれて、はためきながら大気にさらわれていった。

 やけに大気のあたりが強いな……と。セレグレーシュが思っていると、たまたまそうあるわけでもなさそうだった。

 三〇メートル…、いや、もっと先だろうか?

 照明ひとつない暗がりの中にあって。
 より身近にある法印の乱れに感覚を散らされがちで、その先にあるものの距離・輪郭はもとより。外部にあるもののあり(よう)・気配はかなり把握し(にく)くくある。
 視覚に(目で)見てとれるわけでもないので確かとも言えないのだが、それでもそのへんで足をとめている……かも知れない人影が、こちらを見ているような――そんな予感がした。

 鳴きさざめく陣形の不安定さが、その魔神(相手)の気を()きつけたのかもしれない。


 ——そこに隠れているものは、なんだ? と。


 ごぉおおおおおぉっ——つ…

 左からおしよせてきた不意の風圧にセレグレーシュが維持する法印の表層が、ざわわっと。わなめいた。

 フゥウウウッ———っ…

 (のど)も声帯も持たない法印が、猫の威嚇(いかく)めいた多重の共鳴音をあげている。

 セレグレーシュは本能的に法具にそそぐ力を加算。強化した。

〔目をつけられた……かも〕

 外の面が波うっても内の面はきっちり固まっている。

 不安定なりに彼が維持する空間には、まだ、ゆとりが……。余力があるように見えた。けれども。

 やはり、それだけではすまなかったのだ。

 ドウォオウッ…ォ

 彼らの頭上。急転直下の圧力が暴奴のごとく襲いかかった。

 ザヴァァアォオオオオ…オ…

 ふたりを内におく法印に衝突したのは、大量の水——

「くっ…」

 空の高みからメガトン級の瀑布(ばくふ)のごとくなだれ来る液体の重圧に押しつぶされそうになる。

 ごくわずかな変化だったが、防御法印の天井が雨水が溜まったシートのように(たわ)んだ。
 そこにさらに、

 ピシッと…。

 巨大な槍でも落ちてきたような……天上から張り手をくらわされ、つき潰されるような…――そんな気流による衝撃があって、不規則に繰りかえされたのだ。

 ヒュウウゥ…、ヒュウゥ…ヒョォオオォ…——

 周辺の大気をひきずり巻きこむ、下降気流をともないながら突きささってくるのは、重量のある空気による圧力。

 それは、そこに見つけた不自然な異物を叩き捕らえ、割り裂かんとせんばかりに下り降りることで、セレグレーシュが(たも)とうとする陣形を(あっ)しながら放射状の流れを形成し、さらに下方に存在する固い構成にも影響をおよぼした。

 下からも跳ね返そう(排除しよう)とする力が働き、両者にはさまれるかたちになった立体法印の横の面が、ぷっくりと十二方向に張れあがる。

 ザン、ザザザン……ザン…と。

 読めないタイミングで、次にどちらが来るともなく、つきささってくる水と気圧による衝撃。連打。

 それに対抗し、セレグレーシュがかかげている右手。その中指にあった指輪が、とつぜん、ざわわっと組成を乱したかと思うと瞬時に砕け散った。

「…へわっ……!」

 白から青、銀の粉塵と化し、螺旋状の放物線を描きながら伸び上がり、ちりぢりに飛散し消失していった。

あっけない(あっけなっ)! いきなり過ぎる! こんな()困る――どうしたって、ぐらつくだろっ)

 ともなく、そこに生じた不用意な反動――そそがれる心力量の乱れから陣形の均衡(きんこう)がゆらぎだし、空間を支えていた天の一点の法具が、しゅんしゅんと小さな真円を描くような動きを見せ、最終的(しまい)には、ひしゃげて、直下にいるセレグレーシュに(せま)ってきた。

(ぅわわわわっつ……)

 全体のバランスを維持しあぐねたセレグレーシュが、こらえきれずにその場に片膝をつく。

 そばでは女稜威祇(いつぎ)が、いまもいくらか地面から浮いている法印の底面にしりもちをつき、上方をあおぎ見ながら(ひじ)をあげ、防御のかまえをとっていた。

 そこにまた、烈風の穂先がおちてきて…――

 ぐしゃ…っ

 たわむだけたわんだ肉眼では確認しえない無色透明の防御壁が、あわのごとくはじけた。

 地面に嫌われた気流が、その大地に穴をうがつこともなく、その週辺二メートル四方の表面の苔を(こそ)ぎ飛ばしながら、地面に()ねかえされ駆けあがり、
 その中心付近にいたふたりは…——

 一度、下からつきあげられ、わずかにバウンドしたものの、法印が崩れる直前とあまり変わらないような姿勢で、苔で覆われたまま残されたほぼ円形の地べたに座りこんでいた。

(つ…、つぶされるかと思った)

 セレグレーシュが次の攻撃がくるのではないかと、はらはら天を見あげている。

 いっぽう。

 かたわらにいる女稜威祇(いつぎ)の藍色の瞳は、三…四、五〇メートルほども離れたところにあって、ゆらりっと歩を踏みだそうとしていた同眷属のほうへ流された。
 そうして、
 その男の姿を捕捉《ほそく》したところで、冷酷なまでに苛烈な水色のまたたきをみせる。

 防御の陣形は破れてしまった……けれども。
 せめぎあっていた力が解かれるまで、それこそ、万分の一の間差であったのかもしれないが、ぎりぎり(しの)げたようだった。
 次の攻撃は、まだこない。

 印による障壁が崩れたことで、なっとくされたのか……?
 わからないが、ひとまず上空からの攻撃は止んでいた。

 いつ再開するとも知れないが、危機的な緊張の極限(きわ)から、つかの間、解放されたセレグレーシュは、肩で息をしながら反動で逃げていこうとしている法具のひとつを心力で(から)めとり、右の手でつかまえた。

 そのひとつから、まだそれぞれに残存している心気をたどって、残りの玉石も自分の周囲に引きよせる。

 なにが起こるかわからないので、それはまだ手放せない。

 飛びちって地べたに転がっていたものや、遠くで、くるくる回転し、苔を蹴散らしていた黒い球体が彼のもとにもどってきて、その周辺空域を回遊する。

 大気はいまだ、とりとめのない動きを見せている。

〔なんて乱暴なの…。危ないじゃないっ〕

 すぐそばであがった非難の矛先は、かたわらにいるセレグレーシュではなく、他方に向けられていた。

 水色の瞳を怒らせた女稜威祇(いつぎ)が、すっくと立ちあがる。
 時を同じくして、彼女が睨みつけている方向——まろび歩く人影との中間で、ぼわっと空気が飽和するような音がした。

 そこに発生した青白い輝きが、閃光のごとく空中を駆けぬけ、その方角にあった人影をあっという間にのみこむ。

 青白く燃えあがる高温の炎だ。

 容赦なく、暴力的なまでに大気を食うその烈火が、目標とする対象をとりまきながら渦を形成し、(てん)高く燃えあがった。

 そして…

 奇妙な動きを見せた。

 ひと固まりだった太い(ほのお)からこぼれおちた小さな火種が、成長し、四つになり、十にもなって燃え広がったのだ。

 あっちへ、こっちへと。飛び火している。

 セレグレーシュは襲いくる熱気に(ひじ)をあげ、本能的に頭と顔を庇いながら、妖威を凌駕(りょうが)しようと(こころざ)すにも過剰に思えたその熱源の動きに思わず尻込(しりご)みした。

〔お…、おい……〕 

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