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魔神招来.2


 …——

 四五度の角度で射しこむ光が、上下左右いたる方面から降りそそぎ、重なりあうところ……。

 時の流れからとり残されたような……静寂(せいじゃく)に支配された空域にあって、膝立ちに(ひたい)から倒れこむような姿勢でつっぷしている人物がいた。

 肩や背中の輪郭、腕に鋭角的な部分が見てとれる。

 男だ。

 いささか古風な感はあるものの、造りがていねいな着衣や腰にひっかかってるベルトには、さりげなくも手の込んだ装飾がみとめられた。

 正装と言えなくもない……並より上の生活水準を感じさせたが、全体的に(ほこり)っぽく変色している。

 相応に成長しきっているその存在は、セレグレーシュとそんなに違わない年代にも見えたが、同時に幼児のようであり、くたびれた老人のようでもあり――
 単一であるというに、見た目のままではない安定を欠いた複合感。
 どれにもなり得そうでありながら、なりきれていない不安定さを内包していた。

 肩甲骨や胸におりる長さのボサボサの頭。

 灰色っぽい髪に埋れるようにしてある彫りの深いおもては、なんらかの苦痛をこらえ、凄絶なゆがみをおびていて……

 明確には理解できぬまでも、その者をとりまく世界が……

 いや、

 もともと充実してはいなかったその人の心……人格そのものが、ひび割れて、砕けてしまったとでもいうような…――

 崩壊…狂乱…絶望……自棄、忘我の予感があった。

 知らず(おちい)っていた瞑想のなか。セレグレーシュは、そこに。
 まばゆいばかりに降りそそぐ白銀の静穏(せいおん)とは相反する粗暴(そぼう)さを目撃したのだ。

 🌐🌐🌐

『眠れないのか…?』

 聞こえたのは、育ちの良さを感じさせる少年の高音。

 イントネーションの強弱で微妙なかすれをおびたりもする――それは、とうぜんのようにそばにある響きだった。

 それなのに、なぜか(なつ)かしく……惜しくてしかたなく思えて……。

 セレグレーシュは、寝台のふちに背中をあずけているその人をななめ後背から見つめていた。

 うす暗い室内。

 壁にかけられた小さなカンテラが狭苦しいその部屋の唯一の灯火(ともしび)で……。

 部分部分にそり返るような流れを形造っているそのひとの髪の毛の輪郭が、オレンジから陽色に透けて耀いて見える。

『だって、おまえ、また、いなくなるつもりだろ』

 自分が油断して(こうして)眠っているうちに行ってしまう気だから、横にもならず、そうしている——

 セレグレーシュは、そのとき、そう思いこんでいた。

 場合によっては、その方が良いのだが、そうして去られることも受けいれ(がた)くて……相手から目が離せずにいたのだ。

 そんなふうに煮え切らない思いを抱えている彼……セレグレーシュの不ぞろいながら、すんなりと肩をおおっている秘色(ひそく)は、その時、洗ってからさほどなく……。
 湿り気をおびながらしっとりとおりて、乾いている時より色が濃く見えた。

『とめたりしないから……。行く時くらい教えろよ。いなくなってからじゃなくてさ。いなくても気にせず進めって言われても、やっぱり、おちつかないんだ。だから…。だからオレ、おまえがいない時に寝ることにした……』

『…。まだ行かないよ』

『じゃぁ、起きる』

『食(あた)りしてるわりには元気だな。休める時は休め。目の下の(くま)、とれなくなるぞ』

『いい』

『良くないよ』

『いいんだ。もう、元気になった。おまえが行ってから寝る』

『ぼくを追いだす気かい』

『そんなわけないじゃないかっ』

 むっと言いかえしたセレグレーシュだったが…。
 自分の方を見てもいない相手の反応を気にして、すぐに我をひっこめた。

『んー…と、…な……。違うんだ。…おまえの邪魔する気はない。けど……。やっぱさ――。この次、いつ会えるのか知りたかったりもするんだ。…寝てるうちにいなくなられると聞けないしさ……。無理に聞きだすつもりもないけど――…』

『どうも真綿でくるむようで、まどろっこしいな。君が寝起きに遭遇しがちな惨事の心配をしているのだろう?』

『オレは…オレはただ…。……おまえを巻きこみたくないだけだ』

『負い目を感じることはない。ぼくは、自分の意思でここにいるのだから』

 彼が寝台に片ひじを乗せあずけて、セレグレーシュのほうを見た。

 いつも目だけだして、下半分が隠れるよう顔を布で覆っていた大切な友人。

 その布の下にある造作をセレグレーシュは知っている。

 特に隠す必要もなさそうな、きれいに整った(おも)ざしを。

 きっと、他の人間と彼を見間違えることはない。そう思うのに…――。

 そのとき暴露されていた目、鼻、口、髪の印象……。

 首から肩の輪郭。見てとれるところはよく知っている……知っていた、…はずなのに、どうしてか、その人の形容が思い出せなくなっていた。

 条件反射のようによみがえるのは、その肌の白さと、大きな琥珀色の固まりがはいった香炉のような細工。その都度。おりおりに受けとめた孤高を彷彿とさせるイメージだけになってしまっていて……。

 そのきりりとした瞳は、やわらかな光をたたえた……? 

 いや、複雑な思いをそのまま色にしたような…——

 何色…だった……。…——?

『むかし。東の方に闇人を呼ぶ……噂では魔女がいたそうだけど…。その女の子供だという男は、偶然のバランスか血の必然か、明らかに別人で……。――なのに部分的に……ある人とおなじ気配がした。
 そこに残された(・・・・・・・)君も、その彼と……よく似た手業(てわざ)をもって生まれたのかもしれないね……』

『そんなの…。いらなかった』

『セレグ。ぼくは、呼んでもいいと思うんだ。こういった種類の能力に良いも悪いもない。使い方しだいだ。きっといつか、うまく使えるようになる。そうなれば、呼びたくないものは呼ばなければいい。その力を備えていることで、君が自身を否定することはないんだ……』


 …——

(…うん。ヴェルダ…。オレは大丈夫……)

 思案する頭のかたすみに、彼はいま、痩せた男の等身大の姿を見ていた。

 すぐ、そばにいる気がする。

 熱くも冷たくもない。時が止まっているような白銀の透明な光のなかに身を屈している人影。

(…。だけど…。…そこにいるヤツは、なんだか悲しいし…、いいやつとか悪いやつとかいう以前に、そのままだと乱暴そうで、嫌な感じが……危険な感じがするんだ。なのに、《家》が解けって言ったやつの姿と重なる……。似てるだけ…? 違うやつ……なのかな…? でも…。……おなじような気が…——)

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