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魔神招来.1


 あたりが闇に支配されてもセレグレーシュは、法印解読の手を休めようとしなかった。

 立ったまま眠っているようなうつろな表情で足もとを見おろしていることもあったが、集中力が持続するかぎり法印と向き合う。

 彼がまともに使える法印構成は、たったの二つ。

 初歩の防御方陣と隠形印(おんぎょういん)

 技術的なところでは法印使いともいえないレベルである。

 そんな実力で封魔法印に兆戦しようと(こころざ)せば、休んでいる暇などないのだった。

 素朴(そぼく)そうに見えて、存外、意地っぱりだったりもするセレグレーシュだが、むちゃを承知で挑むのは、予想外の難題をもたらされて、むかついたというだけの理由からではない。

 技能面でつまずいても、法具が築きあげる幾何学構想に魅せられて知識面の伸びがいちじるしい彼のこと。

 触れていいと言われたのが、無数の支柱に支えられた円形の広間(~空間~)にぎゅっと詰めこまれた豪盛(ごうせい)かつ緻密なシャンデリアのごとき全貌をあらわしそうなものとあらば知るほどに夢中になった。

 どちらにしろ、ドロップアウトするか審査官が手違いを認めてストップをかけるかしないかぎり、ひと月はこの場所から動けない。

 手違いだろうとなんだろうと課題を放棄(ほうき)して退(しりぞ)くことは、一次考査の失敗を意味している。

「――…硬くまとまっているのに動いている。つねに弱いところを補強するような(すき)のない動き……。鉱物……結晶というより《由宇可水(ゆうかすい)》に似てる気もするけど、比重も組成も違う。材質そのものは単一で硬質。いろんな場面で使えそうな容量を感じさせる。なんだろう?」

 セレグレーシュがもてあましがちに独り言ちると、つかず離れず彼を観察していたその連れが円錐形(えんすいけい)の石碑の根元に目をむけた。

〔兆発的な造りよね。披露(ひろう)しているように、はっきり見える。虚像(きょぞう)だったりして…〕

 とうとつに成された彼女の感想は、セレグレーシュにはよくわからないものだった。
 微細なラメ(へん)のようなきらめきがちらつく特徴的な色彩(赤ワイン色)の瞳をぱちくりさせている。

〔知らないの? これは、たしか……結晶が六面の…等軸晶系(とうじくしょうけい)とかいうものよ。最少単位のまとまりで柔軟に角度を変えている…――割れやすくなるところが補強されているのね。液体のように見えるのは、そのせいよ。これはもう鉱物とは言えない。こんなものを造るなんてね…。……器用だこと〕

 彼から協力を求めたわけではなかったが、その人は見てとれるものそのままのヒントをくれる。
 彼の感覚で把握できる性質・傾向と最終的に一致(いっち)するので、虚言で惑わそうとしているのでもないだろう。

 なぜ教えてくれるのか——?

 わからなかったけれどもセレグレーシュは、この状況に甘んじることにした。

 興味とやる気なら十二分にある彼だが、〝この課題は手にあまる〟というのが本音である。

 甘受(そう)することで多少減点されたとしても、稜威祇(いつぎ)交渉がうまくいけば合格なのではないかという楽観予測もあった。

 交渉する相手の気質がどんなものか気にならないこともなかったが、いまはとにかく、目の前の法印を攻略し解除をなし遂げたい意欲の方が(まさ)った。

 成功したら、出てきたものと話して事をまるく収めようという考えはあっても、絆を結ぶ気など露ほどもない。

 結ぼうにも肝心な方法を知らないのだし、このさいは解いた後の事など二の次で、相応の実力さえ示せれば多少の不備など蹴散らせそうな感覚でいたのだ。

〔等軸晶系でこの特徴は……ハイパーダイヤモンドかな? そのものでなくても、靭性(じんせい)がここまで補強できるとしたら、たぶん——触ったこともない。ぁーあぁ、これ、どうすればいいんだ……〕

 平面に縮小されて見える法印の中央には、中心点をおなじくする大小二つの球形。

 類似する形状で、共鳴する性質の小さな玉が複数――(二重の球の内にも外にも)次元を異にして、シャボン玉のごとく回遊しているような様相だ。

 内部に収めたものが発する波にあわせてゆらぐことで抑えるポイントを変え、外殻(カラ)を維持するタイプの幾何学構造。
 準じる空域にしまいこまれたままなので、いまは全貌がビー玉ていどの大きさにしか感じられないが、その中枢は、成人した人間のひとりやふたりはよゆうで取りこめる容積があるはずだ。

 数多法具の力関係によって維持されている――…その内部に球体が(おど)る二重のガラス玉のごとき力場が、この法印の(コア)

 存在を収容する《(むろ)》。中核なのだ。

 そのなかに何者かが存在する(いる)

 セレグレーシュの瞳はいま、そのなにか(・・・)がひそむ石碑の根元に(そそ)がれている。

 愚痴をこぼしつつも、持っている知識を総動員して、とり組もうという姿勢は崩さない。

 女稜威祇(いつぎ)は、そんな少年の努力を傍観者顔で観察していた。

(実力がおよばないのかしら? そうなら、あきらめようとしないのが不思議)

 思案はしても、見きりをつけるよう勧めることも意欲を問い(ただ)すこともしない。

 彼女は、おかれているものがどういった(ゆう)素材なのか見破る助勢だけをした。もとより、法印や法具の知識はない。

 本来であれば、その種類の眷属(けんぞく)――《闇人》の干渉を受けつけないよう築かれる規則性(もの)である――にも関わらず、彼女に見てとれるのは、そのフォーム……位置づけが、ある基準・焦点から克明(こくめい)に把握できるよう仕上げられているからだ。

 制作した者の癖だったのか、盲点か。
 または事情や作意あっての結果なのか。

 もし、意図してそうしたのなら、これを築いた人物は、いつか誰かがこの構成を解くことを望んでいたのかも知れない……。

 森の中に草の根すら寄せつけない構成を刻みつけるなど、そこになにか存在することを主張表明するようなものなのだ。

〔ここに眠っている稜威祇(いつぎ)は、どんなやつ?〕

〔知らない。中心(それ)()までは見えないし、わたしは会ったことないもの〕

〔(そう)だよな〕

(……。この子。知りもしない相手なのに、まじめに交渉するつもりなの?)

 お門違いにも、課題を提示した張本人が白けた感想を(いだ)いたりしている。

〔だいたい形はつかめたと思うんだ。けど、へたに触ると絡《から》みあって解き(にく)く……て、いうより、とうぜん、なる。(解除)可能となる手順……流れがある筈なんだけど……〕

 こんな状態で、ひも解くことなんて可能なのかなと。セレグレーシュは、右手中指の指輪をかるく左右にねじってまわした。

 家の敷地の外にいるので、無色透明に化けて物理的には見えなくなっているが、もともとは金沙が散る群青色。

 《法の家》で生徒にくばられている指輪型の法具だ。

 身分証めいた個人識別機能を備えながら身につけた者の心力の調整を助ける作用もあるというが、セレグレーシュはその法具の手応えをあまり感じられずにいた。

〔ひと息いれる。君も休んだら?〕

 石碑に背を向けたセレグレーシュは、寝床兼、休憩場所にしているシートの左。二〇歩ほど離れたところに生えている木の根元に腰をおろした。

 少し、頭を休めるつもりであっても眠る気はなかったので、空き地の中央に存在する法印の《(むろ)》を遠目にながめる。

 連れの稜威祇(いつぎ)は、まだそのへんにいて、彼とおなじように法印の芯部。石碑の底にあたる地面の一点を見おろしていた。

(…手違いにしろ、《家》の決めたことだから悪いものじゃないんだろうけど……。なんていうか、これは……)

 一意(いちい)な純粋さ……願いがあるように思うのに、嘆きと絶望。呪詛(じゅそ)が、その根っこのあたりで固形化しているような気がして……。

 彼としては、協力を望めるほど安定したもの・安心できるものとは思えなかった。

 そう。それは、きっと……。

 とても混乱しているから。

 精神(こころ)を乱して抑制が利かなくなっているから…――

 きっと、矯正(きょうせい)しようと(こころざ)せば、非常に手がかかる――そんな予感がするのだ。

 かくんっと、セレグレーシュの頭がおりて、その衝動に逆らうようにもちあがった。

 まともに休まずに動きまわることで、着実に蓄積(ちくせき)していた疲労——(だる)さがあって……、

 緊張状態から脱した脳味噌が、いまだとばかりに主の意思をおしのけ、休息を強要しようとする。

 瞬間的な脱力。こま切れの忘我(ぼうが)のもとに、おりる彼の頭部。
 その振動がもたらした覚醒は、中途半端なものだ。

(誰なんだろう…?)

 思いだしたように、かくん、かく……と。

 睡魔に襲われ舟をこぎながらも彼は、もやのかかった頭で考えつづけようとした。

(おまえ……、どうしてこんなところで眠っているんだ?)

 あわさっては眠たげに(ひら)こうとすることを繰りかえしていたまぶたが、長々と閉じられる。

 そうして、ほとんど無意識のうちに膝にわたした腕に重い額をあずけたセレグレーシュは、そうしようという自覚もなく、ストンと眠りに落ちていったのだ。

(…おまえ…は……——?)

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