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旨意錯綜.7


〔――それは彼の……。セレシュ君の能力のことを聞いているんだよね?〕

 稜威祇(いつぎ)の少年は、うなずくでもなく詰問対象を見すえた。
 不正を許さないその澄みきった瞳は、警戒するようにアントイーヴを捕捉している。

 ここで下手な答えを返せば瞬殺されそうな剣呑さだったが、アントイーヴは恐れるようすもなく安穏(あんのん)と答えた。

〔理由なんて簡単だよ。ぼくは彼に呼ばれた人を知ってるんだ〕

〔あの女がそうか〕

〔うん。彼女もね。おなじように来た人が近くにいるって知ったら、少しは慰めになるんじゃないかな?〕

〔われは呼ばれてここにあるわけでは……〕

 なかば目を伏せて、もの思わしげにつぶやいた少年の瞳が黒っぽいかげりをおびる。

 そのまなざしが(しゃ)にアントイーヴをとらえた。

〔無駄話をしている暇はない。印を築く気があるなら、とりかかれ。壊してしまうかもわからないが、……頼む〕

 他人に弱味を見せたがらないその少年が感情を殺すようにして〝頼む〟と言った。
 アントイーヴのおもてに、しめやかな笑みがひろがる。

〔君には君の事情があるのだろうけど、彼に呼ばれたのじゃないなら、どうして彼に固執するの?〕

 さっと腰をあげたアントイーヴが、片膝立ちにしゃがんだ。
 少しばかり身をかがめ、いっけんには、なにもなさそうな空中に右手を(かざ)している。

(――…そういえばメルは……。彼が自分たちの救いだって……よりどころ(・・・・・)だって言っていた…。連れだす(救いあげる)力以外にも理由があるのかな……?)

 物思いに沈む、彼の右の(てのひら)の下方。

 そこになにか……不可視の物体がおりて、大きくなりはじめた。

 人の目には映らないものだったが、既存の空間をおしひろげ、空気さえもよりわけて場を占めてゆく。

 それが一定の大きさまで成長とげると、アントイーヴはその手になにかをつかまえた。

 ともなく。彼の手の中に突然出現したのは、彼自身のにぎりこぶしほどの大きさの無色透明な球体。

 どうじに隠されている物体(長方形)の八つの角と、六つの面の中央に配置されていた同じような玉が十三個、あらわれた。

 アントイーヴがつかまえている上面(じょうめん)のものもあわせれば、十四個になる。

 それがころころと、まだ見えてこない立体の表面をころがって、彼がいくらか上に移動した初手の玉石の下に順々にすいついて、くっつきあい、ぶどうのふさのごとく浅いダイヤ状の立体を(かたど)った。

 さらに規則的なタイミングで次々に融けあい合一(ごういつ)し、最終的にアントイーヴが手にしている一つの球となる。

 そこでようやく、透明な玉石が築いていた法則に隠されていた物体(もの)が全貌をあらわした。

 緑がかった焦げ茶色で、平均体型の成人女性がゆとりをもって入れそうな長方形。
 アントイーヴが放牧場に到る前、抱えていた箱である。

 じっさいは、彼がそのへんに手を(かざ)してから(それ)が出現するまでは、ほんのひとまたたき。わずかな時間のうちに済まされてしまった動きで…――傍目には無音の手品を見るようでもあった。

 手にとった玉石の融合体をかたわらの床に抑えつけ、円を描くように軽く転がしてから、ぴたりと留め置いた彼は、もういっぽうの手で出現した箱の(ふた)(ひら)こうとしている。

 アントイーヴにとっては、それがあたりまえの日常のようだ。

〔こちら生まれの稜威祇(いつぎ)のなかにも、技能者と絆を結ぶ人がいるけど、自身を危険にさらすようなもの。作らなくてすむ敵を増やしているようなものだろう?
 おせっかいな理想主義者や戦闘好きを知っているけど、あれは個性というか…――特殊な例だと思うし。問題の解決や不調のケアを目的に、この技術を頼って来る者もあるけど、なにも絆まで結ぶ必要はないわけで…――。
 不自由の少なくない技に縛られたうえ、紛争の剣と盾にされることに疑問をおぼえないのかな、って……。
 これから行くところの闇人の例もある(――事実、いわれている個体ならだけど――)。
 法印に閉じこもってしまった稜威祇(人たち)も言ってしまえばその被害者で……。家も鎮めと稜威祇(いつぎ)に頼ってばかりじゃ、先が見えて…――〕

〔口よりも手を動かしたらどうだ?〕

 発言をさえぎられると、重厚そうな蓋(一定以上の心力を備えた者には、さほど重くない)を持ちあげているアントイーヴの手が止まった。

〔大丈夫だよ――きっとね。初歩でも彼の築く防御方陣が並み以上の強度(で迅速)というのが事実なら、口論になって彼女が手をあげたとしても、すこしの(あいだ)ならもつだろう。彼女だって、人を殺そうとまでは思ってはいないだろうし……。
 そこの法印に用があるのなら面倒になるのは戻ってからだ。彼女は社会経験が浅いから、家を追い出されることにでもなれば、きっと苦労する。でも、そのへんはまぁ、……家があれ(・・)だからな……〕

〔封じられているものが、どのていどのものかもわからないのに後の心配か……〕

 少年の侮蔑をふくんだ指摘に、アントイーヴは、くすっと心愉(こころたの)しそうに微苦笑し(わらっ)た。

 彼には目の前にいる稜威祇(いつぎ)が渦中にある少年を気づかうあまり、心配性になっているようにしか思えなかったのだ。

〔どれほど心力が強いのか知らないけど、玄人(くろうと)の法印だからね。ほころびがあったとしても……、あったらあったで、なおさら初心者には解けないよ。
 芸術作品のような稜威祇(いつぎ)封陣()とは別の意味で…。――魔神・妖威を収める囲いは、複雑で解きにくいものだ〕

 稜威祇(いつぎ)の少年は、ちらと彼を一瞥したが口は閉じていた。

 アントイーヴが必要な道具をとりだしているのを視界のはしに、なにやら、もの思いにしずんでいる。

〔彼女は、どちらかというと策略をめぐらす方。自分の手を汚すのは、できるだけ避ける方だと思う。
 その(はかりごと)……プランの程度はわからないけど。まだ世の中の事情にうといというか、気にかけないところがあって暴走はするけどね〕

 琥珀色の瞳をした稜威祇(いつぎ)の少年は、アントイーヴの言葉を興味なさそうに流し聴いていたが、「ここ」と場所を示されると寝台からおりて、さして広くもない部屋の空いている場所にたたずんだ。

「家の対応は少し遅れるかもね。そこの法印の管理者(は)、いま体の状態に問題があって、移動法印を使えない。身重だから無茶もできないし、すぐには動けないと思う。
 悠長さを口にすると(彼女を)怒らせそうだけど、休養中の引き継ぎ相手(対象)にこだわり……思惑があるみたいで処置対応が遅滞(ちたい)していてね……ぼくにまで話を持ってきたんだ。断ったけどね…――(臨時だろうと、法印士未満がそれと認められるはずもないのにさ……)」

 一度、立ちあがり、稜威祇(いつぎ)の少年の体格やその気の状態を目と感覚でうかがい見たアントイーヴが、法具箱のかたわらにしゃがみ直す。

(これは反動が半端なさそうだな……。ちょっとやそっとの補強じゃ、法具の方が()たないかも)

 その手にあるのは、容量違いの小瓶が二本――琥珀色の酒気やらなにやら、数種類の(しずく)が、異なる分量・タイミングで投入されてゆく。
 一連の作業を済ませたことで、()いたもう一方の手に持ちだされたのは、大小ふたつの五角錐を、双方の底の面であわせたようなかたちのルビー色の法具だ。

〔…――あの女がそうなら北の湖畔に封じられた娘も彼が呼んだ者か?〕

 そこで投げられた稜威祇(いつぎ)の少年の(ただ)しに、アントイーヴの動きが、ひたと止まる。

 大きい方の頂点を下にして片手にのせたルビー色の法具に、小瓶の中で馴染ませた成分を注ごうとしていたところだった。

〔――そうだよ…〕

 傾けようとしていた二本の小瓶を、くっと。にぎりなおした彼は、不意に心を閉ざしたような理性的な目をして告げた。

〔…ぼくが封じた()も、彼に招かれたんだ――…〕

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