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旨意錯綜.6


 自治都市スカウオレジャの南…――。

 こじんまりした宿の二階。

 その少年は、寝台にあおむけに寝転がって天井の木目を眺めていた。

(…呼ばないな……)

 扉のむこう側。
 すたすたと板張りの廊下を踏みしめ、行き交う不特定多数の足音。気配がある。

 その中の近づいてくるひとつをそれ(・・)と識別したところで、その少年の瞳に変化がうまれた。

 紫色だった虹彩が、一瞬のうちに琥珀色へと変貌をとげる。

 彼のまなざしが、すっと閉じられた、そのタイミングでドアが(ひら)いた。

 もとより(かんぬき)は下ろしていない。

「少し先の市街で、ちょっと期待できる話を聞いたよ」

 ひょろっとした長身の青年が、後ろ手にドアを閉じて近づいてきた。
 少年が背中をあずけている寝台にななめに腰かけて、そのようすをのぞきこむ。

「寝てるの?」

「起きている」

 少年が答えると、黄褐色の髪の青年——アントイーヴは話す言葉をさしかえた。

 闇人がもちいる言語に。

〔昨日、南東にある石碑の地に、なにが封じられているかをたずねた十四、五くらいの子がいたって。日が落ちた頃で、正確な色まではわからなかったみたいだけど、青白い気もする変わった髪をしていて、ひとりだったそうだ。何日か前、こっち西町の界隈で、青い髪の子を見かけたっていう人もいた。その時は金髪の若い女性と一緒だったって……〕

 もっぱら彼らがその言語を持ちだすのは、聞かれると人の興味をひきそうな会話や《法の家》関係者であることが知れるような話題になる時だ。

 ちまたには、ほぼ共用語と化している言葉以外にも多くの言語が存在する。

 街によっては、聴きとりにくい方言で話している者もよく見かけるのだ。

 霊的な(いん)をふくみ、話し手とその意図次第では、強い方向軸もそなえる闇人共通の語彙(ごい)をそれと知り、聞き分けられる者はかなり限られてくる。

 こちら側の名詞を含んだりすることも少なくないので、やりとりのニュアンス、状況や反応・流れから把握できる部分がまったくないわけではなかったが、聞きとるにも表現するにも才能を必須とする霊音はもとより。単語や文法を知らなければ、明確に理解できないのは、そのへんの方言といっしょなので、それだけで内容をはぐらかせる。

 そうしようと相談して決めたわけではなかったが、いつかしら人の気配が多い街中などでは、闇人の言語を使うようになっていた。

 むろん、通用しない手合いもあり、逆にそれと見定める材料とされる可能性もあるので、ほんの気休めである。

〔穀物店の主人が、バカなことしやしないか心配していた。パン工房の奥さんは、なりは地味でも服や馬の仕立てがしっかりしていたから、裕福な亜人か富豪に仕える稚児(ちご)かめかし屋に違いないとか言ってたけど……〕

(…――稚児…)

 稜威祇(いつぎ)の少年は、不快も(あら)わに表情を強ばらせた。

(七つにもならない子供を言うならまだしも。わざわざそう表現するとは言いまわしが下世話だ。通りすがり相手にはなった(たわむ)れ、冗談としても――卑俗(ひぞく)な人間にあたったものだ……)

〔君はどう思う? そのへんの無謀な法印荒らしだと思うかい?〕

 仰向けに身を横たえていた少年が、ゆっくり上半身をおこした。

〔彼であれば、まとまったお金を持って単独行動していた理由が気になるけど……。
 期日は過ぎている。試験する気があるなら、さらに南へわたるとも思えない。でも、そっちの可能性も考慮しながら、石碑がある空き地には行ってみるべきなんじゃないかな?〕

〔そこには、なにが封じられている?〕

〔この街が(おこ)る前、このあたりに住みついていた妖威衆(よういしゅう)掃討(そうとう)した稜威祇(いつぎ)かな?
 それに関しては、封じた者が適当な情報しか残していなくて……。そこにある法印が稜威祇(いつぎ)仕様でもないから、中にいるのが妖威衆のひとりなんて可能性がないわけでもない――」

 この技術が確立したかしないかという時期のものは、ほとんどが稜威祇(いつぎ)も妖威も違いのない構成……妖威仕様になるのだ。
 現場が混乱していれば、なおさらで……。
 いちど封じられたものをあえて解放して確かめようとするような行為は、それを信念とする奇特者になされた数例に過ぎず、そういった梃入(テコい)れによる失敗事例も存在する。
 不明とあれば、禁じ手とされているわけではなかったが、危険な行為と位置付けられ、いまとなっては、試みるものなど()に等しい。
 結果、なにが収められているのか、わからないままに管理されてるものも少なくないのだ。

「家も今よりずっと解放的で、組織ばってはいなかったろうし……。あくまでも位置や記録、可能性からみた後世の予測なわけだけど…――街の人は、そこになにかあると思っていても、やぶにらみのはずだよ?
 固い形成で、円形の苔野になっていてね……。流言、憶測が飛び交って、(いど)もうとする者も(あら)らそうとする者もいたそうで……影響を懸念したスカウオレジャの市長が《家》に問い合わせ、問題ないのならばと、安全(粉はらい効果を狙った《法の家》の後ろ盾(保証))の印として石碑を設置したんだ。
 事実、その稜威祇(いつぎ)の法印であれば、封じられているのは、パートナーだった鎮めの没後、狂ってしまって、他の使い手に眠らされた……その時点で、もう妖威というべき存在だ。ぼくも詳しいことは知らないけど、そういった(そうゆう)ものに必要もなく触れるのは禁忌だ。
 ……そこが目的地だとして、なにをする気なんだろう?
 一泊しただけでも問題にされるけど、封印地に足を運ぶ理由なんて――…〕

 情報提供の後半が、自問の独白に変化した。

 だからというわけでもなかったが……。
 いっぽうの少年は、思考の海に沈んでしまったアントイーヴへ()めた一瞥(いちべつ)を投げると、寝台の中央で片膝を抱える状態にすわりなおした。

〔——法印を編んでくれ〕

 気怠(けだる)さを追いはらうように告げた少年の口もとに、不服そうな表情の変化があり…――
 そこにつむぎ出された言葉の抑揚(よくよう)、言動の端々(はしばし)には、ままならぬ現状……もしくは事態へのもどかしさ、胸の内に(ひそ)憤懣(ふんまん)があらわれていた。

〔この(てい)たらくでは、ものの役にたたない〕

 彼の申し出に、現実にたち戻ったアントイーヴがしたり(・・・)とばかりに笑顔で応じる。

〔ようやく、その気になってくれたね〕

増幅(ぞうふく)の結びだ〕

〔増幅? それは体力が落ちてる時、使うものじゃないよ。
 不用意な変動には肉体がついていかない。充分な底力……スタミナがなければ自殺行為だ。無事やり過ごせたとしても、命を縮めかねない。
 必要だというなら体調を整えてからにしよう。このあたりの萌気(ほうき)は、ありあまっているのだし……〕

〔増幅系がよい。道具の持ち合わせがないのか?〕

〔うん…いや、できないことはない…――方向軸、変えればいい。基点を内側に集約できるから、むしろ道具は少なくて済むくらいで……。でも、(いまの持ち合わせじゃ)その場間(ばま)にあわせで万全では(じゃ)ない。危険だから、こだわる理由を知らないと処置する気にはなれないよ? 
 君たちの限界は読みにくいし、安定を欠いていると特にね(手がかかる)。
 ぼくが納得できる理由ならいいんだけど……〕

 追及する側の目はまじめだったが、詮索された方は眉と口もとのあたりに、それとないもどかしさ、(いきどお)りをただよわせていた。

〔向こうから来た者につきものの適応不順(てきおうふじゅん)だ。移動して歩くと能率がよくない〕

 アントイーヴは、その言葉で合点(がてん)がいったというように微笑んだ。

 むろん、症状や状態……体質による例外はあるが、彼が(すす)めていた法印は、こちら側で産まれた闇人でなければ、たいてい毒になる。

 肉体に負荷のかかる、かなり強引な手段になるが、その稜威祇(いつぎ)が口にした弊害(へいがい)への対策として——生体の方を活性化させ、環境の推移(すいい)に抵抗できるレベルまで引きあげることで、体調を安定させようというのだろう。

〔君も彼に召喚されたクチなん——…〕

 はたと目を見開き、視線を返した稜威祇(いつぎ)の少年が、そのアントイーヴの言葉をさえぎった。

〔おまえ、なにゆえ、それを知っている?〕

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