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稜威祇の少年.2


 いっけんには、なんの変哲もない森の道。

 それなのに、いつなにが起きても不思議ではないような、ぴりぴりした空気がただよっていた。

 空間の不自然な歪曲(わいきょく)……不均等。

 のったりと重くゆらいで、不明瞭な存在の干渉を感じさせる気流にくわえ、奔放(ほんぽう)な磁気の乱れも生じている。

 影響力の強い妖威でもいるのだろうか?

 警戒していた青年の視界を掠めたのは、木々の狭間(はざま)を移動してくる、こころもち小さな人影。

 右前方の森林だ。

 馬上から周辺の変化に注意をはらっていた彼。アントイーヴは、そのあたりに確認できた者の正体に、ふっと相好(そうごう)をくずした。

「やぁ。こんなところで、なにをしていたんだい? 目が覚めたら、どこにもいなかったから、おいて行かれたのかと思ったよ。……そうだよね。帰るよりは進むよね」

 路肩にはびこる雑草にまぎれながら足を止めたその少年は、すぐにはなにも言おうとしなかった。

 身体(からだ)を抱えるようにまわした左手を右ひじのあたりにそえ、こころもち前のめりの姿勢でうつむいている。

 そこに見た相手の不安定な気の脈動に、アントイーヴのおもてから笑みが消えた。

 空間のゆがみが、(ほか)と比べものならないほど濃厚なところにその少年がいる。

 一帯の乱れを生みだしている根源。発生源のより濃い部分が、その少年稜威祇(いつぎ)(から)まり(かさ)なり、まといついて融けあっているようなのだ。

 考えるより先に動いた彼の手が、くいっと手綱をひきしぼる。
 馬は稜威祇(いつぎ)の少年の前をわずかにゆき過ぎたあたりで足踏(あしぶ)みして、進むのをやめた。

 そこで当の少年が乱れた呼吸をおし殺しながら、まっすぐにアントイーヴを見た。

 その少年の瞳に現れていたのは、冷ややかな光をたたえた琥珀色。

 まなざしが鋭いので威嚇しているようにも見えるそれは、以前より、ずっと白っぽい色合いが混ざりこんでいた。
 まばゆい光にさらしだされた(はしばみ)……(いな)
 ――うっすらと青紫色がかっているようにも感じられたので、わずかに(いくらか)黄系・青系の面影を宿した(不純物をふくんだ)白金(はっきん)――プラチナのようにも見てとれた。

〔…馬の……背をかせ〕

〔どうぞ〕

 ゆらっと、まろび寄ってきた稜威祇(いつぎ)の少年が、アントイーヴの乗る馬の背に手をかける。

 ともなく。

 青鹿毛が頭をふって脚を乱したので、アントイーヴは手綱をしぼりながら馬の黒い肩を優しく叩き、慰撫(いぶ)して(なだ)めた。

(これは、ひどいな)

 (ばく)とした気の乱れ—―凝縮された乱気流が、重く、のしかかってくるようだった。

 平静をよそおっている少年の身辺(しんぺん)に、ただの体調不良とも思えない波動のうねりが存在する。

 これという方向性……明確な志向をもたないので攻撃的でこそないが、霊的なものを見る素質がほとんどない者でも異常を感じられそうな濃度(レベル)で…――
 逆に過敏な者であれば、悪酔いして吐き気やめまいをもよおしそうなほど重く緻密(みつ)気配・容態(けはい・ようだい(空気))だ。

 ついさっきまで、なにかと(あらそ)っていたのかもしれない――その反動で抑制が()かなくなっているのかも…――そう憶測すれば気にならないこともなかったが、アントイーヴは、いま事実関係を問いただそうとはしなかった。

 触りなりとも、その種族の子供にありがちな症候と成人率を知っている彼には、その少年が弱みを見せたがらない理由も理解できた。

 相手かまわず弱点を暴露して歩いたのでは、生きてゆけないのだ。

 補助が必要になった時、生きのびたければ本人から言い出すだろう――後に延ばされることで対処がより困難になろうと、とうの彼がその気になってくれなければ、手など出せない。

 その少年()がもう少し素直なところを見せていたら対応も変わっただろうが、しょせんはその場しのぎの協力関係だ。

 鎮め未満の法印使いでなくても、無関心に(てっ)しようとして見える闇人……稜威祇(いつぎ)をやたらかまっては下心を疑われるのがオチである。

〔念の為、行ってみたんだけど、シャミールの関所(せきしょ)※には居なかった。会えたんだから、こっちへ来て(こっちで)正解だったみたいだね〕

 アントイーヴがなにくわぬ顔で話題をふったが、後ろの少年は、これという反応をみせなかった。

〔新しい情報を手にいれたよ。貴方も調査済みかもしれないけど……。
 一昨日(おととい)水上(みなかみ)通りで、焼き菓子を《(ぎん)()》で買おうとした女性がいたそうなんだ。……それが、よくわからない言葉を使うよそ者で、いっしょにいた少年は緑色かかった水色の髪をしていて、立派な馬をつれていたって。……」

 次の宿場までは、森林部に分けいる細い隘路(あいろ)をのぞけばこれといえる岐路もない。
 変わりばえのしない林道の連続なので、差しせまった事情でもなくば緊張感とは無縁の工程である。

〔――忍び歩きで法貨を使うのはどうかと思うけど、《家》は基本、そういった細々した選択を個人に任せる流儀で…――そのへんは考査の採点要素でもあるから。それに…あの女人(ひと)のことだからな……。
 彼らがどこに泊まったのかは、やっぱり、わからなかったんだけど、年格好、状況からして間違いないと思うよ〕

 ときおり意見を待つような()がおかれたが、稜威祇(いつぎ)の少年は黙したままだ。

〔必要は別として…――費用を私的に使うと借金になるんだけど、稜威祇(彼女)の場合はどうなのかな……?
 つき添いが、いくら小遣い銭(ポケットマネー)を持つかはそれぞれだとしても、シル・トーラ(シルバー・トーラスの略で(ぎん)()のこと)から上なら、非常の(そな)えとして貸し出されたものだと思うけど――…(でもまぁ、金銭感覚が怪し(危う)い人もいるからな。稜威祇(いつぎ)を前にして、大盤ぶるまいしたんじゃなければいいけど……)〕

 地道に馬を駆る単調な道すがら。

 相手が聞いている手応えをくれなくてもおかまいなしに、アントイーヴはこれと思う話題を提供した。

〔スフレでもケーキでも、焼き菓子類はリーデン・シュルトの名物だよね。
 《家》の喫茶店でもあつかっているけど……君、甘い物はいけるほうかい?
 こんなに早く合流できるなら、君の分も考えておくんだったね。ひとつ購入したんだけど、情報くれた子供にあげちゃってさ。
 実を言えば、情報料に催促されたわけだけど……。
 その子がいうには、かっこいい馬をつれた水浅葱(みずあさぎ)色の頭のお兄さんがコンフィ肉、乾麺、(ほしいい)、それに焼酎漬けの――…〕

 そんなふうに半時も進んだところ。

〔知ってる? 向こうに流れている川。いまは、《ブレス》が一般的になっているけど、昔は流域に済む人達によって呼び方が違ったから、呼称が複数あってさ……。
 《ダヌ》や《ダヌス》、《アヌ》ともいうんだよ?〕

 いつからか。黒い発色を見せるようになっていたうしろの少年の瞳が、ある方角をじっと見すえていた。

〔徹夜は得意な方だと思うんだけど、どうもね。ひとたび寝てしまうと寝起きが悪いのか、なかなか起きないみたいで…(早めに寝ても、午前中、(なか)ば過ぎまで爆睡は普通だな……)。
 親類は、だいたい睡眠傾向に長短、癖があるみたいだから遺伝特色だと思うんだけど、今朝も寝坊して……。だからあなた、いなかったんだろう?〕

 不意に、すとん、と。

 稜威祇(いつぎ)の少年が地面に降りた。

 にわかにふらつき、地面に片手と片膝をつく姿勢で動きを止めている。

 それと見ながら手綱を引きしぼったアントイーヴが、くるりと右まわりに馬を返す。

〔どうかしたのかい?〕

「――すぐ戻る」

 人の言語で答えた稜威祇(いつぎ)の少年は、行動を口にしながらすぐには動かなかった。

 沈黙のなかにようすをうかがっていると、さほどなく。

 ようよう立ちあがったその彼が、心なしか頼りない物腰で歩みだした。

(待ってろ、って……ことなんだろうけど)

 アントイーヴは、やたらゆったりした動作で森林に分けいってゆく少年の背中を見送りながら、鞍頭(くらがしら)の裏側に巧妙(こうみょう)に隠されていた半球をはずした。

(あのようすじゃ、どこで倒れないとも知れないし……。待たないよ、ぼくは)

 法具(それ)を、馬の頭絡(とうらく)についている目立たない細工と共鳴させる。

 彼の手にあるのは、球体を半分に割ったような形のクリーム色をした半透明の石で、《法の家》が所有する馬具につきものの法具だ。

 主に馬の窃盗および逃亡防止を目的として(もち)いられる。

 個体にも依るが《法の家》所有の馬の多くは、乗り手と一定以上の距離が(しょう)じ長時間放置されると自主的に家に帰ろうとするので、その(たぐい)の能動性対策の備品でもある。

 アントイーヴは、手にした半球体を自身の目の高さの空間にねりこんだ。

 はた目には指先につまんだ石が空中に呑まれて消えたようにしか見えなかったが、それに干渉される生きものは、その地点を基軸として彼が設定した範囲の外に出なくなる。

 誰かが馬を連れだそうとしても、そのあたりをぐるぐる(めぐ)り歩いてしまうしかけだ。

 (対象)に干渉しようとした者の感覚も狂わせるので、その効果を体感した者は、妖威やあやかしの(たぐい)に化かされたような思いをすることになる。

 ひと通りの予防措置を終えた彼は、黒馬をその場に放置して、まだ森林下に見え隠れしている少年の背中を追った。




※ リーデン・シュルトにある関所でシャミール(本国)への通行手形(許可証)を発行しているのです。
 政情や素性にもよりますが、シャミールの人間以外は、長く足止めされる傾向があるので、そっちへ向かっていたら、まだそのへんにいる可能性があった。

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