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追走.3

 
 ——…

〔オレ……眠いから、もう寝る…〕

 馬から降り立ち、地面に足底をつけたセレグレーシュがぽつりと告げた。

 油断すると閉じてしまいがちなまぶたが、とても重そうだ。

〔そう…。こんなところで?〕

 女稜威祇(いつぎ)があたりを見まわしている。

 そこは木造の建物が点在する小さな宿場。
 人通りのほとんどない往来(おうらい)だ。

 安普請(やすぶしん)ながら、そこそこ手入れされた宿屋が三軒ほど――まばらに(のき)を連ね、そのうちの二つには食べ物も提供することを主張する看板が(かか)げられている。
 テーブルやイスまで準備されているかまでは(わか)らなくても、望めば、そこで食物(しょくもつ)を食べるか買うかできるということだろう。

 野菜を育てている畑があり、離れたところに個人のものと思われる家も見かけたが、宿泊施設以外これといった産業もなさそうな地味な集落だ。

()まれそうなところがあるもの。わたしは野宿しないわよ〕

〔とうぜんだろ。現地につくまで門下生を保養するのは審査官の(つと)めだぞ〕

 帰りの行程もそれなりの――どんなに状況が(こじ)れようと、帰還を確実にする種類のサポートはあるはずで……。
 それこそあたりまえという顔で宣言したセレグレーシュである。

 連れの認識があやしく思えたので、念のため言葉にして知らしめたわけだが、そんな彼を馬上から見おろした女稜威祇(いつぎ)は、なにやら胸に一物(いちもつ)ありそうな顔をして、おし(だま)った。

()まるところ(を)決めよう〕

〔そうね〕

〔部屋は、ふたつだよな〕

〔いっしょでいいわ〕

〔なんで?〕

〔もったいないでしょう?〕

 前日の遅い昼食で散財した者の口からでた言葉とは思えなかったので、セレグレーシュは珍妙(ちんみょう)そうに相手のようすをさぐり見た。

 過去の行動が状況にみあわぬ浪費であることを(さと)り、節約をこころみているだろうか? と。

〔オレ、床で寝る気はないよ? 大部屋があれば安いけど、安全面はあまり期待できない。他人(ひと)が多いと、ゆっくりできないんだよな〕

〔大部屋? (小部屋より、少しだけ広い……)ハンモックみたいな網とか閉鎖さ(閉じら)れていない壁……衝立(ついたて)がある部屋のこと?〕

 いまも馬上にある連れは、その場にいながら肉眼では見通すことが不可能な建物内部を(のぞ)いているようだ。

 どの宿を見ているのかも不明だが、セレグレーシュはなんとなく最寄(もよ)りの建物を意識した。

〔ベッドがないわ。それに広くもない(先客もいる……)。大勢で泊まるところなんて、お(ことわ)り。
 わたし、あんなところには泊まらないわよ?
 少しくらい狭くて薄くても、きちんと隔離される壁とベッドのあるところがいい。お金ならあるわ〕

 もったいないと言ったり、ひと部屋でいいと言ったり。どういう(どうゆう)規準で考えたらそうなるのか……。

 セレグレーシュには、その人の思考や基準、判断パターンが理解できなかった。

〔まだ混む時間じゃないけど事情はそれぞれだ。連泊(れんぱく)する客もいる。
 たいていはひと部屋に三、四人……無理すれば、あと一人二人(ひとりふたり)くらいは泊まれる仕様だと思うけど、部屋が()いてるとはかぎらないし〕

 そこまで言ったところで面倒になったセレグレーシュは、はぁと肩で息をした。

〔じゃ、()いてるトコ、(さが)すか〕

 相手にふりまわされている自分がバカらしくなる。

 家では、ずっと単独だった。
 二人から、ときには四人、つめこまれることもある種類の部屋をひとりで占有している彼としては、あまり知りもしない他人とは、できれば別々に寝泊りしたかったのだが、どうでもよくなってしまう。

 もう少し元気だったら断固として自分のテリトリーを守ろうとしたかもしれないが、野宿すれば似たような状況になるのだし、なによりも彼は疲れていた。

 前日はハプニングの連続だったので睡眠も足りていない。

 血や贓物(ぞうぶつ)間近(まぢか)に見たことで食欲が阻害されて、朝昼(あさひる)とも、まともに食べていないのも現状の一要因だろう。

 実際の労働量以上にくたびれてしまっている感があった。

 連れが女性なので、後付けになろうと気を使っているつもりではあったが……。実をいうとセレグレーシュは、やたら手のかかるその闇人をあまり異性として意識しなくなっていた。

 はじめのうちこそ、おとなびた女の闇人とふたりで旅をすることになると知ってうろたえもしたが、その人を知るほどに分相応の女性として気遣う意識が薄れてくる。

 容貌、物腰ともに、きれいな人ではある。

 でも、闇人で…――。

 常識が足りていないのに自己主張がかなり強い。

 世間ずれが過ぎて、下手なあつかいが出来ない身分(種類)駄々(だだ)っ子を連れ歩いている感覚なのだ。

 あつかい(にく)いとまでは言わないが、とかくやっかいで……。

 いまはただ、人間の文化にうといその人が〝彼の試験をどう採点するか〟という問題のほうが気がかりだった。

 一軒目が手ごろな値段。

 主人の印象も並上。

 待遇も悪くなさそうだったのでセレグレーシュは、(ほか)(さぐ)ったり相場をくらべたりする手間をはぶいて、その宿に決めた。そして、

 夜が明ける前から不適当な道具で不向きな地面に穴を掘ったことで、睡眠不足と疲労――エネルギー不足からくる体力の枯渇(こかつ)・休息欲求をかかえていた彼は、とにもかくにも体を休めたいと借りた部屋にひっこもうとしたのだ。

 ところが、そんな彼に、女稜威祇(いつぎ)もついてきた。

〔なんでついてくるの? オレ、ひと眠りする気なんだけど〕

〔そう…。…そうしたら?〕

 意思の疎通(そつう)もはんぱな答えが返ってきたのでセレグレーシュは足を止め、いぶかしげな視線を彼女にそそいだ。

〔君……、夕食は?〕

〔まだ少し早いけれど、さすがにおなかが()いてきた。でも通訳がいなければオーダーできないし。服も買わなきゃいけないのに、どうしようか……〕

〔おい。それって、ほんとうは話せないんじゃないのか?〕

〔話せないわけではないわ。使ったことがないだけで……。あなたがたの言葉、まちがえて理解してはいないと思うわ〕

 この人は——
 どうして、こう他人(ひと)(まか)せなのだろう?

 もしかして、これも意図的な試験の一貫……試練なのだろうか? と。
 セレグレーシュは、湧きだす苛立ちをもてあまして、うめいた。

〔あーぅもう、てきとーに買って食えば?〕

〔気がむいたらそうするわ〕

〔(ぁあ、そーしろ)オレは寝る〕

〔…そう。……〕

 事態を投げだしたセレグレーシュは、借りものの部屋へ逃げこんだ。
 彼が閉めたそのドアを、女稜威祇(いつぎ)(ひら)いて入室してゆく。

 どういったわけか、ベッドがくっつけられた状態でならべられていた。

 (さいわ)い固定はされていなかったので、彼は手前の寝台をずるずるひきずって、ふたりの寝床を離した。

 予備のベッドもあったが、それより(より)寝心地の良さそうな寝台が二つあるのだ。ひとりで占領する気はないが、無駄に譲る気もない。

 勝手に寝床を決めて連れの女性にことわりをいれなかったのは、腹を立てていたからだ。

〔邪魔するなよ?〕

 女稜威祇(いつぎ)は、無言で壁際に残されたもうひとつの寝台にゆっくり近づいたが……。
 はたと目を見張ると、ともなくセレグレーシュを問い(ただ)した。

〔あなた、靴を()いたまま寝むるの?〕

 横になろうとしていたセレグレーシュは、自分の足を見て口をへの字にした。

 (あらた)めるのもめんどうだったので、そのまま寝転がる。

〔…不潔(ふけつ)だわ…〕

「……(うるせー)」

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