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追走.4


 《法の家》で暮らすようになってから気をつけていたのだが――(洗うのも自分になるので)…――むかしの(クセ)がでたのだ。

 裸足(はだし)(つら)いので、履き物があれば、その確保が重要だった。そんな頃もある。

 なにか起きたとき、すぐ逃げられるようにという備えでもあり、多少寝床が汚れようと所持品はすべて身につけておくという癖・習慣だ。

 寝具を使う機会があると靴ごと足先を布でくるんで結んだり、足のあたりになにかしら敷いて(しの)いだり。てきとうな材料がなければ、膝から下を寝床から外して眠ってやりすごした過去もある。

 ふと、ふところに視線をおとしてみると、かなり嵩張(かさば)るリュックも抱えこんでいた。

 ほとんど無意識にした行動である。

 人里に出て屋根の下で休める幸運に恵まれても、なにが起こるかわからなかった。
 油断できないなかにも『あまり汚すと処理費用とられるよ』とヴェルダに注意されたこともある。

 友人の助言を思いだした彼は、おのれの間違った行動を正さなければならない気がして、どうにも心が騒いだが、ひとりではなく、まだ気を許していない同行者がおなじ部屋にいたので思いとどまった。

 とりあえず、お金の心配はなさそうなので現状に甘えることにする。

 ヴェルダがいっしょだったら、その稜威祇(いつぎ)がいようといまいと靴を脱ぐなり対策を 講じるなりしだだろうが、そうではないのだ。

(数奇な偶然もあるかもしれない。どこかで会えないかな……)

 セレグレーシュは、確率も不確かな望みを胸に目を閉じた。

 どうにか辿(たど)りついた《法の家》では見つけられなかった。

 あの家は、そうしていなくても用のない者は近づかない。
 入門希望者も限られた北の一郭で対応処理される。

 さらには広範囲におよぶ怪しい草原と地気がこんがらがって迷いやすくなっている森に囲われ、隔離されているようなものでもあったから。

 こんな機会があることを耳にしてからセレグレーシュは、外に出れば会えるかもしれないと心のどこかで期待し、執行される日を心待ちにしていたのだ。

 どこにいるかもわからなかったが、いまはそばにいない友を思う。

 自分が法の家にいることを知ったら彼は驚いて、『鎮めになるのか?』と聞くかもしれない。

 どきどきするような思いつきに、セレグレーシュは空想した。
 自分はきっと、こう答えるだろうと…――


『法印技術はおもしろいよ。でも、鎮めにはならないと思う。《法印士》には…なれるなら、なるかもしれないな。でもオレ。できるなら《家》からは少し、離れて……(しば)られないで生きたいんだ』


 法の家に行くことを勧めてくれたのはその人だが、きっと彼の意思を尊重して反対はしないだろうと。

 けれども。

 こんなのは御都合主義な(はかな)い幻想だと、セレグレーシュにもわかっていた。

 現実はそんなに甘くない。

 思いかえせば、ヴェルダはいつも清潔そうななりをしていて—―(ごく稀に、ひどい有様だったことがないわけではない)――、お金やなにかしらそれに変わるものを所持(しょじ)していた。
 その財布(さいふ)(ひも)は堅かったけれど、必要を見れば彼に靴や衣類、食べ物をあたえてくれた。

 いま考えると、その人の干渉(かんしょう)は恵まれた者の気まぐれだったのかもしれない。

 自己顕示欲とか優越感。
 ものめずらしさか、ひまつぶし。
 あるいは、よくて同情——…そういったもの。

 そうしていることが負担(ふたん)になり、わずらわしさが興味を上まわって飽きたから……離れて行ってしまったのかもしれない、とも。

 けれども。

 そうだったとしても。行き場をなくしかけていたセレグレーシュに道を示してくれたのは、その彼だ。

 《法の家》に住むようになったことでセレグレーシュの生活は安定し、未来も大きく(ひら)けた。

 生まれた土地とは微妙に違っていたここの言葉。ちょっとした解釈の相違などを、その人は熱心に教えてくれたし、行く過程で注意すべきこと、行きずりの旅行者に習うことも…――独自に耳で探ることもあったが、機会があればそうするようにと示唆(しさ)したのはヴェルダだ。

 真にうけず、半分は疑ってみること。
 臨機応変に対処できるよう自分で考え、あたらずとも先を予測して行動すること。
 距離を(たも)ちながら、他人(ひと)を……大人を利用することを。

 文化・文明の境目には、排他的で、東から来る者、人間にはない特徴に過敏な反応を見せる里、苛烈(かれつ)な集落もあったから。

 だから恐らくは、彼がいない時もセレグレーシュがうまくやっていけるように……。生きてゆけるように、と。

 いない時も? いなくても——? 

 それは、いなくなっても……、だったのだろうか?

 とうの友人がそばにいないから、ばかばかしい思いつきも芽生えてしまう。

 ——見失わないていどには(そば)にいる……

 そう告げた少年が現れては去ることをくりかえしていた頃。

 セレグレーシュは、いつだって彼が自分を見ているかもしれないと思っていた。

 いつ現れるかもわからない。だから認めてもらえるように――そうなれるように、がんばろうと。

 来てくれることを……。

 彼が自分を見つけてくれることを信じていたから、つらい時も進むことをあきらめなかった。

 彼が必ず来る保証などありはしなかったのだが、その人が来るまで生きようと…——生きていたいと思えたのだ。

 彼にめぐり会う前は、認められるより否定されることの方が多かったから、自分がいないほうが世界(まわり)は平和なのかもしれない――むやみに触れてはいけない、近づちゃいけないんだと…。……そんな思いが強くあって、

 痛い思いをするのは嫌でも流されて、これと目的をもって生きることをやめていた気がする。
 あきらめるのとはまた違っても、臆病になって。ただ、死なないからと現実にしがみつき、惰性(だせい)で呼吸していたような感覚だ。

 そういった凝り固まった感情をほぐしてくれた人――ヴェルダは、無言で去ることも少なくなかったけれど、「さよなら」は言わなかった。

 だから、必ず来ると思っていたのだ。

 必要以上、口にすることはなくても〝見失わないていどに(そば)にいる〟という過去の約束は、いつまでも有効だと、そう思っていたから。

 なけなしの生存本能の裏返しで、しがみついていたのだとしても、その頃は、ヴェルダという存在があったから生きていたと言っても過言ではない。

 その人がしてくれたこと……。

 くれた言葉。

 セレグレーシュは信じていたし。

 かりに、そこに嘘があったとしても、一抹(いちまつ)の真実もなかったということはないはずだと。

 いつも遠くを見ているようなところがあって、つき放すような言動も少なくなかったけれども、ゆるぎない思いと大事にされている予感、気づかわれている実感をおぼえた……。

 そこには、ここにいてもいいのだと…――そう思える、安心できるぬくもりが。彼を包みこむような理解が確かにあったのだ。

 だから彼を信じたのだし、がんばれた。

 物知りで、過酷(かこく)な世の中をうまく生きているようなよゆう(・・・)を感じさせて、頭が良くて、(いき)でカッコよく、

 時にはやさしくて…――

 そんな彼は、セレグレーシュの(あこが)れであり、自慢(じまん)であり、目標でもあったのだ。

 やはり、他にはありえない。

 自分をそのままに受けいれ、(ささ)え、導いてくれた友人。

 だから自分も……。

 たとえ、この信頼が自分の思い込み。錯覚によるもので、その裏に鼻持ちならない現実があったのだとしても、受けとめられると思うのだ。

 信じているからきっと、なにを見ようと迷わない。認められると。

 いまはただ、生きていて欲しかった。

 生きていてさえくれたら、その人がどんな人間であってもいい…——

 そう考えたりもしてしまうのだが……。

 いっぽうで、セレグレーシュは思い出にそぐわないゆがんだ発想――疑いや迷いを、バカで不届(ふとど)きな自分の間違いだとも感じていた。

 あのやさしさが恵まれた者の気まぐれだったとしても、助けてくれたことは事実だ。
 セレグレーシュが望んだほどではないとしても、そこには暇つぶしや(たわむ)れでは(くく)りきれない理由、思いがあったはずだと……。

 懸命に生きていたセレグレーシュにちょっかいをだして、おもしろがり、優越感にひたっている姿なんて、記憶の中のその人とは、あまりにもかけ離れている。
 不釣合いなのだ。

 腐りはてた死体が立ちあがり、しゃべっているのを見るのと同レベルの異常さを感じる。



 ——…セレグ。《法の家》に…、行かないのか?

 ——……。おまえはオレにそこ、行ってほしいのか? どんな(どうゆう)ところなのか、ろくに教えてくれないくせに……。

 ——……。…行かないのか?

 ——それって、もっと北にあるんだろう? いつまでも放浪していられないよ。働けば、金か食べ物になる。居場所がある……生きられる。
   ずっと…、働かないかって…――

 ——……そうか。でもおまえ、あの男の前で、法具を()かしたろう? 
   あの男は、おまえを利用すると思うよ。
   結局、おさまるところにおさまるのだとしても、そういう(そうゆう)しがらみは、ないほうがいい。

 ——しがらみ? からまれるってこと?

 ——そうだ。

 ——…。なぁ、ヴェルダ。おまえに家はあるのか? …。その……、
   《法の家》にいる…行く……行きたいのか? なら、オレも考えるけど、なんか、すごく、入りにくいところみたいじゃないか。
   闇人がいそうだし、人を嫌う深い森の向こうにあるっていうし。もしかしなくても、かけ離れたエリートの(あつま)りって感じで――…
   追いはらわれるだけなんじゃないかな? 行くだけ、ムダって気がするんだけど……

 ——…そう、思うの?

 ——うん!

 ——…。そう……——



 ……ここからずっと南の街で別れた。それが最後だった。

 思えば、けっこう危うい状況で、おいていかれたのかも知れない。

 人に認められる現実に浮かれ流されて、彼の忠告をきかなかった。あれが、きっかけだったのだろうか?

 あの時、見限られてしまったのかもしれない……。

 だが…。
 そうなのだとしても、

(ヴェルダ——…オレ、ばかだったけど、ちゃんと気づいた。利用される前に……売られる前に、逃げだせたんだ。なのに…。もう、……遅いのか?)

 失った者との再会を望みながら考えを巡らせていた秘色の髪の少年(セレグレーシュ)は、もの悲しい思いにひたりつつ深い眠りに落ちていった。

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