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追走.2


 とん、と。
 大地を蹴った少年稜威祇(いつぎ)が、こともなげに馬の背に横のりする。

 乗られた方に衝撃を受けとめたような反射の動作がなかったので、アントイーヴがふり返って背後を確認すると、とうの少年は馬がもたらす揺れなど皆無の(ない)ような顔をして、鞍の後ろに()していた。

 左の脚を投げだし、馬の背に一方の……右の靴の足の裏――足底(そくてい)をつけ、おりあげたその(ひざ)に片腕を引っかけている。

 ふつうなら安定を()く姿勢なのに、子供の稜威祇(いつぎ)は事もなげにバランスをとっていた。

 馬も荷物が増えたことに気づいていないかもしれない。

 ふたりを乗せた青鹿毛がゆくのは、浅い土壌でも生きられる植物におおわれた野原。

 ()く手には、自然そのままに見える樹林地帯がまちうけている。

 《神鎮めの家》が置かれたこの区域……勢力拠点が、不用意な干渉を嫌う《不可侵の聖域》というのは名ばかりで、磁石が(よう)を成さないその森にも道は存在する。

 《法の家》を目指す者の多くは地気のゆがみが樹冠(じゅかん)の上空までおよぶその森を避けるが、苦労してそこを横断してくる人間は小数ながら現在(いま)もあるのだ。

 国や自治体との交流に、各方面に散らばって活動している身内(家の関係者)の伝手(つて)と数の限られた《移動法印》を活用することによって、北の一本をのぞく経路の多くが(さび)れたり失われたりしてしまっただけのことである。

 すぐそこに(せま)る森のはじまりには、周辺の木々の倍ほども高くそびえる落葉高木が一本、根をはっている。

 このへんにはない種類のはぐれ木だ。

 今が花期のようで、
 孤独に根づいた大木が掲げる緑の中に埋もれた花弁が、ひっそりと。天上を見あげながら半透明なレモン色に輝いていた。

 オレンジ色のラインのはいった黄緑色の六枚の花びらが日の光をうけとめるカップのようでもあるその巨木が、少しまえからアントイーヴが視界においていた手がかり。指標だった。

 ちょうどそのあたりの奥に、四角い石が一列に敷かれた細い道のはじまりがあるのだ。

 《法の家》にあれば知る者ぞ知るというものだったが、いつ誰が並べたのか――その隘路(あいろ)に関する記録は残されていない。

 それでも。樹木による緑の門(アーチ)の連続にかばわれ、埋没(まいぼつ)してみえるその道筋には、古くに築かれた幾何学的な抑制……法印構成による規制があったので、生命力旺盛(おうせい)な木々の根が、その部分に()り重なったり根づいたりはしないのだ。

 その入り口(はじまり)は、手前に茂《しげ》る雑草や左右上方から伸びた枝葉(しよう)に隠されていて、(偶然でもなくば)よく注意して探らないと見いだせない。
 土になかば埋もれ、緑に飲みこまれがちな粗末(そまつ)なものであったが、それでも確固(かっこ)たるトンネルのような空間がのこされている。

 騎馬や小型の荷車を通すのがせいぜいの幅と高さしかないが、そこを行けば比較的(ラク)に森の南へ抜けるとができるのだ。

 森林の始まりが近づくと、アントイーヴは手綱(たづな)をひきよせた。
 馬を小道の方へと誘導する。

 そのはるか頭上では真昼の光をうけとめる巨木の花が、緑の中で羽根を休めるカナリア色の(ちょう)のように輝いて見えた(モデルは〝ユリノキ(チューリップの木)〟です)。

「(この)森の手前で丘の(きわ)をたどって北(の道)に出たとしても、ずいぶんな回り道になる。はっきり言って無意味だ。時間の浪費にしかならない。
 森をぬけて、その先の道に出たと考えるべきと思うんだけど――そこから東か西か。彼らがどっちに向かったのか、わかるかい?」

 アントイーヴが後ろの少年にたずねて、さらに言葉をつけ加えた。

「この森はもとより、この道には痕跡がのこらない。
 知っているかもしれないけど……表層は現界(物質界)よりでも次元的な干渉(かんしょう)があるから、足跡だろうと気配だろうと一刻(いっこく)もなく消えてしまう。
 痕跡(こんせき)を残そうとしても物理的には不可能だ——(法具のような、なにかしらの手段があれば、べつだけど…)。ふつうの森とは違う」

 曲がりくねっていようと、とうめんは南へつづく一本道である。

 どちらへ向かうのかが問題になってくる岐路はずっと先にあり、見えてもいない。

「計画性がないな」

「前もって彼女の行動に気を(くば)っていたわけではないので」

「法具利用に追跡目的の手技(手段)はないのか?」

「持ちだす道具は厳選した。少し迷ったんだけど、肝心の条件はすでに(のが)してる――(いちど対象を(とら)えないと成りたつものじゃない。すぐ見つかるとも限らないし、見いだしたら、それを追えばいいだけの話だ。使う理由が担保(たんぽ)ていどに薄れる……だから、それは別になくてもいい)…――
 法具でなんでも解決できるわけじゃない。
 例外がないとは言わないけど……試験では通常、行きは予行練習のようなもの。そのへんの旅人と変わらない行動をとる。
 あの二人と馬は目立ちそうだから、情報収集で行けるんじゃないかな?」

 稜威祇(いつぎ)の少年は、うろんな一瞥(いちべつ)を連れの背中に投げた。
 
(これ)をぬけて、東だ」

「やっぱり北は無さそうだね。いま何処(どこ)にいるのか――わかりますか?」

「しかと捕捉(ほそく)しているわけではない。あてにするな」

 形だけとはいえ行動を(とも)にする流れになったというのに、獲得した連れの対応は、どこまでも冷ややかだ。

 アントイーヴはそんな少年稜威祇(いつぎ)を背後に意識しながら、(こずえ)の隙間に覗いている遠方の青空を見上げた。

(そっけなくても、いちど心を開いた相手には、べたべたになりそう…――なんていう子もいたけど(うわさ)はどこまでも(うわさ)か。話に聞いたのとは、ずいぶん印象が違うよな……)

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