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追走.1


 真昼()ぎ。

 その若者は、かさばる物体()を胸の前に(かか)えながら法具店を後にした。

 片側が解放されている白色合金(はくしょくごうきん)の引き戸を横目に見おくり、左右にのびている幅広の回廊を延々(えんえん)と歩いた(のち)に左へと折れる。

 黄褐色(おうかっしょく)の髪頭に青い目。
 一八〇センチ代半ばほどの長身で…――細身ではあっても、必要な部分に適度な肉はついている。
 極度に()せ細っている感はない。
 (そで)なしの上衣を着たその腕に濃色(こきいろ)の外套をひっかけた十八、九の青年だ。

 彼が胸の前に抱えているのは人間がひとり、中に横たわれそうな大きさの長方形。

 全面の角が丸く成形され、やわらかな印象に仕上げられた法具箱だ。

 焼けて黒っぽくなった竹のような暗い色相をしていて、深みのある(なめ)らかな(つや)をおびている。

 どういった素材によるものなのか…。
 木材、紙とも。琺瑯(ほうろう)とも、合成樹脂とも。鉱物ともつかないのに、そうだといわれれば、そのようにも見えてくる——外観から(ぱっと見に)は材質を特定し(がた)(もの)だ。

 五〇度ほども左上がりに斜め抱きされているその箱の上面(じょうめん)には、無色透明の球体が十四個。落ちることなく、すいついている。

 一個一個があやつる者のにぎりこぶしほどもあるそれを、右の手のひらで(ふた)の表面におしつけ、転がし馴染ませながら――彼は、こころもち早い歩調で西を目指した。

 薄紅(うすべに)色の建物がまばらに散らばる《法の家》の敷地。

 建物の縁側(ふち)をめぐり歩いては、かたわらに小規模の庭や耕作地が(のぞ)める回廊をわたり、広場や(むね)の軒先をいくつか横断する。
 そのくり返しのすえに彼が行きついたのは、朱鷺色の建物群(たてものぐん)の片側に広がる放牧地だ。

 法の家の外周の片翼。
 その西側のなだらかな傾斜(くだり)()めるそれは、そのはるか遠方にうかがえる森にいたらぬまでも、これという明確な範囲の目印もなく開放されている。

「お、来たな……。用向きの不明な(あやしい)不審者には貸しださないものだが、特別に貸してやる。息抜きするのもいいが、あまりハメを外すなよ?」

「はい」

 前もって話をつけていたのだろう。懇意らしい青年から用意されていた青鹿毛の手綱をうけとる。

「なるようにしかなりませんけどね」

「(それは)いいわけだな。私は知らないからな。やんちゃは、ほどほどにして、ちゃんと戻ってくるんだぞ? エーファが心配する」

(――…そうは思えない……とまでは言わないけど…――友人としては、そう思うんだろうな……)

 必要や偶然でもなくば、顔を合わせることもない母親の名を出された彼は、相手とは異なる(相反する)冷めた意見を胸中に無言でやり過ごした。
 借りうけた馬に目をむける。

 全体的に黒いが、目や鼻のまわり、わきやひばら(・・・)などに褐色の毛色が見える見事な牡馬(おば)だ。

 身なりや乗り物・所有物が立派だと、野盗に目をつけられやすくなるが、彼にはそういった事実をくらまし対処可能な得手(えて)がある。
 なによりもそれは、先をゆく者にならう様式でもあった。

 単身の身軽さだ。
 そこそこ整理された道や平地を行くのであれば、機動性も高い。
 進む方向さえ(たが)えなければ、うまいこと(スムーズに)追いつけるだろう。

 早々(そうそう)、馬上の人となったその青年の(かいな)には、すこし前まで抱えられていたはずの法具箱が存在しなかった。

 いくぶん大きめのショルダーバッグを腰のベルトに(くく)りつけている以外は、これという荷物もない。紫おびた黒っぽい薄手の外套を羽織るでもなくまとめ(束ね)て、片側の肩に引っかけているだけだ。

 いっけん遠出するようには見えない。
 そんな装備の若者の指示で駆けだした黒馬が、褐色の鼻先をむけたのは、南…――。

 前日(ぜんじつ)の朝、青磁色の髪の少年と付き人の女性がむかった方角である。

 そうと見てとったところ。馬を()る青年の行動を遠巻きに観察していた存在が、ひそんでいた物陰から姿をあらわした。

 遠ざかってゆく騎馬を視界に捕捉しながら。三歩踏みだした後、数秒間、足を止め、対象へもの思わしげな視線を()せた…——その()が、ゆるりと歩を踏みだす。

 走りだしこそ緩慢だったが、人工の盛り土の傾斜をななめに通過する過程で、ぐんぐん速度を上げ、あいだに横たわっている距離を一気につめようかという後者は、十二、三歳くらいの利発そうな目をした男子だ。

 セレグレーシュのまわりに頻繁(ひんぱん)に姿を現す子供の稜威祇(いつぎ)である。

 よゆうを感じさせる気のままの動作ながら、人間の脚力ではありえないようなスピードでつき進む。

 その稜威祇(いつぎ)の少年が目標とする馬影においついたのは、建物と森林の間に横たわる原野の只中(ただなか)
 家並(やな)みを(いただ)く人工の隆起()が終わりをつげ、(ひら)におさまるあたり。
 《千魔封じ》の草原で最大ともいわれる《空白の円》の奇形樹形を視界のはしに。目標としていた人馬が、その側面をすり抜けようとしていたところだ。

 ()く手には、まだ延々と浅い緑の原っぱがつづいている。

 ドドッドッ……と。馬の脚力が生みだす濁音(だくおん)にまぎれて、もとより、ほとんどしていなかった少年の足音は、かき消されている。

「なぜ、彼らを追う?」

 少年が人の言語でたずねると、馬上で中腰になっていた彼、アントイーヴが、えっ? と。声がした方をふり返った。

 疾走する馬とならんで走る存在を視界に。
 冷静に手綱をひきよせて、じょじょに馬の速度をゆるめる。

 驚かなかったわけでもなさそうだが、そこで彼が表面(おもて)にした動揺はわずかなものだ。

 あっけにとられて(油断して)などしていられない警鐘のようなもの――それが、アントイーヴの理性を瞬時に(おお)いつくした結果である。

 追いついてきた少年を左下に見おろした彼の瞳には、相手の虹彩が黄にほどちかい明るさの琥珀色にうつった。

 未成熟なその姿には異質なほど冷たく、冴え冴えとしてみえた魔眼。

 アントイーヴがその少年を目にしたのは初めてで――これが初対面でもあったが…――


 ――彼が(うわさ)稜威祇(いつぎ)だろうか?


 考えたアントイーヴは、(おそらく…そうだ)と認識した。

 けれども…。

 確定的な判断をくだしながら、どういう(ゆう)わけか否定的な感情……それと認めたくないというような感覚……拒絶反応にも類似する思いも()きたった。

 なにか変だなと思って見れば、パッカラ…パッカラっと、ゆるやかな駈足(かけあし)まで速度をおとした人馬と併走(へいそう)する少年は、安穏(あんのん)として、息ひとつ、きらしていないのだったが……。

 違和感の正体は、そればかりではなかった。

 噂の稜威祇(いつぎ)は、特定の人物に向ける、ふっきれたような笑顔がカワイイと。
 将来の美貌を約束するような容姿もあいまって、女子の評価が高かった。

 アントイーヴが耳にしたその稜威祇(いつぎ)の情報の半分は、そのあたりから得たものである。

 笑顔の合間に見かける飾らない表情が大人びているとも。

 とらえどころが無く、ほかの人間をことごとく無視するという話も耳にした。

 愛想のない態度は、単純(たん)にいま向きあっている相手……アントイーヴに関心がないからだろうと――そう解釈することもできる。

 だが、それだけではわりきれない…――

 正しくは、安易に見過ごしたら命取りになりそうな不穏な兆候、おもむき。
 印象が醸しだ(かも)す予感。
 気配が存在したのだ。

 とにもかくにも彼を――

 人間(ヒト)を見るそのまなざしが、酷薄(こくはく)すぎやしないかと。

 この顔でどうやって微笑むのか、とっさに想像できなくなるような冷厳(れいげん)さ、峻烈(しゅんれつ)さが、そこに見てとれたのだ。

 噂に聞いた柔和さ・友好的な反応が特定の人物にのみに向けられるものだとしても、その本質……本性を疑いたくなるような……。

 睨まれる理由としてありえそうなところでは、その稜威祇(いつぎ)が気にかけている少年への悪巧(わるだく)みを想定されているのかも知れないのだけれども……。
 事実がどうであれ、無難と思われる答えを返すにこしたことはない場面である。

 (あや)しい霧か雲をかんでいるような気分でもあったが、アントイーヴは、意を決して詰問(きつもん)に応じた。

「…。ふたりが心配だから」

 返されたその言葉をどう受けとめたのか、金茶色の頭の少年稜威祇(いつぎ)は、なにも聞かなかったような顔をしている。

 そして、わずかながら沈黙がつづくと、ぽつりと指摘したのだ。

「不用意な干渉は、彼の失点につながる」

 おためごかしは無効のようだ。むしろ(さまた)げになりそうな予感すらある。

 それと見てとったアントイーヴは、相手の顔色をうかがうのをやめて、対応をより事務的な方向に切りかえた。

「彼らの目的地を知っていますか?」

「いや」

「では、彼の試験が行われる予定地がどこか、わかりますか?」

 稜威祇(いつぎ)の少年は、すぐには答えなかった。

 ななめ上にアントイーヴを映している少年の瞳は、冷めてるようでありながら油断なく視界にある相手の反応を観察している。

「ベルドゼの北…」

 それでもひと呼吸の()の後に答えはなされ、アントイーヴのおもてはささやかな驚きを示すなかに暗くかげった。

(――奇遇(きぐう)だな…。ぼくの時と同じだ。彼の段階なら期間から考えても課題・条件もなし……あったとしても諸物(しょぶつ)の確保とか、誰かの助手程度のノルマで、そのへんの手近な街から帰還するだけになるだろうけど――…。
 それにしても逆方向か……。店長に睨まれても昨日、発つべきだったかな……)

 〝ベルドゼ〟ことベルドルーゼは、《法の家》から見て北方に位置する。

 しかし、ふたりが向かった方角は南だ。

 おそらく、森の中を南下して、そのうちつきあたる道に出たのだろう。

 《法の家》の敷地(正確には、それを囲む《千魔封じの()》)と、(じか)に接する道は限られている。
 その唯一といってもいい街道が北へ抜けるものなので、方向違いもいいところだ。

 試験の流儀にならい目的地を(くら)ますにしても、きっとそれは地理にうとい彼女の策ではない。
 期間的にも、そこまで遠回りするゆとりはないはずで…――というこれは、森を南へぬけたと想定した場合の話であるが。

 いずれにせよ。志願したのが彼女なら、他人の言うことなど聞くだろうか?

 思案するなかにアントイーヴの危惧(きぐ)は、より、(ふか)くなった。

 これという確信をもって行動していたわけでもなかったが、やはり問題が起こりそうだと。

「ほんとうは……これがある人の意思だと。そう信じるから行くんだ」

「誰の意思?」

 アントイーヴは、その追及には答えることなく言葉をくり出した。

「質問を返します。貴方はなぜ、ぼくを追いかけてきたのです?」

 その問いは聞き流されたので、さらに質問を重ねる。

「彼に契約を求めるつもりですか?」

「そんなことはしない」

「では、協力してくれますか?」

 一瞬だったが……。
 無感動に見えた少年稜威祇(いつぎ)の瞳に、黒い虹彩がひらめいた。

「われがおまえに力を貸さなければならない理由がどこにある?」

 いくらか低い音で、ひと呼吸のうちにまくしたてられた解答。

 静虚(せいきょ)な調子に(おさ)え語られはしたが、そこには根の深い否定的な抑揚(よくよう)もふくまれていた。

 そこでアントイーヴは、慎重(しんちょう)に言葉を選んで思惑を提起する。

「目的も理由も知りませんが、貴方は彼を認めているのでしょう? それなのに契約はしないという。
 事情がどうあれ、思慮深く、やさしい稜威祇(いつぎ)だ」

「好きに憶測を働かせていればいい」

「そうします。何事もなく終わるのなら、ぼくも手だしはしない。雲行きが怪しくなったとき少し力を貸してもらえれば、それで(いい)。彼に危険がおよんだ時だけでも……」

「…。われは……ときに安定を()く…」

「法印には、貴方がたの不安定を(おぎな)(もの)もあるから」

他人(ひと)を頼ろうとは思わぬ」

 ぽつりと告げた稜威祇(いつぎ)の少年は、にわかに唇をしめらせてから、冷静な姿勢をくずさないアントイーヴをじろりと視線で威嚇(いかく)した。

「おまえは力の粛正(しゅくせい)が必要になるような事態を予測しているのか?」

「それは…、わからないよ。勢いで出てきてしまったけれど、ぼくはただ…。……稜威祇(いつぎ)の補助を持たない法印使いが、どんなに無力か知っているから…。……」

「いっときなりとも、おまえと契約する気はない。われは動かぬかもしれぬぞ?」

 事情はぼかし、助力を確約してしまおうという働きかけに対し、その気もなく揶揄(やゆ)されているのが明らかな反応――どう出るか、(たが)いに目的と本音を知ろうと腹の探りあいをしているのだ。

 おそらく、その事実を指摘しても堂々めぐりになるだけだろう。

 会話の流れを変えたかったアントイーヴは、自分の心理状態が許容するところまで本意を語ることにした。

稜威祇(いつぎ)だというだけで貴方を利用しようとしている。自覚はあります。貴方にどんな能力があるのかも無いのかも知らない。リスクも覚悟の上。協力を得られなくても、ふり出しにもどるだけのこと……」

 静かに思いをうちあけながら、彼は、かすかにほほ笑んでいた。

「《絆》を求める気もありません。《鎮め》を目指す道から外れた未熟者が、稜威祇(いつぎ)の加護を得てもしかたないでしょう?」

 アントイーヴの表情に一抹(いちまつ)の苦さが生まれ、そこにあったほがらかさが表面的なものに見えてくる。

「ぼくは……服喪中(ふくもちゅう)なのです。守りたかった人を…。……その最期を目のあたりにしながら救えなかったので…」

 語る彼のまなざしが、ほどなく到達する森にそそがれた。
 そのはじまりに一本だけ、とびぬけて高く成長している巨木を映す。

「——去年の初冬。(きた)……。東北に位置する湖畔(こはん)で起きたことを、ご存知ですか?」

 稜威祇(いつぎ)の少年は、彼の問いを無感動に聞き流した。

 思いあたることならあった。

 その頃、そのあたりで起きた事といえば…。
 丘の北東に湧く湖のほとりに闇人の命がひとつ、沈んだことだろう。



 ——…魔力をふるうこともしない獣人に稜威祇(いつぎ)がやられたというのか? その鎮めは、いったい、なにをやらかしたのだ?——

 ——いや。未満の学生が背伸びしたそうだよ。あのあたりに住みついていた妖威……獣がいたろう? あれを、いちおう鎮めたらしいんだけどさ…——

 ——ひどいな。結果が救いようがない…。あのていどの妖威を鎮めるために、稜威祇(いつぎ)をなくしたというのか…——

 ——過信が導きだした悲劇だな…——
 


 身近な土地で起きた稜威祇(いつぎ)がらみの事件。

 神鎮め文化が生まれた頃から、優れた法印使いを輩出してきた《ぺリ》と呼ばれる名門氏族。

 そのなかでも期待されていた才子の失敗(しくじり)

 おおやけには、さわりていどの情報しか流れなくても限られた方面――《家》の上層とその氏族内では、かなり噂された。

「自分の力を……対処能力を過信していました。稜威祇(いつぎ)の力を借りずとも対象を仕掛けに誘いこめばいいのだと」

 進む方角を見て、まなざしを逸らそうとしないアントイーヴの横顔を、稜威祇《いつぎ》の少年は特に表情を変えることもなく、じっと観察していたが、

 ぽそっと、もとの題材に会話をひき戻した。

「あの女は、なにをしようとしている?」

「ぼくの(やぶ)にらみ……危惧(きぐ)にすぎないことを願っています。不確定な憶測を、いま、ここで口にする気はありません」

 稜威祇(いつぎ)の少年は、浅い吐息をついて双眸を伏せた。

「走り疲れた。馬の背中を貸せ」

「どうぞ。馬を驚かせないで下さいよ?」

 唐突(とうとつ)な申し出だったが、馬の背中を要求したということは同行することを承諾したようなものだ。

 このさいは協力だろうと監視だろうとかまわなかったので、アントイーヴの目もとに、やわらかな微笑がきざまれた。

しおり