暗 影.1
たほたほと馬を進めること、四分の一日ほど。
青磁色の髪の少年と、お嬢さま然とした碧い眼の女
真昼をかなり過ぎてから、たどりついたその都市の名は、
シャミール領リーデン・シュルト——
直線で結ぶと、《法の家》から南の方角にある人里として、もっとも近くに位置する都市だ。
森の道を知るものは多くない。
通常であれば越えることが困難なその森を
街道ぎわに位置するため
小国家シャミールの最北の飛び地でもあるこの街は、
淡いピンク系の建物が多い地区も少なくなく、遠方から迷いこんだ者が、神鎮めの本拠地と
ずっと独立しているようなかたちで存在していたその都市は、二〇年ほど前――。某王国の御家騒動にまきこまれたことで、混乱の中に
そのおりシャミールは、生活物資などの交易で、この街と交流のあった《鎮めの家》をも配下におこうとして、周辺諸国の失笑と反感を買っている。
力ある種族の後ろ盾のもとに。いまだ多くの空白地を残す大地に平穏をもたらした技能と知識——
それを望み、行動したのは、シャミールが初めというわけでもなかったが、絶大な影響力を持つ組織を手に入れようとし、なおかつ失敗したことで、彼の王国には、ごく最近、法に逆らったものとおおっぴらに語られる賊軍的な汚点がのこされた。
国家間の争いには、不用意に関与しないことを宣言している《法の家》は、
どちらに味方するでもなく、『支えるものを
それをきっかけにリーデン・シュルトは、支配国が持ちだした政策に不利益を感じるたび、《法の家》を頼るようになった。
地理的な条件も手伝って、圧制的な暴挙はとおらず…――、
いまも《法の家》の影響力(意見を口にするだけだが)が弱くないこの街は、シャミール王国にとって、遠く
権力と産業力がぶつかり、からみあい、ほどよい
ヴレス川の南に築かれた要塞を軸に、軍事的な
それは
(…よさそうな街だ)
政治的背景がどうあれ、いま、その街に住む気などないセレグレーシュとしては、そこそこ安全で物資が手にはいり
馬を二頭連れながら、道なりに
〔羽根をのばしている暇などないわ。食事したら、すぐに出るわよ〕
〔ここで足を止めておかないと野宿することになる〕
いまも馬上にある女
〔まだ、お昼すぎよ。天気もいいし、陽が落ちるまでかなりある。進めるわ〕
〔オレは、どっちでもいいけど〕
〔行くわよ〕
〔行くなら必要になるものもある。食料……買っていくだろう? 考査前から、オレが独力で現地調達ってことはないよな?〕
〔そうね。おなかも
(おやつ…)
そのような
〔あれがいいわ〕
目にとまるものがあったらしい。
身軽な動作で馬からおりた女
〔それを、ふたつちょうだい〕
「ん?」
「おう、これはきれいなお嬢さんだ。なにか
女
相手の問いかけなど気にかけるようすもなく、そそくさと腰のベルトに固定されているバックを探って、中央に穴があいた銀色の硬貨を取り出した。
これと店の男に差しのべられたのは、彼女の手のひらの二分の一ほどの大きさになる
「…。小銭はありませんか?」
〔これでは買えないの?〕
「まさか、このへんの店をまるごと買い占めるおつもりで?」
〔そんなこと言ってないでしょう? そこのフルーツが乗ったタルトふたつよ。ほかは
「お嬢さん。ここの言葉はダメなのかい?」
むっと眉を
〔あなたこそ。言葉もわからないの?〕
「ちょっと、待て」
馬を二頭連れたセレグレーシュが両者のやりとりにわって入る。
〔小銭がないなら、先に両替商に行ってくずしてもらおう〕
〔こまかいの? こっちのこと?〕
ごそごそと腰のバックをあさった彼女が、これかとばかりにとりだした赤茶色の小箱をあけてみせた。
そこに、穴のない直径二五ミリほどの銅色と無色透明の貨幣が、合計六列。整然とつめこまれている。
〔もうひとつあるわ〕
さらにとりだされた同サイズ・色違い――
と、そこまで考えたセレグレーシュだったが、
〔……いや〕
彼はため息まじりに軽く手をふって、連れの過ぎる行動を
〔そっちはいい〕
あってもあつかいに困る額なので抵抗をおぼえて、とっさに目にすることも拒否した。
小銭があるのに一般にはくずしにくい大金を使おうとしたり、闇人の言語で話しかけたり……。どうやら彼女は、このへんの文化にうといようだ。
世の中、金に困っている人間がどこにいるともわからない。
〔
〔くすねないでよ〕
〔誰が盗むって? ……じゃなくて。君、お金の使い方、教わらなかったの?〕
〔…。なにか説明していたけれど……(
(ちゃんと聞いていなかったんだな)
相手のようすから
〔ここの言葉、話せないの?〕
〔家で使われているものと、ほぼ同じね。わかるけど、使ったことはないわ。必要ないもの〕
知っているのなら、下手でも通じる言語を使えばいいのに、それをしない。
通じなくても必要ないと断言するあたり、《家》の中しか知らない世間知らずのようである。
(人選ミスじゃないのか?)
考査の審査役にむいた人材とは、とても思えない。
セレグレーシュは自分の試験の先行きが不安になった。
さらりふわりと。左右で
立ち食いにむいた軽食や惣菜のかたわらに、少しばかり。あまり
――
〔カッパー・トーラスはいくつ持ってる?〕
〔
〔なら、ひとつにしておかない?〕
〔いいえ。ふたつよ〕
〔じゃあ、いいよ。小銭で
そっけなくうけ負った彼が、店のほうに向き直る。
「そこの上段のタルトを、二個」
「へい。ありがとうよ、兄ちゃん。どうしようかと思ったよ」
不明な部分を確認まではしなかったので、金と銀、水晶も含めた《
彼が手にしているそれは、一般のものとは比べものにならないほど純度の高い石英ガラスによ る
法具としても転用可能なそれは、
貨幣を受けとった店の男が、微妙な顔をしている。
水晶貨に限らず、《
それゆえ、その価値や素材の
あんのじょう、店の男は、ひらいた手に乗せた貨幣に呼気を吹きかけた。
二度、三度と
ちなみに、その純度の高さ・軽量さにかかわらず、多少の風圧では不動という《法貨》の特徴を再現するだけの技術は、《
(それにしても……金の
お金と交換するかたちで手わたされた小袋の中味は、ひとつひとつが厚手の小箱で保護されていた。
材料は安価なものの寄せ集めでも、食感や味を重視して手間がかけられているぶん高価で、栄養も
なかには栄養豊富なアイディア商品も存在するものだが、菓子類は、生きていく上で、かならずしも必要な食物ではない。
「貴族様のファンもいる、うちの目玉商品だ。昨晩焼いたばかりで、保冷・品質維持の処理もばっちりだ。味と鮮度は保障するが、ここから出したら
万全を保証した店主の言葉を
置かれていたケースを意識して見れば、その背面に心力投資された法具の気配もあった――となれば、さほど高い買い物でもない。
本人にそこそこの心力があったり、無償で投資してくれる隣人や身内があれば、後者の経費は不用になるので、人為費をふっかけている可能性はあるが…――処理している事実に違いはないので、そういった
セレグレーシュが見たところ、少なくとも心力投資したのはそこにいる男ではないようだ。
いずれにせよ、お祝いやお土産、進呈・返礼目的でもなくば、暮らしにかなりよゆうのある者が口にする
(無駄づかいだな。ここじゃ《法貨》は高く取引される…――
交渉なくしては、外観がそのもので純度や性質を
このへんで流通している貨幣と法貨の《貨》単位の形状は、まぎらわしいことにデザイン(と材料の
くわえて《法貨》には、裕福な者が持つものという先入観がつきまといがちで、提示者が声をあげなければ、差分はチップとして
かけあう手間も一度ですむ。
セレグレーシュは、手に入れた菓子の小袋を連れの女性に渡したあと、けっこうな重量の
彼としては、いまさら
交渉しなくても、一枚、心づけがあったようなものだから良心的な方である――おそらく釣り
〔どろぼうだわ〕
〔え?〕
どんぶり
〔
泥棒認定されたセレグレーシュは、不快を隠さず、負けじと目を
不愉快ついでに、うっかり手にしたままになっていた小箱を相手につっかえす――と。条件反射だろう。
女
〔ついでに
〔お店で食べるから、いらないわ。無駄づかいしないで〕
〔
かなり不満そうだったが女
そうしていて……。
〔……忘れた〕
衣料を展開する
〔着替えを持ってくるの、忘れたわ〕
〔は?〕
〔忘れたの。何日もかかるのだから、必要だった〕
〔一着くらい持って来なかったの?〕
〔(いろいろ考えてて、いっぱいいっぱいだったから……)そこまで頭がまわらなかったわ…。…。……思ったのだけど…〕
〔なに?〕
〔衣類は
〔
〔だって、洗ってる
(ありえない、この
感想は別として。深く考えるのをやめたセレグレーシュが、充分ともいえない解決方法を口にする。
〔洗うのは手作業になる――(たち寄ったところに、その