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18.舞踏会

 舞踏会は王城の大広間で、華々しく開催された。
 闇が深くなり、ともる明かりが増えていくほどに心躍り浮き立つような華やぎが増していく。
 華やかに飾り立てられた会場には、艶やかな装いに身を包んだ貴族たちがさざめきながら続々と吸い込まれていった。

 全ての準備が整い、万全のタイミングで入場する。
 それを許されているのは王族のみ。
 ミカエラはアイゼルと共に、そのタイミングを待っていた。

(やっぱり素敵……)

 ミカエラは隣に立つ王太子アイゼルを見上げた。
 スラリと背の高いアイゼルは、ミカエラからすると見上げる高さに顔がある。
 整った顔に甘い笑顔を浮かべていた。
 彼女を見る青い瞳には、他の令嬢には向けられない感情がこもっているようにも見える。
 ミカエラはうっとりとした表情で彼の目を見つめていた。

(期待を何度裏切られても……やはり期待してしまうの)

 今日のアイゼルも王太子に相応しい装いに身を固めていた。
 ミカエラに贈ったドレスと揃えて作った衣装のようだ。
 青と黒の幾何学模様が埋め尽くす生地の上にポイント使いされた青無地、たっぷりの金刺繍が施された上着。
 白レースのクラバット。
 スッと伸びた長い足には黒のトラウザーズ。

(私の……色)

 そこに意味を見出すな、と、いうほうが無理だ。

 ミカエラは甘い予感に酔っていた。

「さぁ、行こうか。ミカエラ」
「はい」

 王太子アイゼルに手を取られ、颯爽と会場に入っていくミカエラ。

「やはり、王太子殿下の婚約者はミカエラさまですわ」

 侍女ルディアは後ろから付き従いながら満足気に呟く。

 アイゼルにエスコートされたミカエラは、ふたり並んで大階段上に設えられた舞台から会場を見下ろす。
 そして、貴族たちに向かって見せつけるように礼をとった。
 舞踏会会場となる大広間には貴族たちが控えており、ふたりの姿に驚きの声を上げる。
 体を震わせるような会場内のどよめきを感じながら、ミカエラは顔を上げた。
 隣には王太子。
 互いの色を取り入れた華やかな装い。
 婚約者であることを見せつけるかのような衣装をまとったふたりが、階段の上から挨拶をしたのだ。
 令嬢たちに対して、これ以上の牽制など必要ないほどではなかろうか。

(これで少しは、私の扱いも変わるかしらね)

 王太子に手を取られたミカエラが、ゆっくりと大階段を降りていく。
 正面を見据える彼女の視線に迷いはない。
 
「ミカエラさまだわ」
「まぁ、どういうことかしら?」
「王太子殿下の愛は、レイチェル・ポワゾン伯爵令嬢に与えられているのではなかったの?」
「見て、あのドレス。とても素敵だわ」
「王太子殿下は、なぜ、あの女をエスコートしているの?」
「婚約の解消は時間の問題だったのでは?」
「どういうことかしら? 何かの陰謀?」
「王太子殿下の装いも素晴らしくてよ」
「あれは、ミカエラさまの色?」
「黒なんてありきたりの色過ぎて、あの女の色かどうかなんて分からないわよ」

 令嬢たちの嫉妬がミカエラに向かって押し寄せ突き刺さる。
 だが、今夜は隣に王太子アイゼルが居るのだ。

(何も怖くないし。痛くも痒くもないわ)

 階段を降りきると、隣に立つ王太子アイゼルを見上げた。

(ひとりで居る時と、ふたりで居る時は、こんなにも違うのね)

 王太子殿下の婚約者であるミカエラには、彼以外にエスコートしてくれる適切な相手がいない。
 実家である伯爵家の男性陣は、ミカエラをエスコートなどしないし、他の貴族たちは誰もミカエラを相手になどしなかった。
 神官たちと公式の場に出ることもあるが、その際には必要な場面に呼び出されるだけだ。

(舞踏会に来た事はあるけれど。裏からそっと入って、そっと出て行くような扱いが多いから……)

 それが異常であることは、侍女に言われるまでもなく感じていた。
 令嬢たちは面白おかしくさざめくし、使用人たちからは同情の視線を感じるのだ。
 何より、侍女ルディアのヒステリックな反応を見れば分かる。
 
(ひとりで舞踏会に来る令嬢なんて、いないもの)

 王宮に暮らすミカエラが、王宮で催される舞踏会に出席しないのは難しい。
 出席はするもののエスコートのないミカエラに、舞踏会を楽しむという習慣はなかった。
 でも、今回は違う。

 王族が会場に出揃い、楽師たちが奏でる曲が変わった。

「踊って頂けますか?」
「はい、喜んで」

 アイゼルが差し出した手を取り、ダンスフロアへと滑り出す。
 王妃教育の一環で受けているダンス指導のおかげで、ミカエラは完璧に役割を果たすことができる。
 その自信が、彼女を輝かせていた。

「上手だね、ダンス」
「そうでしょうか? 自分では分からなくて……」
「うん、上手だよ。知らなかったな。キミがこんなに踊りが上手だとは」
「レッスンは受けていますので……」

(確かに。レッスンの成果を披露するタイミングは、無かったわよね)

 アイゼルの腕の中でターンを決めながら、ミカエラは思った。
 婚約が整った時には、ミカエラは幼すぎた。
 早々に婚約が決まったミカエラには、社交界へのデビューすら必要はなかった。
 幼いことを理由に婚約披露のパーティーなども無かったため、踊りを披露する機会はなかったのだ。

(アイゼルさまがエスコートしてくだされば、今までにもチャンスは沢山あったハズだけれど……)

 なぜか王太子は女性をエスコートせずに出席していた。

(会場で適当な令嬢のお相手をしていたから、必要なかったと言えば必要なかったのだけど。それにしても不自然な話よね。私は婚約者なのに。今夜まで踊る機会さえなかったなんて)

「どうかしたの? 何か気になることでも? ぼうっとして心ここにあらずって感じだ」
「いえ、そのような事は」

 誤魔化しはしたが、ミカエラは不思議に思っていた。

(なぜ今夜なのかしら? 今まで、婚約者らしいことなど何ひとつ無かったのに……)

 アイゼルからは、特に説明を受けてはいない。

(婚約者を披露しなければいけない事情でも出来たのかしら?)

 理由が気になる。

(聞きたい……でも、聞けない)

 理由を聞いて、もしも期待を裏切るような答えが返ってきたら。

(もう傷付きたくない……痛い思いも、苦しい思いも、したくないの……)

 会場にいたポワゾン伯爵令嬢と目が合った。
 黄色のドレスがよく似合っている令嬢は、その薄茶色の目を大きく開いて、こちらを驚きの表情で見つめている。
 その顔は双子の弟であるイエガーとよく似ていた。

(お気に入りの令嬢ではなく、私を選んだのよね。今だけは、うぬぼれていいかしら?)

 近付いて、離れて、クルッと回って、また近付いて。
 アイゼルの腕の中は、夢見心地の空間。
 青い瞳は、ミカエラだけのもの。
 少なくとも、今だけは。

 でも……。

「ふふ。今は楽しもうよ」
「はい」

 下手に問い詰めて雰囲気が壊れるのも嫌だ。

 アイゼルの手がミカエラを引き寄せる。
 ミカエラは、その手に自らをゆだねた。

 楽団が奏でる生演奏にのって、クルクルと回る。
 贈られたドレスの裾がふわっと膨らんで、夢のように揺れる。

 シャンデリアの眩い輝き。
 アイゼルの金髪の煌き。
 青い瞳は想いに揺れているように艶めいてこちらを見ている。

 吸い込まれそう。何処かへ。
 私の行きたい、何処かへ。
 そこは愛溢れ。
 私は満たされる。
 溺れるほどに満たされる。

 痛みもなく。
 苦しみもなく。
 ただ愛だけに目を向けて。
 怖れることなく愛せる。
 そんな世界。

 努力が報われて。
 忍耐が報われて。
 愛が花開いて。
 新たな命が芽吹いて。
 繋げたい愛しいものが生まれて。
 先には虹色の未来が待っていると。
 信じることが出来るような。
 そんな世界。

 ミカエラはアイゼルに抱き寄せられ。
 自分の意思で離れ。
 再び自分の意思で腕の中に戻る。
 何の憂いも感じることなく。
 信頼の連鎖で生活が紡がれていく。
 踊るような毎日を繰り返せたなら。

 『愛する人を守る』異能に怯えることなく生きられる。

 ……のに。

(演奏が終わった……)

「一曲目は踊ったから。また今度ね」
「……はい」

 特別な説明はなく、離れていく手。

 ミカエラに背を向けた青い瞳がとらえたのは、お気に入りのご令嬢だ。

「レイチェル! ポワゾン伯爵令嬢、来ていたんだね」
「はい。ご機嫌麗しゅうございます、王太子殿下」
「今夜は疲れたよ。付き合ってくれないか」
「はい」
 
 王太子はポワゾン伯爵令嬢の手を取って、ミカエラを振り返ることなく何処かへ行ってしまった。

 令嬢たちは嬉しそうにさざめく。
 
「やはり、王太子殿下はポワゾン伯爵令嬢のことがお気に入りね」
「おかしいと思ったのよ。ミカエラさまと踊るなんて」
「何か交換条件でも出されたのではないの?」
「そうよね。ミカエラさまは、策士だもの」
「何か悪い事を企んだのではないのかしら?」
「あらあら。王太子殿下とダンスすることが悪巧み?」
「いえいえ。悪巧みをやめる条件が王太子殿下とのダンスだったのよ」
「まぁ、怖ろしい。どんな悪い事を考えたのかしら?」
「さぁ? 私たちには考えも付かないような『何か』よ」
「どんな事かしら?」
「考えても無理よ。きっと貴女には思い浮かびもしないことだから」
「そうよね、ミカエラさまは悪女でいらっしゃるから」
「うふふ。悪役令嬢ですものね」
「そうよ。ふふふ」

 やっぱりね、と、ばかりに周囲はクスクスと嘲笑している。
 
 侍女も溜息を吐いて言う。

「ミカエラさま。もう下がってしまって良いでしょうか?」
「……ええ、いいわ」

 ミカエラが許可を与えると、ルディアはそそくさと会場を後にしていった。

 取り残されたミカエラに集まるのは、嘲笑と好奇の目。

(耐えられない)

 なによりも耐え難いのは、期待してしまった自分。

(なんて……惨めなのかしら……)

「ミカエラさま。我が兄が不調法で申し訳ない」
「……」

 ミゼラルが話しかけてきた。
 同情でもされたのだろう。
 いつもなら、適当に返事をして合わせることができるけれど。
 今夜は違う。

(もう……耐えられない)

「あっ、ミカエラさま。お待ちを」

 ミカエラは聞こえないふりをして、ミゼラルから逃げ出した。

「あーあ。逃げられてしまった」

 遠ざかっていくミカエラの後姿を、ミゼラルは見送る。

「ミゼラルさま。ミカエラさまを追いかけないのですか?」
「ふふ、パム。僕にみっともない真似をさせたいの? まだ、その時期ではないようだからね。今回は見送るよ」
「それはそれは。出来る男は、言う事が違いますね」
「しつこい男は嫌われるからね……弱っている所に付け込む男もね。僕は、そういうの嫌だから」
「スマートな対応がお好みなのですね」
「まぁ、ミカエラ嬢の好みは分からないけどね。反応を見ながら作戦は変えるつもりだけど……だからといって、アレはない。流石に僕でも分かるよ。兄は何を考えているのやら」

 ミゼラルの視線の先にあったのは、王太子の姿。
 華やかな衣装に身を包んだアイゼルの隣には、黄色のドレスをまとったポワゾン伯爵令嬢の姿があった。
 王太子に手を取られて視線を交わした令嬢は、ゆっくりと優雅に歩きながら出口へと向かって行く。
 アイゼルとレイチェルの姿は、やがて会場の外へと消えていった。

 パムとミゼラルは顔を見合わせると溜息を吐いた。

「駄目すぎると、付け込むのにも悩むね」
「そうでございますね」
「次の機会を待とう」
「はい」

 そして目立たないように、貴族たちの輪の中に加わったのだった。

(やはり、アイゼルさまはレイチェルさまがお好きなのね……)

 ミゼラルたちが見ていた光景を、ミカエラも見ていた。
 舞踏会会場から消える貴族たちが何処に行き、何をするか。
 ミカエラとて知らないわけではない。
 アイゼルとレイチェルの姿が会場の外へと消えていったのを確認すると、ミカエラの心は想像以上に乱れた。

(耐えられないっ)

 駄目だった。
 今夜は期待した分、忍耐力にかけていた。
 気付けばミカエラは、ドレスの裾を翻して会場から逃げ出そうとしていた。
 金色のドレスの裾が翻る。
 足元にまとわりつくそれは、もはやミカエラの心を躍らせることはない。

(馬鹿みたいね、私。ドレスを贈られたくらいでいい気になって)

 後ろも見ずに駆けだした彼女は、護衛たちが不自然に行く手を遮られていることに気付くことはなかった。

しおり