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9.第二王子

「なんだ。失敗しちゃったんだね」

 第二王子であるミゼラル・イグムハットは、自室のソファにゆったりと体を沈めながら平然と報告を受けた。
 身長185センチの健康的な肌色をした男は、襲撃失敗に動じることもなく、赤い瞳に笑みさえ浮かべていた。
 窓から差し込む日差しは傾いて、今日という日は失敗のうちに終わっていこうとしている。
 が、男の表情に失敗による重苦しさはなく、むしろ軽やかであった。

 豪奢な部屋には大きなベッドにシックなソファセット、凝った装飾が施されたコンソールテーブルの上には華やかな花瓶と置時計などが置かれていた。
 しかし、第一王子の部屋に比べたら、広さも、調度品の数々も、ことごとく劣る部屋だ。
 だからといって、第二王子であるミゼラルが、それを気にしている様子はない。
 
 ミゼラルは21歳。
 王太子アイゼルよりも1歳年下である。
 しかし、彼が王太子になれなかったのは年齢のせいではない。
 母が側室であるマリアであったからだ。
 マリアの生家はマグノリア伯爵家。
 貴族として高い地位にいるとはいえず、政治力にも財力にも乏しかった。
 マリアの類まれなる美貌により側室となり男子を儲けたものの、正妃の産んだ男子には敵わない。

 その結果、ミゼラルは王子という地位には居るものの、将来については不透明であった。
 第二王子であるミゼラルを王太子に担ぎ出すほどの材料はないが、伯父であるマグノリア伯爵家現当主カーティスは諦めてはいない。
 第一王子を排除できればチャンスはあるとばかりに、アイゼル暗殺を何度か企てている。
 成功はしていないが、尻尾もつかまれてはいない。

「伯父上は諦めないだろうな」

 ミゼラルはうっそりと笑った。

 マグノリア伯爵家は母マリアの実家ではあるが、ミゼラルにとって思い入れのある家ではない。
 カーティス・マグノリア伯爵に対しても、伯父という以上の思い入れがあるわけではないから、襲撃が成功しようが失敗しようがどうでも良かった。

 だが、どうしようもなく面白いのだ。

 自分という駒を使って権力争いを仕掛ける、伯父という存在が。
 王妃や王太子に敵対心を燃やして競おうとする、母という存在が。

 ミゼラルにとっては、面白くて面白くて仕方ない。

 自分が王座を欲しがっているわけでも何でもないのに、勝手に命を賭けて戦いを仕掛け策略を巡らすあの人たちが、ミゼラルにとっては面白くて仕方がなかった。

 駒にされるのは癪ではあるが、だからといって自分でしたい何かがあるわけでもない。
 面倒ごとは嫌いでもないし、巻き込まれてやってもいい。
 いざとなったら自分だけ逃げれば良いだけのこと。

 ミゼラルには逃げ切れる自信があった。

 だから今は、面白がって事の成り行きを見守っているのだ。

「第一王子を殺し損ねて、さぞお辛いでしょう」
「パム。僕がそんなタイプではないことをキミは知ってるよね?」

 ミゼラルは側近に片眉を上げて見せた。
 側近は淡い色合いの髪と瞳とお揃いの、淡い笑みを浮かべる。
 目立たないが、どこか油断できない雰囲気を持った男は、ミゼラルの腹心だ。
 薄い茶色と白とで出来ているパムは、どこにでも自然に馴染んで主人に必要な情報を集めることもある。
 器用に動いてくれる彼は、ミゼラルにとっての便利な駒だ。

「それに分かっていた事じゃないか。彼女があちら側に付いている限りは無理だって。ミカエラの異能を知っているだろう?」
「ええ。存じています。『愛する人を守る』と、いう異能ですよね?」
「そうだ。笑ってしまうだろう? 『愛する人を守る』だって。あの女は、我が兄を愛しているそうだよ」

 ミゼラルは軽やかな笑い声を立てた。

「僕は愛など知らないけれど。あの兄が痛みを肩代わりしてまで守らなければならない存在などと思ったことがない。本当に人が良いというか、趣味が悪いというか。ミカエラは、せっかくの異能を無駄に使っているよね」

 笑う主をじっと見ていた側近は、静かに提案する。

「やはり、ミカエラ嬢をこちらに引き入れるしかないのでは?」

 黒い短髪に赤い目。
 筋肉がしっかりとついた逞しい体。
 整った顔立ちのミゼラルは、男として魅力があった。

「パムは面白いことを言うね」

 側近に言われた提案に目を閉じて首を傾げながら、第二王子は真剣に思案してみる。
 目を開けると、ニヤリと笑って言う。

「僕はね。彼女のこと、割と好きだな」

 兄の婚約者でありながら、兄の隣に立つことすら滅多にない女性。
 いつも表情を消したまま、催し物の会場には居る淑女。
 細い体に不釣り合いな、真っ赤でスカート部分にボリュームのあるドレスを着ている彼女。
 貴族たちに陰口をたたかれる役割の令嬢。
 王太子アイゼルの怪我も病気も体調不良は全て引き受けてくれる便利なミカエラ。

「耐えて、耐えて、耐えて……健気に咲く、薔薇の花。ミカエラって、まさに薔薇の花って感じだよね」
「そうでございますね」
「手折りたくなるよね……いや、むしり取る、かな?」

 ミゼラルは赤い目をギラリと光らせ、側近を見る。

「棘だらけの茎の上に張り付くようにして咲いている真っ赤な薔薇。葉も茎も棘だらけで痛いだろうに、その場から離れられない赤い花。固い蕾が開くまでは大変で、開いた途端に片端から花びらをまき散らして終わっていく。そんな薔薇を、花開かせるまえに……蕾のうちにむしり取るのって楽しそうだ」
「私のような凡人には、理解が追いつかない楽しみ方でございます」
「ふふ。パムは正直だね」
「それだけが取り柄でございますので」
「ふふ。とんでもない嘘つきでもあるし、冗談も上手だ。でも、ミカエラの愛を僕に向けさせるという考えは気に入ったよ」
「では。マグノリア伯爵さまにご提案申し上げても?」
「ああ。任せるよ、パム」

 そう言って、ミゼラルはソファに寝そべると目を閉じた。
 全てを心得た側近は、無言のまま窓辺の厚いカーテンを引く。
 主が静かな寝息を立て始めると、バムは軽い毛布をその体の上に掛け、静かに部屋を出て行った。
 ひとり自室に残されたミゼラルは良い夢でも見ているのか、軽い寝息を立てながら楽しそうな笑みを口元に刻んでいた。

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