8.異能
襲撃から少し前。
庭園のガゼボで、ミカエラは美しいカーテシーを披露していた。
「お招きに預かり、ありがとうございます」
「まぁ、ミカエラ。いらっしゃい。今日も華やかなドレスね。お庭のお花も霞んでしまいそう」
王妃は、ふふふ、と、笑う。
「……」
美しい淑女である王妃は、嫌味すら優雅にこなしてしまう。
今日のミカエラのドレスは深紅の地に赤いフリル、そこに金の刺繍を施したものだ。
ウエストにはドレスよりも一段濃い色の生地を使った太目のベルト。
背中側には大きなリボンが付いている。
スカートのボリュームは抑えてあるものの、デザインとしてガーデンパーティーに相応しいかどうかは謎である。
暖かくなってきた時期の日中。
庭には日差しがたっぷりと降り注ぎ、花々は輝いている。
ガゼボでのお茶会に、しっかりとした長袖の深紅のドレスは暑苦しいかもしれない。
だが、ミカエラが深紅のドレスを選んだ理由を、王妃は知っている。
ミカエラの体は王太子アイゼルを守るために、いつ血を流すか分からないのだ。
身代わりとして血を流す。
万が一、血を流しても目立たなくするための工夫に、嫌味を言われる理由などない。
それでも王妃がミカエラに対して嫌味を言うのは、他の貴族方へ見せつけるためだ。
ミカエラが非常識なだけで、自分には関係がないのだと。
無関係だというアリバイ作りの為のやり取りだ。
いちいち気にしていたら、ミカエラの身が持たない。
他の貴族令嬢やご夫人方は、生成りにレースのドレスだったり、白と青のストライプのドレスだったり、白地に花柄のドレスだったりと華やかながらも爽やかな装いをしている。
この時期に着るべきものとしては、そちらのほうが適切だと、ミカエラも知っていた。
(私が淡い色のドレスを着られない理由を、王妃さまはご存じなのに。私を守るどころか、それすら攻撃の理由にされるのね……)
ミカエラも年頃の女性だ。
普通にお洒落を楽しみたい気持ちもある。
爽やかで華やかな令嬢たちの装いを眺めながら、自分がそうできない理由に思いを馳せる。
薔薇が咲き誇る庭を眺めても、美味しいお茶やお菓子を頂いても、ミカエラの心は満たされなかった。
「アイゼルも来る予定なのだけど。あの子ったら遅いわね」
「王太子さまは、お友達とご一緒なのでしょう?」
「久しぶりに会う幼馴染とは、話が弾んでしまうものですわ」
「そうね。皆さま、理解があって嬉しいわ」
王妃は満足そうに、うふふ、と、笑った。
「最近の王太子さまのご活躍は聞き及んでおりますわ」
「ええ、そうですわ。またお若いのに素晴らしいことですわ」
「いつも忙しくされているのですもの。たまには、ご友人とゆっくりされたい気持ちも分かりますわ」
「ありがとう、皆さま。そう言っていただけると、息子も安堵することと思いますわ」
「……」
チラリ、チラリと貴族令嬢や婦人たちがミカエラの方に意味ありげな視線を投げる。
深紅のドレスのことだけでない。
王太子の相手にされないミカエラを、心の中で嗤っているのだろう。
愛されない婚約者など、相手が王太子であっても怖ろしくはない。
しかも、伯爵家の娘なのだ。
後ろ盾もたいしたことはない。
侮って、馬鹿にして、嘲笑ったところで、悪い事など起きようがないと思われているのだ。
こんな状況で飲むお茶が美味しいわけもない。
しかし、これもまた王妃教育の一環なのである。
お茶会への出席を断るわけにもいかない。
どんな状況であろうと、貴族女性たちをあしらえる手腕。
それを求められるのが王妃なのだ。
持て囃されていれば良いというわけでもない。
ミカエラにしても、褒められたいわけではない。
持て囃されたいわけでもない。
ただ、もう少し、放っておいて欲しかった。
なりたくもない王妃になれと言われているのだ。
少しくらい静かな時間を持ちたい。
それが本音だ。
それをそのまま言って問題なければいいが。
問題があるから言えないだけである。
できれば王太子の婚約者は辞退したい。
修道院でもいいから、静かに暮らしたい。
だがそれは、ミカエラには許されない事なのである。
ミカエラにしても、此処に居ることで守られているからだ。
異能のことを知られれば、攫われたり、売られたりする危険もある。
無理強いしたところで発動するかどうか分からない異能ではあるが、他人からしたらどうでもいいことだ。
お金になればいい、力が手に入る可能性があれば良い、と、考える輩だっている。
自らの身の危険を承知していても、我慢することにうんざりしてしまう時はある。
それでもミカエラは、貴婦人たちのやり取りを聞き流しつつ、面倒な時間が終わるのを待っていた。
(あら? なんだか、騒がしいわね)
怒鳴るような声が王宮側から聞こえたかしら、と、思った瞬間だった。
「な……に?」
いきなりミカエラの全身がこわばった。
遅れてやってくる痛み。
腰のあたりを中心に、じんわりと痛みが広がって行く。
(まずい……)
異変を感じたミカエラは立ち上がり、その場を辞そうとした。
が、それがかえって悪かった。
「えっ……血?」
ひとりの夫人が小さく声を上げた。
夫人の目には、じわじわと深紅のドレスが色を変えていく様子が映っていた。
リボンが結ばれた少し上。
背中とお尻の間あたりに何やらシミが出来始めている。
ひとり、またひとりとその場にいる人々の視線が、ミカエラの背中に集まっていく。
侍女ルディアが血相変えて羽織り物を手に駆け寄って行ったが、一足遅かった。
「あぁっ!」
ミカエラが悲鳴を上げるが早いかドレスから血が噴き出たのだ。
「「「キャーッ!」」」
貴婦人たちの甲高い悲鳴が上がった。
ミカエラは倒れ、ガゼボの中は大混乱である。
侍女ルディアは、慌てて護衛たちに命じ、倒れたミカエラを部屋へと運ばせた。
これはミカエラが王太子アイゼルの負傷を身代わりで受けたせいではあるが、それは一部の者しか知らない秘密である。
秘された事実を知らない居合わせた貴婦人たちが、悲鳴を上げて倒れることは仕方がない。
「あら、まぁ……」
事情を承知している王妃は、またか、と、ばかりに溜息をついて椅子に深く腰掛けた。
ミカエラが負傷したということは、息子であるアイゼルは無事だからだ。
慌てる必要はない。
おそらく、アイゼルが刺され、突き立てられた刃物を乱暴に引き抜きでもしたのだろう。
王宮付きの医師は、ミカエラの異能について承知している。
そこまではいいのだが、いつも処理が雑なのだ。
アイゼルも死なないし、ミカエラにしても命に関わるようなことはない。
だが、上手に処理しなければ他人の目に触れ、噂になる。
(もう少し、上手に処理してくだされば良いのに……)
そう思いはしても、それを王妃が口にすることはなかった。
自分は蚊帳の外なのだ。
その辺りのことは、男たちに任せておけばいい。
だが、噂になると少し厄介だ。
(面倒だわ……)
だからといって自分が動く必要もない。
王妃は紅茶を一口すすり、状況を見守ることにした。
この日の出来事は王妃が危惧する通り、噂となった。
噂の内容は、王太子が暗殺されかけた事でも、その犯人が令嬢だったことでもない。
『いきなり血が噴き出るなんて』
『あり得ないわ』
『呪われているのでは?』
『まともじゃない』
『そんな娘に、王妃が務まるのか?』
『昔から不気味だと思っていたのよ、あの子』
『今からでも婚約者を変えるべきでは?』
噂になったのはミカエラのことだ。
背中から突然、血が噴き出たことが、面白おかしく脚色されながら伝わっていった。
人々は皆、ミカエラを不気味に思った。
が、その程度の事で婚約者が変わらないことも知っている。
だからこそ尚更。
ミカエラが深く深く傷つくように面白おかしく、噂には尾ひれがついて伝わっていくのであった。