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10.レクター・ニールセン

(王太子は……アイゼルは……何を考えているのだろうか……)

 第一王子の幼馴染にしてミカエラの護衛騎士でもあるレクター・ニールセンは、今日も難問に悩まされていた。

 黒い短髪に凛々しい黒い瞳。
 二メートル近い高身長で、鍛え上げた体は鋼鉄のような筋肉をまとっている。
 浅黒い肌をしたレクターは、騎士でもあり戦士でもある。
 護衛騎士をしているのは、家柄が良いせいだ。

 ニールセン家は爵位こそ伯爵ではあるものの商家や神殿との繋がりも強く、力のある家門の一員である。
 次男であるレクターは家督を相続するわけでもないが、戦の前線に立つわけにはいかない。
 嫡男である長男に、まだ子供がいないためだ。
 完全に自由というわけにはいかない。
 護衛騎士という仕事には不満があるものの、騎士を辞めさせられて領地経営を手伝わされるよりはマシだと受け入れたのだ。
 世の中には妥協しなければいけない事もある。

 それは理解しているものの、アイゼルの態度とミカエラの置かれている状況には納得がいかない。

(今日の襲撃にしたって、そうだ。アイゼル自身は服の下に付けた保護衣のおかげで無事だったから良かったものの。ミカエラさまは、心配のあまり倒れてしまったそうではないか。なのに、アイゼルときたら見舞いにすら行かないで)

 襲撃された後、ほどなくアイゼルは意識を取り戻した。
 保護衣を付けていて傷は負わなかった、と、聞かされたし、彼に負傷した形跡はなかった。
 血は流さずに済んだものの、刺された衝撃は防ぐことが出来ずにアイゼルは気を失ったらしい。

(あんなに大袈裟に倒れた癖に。アイゼルときたら、ケロっとしてるんだもの。驚くよな)

 王太子は無事だったものの、その婚約者は倒れた。
 ミカエラが倒れたという知らせを受けても動じない幼馴染の冷徹さに、レクターは呆れた。
 しかも。
 執務に戻れる程度には回復したというのに、婚約者の所へは見舞いにすら行かなかったのだ。

(婚約者なんだから普通は見舞いくらい行くだろう? ましてや、自分が心配かけたせいなんだから、ちょっとくらい気を使えばいいのに。花くらい贈れよ)

 レクターは自分自身が逞しく丈夫であるだけに、日頃からミカエラのか弱さに庇護欲をそそられていた。
 そのせいなのか。
 アイゼルの彼女への仕打ちが、レクターには許せない。

(婚約者なのだから大事にしてあげるのは当然だろう? オレの感覚がおかしいわけじゃないよな? アイゼルを見てるとオレが間違っているのかと不安になるよ)
 
 ミカエラは、未来の王太子妃であり未来の王妃だ。
 普通のご令嬢とは比べ物にならない程のものを求められている。

(労わってあげるのが普通じゃないのか?)

 王妃教育は、ただでさえ負担が大きい。
 ミカエラは8歳から王宮に住み、礼儀作法や座学をみっちりと仕込まれている。
 家族と引き離されて見知らぬ大人の中で育つのは、小さな子供にとって過酷だ。
 爵位も伯爵家と高くはないし、力もさしてない家柄である。
 貴族たちからの風当たりも強い。

(婚約者であるアイゼルが、彼女を守ってあげるべきだろう? なのに、あいつはソレをしない。むしろ冷たく当たっているようにすら見えるんだ。昔はそうではなかったのに……お気に入りの令嬢は、ミカエラさまだったじゃないか)
 
 いつからだろう。
 ミカエラへの態度が冷たくなったのは。
 最近に至っては、綺麗な令嬢たちを侍らせて遊んでいる。
 
「あんなの、浮気をしているようなものだよな」
 
(そもそも遊んでいる時間など、王太子であるアイゼルには、無いハズなのに)

 王太子には王太子の仕事がある。
 休憩をとるな、とは言わない。
 でも、目につくほど遊び回る必要はないはずだ。
 最近ではミカエラが王太子の仕事を手伝っている。
 彼女に手伝える仕事は少ないとはいえ、国に関係する仕事なのだ。
 中身はともかく、気疲れするのは確かだろう。
 側で見ていれば分かるが、明らかに彼女は疲弊している。
 眠る時間も十分に取れていないのではないだろうか。

 王妃教育も山場を迎え、厳しいものになっていると聞く。
 終わるまでの時間、座っていればいいというものでもない。
 いま学んでおかなければ将来困ることばかりだろう。
 もちろん、どんな内容だとしても、彼女ひとりで抱え込む必要などない。
 彼女がするべきことは王太子の結婚相手に求められていることだ。
 婚約解消すれば全てから逃れることができる。
 無理に続けるような事でもない。
 命を捧げるような事でもないはずだ。

 なのに。
 ミカエラは、命を削っているように見える。

 あの年頃の娘が持つ煌きが、未来への期待といったものが、彼女からは感じられない。
 それだけ追い込まれているのだろう。

(オレがアイゼルの立場なら、彼女を守ってやるのに……)

 最近は特に思う。

(なのに、アイゼルの野郎ときたら……)

 女遊びが過ぎる。
 もちろん、実態がどの程度のものであるのかをレクターは知らない。
 彼はあくまでミカエラの護衛だ。
 アイゼルの側にいるわけではない。
 だが、彼に付いている護衛から話を聞くことはできる。

(他の女性と一緒にいるくらいなら、ミカエラさまの側に居てやれよ……)

 もともと細身だったミカエラだが、最近のやつれ方は酷い。
 骨と皮のようだ。
 年頃の娘らしいふくよかさはまるでない。
 貴族が細身女性を好むといっても、あそこまで細くては逆効果だろう。
 せっかくの黒髪には艶がなくなっているし、目の下のクマも酷い。
 今にも倒れてしまいそうなのに、皆、見ないふりでもしているようだ。
 結果としてミカエラは通常通り動いている。

(あれでは。いつか本当に倒れてしまう)

 そう思っているのは、レクターだけではないだろう。
 問題は、やつれているミカエラを見て、庇護欲がそそられる者ばかりではないことだ。

『なんて見苦しい』
『伯爵令嬢ごときが王太子の婚約者なんて身の程知らずの立場になるからよ』
『細い方が素敵といっても、程があるわよね』
『何か悪い病気でも持っているのでは?』
『早く婚約を解消されたらいいのに』

 口さがない貴族たちのなかには、早く死んでしまえばいいのに、とまで言う者までいる。

 貴族とは、そういうものであると割り切ってしまえばよいことではあるが。
 それならそれで、彼女を守る者が必要だ。
 その立場であるアイゼルが、他の貴族たちと同じように彼女を傷付けているのが、レクターには我慢ならなかった。

(貴族の令嬢方も令嬢方だ。王妃はミカエラさまだが、側室にはなれると思っているのか。それともミカエラさまに代わって王妃の座を狙っているのか。皆してアイゼルに群がって……特にポワゾン伯爵令嬢であるレイチェルさまは酷い。いくらイエガー・ポワゾン伯爵令息が、オレたちと幼馴染だといっても……相手には婚約者がいるんだぞ)

 レクターは、そんな姉を止めないイエガーにも怒っていた。

(姉であるレイチェルさまを止めないイエガーもイエガーだ。幼馴染だからって許せない。いつかぶん殴ってやろうか……)

 レクターは口にするわけにはいかないアレコレを心の中で呟きながら、護衛を交代するためにミカエラの部屋へと向かった。

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