自分の気持ち
信じられない。
流川は一体どういうつもりなんだろうか。
あれは告白?本当に私のことが好きなの?
でも、流川は冗談とか言うタイプの人間でもないし、本気ってことなんだろうか……?
いやいや、ありえないでしょ。流川が……ってでもキスしちゃったし!?
キスをしてしまったことで妙に意識してしまう私とは対照的に流川はなんてことなく業務をこなしている。
これがアイツと私の経験の差なんだろうか。
悶々とした気持ちが募っていくのに気付かないふりをして私は業務に集中するようにつとめた。
「お先に失礼します」
業務が終わり時計の針を確認すると18時を指していた。
周りの人に挨拶をして意気揚々と立ち上がりフロアを後にする。
外回りに出ているのか流川の姿がない。ホッと胸を撫で下ろす。
って、なんで私がこんな気持ちにならないといけないの!?
ブンブンっと頭の中に沸き上がってくる流川とのキスシーンを振り払って会社を出ると、私は真っ直ぐ猫塚くんのいるコンビニを目指した。
「あっ」
猫塚くんのいるコンビニの近くまでやってきて気付いた。
何やら店の外で数人の男と店員らしき人間が揉み合っている。
「な、なに……?ケンカ……?」
恐る恐る近付いていくと、男に囲まれていたのはホウキを持った猫塚くんだった。
掃除中に絡まれたようだ。
「テメェ、こないだはよくも偉そうな口叩いてくれたなぁ?あぁ?」
猫塚くんを威嚇していたのはこの間私に絡んできた金髪メッシュ男だった。
ね、猫塚くんが危ない――!!
「ねこづ――」
「だから?そうやって大声出して威嚇されても何も怖くないんだけど?仲間連れてこないと勝てないわけ?」
低い声で言い返した猫塚くん。その迫力に私はその場にピタリと立ち止まる。
「文句あるなら仕事終わった後にしてくれない?」
あ、あれ?猫塚くん……ちょっと怖い?
「ハァ!?なめてんのか、こら!!」
「テメェ!ふざけんなよ!!」
男たちが一斉にいきり立つ。
猫塚くんが危ない――!!
衝動的に駆け出して「やめて!!」と叫んだとき、男の一人が猫塚くんに拳を振るった。
「猫塚くん!!危ない!!」
咄嗟に私は猫塚くんの前に立ちふさがった。男の拳が私の頬をかすった。
男がハッとした表情を浮かべた。
本気で殴る気はなかったのだと瞬時に悟る。
私は恐怖でその場にヘナヘナと座り込んだ。
「――佐山さん!!佐山さん、大丈夫ですか!?」
猫塚くんが私の体を支えてくれた。
「きゅ、急に出てきたアンタが悪いんだからな!?行くぞ!!」
男たちが一目散に逃げていく。
ああ、よかった。猫塚くんは無事だった。
「猫塚くん、大丈夫?」
猫塚くんの顔を覗き込むと、彼は今にも泣きだしてしまいそうな表情を浮かべていた。
「全然大丈夫じゃないです……!」
猫塚くんは少し怒気を含んだかすれた声で言った。
「ごめんね。家まで送ってもらっちゃって」
騒ぎの後、事情を知ったコンビニの店長の計らいで猫塚くんはバイトを早退して私を家まで送って行ってくれることになった。
警察に通報するかと問われたけれど、私は首を横に振った。
大事になるのも困るし、ケガというケガもしていない。
男が猫塚くんを威嚇する為に拳を振るったものの、私が飛び出していったために当たってしまったのだろう。
といっても、ほんの少し顔をかすめたというだけ。ぶつかった部分には傷一つない。
アパートの階段を上がり、部屋の前に到着した。
猫塚くんはその間一言も言葉を発しようとはしなかった。
「ちょっと散らかってるけど、上がっていって。お茶ぐらいならあるから」
このままここで猫塚くんを帰すのははばかられた。
さっきからずっと暗い表情を浮かべている猫塚くんも気になる。
「……おじゃまします」
「適当に座って?今、お茶用意するね」
フローリングの床の上に座った猫塚くんはどこか心ここにあらず状態で声をかけるのもためらうぐらいの落ち込みようだった。
「よかったら、どうぞ」
「ありがとうございます」
アイスティーを運ぶと猫塚くんが小さく頭を下げた。
私はテーブル越しに猫塚くんと向かい合う。
こういう時、何を言ったらいいのか分からない。
「あの……猫塚くん……」
「――もう二度としないでください」
「え?」
「あんな危ないこと、絶対にしないで」
「さっきのこと……?」
「もし、佐山さんがケガしてたらって考えたら怖くて……」
「猫塚くん……」
顔を歪めている彼に私は「ごめんね」と謝った。
「前も言われてたのに軽率だったね。でも、猫塚くんを守らなくちゃって思ってついとっさに……」
「年下だけど、俺は男です。俺は佐山さんに守られなくても大丈夫だから」
「そうなんだけど……」
「そんなに俺って頼りない?」
猫塚くんはそう言うと、スッと立ち上がって私の前に腰を下ろした。
「佐山さんは俺のこと可愛い弟ぐらいにしか思ってないんだろうけど、俺は違うからね。俺が佐山さんのこと可愛がりたいと思ってる」
「猫塚く……」
「佐山さんは本当の俺を知らない」
「本当の猫塚くん……?」
「ずっと、我慢してた。佐山さんが好む俺を演じてた」
猫塚くんは床に膝をついて私の肩を優しく押した。フローリングの床に押し倒された私は猫塚くんを見上げる。
「佐山さんにだけは子供だって思われたくない。俺のこと、どうしたら男だって意識してくれる?」
「それは……」
猫塚くん。それは誤解だよ。
私は君を意識せずにはいられない。
だって、今私の心臓は信じられないぐらいに暴れまわっているし、この状況にクラクラきているんだから。
ごめんね、猫塚くん。
猫塚くんは可愛いだけじゃなかったんだね。
「確かに猫塚くんのこと可愛いとは思ってたよ。だけどね、子供だなんて思ったことはないよ」
小動物みたいだって思ったことはあるけど。
「え……?」
「だって、こんなに体の大きな子供がいるわけないもん。私よりもずっと大きいし、声だって低いし。喉仏もある。こんな子供いない」
「佐山さん……」
そっと彼の頬に手を伸ばす。シュッとしていて張りが合ってすべすべで無駄なお肉がない頬が私とは全然違う。
「ごめんね。私が悪かったよ。だから、そんな辛そうな顔しないで?」
「じゃあ、もう二度と危険なことしないって約束してくれる?」
「するよ。もうしない」
何だろうこの気持ちは。猫塚くんが愛おしい。こんな感情、生まれて初めて抱いたような気がする。
「佐山さん、押し倒したりしてごめん」
猫塚くんが私の手首を掴んで優しく起こしてくれた。
「いいよ。でも、その代りひとつお願いがあるの」
「うん?」
「ギュってしてくれないかな?今よくよく考えると、やっぱりちょっと怖かったみたいで」
男の拳がクリーンヒットしたら私は一体どうなっていたんだろう。
突っ走ってしまったけど今考えると本当に危険な行為だった。
今さらながらその恐怖心が沸き上がって手が小刻みに震えてきた。
「佐山さん……」
私の手の震えに気が付いた猫塚くんはそっと私の背中に腕を回した。
ギュっと抱きしめられると、彼の体温に包まれているみたいで心地いい。
やっぱり猫塚くんは子供なんかじゃない。だって、私の体をこうやってすっぽり覆ってしまうぐらい大きいから。
「ごめんね、猫塚くん……」
彼の背中にぎゅっと腕を回すと、彼は左手で私の頭を優しく撫でてくれる。
こんな風に優しく抱きしめられたことなんて今まであった……?
猫塚くんの手のひらはとても温かくて頭を撫でられるだけで溶けてしまいそうなほど幸せな気持ちになる。
「好きだよ、佐山さん」
一度体を離して至近距離で真っすぐ私の目を見つめると猫塚くんはハッキリとした口調で言った。
その目がビックリするほど優しくてただ私は猫塚くんに見惚れてしまう。
「佐山さんは俺のことどう思ってる?」
少し乱れた私の前髪を指でかき分けながら猫塚くんが尋ねる。
「好きだよ」
自分の口から洩れた言葉に自分自身が驚いていた。
私は猫塚くんが好きだ。セーブしようとしても考えないようにしても心が勝手に突き動かされる。
もしかしたら出会った瞬間から猫塚くんに恋に落ちていたのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
人を好きになるのに理屈なんていらない。
いつから彼が好きだったのかなんて説明のしようがない。
彼のことを「可愛い」だなんて言って自分の気持ちから目を反らしていた私だけど、いつの間にか心はもう隠すことができないぐらい彼で一杯になっていた。
ただ、その第一歩を踏み出すのが怖かっただけ。
彼と付き合うことで私のポンコツぶりに気付かれたくなかった。
そのときに猫塚くんの知っている【佐山玲菜】が幻滅されるのが嫌だったのだ。
「え。今、なんて?」
「私も好きなの。猫塚くんが」
「それ、どういう好きですか?」
「そんなの一つしかないよ」
「え?」
きょとんっとしている彼に私は微笑んで彼の唇にキスをした。
ほんの一瞬だけのキス。これで私の気持ちは伝わったことだろう。
私にしては上出来だ。
「好きだよ、猫塚くん」
もう一度彼に気持ちを伝えると、彼はぎゅっと私の体を抱きしめた。
私の肩にあごをのせる彼。
「マジで?」
「マジだよ」
「佐山さんが、俺の彼女?」
「そう。私が猫塚くんの彼女で、猫塚くんが私の彼氏」
「じゃあさ」
「うん?」
「彼氏彼女だったら、遠慮しなくていいんだよね?」
猫塚くんはそう言うと、そっと私の頬に手をあてて少しずつ唇を寄せていく。
柔らかくて温かい猫塚くんの唇が私の唇に触れる。
「んっ……」
こういう時の猫塚くんはとても年下だとは思えない。
猫じゃなくてライオンみたいに獰猛だ。
彼の舌が歯の間からおずおずと入ってくる。
私は自分の舌でそれを迎える。
こういうキスぐらいしたことはあったけど、猫塚くんのそれは今までの男とは比べ物にならなかった。
だんだん激しく絡み合って息も絶え絶えになる。
彼に刺激されるたびに下半身がうずくような不思議な感覚になる。
「猫塚……く……」
思わず唇を離すと吐息がハァと漏れた。脳天がとろけてしまいそうなほど甘いディープキスになんだか腰が砕けてしまいそうだった。
「ヤバい、可愛い」
猫塚くんはたまらないという表情で私の体をギュッと抱きしめる。
猫塚くんのストレートな言葉が心に温かく染み渡る。
「好き」という感情を全身でぶつけてくる猫塚くんが愛おしくてたまらない。
「もう一回、キスしていい?」
「うん……」
猫塚くんの言葉に私は小さく頷くのが精いっぱいだった。
私たちはこの日、互いの気持ちをぶつけ合うように何度も唇を重ね合わせた。