意外な告白
「はっ!?なにそれ!!信じられないぐらいの急展開なんだけど!ていうか、金曜日に流川に家まで送ってもらったとか……!そっちも驚き!」
週明けの月曜日のランチ中、私は土曜日の出来事を京子に話した。
京子の興奮ぶりは思った以上だった。
「あの日、流川ってば珍しく残業してたんだよね」
「ふぅん……。玲菜のこと待ってたんじゃないの?」
「まさか!それはないよ。ただ、コンビニで意識失って家まで送ってもらってあれこれしてもらったことには本当に感謝してるけどね」
「あの流川がねぇ……。でも、流川と玲菜って相性良さそうに見えるけどね?」
「え。どこが!?」
「なんか似てんのよ、アンタ達。二人とも仕事人間だし、モテるのに恋人がいないところなんかもそっくり」
「流川は確かにモテるけど、私は違うでしょ。大学卒業してから彼氏いないし」
周りの子はみんな『彼氏なんてすぐできるじゃん』とか言っていたけど、その言葉の意味がさっぱり分からない。
彼氏なんてそんな簡単にできるわけがない。少なくとも私には。
「で、猫塚くんに返事はしたの?」
キンキンに冷えたアイスコーヒーを飲んだあと、私は首を横に振った。
「まだ。でも、断る以外の選択肢ってないと思うの」
「なんでよ!」
「だって、猫塚くんはまだ大学生だしこれから先就職すればもっとたくさんの女性と出会えるわけでしょ。私なんかと付き合ってその機会を潰すのはもったいないと思う」
「それを決めるのはアンタじゃないじゃん。猫塚くんはそんなこと分かっててアンタに告ったんじゃないの?」
「うーん。そうなのかなぁ……。今の猫塚くんの年ごろってさ結構突っ走っちゃうことない?二十歳越えてるけどまだどっか子供の部分もある何とも言えない微妙な時期っていうのかなぁ。私、あの頃そんな感じだったから」
「全員が全員、玲菜みたいなわけじゃないでしょ」
「そうなんだけどさ……」
だから、サークルの男友達に告白されて軽い気持ちで付き合った結果、Hも出来ずに捨てられたっていうほろ苦い過去があるわけで。
あの頃はなんだってできるっていう変な自信みたいなものがあったけど、今は違う。
もう27歳だし、社会人としてそれなりに考えるべきことも多い。
地に足をつけて生きて行かなければいけないし、理想と現実ってものを痛いほどに突きつけられた。
その点、猫塚くんは私と違ってまだ若いし将来もある。
猫塚くんはとっても可愛いしすごくいい子だ。
だからこそ、猫塚くんとの付き合いには慎重にならなければいけない。
それに……。彼と付き合うならば自分の過去と向き合い、彼とも向き合わなければならない。
まだ私にその勇気はない。そして、彼にHができないと打ち明ける勇気が……私にはまだない。
それになにより、私は猫塚くんには知られたくないのだ。
『俺の目からだけじゃなくて他の男から見ても佐山さんは魅力的だと思いますよ。ていうより、魅力の塊でしょ。可愛いし、スタイルいいし、優しいし。完璧じゃないですか』
そう言ってくれる猫塚くんをガッカリさせたくない。
彼の理想のままの私でい続けたい。
『お前って欠陥品だな』
ベッドの上で吐かれた元カレからの言葉を思い出しそうになり、私は慌てて苦い記憶に蓋をした。
「あたしは猫塚くん、話聞く分には良い子だと思うけどね?」
「京子ってばずいぶん猫塚くんのこと押すんだね?なんか珍しい」
「だって、あたしこないだアンタの口から猫塚くんの話が出たことにホント驚いたんだから。出会ってから玲菜の口から男の『お』の字も出たことなかったのに猫塚くんのことを話すときは心底楽しそうだったから」
「そういえばそうだったかもね」
ここ最近、私の頭の中は猫塚くんと仕事がほぼすべてを占めていた。
「正直な話だけどさ、猫塚くんは男としてどうなの?ありなの?なしなの?」
京子が改まった様子で問いかけた。
私は椅子に座り直してまっすぐ京子を見つめる。
「もちろん、ありだよ。異性としての魅力もあるし、付き合う相手と考えたら申し分ない」
年下だけど彼は包容力もあって優しいし、私に対しての仕事の理解もある。
今後社会人になったらさらに話も合うだろうし、6歳差なんて気にならなくなるだろう。
だけど――。
「私、怖いの。できなくて猫塚くんに嫌われちゃうのが。それに、重たいよ。27歳にもなって処女なんだもん」
なんだか自分で言ったものの一気にテンションが下がっていく。ハァとため息をつくと京子がふんっと鼻で笑った。
「あのねぇ、別に27歳まで処女じゃダメなんて決まりある!?あたしが男だったら、自分が初めての男になれるなんてわかったら嬉しすぎると思うけど。好きな子だったらなおさらでしょ。重いなんて思うわけない。逆に経験人数メチャクチャ多いですって女の方が嫌だよ」
「そうなのかなぁ……。でも、いざって時にうまくいかなくて幻滅されたらってことを考えるとやっぱり躊躇しちゃうよ……」
「そんなの女の方だけの問題じゃないでしょ!男が下手くそだっていう証拠だもん。今までの男たちがろくでもなかっただけでそれを猫塚くんも同じだと考えるのはさすがに可哀想だって」
確かに京子の言う通りだ。私は猫塚くんに告白されて嬉しい反面、嫌われることを恐れていた。
完璧じゃない部分を見られて幻滅されたら嫌だという気持ちばかりが先走ってしまっていた。
……自分のことばっかり考えてちゃダメだ。
「猫塚くんのこと、ちゃんと考えてあげなよ。年とか彼の未来とかそんなの関係なく今の猫塚くんのこと見てあげなって」
「……そうだね。もっとちゃんと考えてみるね。京子、ありがとう」
「うん。素直でよろしい。仕事はできるのに、恋愛下手とかなんか一周回ってアンタのこと愛おしく感じるよ」
京子がガシガシっと私の頭を撫でる。
京子に話してみてよかった。私はしっかり猫塚くんとの未来を考えることに決めた。
【お疲れ様です。今日は何時からバイトでしょうか?】
休み時間、私は社内の休憩スペースで猫塚くんにラインを送るべく格闘していた。
こんな短い文章にも関わらず物凄い労力を使ったものの、なんだか業務的になってしまった。
普通は【お疲れ~!今日何時からバイト??】とか砕けた言い方をしてスタンプを送ったりするんだろうなぁ。
京子のアドバイスを受け、私はきちんと猫塚くんと向かい合うことに決めた。
まずはもっと彼のことを知りたい。そのためには彼を避けるのは得策ではない。
今まで通りコンビニに通い、彼と言葉を交わして自分自身の正直な気持ちを確かめようと考えた。
「送信……!!」
一度深呼吸してからラインを送信しおえたとき、進藤綾の姿を視界にとらえた。
「えぇ~、この香水欲しかったんですぅう~!いいんですかぁ?」
年上の既婚男性社員と何やら楽しそうに言葉を交わしながらこちらに向かって歩み寄ってくる彼女。
かたや、その彼女に鼻の下を限界まで伸ばしている上野さん。
「もちろんだよ!綾ちゃんの為に買ってきたんだから。明日からつけてきてね?」
小さな紙袋を胸に抱きしめてキャッキャっとはしゃぐ彼女を冷めた目で見つめる。
「えー、だってこれ上野さんが綾のことを考えて買ってきてくれたんでしょ~?そんなのもったいなくてつけられないですよぉ!」
上野さん!!それ、絶対フリマアプリで売られちゃいますよ!!
『歴代彼氏のプレゼント全部売ったらすごい金額になった!!』って彼女前に自慢していましたよ!!
「そんな可愛いこと言わないで。また欲しい物あったら言ってよ?プレゼントしてあげるから」
「嬉しい!大好き、上野さん!!」
ああ、何なんだこの二人は。まったくどうしようもない人たちだ。
心の中で盛大な溜息をつくと、「あっ、佐山さぁーん!見てみて~!これね、上野さんにもらったの」と彼女が私の顔の前に紙袋をかざした。
「うん。さっき聞こえた」
「これね、人気でなかなか買えないの。それに、すごく高いんだよ?ねぇ、知ってた?」
「香水とか普段つけないし、知らない」
「そうなの?佐山さんってホント女っ気ないよねぇ?美人なのに女子力がないなんてホントもったいないなぁ」
「余計なお世話です」
こめかみがぴくぴくと痙攣する。
わざとらしい彼女の言い方に腹が立つ。だけど、この女にではなく私はその隣で得意げに胸を張っている上野さんに苛立っていた。
「上野さん、梅原さん元気ですか?まだお子さん生まれて間もないし、大変ですよね?」
旧姓だが梅原は私の後輩だ。上野さんと職場結婚し、去年産休に入り今も育児休暇を取得して休んでいる。
産後うつになり体調が思わしくない日々が続いている彼女からはちょこちょこラインが来て様々な相談をされていた。
その一つがこれ。進藤綾と上野さんの関係についてだ。
「あー……、まあそこそこね。ただ、家に帰ってもすっぴんで女捨てちゃってるからね。奥さんにはずっと可愛くいて欲しいって気持ちが男にはあるんだよね。だから、正直不満はあるよ」
……ん?なんだって?聞き捨てならないセリフにこめかみが震える。
「え~!!梅原さんってば毎日すっぴんなんですか~!?信じられない!!それじゃ上野さん可哀想……」
「そうでしょ?仕事もしてないし一日中家にいて暇してるんだからメイクぐらいちゃんとしてほしいよね?ダメな嫁で困るよ」
「そうですよぉ~!あたしなら毎日ばっちりメイクしますよ~!」
「さすが綾ちゃん!」
私がいることを忘れているらしい二人は時折ボディタッチを交えて楽しそうに言葉を交わしている。
「上野さん、ちょっといいですか。一日中暇してるってどういう意味です?梅原さんは24時間育児してますよね?何を言ってるんですか?」
「……え!?」
「彼女はダメな人間なんかじゃありません。仕事もできるし有能でしたよ。優先順位を決めてきちんと仕事をしていました。彼女は育児だって頑張っているはずです」
「だ、だからなに?何が言いたいわけ?」
上野さんの顔が引きつっている。私はハッキリと彼の目を見て言った。
「梅原さんがすっぴんなのは彼女の中での優先順位が家の中でばっちりメイクして着飾って女でいることではなく、母親として育児をすることだからではないですか?言わせてもらいますけど、上野さんのやってることは何なんですか?独身の進藤さんと社内でいちゃついてプレゼントまで渡して。彼女にそんなものを渡すなら子供におもちゃでも買ってあげたらどうです?奥さんにお疲れ様ってねぎらいの言葉をかけて何か美味しい物でも買っていってあげたらいいんじゃないですか?違いますか?」
「な……!!」
綾の前で恥をかかされたと思ったんだろう。上野さんの顔が怒りで真っ赤になる。
「な、なんでそんなことを君に言われないといけないんだ!!ほっといてくれ!!」
「放っておきたいですよ、私だって。でも、梅原さんは私の大切な後輩なので酷い言い方をされたら黙っていられません」
「くっ!!可愛げのない女だな……!!だから、彼氏の一人もできないだろう!!知ってるか!?お前が裏でなんて言われてるか!!」
「知りませんけど」
「女鉄仮面って呼ばれてるんだぞ!!仕事は出来てもお前みたいな可愛げのない女には何の魅力も感じないんだよ!!」
なにそれ。女鉄仮面?
「ちょっ、上野さん!本人の前でそれ言っちゃダメですよぉ~!」
進藤さんが私の気持ちを逆なでるような目で見つめる。
なにそれ……。目の間で言わなくなっていいじゃない。私にだって心があるんだから。
なんなのよ。なんなのよ――。
「それになぁ、お前は――」
「――上野さん」
上野さんの言葉を遮るように現れたのは流川だった。
流川は上野さんのもとへ歩み寄ると、書類の束を差し出した。
「これ、担当って上野さんですよね?見積書の金額、桁一つ間違ってます」
「え!?どれ……?あっ、なんでだ……。まさか……。チェックしたと思うんだけどなぁ……」
困ったように言う上野さんに流川は表情一つ変えずに言い返した。
「チェックしたとしても間違ってるんだからもう一度よく確認してください」
「あ、ああ、もちろん!いやぁ、なんでだ……」
上野さんは必死に言い訳をしながら去っていく。その後ろ姿を私は呆れながら見つめた。
「あっ、流川君。お疲れ様ですぅ~!」
流川が大のお気に入りの進藤さんが流川の隣に歩み寄り猫なで声を出す。
「これ、上野さんにもらっちゃったの」
「へぇ。だから?」
「あたし、こういう風に男性に言い寄られること多くて。少し困るって言うかぁ~」
白目をむきそうになる。彼女はきっと流川にヤキモチを妬いてほしいんだろう。
他の男からプレゼントをもらって困るモテる女子を演じたいという彼女の魂胆が丸見えで吐き気すら催しそうになる。
「男に隙を見せるから言い寄られるんだろ。簡単に落とせると思われてるんだよ。困るならその気持ちの悪い声辞めれば?」
「えっ……」
「あと、さっき係長が呼んでた」
「係長が……?何の用かな?」
流川の言葉に彼女は目を輝かせる。係長もまたお気に入りの男性社員だった。
「さあ?会議室にいるって」
「そうなの!?じゃあ、あたしはこれで。流川君、またね!!」
キラキラと眩しいほどの笑顔を浮かべて流川にだけ手を振って去っていく露骨な彼女に私は苦笑いを浮かべた。
休憩所に私と流川二人っきりになる。そういえば、この間のことちゃんとお礼を言っていなかった。
「流川、この間は本当に色々ごめんね。それと、ありがとう」
「別に。もう体調は大丈夫なのか?」
「うん。もうばっちり!流川が買ってきてくれた食べ物も全部食べたし、睡眠もたっぷりとったし。本当に感謝しかないです!!」
「そっか。よかったな」
自動販売機でコーヒーを二本買うと、流川は一本を私に手渡した。
「ありがとう。ねぇ、流川。さっきの聞こえた?」
「さっきのって女鉄仮面ってやつか?」
「やっぱ聞こえてたんだね」
サラッと口にした流川に私は苦笑いを浮かべた。
「さすがにあれは酷いよねぇー。さっきのはさすがに傷付くかも」
確かに男性にとって可愛いのは進藤さんのような女で私のような女ではないとは分かっていても、面と向かって女鉄仮面なんて言われるとさすがに堪える。
ハァと小さく溜息をつくと、流川がふっと笑った。
「ちょっ、今笑った!?」
「いや、お前も落ち込むこととかあるんだなって思って」
「いやいや!そりゃあるでしょ!!アンタも私を一体何だと思ってんのよ!!」
「あんな奴らには勝手に言わせとけ。お前の良さに気付かない男なんてその程度だってことだろ」
「……ん?」
「なんだよ」
隣に座る流川をまじまじと見つめる。
えっ、なんか今の言い方って……。
「流川は私の良さを知ってんの?」
思わず聞かずにはいられなくて。私の言葉に流川はフンっと鼻で笑った。
「調子に乗ってんなよ、バーカ」
「いいじゃん!!私だってたまには誰かに褒めてもらいたいよ……!!それに、甘やかされたい!!」
「甘やかされ……?」
流川が不思議そうな顔をしたとき、手元のスマホがブルブルと震えた。
「ね、猫塚くんだ……!!!」
【猫塚くん:今日は19時からです。佐山さんに会いたいです】
彼のメッセージに心臓がドクンっと震えた。
【会いたい】
そんな四文字に彼の気持ちがこもっているような気がしたから。
どうして彼はこんなにも真っすぐなんだろう。打算とか駆け引きとかせずにストレートに感情をぶつけられてくらくらする。
なんて返そうか。
私も会いたい、なんて言ったらさすがに思わせぶりだ。
【今日も夕飯を買いに行きます。よろしくお願いします】
なんだか指先が震える。スマホを通して猫塚くんと繋がっていると考えるだけでなんだか気持ちが浮ついてしまう。
【猫塚くん:待ってます】
メッセージの後に可愛らしいスタンプを送ってきた猫塚くんに私もスタンプを送り返す。
なんだか学生時代に戻ったみたい。彼からのメッセージに私は心をときめかせて一喜一憂してしまっている。
「ずいぶん嬉しそうだな?」
「あ、分かる?今、猫塚くんとラインしてて」
ふふっと笑みを浮かべながら答えると、流川は眉間にしわを寄せた。
「この前のコンビニの?お前らって連絡先交換し合う仲なのか?」
「実は土曜日に偶然会って一緒にランチしたんだよね。そのときに連絡先交換したの」
そのあと……私は猫塚くんに告白されて……キスまでしちゃったんだ……。
そのことを思い出しただけで急に体が熱くなってきてしまった。
「な、なんか今日暑くない?」
手のひらで自分の顔をパタパタと仰ぐ。
「お前、アイツとなんかあっただろ?」
突然手首を掴まれた。流川は私の顔を覗き込んでメガネの下の目を細める。
「え、べ、別に!?」
「お前ほどわかりやすい女いないから」
「そ、そう!?」
「で、何された?告られた?それとも、キスでもされた?」
「な、な、な!?」
「その反応、どっちもってことか」
話したわけでもないのにまさかの大正解を叩きだした流川に驚いていると、流川が冷めた目で私を見つめた。
「あのな、一つ忠告しておいてやるよ。あのぐらいの年の男はな、ヤリたくてしょうがないんだよ。そこそこの女とならうまく口説いてヤろうとする。騙されんなよ?」
「な……!!猫塚くんはそんなんじゃない!!!」
ずっと心の中で引っかかっていたことを流川に言われたことで私は引っ込みがつかなくなってしまった。
確かに猫塚くんが私のような年上の女を好いてくれる理由が見つからない。
だとしたら、やっぱりそれは私の体が目的だということで……。
ううん!!でも、違う。猫塚くんはそんな男じゃない!!
「猫塚くんのこと悪く言わないでよ!猫塚くんは――」
「――猫塚猫塚ってうるせーな」
それは唐突に訪れた。唇に触れた柔らかなぬくもりと同時にフワリと鼻に届いた嗅いだことのある甘い香り。
それが流川の匂いだって気が付いた時には、彼の唇は私から離れていた。
「なんで?」
「俺もお前のことが好きだから」
「へ?」
「じゃあな」
スッと立ち上がった流川の背中を目で追う。
今……流川……キスした?
指先で唇に触れると、まだその温もりが残っている気がする。
えっ、えっ、えっ。な、なんで!?
「なんなのよーー!!アイツーーー!!」
私は誰もいない休憩室で頭を抱えて悶絶した。