これってデート?
ラッキーなことに開店と同時に美容院の予約が取れ、同じサロンでマツエクもつけることができた。
昼過ぎにサロンを出ると、太陽の眩しい光が顔面に降り注ぐ。
「さてと。今日は何しようかなぁ」
予定は済ませてしまったし、お昼にしようか。
どこかのお洒落なカフェでランチをするのもいいかもしれない。たまには少し贅沢してもいいかもしれない。
駅前の方へ向かい空いていそうなお店を探して入ることに決めて歩き出す。
それにしても。土曜日の昼下がりに一人で歩く女性は少ない。恋人同士や家族連れが目立つ。
いいなぁ。いつかは私も……。
大好きな旦那さんと子供と3人で手を繋いで歩くなんてどれほど幸せなことだろう。
羨ましく思いながらも私は心の中でブンブンと顔を横に振る。
いやいや、無理でしょう。
子供なんて望めない。だって私はセックスができないんだから。
「――佐山さん!!」
突然目の前で声がして顔を持ち上げる。
「えっ!?猫塚くん……!」
前方から歩いてきた猫塚くんと目が合う。彼は私の前まで歩み寄った。
「佐山さん、昨日大丈夫でしたか?ちゃんと家に帰れましたか?俺、すごい心配で。でも連絡したくても佐山さんの連絡先も知らないし。それで――!!」
「猫塚くん!!落ち着いて!!」
「あっ、すみません。つい……」
困ったような表情の猫塚くんに私は微笑みながら首を横に振った。
「ううん。昨日は猫塚くんにも色々迷惑かけちゃったよね。本当にごめんね?」
「いえ、俺は全然。それより、体調は大丈夫なんですか?」
「うん。ちょっと寝不足だったみたい。最近仕事が立て込んでて。でも、ゆっくり寝たからもう全然平気。昔から熱出しても翌日にはケロッとしてるタイプの人間だから。心配してくれてありがとう」
「それならよかった……。佐山さんこれからお出かけですか?」
「ううん。これから一人寂しくランチに行くところ」
「じゃあ、ご一緒してもいいですか?」
「もちろんだよ!!」
私は大きく頷いた。猫塚くんとランチなんて最高すぎる!!
「ん?……って、えっ!?ランチ!?私と猫塚くんが!?」
思わず声を上げると、猫塚くんがにっこり笑った。
「佐山さんにおススメしたいお店があるんです。行きましょう」
「えっ、えっ、猫塚くん……!?」
猫塚くんは動揺する私なんてお構いなしに歩き出す。
そして数歩進んでから振り返ると、満面の笑みを浮かべて手招く。
「佐山さん、こっちこっち」
ああ、ダメだよ。それは反則。
その笑顔はもうそれはそれは可愛くて私の心臓は爆発しそうなほど高鳴っていた。
「なにこれ。すっごく美味しい!!」
鉄板に乗って運ばれてきた熱々の黒毛和牛100%のデミグラスハンバーグを口に運ぶと思わず顔がほころんだ。
今までの人生で一番美味しいと断言できるほどの美味しさ。口の中が肉汁でいっぱいになる。
困った。これはご飯が何杯あっても足りないやつだ。
「このお店、意外と穴場なんです」
路地裏にあるロッジ調のこじんまりとした店内は席数も少なくゆったりと食事が楽しめる。
こんなお店を大学生が知っているなんてすごい。
最近の若者はこんなおしゃれで可愛くないお値段のお店にランチにくるんだなと感心していると猫塚くんが柔らかく笑った。
「ソース、ついてますよ?」
スッと前から伸びてきた猫塚くんの手の中にあるナプキンで口元を拭われる。
「あっ、ありがとう。なんか年上なのに私ってばだらしないね!」
ハハッと何気なく笑ったものの心臓はバクバクだった。
こんな風に仕事以外で男の人と二人っきりで食事をするのは大学生以来だった。
これって周りの人から見るとデートってやつに見えるのかな……?
や、やだ!なんか意識した途端、柄にもなく緊張してきてしまった。
「佐山さん、可愛い」
「いや!もう可愛いとかそういう年じゃないよ!!でもありがと!嬉しい!」
落ち着け、私。さっき猫塚くんに『落ち着いて』なんて言ったくせに今度は100%立場が逆転している。
猫塚くんの言動に特に意味はないと分かっているけれど予想外の彼の行動にいちいち反応してしまう。
だって、なんだか今日の猫塚くんはいつもと違う。もちろんバイトの時とは格好だって違う。だけど、昨日会った時ともまたなんだか雰囲気が違う気がする。
「猫塚くん、もしかして髪の毛切った?」
「あっ、わかります?さっき美容院に行ってて」
「偶然だね。私もさっき美容院に行ったんだ」
「やっぱり。佐山さんも髪の色変わりましたよね。今回も可愛いです。まつ毛もなんか違う気がする」
か、可愛い?私は心の中で聞き返す。多分、その言葉は猫塚くんの為だけのはずなんだけど。
「マツエクつけたの」
「そうなんですね。でも佐山さん、これ以上可愛くならないでください」
「うん?」
思わず首を傾げると、猫塚くんは私の目をまっすぐ見つめた。
「ライバル、これ以上多くなったら嫌だから」
言い終わると猫塚くんは何事もなかったかのようにフォークでハンバーグを口に運ぶ。
私はというと、動揺してフォークとナイフを異常なぐらいきつく握り締めた。
な、な、なに!?今の発言は一体なに!?ちょっとそんなこと言われたら勘違いしそうになっちゃう。
猫塚くんって私のこと好き、とか?いやいやいや、まさかそれはない。
だって彼は6歳も年下の大学生だし、ましてや容姿も端麗。話だってうまい。
そんな彼が私なんて好きになる理由が見当たらない。
やだわ。恋愛から遠ざかりすぎていたせいで、変な勘違いをしてしまうようになってしまった。
自意識過剰な自分をぶん殴ってやりたい。
私はグラスの水を一度口に含んで気持ちを落ち着かせた後、猫塚くんに問いかけた。
このままじゃ猫塚くんのペースだ。
「そういえば猫塚くんって今4年生だよね?就活とかの時期?」
今は6月。内定が決まっている学生もいるはずだ。
「俺はもう内定もらってます」
「えっ!?そうなんだ!!すごいね!!」
「いえいえ」
猫塚くんは謙遜しているけど、彼の通っている大学はこの辺りでは一番頭のいい国立大だ。
きっといい会社に就職が決まっているに違いない。
『どこの会社?』という言葉が喉まででかかったけど、必死に飲みこむ。
彼のプライベートにそこまで踏み込んではいけない。彼だって聞かれたら答えなくてはいけないし困るだろう。
「じゃあ、もうあんまり大学に行かないの?」
「卒論とゼミがあるのでまだ少しは行きます。でも、頻度は多くないですね」
「そうなんだ……」
「佐山さん?」
露骨に落ち込む私に気付いた猫塚くんが顔を覗き込む。
「てことはコンビニのバイトも昼になるよね?そうしたら猫塚くんに会えることなくなっちゃうのかなって」
「いえ、バイトは夜間にします」
「そうなの?でも、昼間時間あるんじゃ昼間の方がいいんじゃない?」
「それだと佐山さんに会えなくなるから」
「えっ……?」
「佐山さんに会いたいから。それと、シフトの時間夜の10時からじゃなく7時からに替えてもらおうと思って」
「どうして?」
「昨日、佐山さんが意識を失ったときあの人……流川さんに言われたんです。『佐山、君に会うために残業してる』って」
「る、流川がそんなことを……?」
「はい。だから、これからは残業しないで大丈夫です」
「そうなの!?いや、でもそこまでしてもらうのはなんか申し訳ないなぁ……」
それって私の単なるワガママだし。
「いえ。俺がそうしたいので。佐山さんは気にしないでください」
にっこりと笑うと、猫塚くんがポケットからスマホを取り出した。
「ずっと聞きたかったんです。連絡先、教えてもらえませんか?」
「私の?」
「はい」
「私なんかの連絡先、聞いてくれてるの?」
「……ふっ。なんでですか?」
「だって、なんかこういう風に連絡先聞かれることってあんまりないからちょっと驚いちゃって」
こんなの大学生の時以来だ。仕事関係の人と名刺交換はするけど、こうやって面と向かって連絡先を聞かれることはない。
「佐山さんは高嶺の花だし魅力があるから男性は聞きずらいんじゃないですか?」
「まさか!!猫塚くんってばまだ若いのにそんなお世辞使っちゃって!!」
目を見て言いよどむことなくハッキリそう言った猫塚くんに私の方がタジタジだ。
動揺を隠すためにおどけて言うと、猫塚くんがテーブルの上の私の手をギュッと掴んだ。
「俺達、6歳しか違わないから」
猫塚くんの手のひらの熱が私の体を熱くする。
可愛いと思っていたはずの猫塚くん。でも、目の前にいる彼は間違いなく男の目をしていた。
「佐山さんが思ってるほど、俺、子供じゃないよ」
「ま、またまたぁ~。猫塚くんってば冗談――」
「――冗談じゃない。俺は本気です」
焼け付くように胸が痛む。なんだ、これ。なんなんだこれ。
射抜くように向けられた彼の熱い視線から逃れるように私はテーブルに視線を落とした。
店を出るとさっきまでの彼とは別人のように猫塚くんは穏やかな表情を浮かべた。
「今日は天気がいいですね。散歩日和だ」
雲一つない真っ青な空を見上げる綺麗な猫塚くんの横顔を見つめる。
やっぱり、可愛いなぁ。猫塚くんは。
彼の顔をマジマジと見つめながらそんなことを思う。
「そうだね~。こういう日、公園のベンチに座ってゆっくりまったりコーヒーでも飲んで過ごしたいねぇ」
「じゃあ、そうしましょうか」
「え!?まだ時間大丈夫なの?」
「佐山さんは?」
「私は平気だけど……」
「よかった。まだ一緒にいられる」
猫塚くんは機嫌が良さそうに微笑む。
私は休日に猫塚くんと一緒にいるなんて夢みたいだけど、猫塚くんは私なんかといて退屈じゃないんだろうか?
人懐っこい性格の彼はもしかしたらこうやってコンビニで知り合った人と気軽にランチに行くんだろうか。
猫塚くんてコミュ力の塊みたいな人だし、その可能性は高い。
でも、あまりにも人懐っこすぎてちょっと心配になる。
こういうことをすると、女は自分に好意があるかもと勘違いしてしまうものだ。
「じゃあ、行きましょう」
「あっ、うん」
歩き出そうとしたものの、どちらの方向に公園があるか分からない。
私は典型的な方向音痴だった。
「えっと……」
キョロキョロと周りを見渡していると、猫塚くんがくすっと笑った。そして、自然と私の手を掴んだ。
「こっちだよ。行こう」
ギュッと私の手を握って歩き出す猫塚くんにつられて歩き出す。
なんかすごい温かい。
しかも、猫塚くんの手……おっきい。指も長いしなんていうか……なんていうか……とってもいい!!
言葉にはならない感情が溢れ出して思わず顔がほころんでしまいそうになる。
なんだかこういう感じ久しぶり。
女の子扱いされてるっていうか……いや、もう女の子っていう年ではないのかもしれないけど女はいつまで経ってもそういう扱いをされたいもの。
男の人とこうやって手を繋いだのなんて大学生以来だし、なんだか物凄く甘酸っぱい感情が込み上げてくる。
なんだこれ。今のこの感じ、すごく青春って感じだ!!
「手……」
「うん?」
背の高い彼は私の顔を覗き込むように首を傾げる。
あぁ、可愛い!!いやー、なにこれ。たまらない!!
「手、大きいんだね?」
「佐山さんの手が小さいんだよ」
フッと笑った猫塚くんに心臓がトクンっと音を立てる。
なんだ?さっきからところどころ猫塚くんが敬語ではなくタメ語になっている。
だからなのか?妙な親近感を感じてしまうのは。
って、彼より6歳も上の女が何本気でときめいちゃってるのよ!ないない!!絶対にない!!
彼だってそんな気サラサラないんだから。
きっと今の大学生というものは私が学生の時よりもフランクで、相手が友達だってこうやって手を繋いだりするものなのかも。
ん?じゃあ、私たちの関係ってなに?私と猫塚くんは友達ってことで……いいのかな?
突き当りに差し掛かり今の現在地も公園が右か左かも全く分からなくなった私を猫塚くんが誘導してくれる。
「佐山さんこっちだよ」
少し手を引っ張られたことで私の肩が猫塚くんの体にぶつかった。
「ご、ごめん!!」
思わず体を離す。マズい。この距離感は絶対にマズい。
「なんで謝るの?もっとくっついてもいいのに」
「いやいやいや!!そ、それはちょっと……」
「ちょっとって?」
ちょっと私の心臓が持ちそうにありません。
いくら意識しないようにしても、やっぱり猫塚くんは男だし……。
意識するなっていう方が無理!!
「ううん。なんでもない」
動揺を隠すために必死になって口角を持ち上げて笑うと、猫塚くんはそれ以上追及してこなかった。
「足、痛くない?大丈夫?」
「あっ、うん。この靴は履きなれてるから。ありがとう」
「佐山さんはこっち側」
猫塚くんってばなんて気が利くんだろう。私の歩く位置が車道側になると、スッと場所を替わってくれた。
公園に着くまでの間、私は信じられないぐらい手厚いもてなしをしてもらった気がする。
こんな風に守られていることって今まであった……?
思い起こしてみてもそれらしき記憶はない。
いつだって男性は私のことを『強い女』として見る。
自分でいうのもあれだけど、私の顔はキツイ。生まれつきだけど、とにかくキツイ。性格がキツイ典型的な顔をしている。
もしも私が別人で私のことを見たら『うわっ、この人きつそう……!』とちょっとけん制してしまうだろう。
女性にしては背も高い方だし、この顔だし威圧感も相当あるらしい。
特に何かをしているわけではないのに母親の遺伝を引き継ぎスタイルも無駄に良い。
ボンキュッボン!!と学生時代は男にも女にも影で散々スタイルのことを言われた。
気が強そうでスタイルの良いクールな女。
私の第一印象は間違いなくそれだ。
可愛いとか、優しそうとか、穏やかそうとか言われたこともない。
イメージばっかり先行してしまっているけど、それは外見だけで私はそこまでキツイ性格でもないし、むしろヘタレのビビりだったりする。
休みの日は、ヨガに行ってエステに通って女友達とお洒落なお店でランチをして、そのあと友達と別れて男性とディナーに行くみたいなことをして過ごしていると思っている人間も多い。
素の私をよく知っている京子は、
『確かにそういうイメージかも!でも、実際はパジャマで一日中ベッドでゴロゴロしながらお菓子食べてテレビ見てんのにね!』
とゲラゲラ笑っていたけれど。
公園に着き、移動販売車のコーヒーを買ってベンチに揃って腰かける。
最近はずっと仕事に追われていたし、緑に囲まれながらこんな風に穏やかな気持ちで過ごせたのはずいぶん久しぶりな気がする。
木々の間から洩れる太陽の日差しがポカポカと温かくて気持ちがいい。
「なんか今佐山さんと一緒にいるのが信じられないな」
「そうだね。いつもは店員さんとお客さんって立場だもんね」
「初めて会った日のこと、覚えてますか?」
「もちろん覚えてるよ」
『ありがとうございました』
『こちらこそ、ありがとうございました』
商品を渡されるとき、私は猫塚くんにお礼を返した。
今思えば変な客だったに違いない。でも、あの時私はどうしてもお礼が言いたかったのだ。
「あの日、コンビニでバイト初めてまだ1か月くらいだったんですけど結構しんどくなってて。一方的に怒鳴りつけてきたりとか、お金を放り投げるように置いていくお客さんとかが続いてて」
「そんなことするお客さんがいるんだね……」
悲しいけれど、確かにどこにでもそういう人間は存在するものだ。
「そんな時佐山さんが『ありがとうございます』って言ってくれて……。すごい嬉しかったんです」
「そんなそんな!当たり前のことだよ。だってさ、私みたいにあの時間しかコンビニに行けない人もいると思うんだよね。まあ、ファミレスとかもあるけど疲れてるし一刻も早くご飯を調達して家に帰って休みたいって思う時コンビニってほんと便利だもん。だから、猫塚くんとかコンビニの店員さんに私は頭が上がらないよ」
「佐山さんって本当にいい人ですね」
「そう?言われたことないよ。きつい人とは言われるけど」
ハハッと自嘲気味に笑う。
仕事では『きつい女佐山』で通っているし。仕事上で言いたいことがあれば男性職員にも臆することなく言いたいことも言うしなぁ。
でも、仕事で手を抜きたくはないし多少嫌われても仕方がないけどやっぱり裏でコソコソ言われているのは結構堪えるものだ。
「そうなんですか?なんかいい気分かも」
「どうして?」
「佐山さんのいいところ、俺だけしか知らないみたいで。これからも俺だけにしか見せないでくださいね」
私の顔を覗き込むように微笑みながらそんなことを言う猫塚くんに私は尋ねずにはいられなかった。
「ねぇ、猫塚くん。猫塚くんって誰に対してもそうなの?」
「え?」
「そういうこと、言っちゃだめだよ?女性はね、そういう言葉には弱いんだから。特に猫塚くんみたいに素敵な男性には。猫塚くん、彼女はいるの?」
「いませんけど」
「そう。次にそういうことを言うなら、好きな子を落とすときだけにしなね?猫塚くんにそんな気がなくても、相手が真に受けたら大変だよ。猫塚くんみたいにカッコいい人は気を付けないと」
彼のような美形の男の子にあんなセリフを言われたら誰だって勘違いして舞い上がってしまうに違いない。
その言葉だけで全てを捧げたくなってしまってもおかしくない。
それぐらいの破壊力のある言葉だった。
ああ、あぶない。危うくクラっと来てしまいそうだった。
「真に受けてもらっていいんですけど」
「ん?私じゃなくて違う女の子に言う場合の話ね」
「違う子には言わないから」
「でも、私には――」
「佐山さんだから言ったんだよ」
「うん?ごめん、なんかちょっとよく意味が……」
「分かった。遠回しなのは伝わらないんだね。じゃあ、ハッキリ言うね」
「う、うん。どうぞ」
なんだか急に本気モードになった猫塚くんに圧倒されながらベンチに座り直して彼に体を向けると彼は私の目をまっすぐ見つめた。
茶色く澄んだ瞳が私を捕らえて離さない。
彼の喉仏が上下する。私は彼の言葉を待った。
「俺、佐山さんが好きだから。もちろん、店員と客とかそういうんじゃない。恋愛感情がある」
「え……」
突然のことに頭の中がフリーズする。
ねぇ、猫塚くん。
可愛いとか、言ってごめん。小動物っぽい可愛さとか言ってごめん。
違うわ。君は小動物じゃない。だって、今、君は私の心をぐわんぐわんっと物凄い勢いで揺さぶってくる。
「ちょっちょっと待って!でも、私は6歳も年上――」
「好きになるのに年って関係ある?」
「それは……」
「佐山さんを俺だけのものにしたい」
猫塚くんは膝の上にある私の手に自分の手を重ね合わせてギュッと握った。
「年が関係なかったら佐山さんは俺を男として意識してくれるの?」
「えっと……それは……」
意識してくれるの?とかじゃなくて、意識させてもらいますっていう感じ。
猫塚くんが仮にもし私と同い年だったら意識しすぎてしまって逆に今のように気軽に話すことができなかったかもしれない。
今私がこうやって猫塚くんと一緒にいられるのは年が離れているからで、二人の間に間違いが起こらないだろうという確証があるが故だ。
猫塚くんが私にもし本当に好意を寄せてくれているんだとしたらそれはとてもありがたいし、喜ばしいし、嬉しいことだ。
別に6歳差のカップルぐらいこの世界を探せばたくさんいるだろう。
ただ、問題は私にある。私と付き合っても猫塚くんは満足できないだろう。
だって私は性行為ができないのだ。
それを思うと一歩を踏み出すことができない。
「嫌だったら言ってください」
猫塚くんが私の方へ上半身を近付ける。これから何が起きようとしているのか27年間生きてきた私は理解できた。
猫塚くんは私の頬にそっと手を添えると、唇にキスをした。
ほんのわずかに触れ合うだけのキスをすると、猫塚くんはわずかに顔を離して私の顔色を伺う。
私が嫌がっていないか確認するためだろう。
ま、ま、マズい。この甘い雰囲気にも可愛い猫塚くんが見せる男の部分にも私はキュンキュンっと胸を高鳴らせてしまっている。
なんならもっと激しいのを……!!なんて求めてしまっている自分が信じられない。
「だ、ダメだよ……猫塚くん!!」
「でも、もっとって顔してるよ?」
「違っ……!!」
いや、多分違くない!!
そんな私の気持ちを猫塚くんに悟られているようで恥ずかしさが全身に込み上げてくる。
彼を受け入れてはいけない。
このキスの延長線上で行う最後の一線を越えることができないくせに私ってば何をしてるの!!
理性と欲望の狭間にいる私を必死に戒める。
「猫塚……く……ん……」
助けを求めるように猫塚くんを見つめると猫塚くんが私の頭を撫でる。
「佐山さん、可愛い」
「っ……」
まるで獲物を捕らえたかのような猫塚くんの熱い視線に私は動くことができない。
再び近付いてくる猫塚くんの顔。柔らかい猫塚くんの唇と私の唇が重なったとき、私はそっと目を閉じて彼を受け入れた。
何をやっているんだ!!と自分を叱咤する一方、こんな風に気持ちを告げられて熱いキスをしてもらえた!と喜んでいる自分がいる。
よくよく考えれば今の猫塚くんみたいに私にストレートに愛情をぶつけてきてくれた人は今までいなかった。
みんなきっと私のことなんて本当に好きではなかったんだろう。だから、体の繋がりが持てないと分かるとすぐに離れていった。
そのことで私は性行為が恐ろしくなり、男性と距離を置き、仕事に没頭した。
そうすることで必死に可哀想な自分を守っていたんだ。
「んっ……」
ついばむように私の唇を自分の唇で優しく挟む猫塚くんのキスはとろけてしまいそうなほど甘い。
今の大学生はこうもキスが上手なんだろうか。こんなの初めてだ。キスだけしかしていないのに、なんだか体の奥底が熱くなって疼いてくるみたいな感覚になる。
余裕の猫塚くんは私の反応をいちいち確かめながら角度を変えて私の唇を優しく刺激する。
と、そのとき甘い雰囲気をぶち壊すようにバッグの中のスマホが音を立てて鳴りだした。
キスに溺れていた私はハッと我に返る。
「ご、ごめん!電話みたい」
猫塚くんもそれに気付いた。私は動揺しているのを悟られないように取り出したスマートフォンを耳に当てた。
「もしもし」
『もしもし。篠原です。お休みのところすみません。今お時間大丈夫ですか?』
「ああ、うん。大丈夫。そういえば篠原さん、体調はどう?」
昨日、早退した後のことが気になっていた。
『もう大丈夫です。色々ご迷惑をおかけしてすみません』
「そんなの気にしないで」
『ありがとうございます。あの、少し聞きたいことがあって。来週の打ち合わせ資料を作っているんですが分からないことがあって』
「うん。どの部分?」
仕事熱心だとは思っていたけど、まさか休みの日にまで資料を作っていたなんて。
「えっと、それは――」
私は自分が知りうる情報を全て篠原さんに伝えた。
『わかりました。本当にありがとうございます』
「ううん、いいの。あんまり無理しないでね?」
『はい。では、失礼します』
「うん。また来週ね」
電話を切ってハッとする。
そういえば、今隣に猫塚くんがいたんだった……――!!
集中しすぎて電話にも思った以上の時間がかかってしまった。
「猫塚くん、ごめんね!!」
慌てて謝ると猫塚くんは首を横に振った。
「気にしないでください。佐山さんがしゃべってるの見てるのもなんか新鮮だったし。仕事モードの佐山さんの姿見れて嬉しいです」
「猫塚くん……」
あなたってばなんていい子なの!!
いやいやいや、でも一緒にいて長時間電話をされるのは嫌なものだ。
「俺もいつか佐山さんみたいに仕事ができる人になりたいな」
「猫塚くんなら大丈夫でしょ」
「どうですかね?」
「だってコンビニのバイトは100点満点だもん!多分、私が今まで見たコンビニ店員さんの中で断トツに仕事ができると思うよ!!」
「いや、俺ミス多いですよ。ミスると結構凹みます」
「仕事でミスすることは誰にだってあるよ!!私なんて社会人になったばっかりの時コピー10部って言われてたのに間違って100部しちゃったこともあるし」
「そうなんですか?」
「他にも色々やらかしてるよ。だから、大丈夫。みんなそんなものだから」
「ありがとうございます。明日からも頑張れそうです」
ニッと笑う猫塚くんの笑顔が眩しすぎる。
「ん……?」
そういえば。さっきからベンチの前を通る人々から痛いほどの視線を感じる。
特に女性。猫塚くんのことを分かりやすく二度見している人もいる。
ほら。まただ。ジョギングしていた女性が私たちの前を通り過ぎようとしたとき、猫塚くんを凝視した。
「猫塚くんってさ、モテる?」
思わず尋ねると、猫塚くんが不思議そうに首を傾げた。
「モテるかモテないかって言ったら、モテます」
言いよどむことのないハッキリとした口調の猫塚くん。これでモテないと答えないところが素直な猫塚くんらしい。
「だよね。さっきから女性が猫塚くんのこと目をハートにしてみてるのよ」
「それを言うなら、男は佐山さんのことを見てますけど?」
「いやいやいや、それはないでしょ」
「見てますよ。ほらっ、こっちに向かって歩いてる男も佐山さんのこと見てる」
「まさか」
あははっと笑っていると、その男が私たちの座るベンチの前を通り過ぎようとしていた。
男と目が合った。ただ、お互いに目を見合せただけ。目が合うことなんて普通だし何もおかしいことなどない。
「ほら。見てたでしょ?」
猫塚くんはほんの少しだけ怒りを含んだ声で言った。
「うーん、見てたってものでもない気がするけどね」
うわっ、あの女あんな若い子と一緒にいる!!って目で見られてたのかもしれないし。
「俺の目からだけじゃなくて他の男から見ても佐山さんは魅力的だと思いますよ。ていうより、魅力の塊でしょ。可愛いし、スタイルいいし、優しいし。完璧じゃないですか」
「へっ!?」
自分でもどこから出たのか分からないマヌケな声が出た。
「いやいやいや!!」
「昨日一緒にいた会社の人……流川さんでしたっけ?あの人も佐山さんの魅力に気付いてると思います」
「え?流川?いや、それはないよ。天地がひっくり返ってもありえない」
「佐山さんが気付いてないだけだと思いますよ」
「ないって~!それに、流川ってモテるの。女子社員の中でも噂になるぐらいの男だし狙ってる子は大勢いる。流川なら女の子選び放題だしわざわざ私なんて狙わないよ」
猫塚くんはあまり納得していない様子だ。
「俺、流川さんにも他の男にも佐山さんのこととられたくない」
猫塚くんは真っ直ぐ私を見つめてハッキリいった。
「好きです。俺と付き合ってください」
その言葉に私の心は大きく揺さぶられた。
即答ができずにいる私を気遣って「帰ります」と猫塚くんはベンチを立った。
そして、
「俺、本気だから。ゆっくり考えてください」
そう言うと、猫塚くんは私に背中を向けて歩き出した。
まさかの猫塚くんの告白に私はすぐにベンチから立ち上がれないほどに動揺していた。
「ヤバい……。心臓が持たないよ……!」
猫塚くんの姿が見えなくなると、私はドクドクと激しく鳴る心臓を抑えるようにそっと胸に手を当てた。