Ⅱ 小鳥の声に導かれて
Ⅱ 小鳥の声に導かれて
パンにお肉にお野菜フルーツ。いつもより豪華なご飯をお腹に入れると。メルちゃんはぼーっとしていた。お母さんは、お皿のお片付け。いつもならいっしょに洗うのだけど(私は届かないからお皿を拭く係だけど)今日は、メルちゃんといっしょにいることにした。
「いつもこうやって生活してるのか」
「うーん。お肉とかお魚はたまにだよ」
「あぁ。うん。えっと、そうじゃなくて。こんな温かい生活をしてるのかってこと」
「温かい……? 夏は暑くて、冬は寒いよ。お花は自然の環境がだいじだからって……」
「だぁ! お前、実はバカだろ!」
「むぅ。めるちゃんが話すのへたなの」
「なっ……いや。まぁ、そうか……やっぱりこの話し方は慣れないな」
「ねぇ。めるちゃん。いやじゃなかったら、めるちゃんのこと教えてほしい」
「……はぁ? なんでお前に」
「めるちゃん、おねがい」
「分かったよ。分かったから、もうちょっと離れてくれ」
「なんで?」
「その……あったかい……のが……おちつかない……」
「ん? なぁにそれ? わかんない」
「まぁいいや。それで、じゃあ覚えてるところから話すぞ」
「うん」
「アタシは、貴族。フッド家の生まれだった……」
✾
「お母様ー」
「ちょっと待って……もう……あの人に似て足が速いんだから」
貴族と言っても、城などはなく。いたって普通の家で。生きるのになにも困らないお金を持っている。という程度だった。逆に言えば、なに不自由なく生きることができるというのが幸せの価値、そんな時代だった。だから、私たち家族が生きるためのお金。それを残して余った分は街の修繕、教会に寄付していたから。毎日のようにお礼を言いに来る人々。その中には今のアタシみたいに盗みを働いて捕まった子どもとかもいた。
聖母信仰の修道院の子たちといっしょに遊ぶことも多かった。基本的にはアタシが本を読み聞かせ、追いかけっこしたり、花冠を編んだりしていた。修道院の子たちから、お姉ちゃんと呼ばれてた。幸せだった。たくさんの妹たちがいるみたいだった。
けれど、その交流はぱったりと止んだ。寄付が止まったりしたわけではなかったのだけど。子どもたちの代わりに、行商の人間が家に来た。とても、美しい人だった。けれど、私は嫌いだった。なんだかとても嫌な感じがしていたから。
どうしてこんな人と取引をしているのだろう。不思議に思いながら何年かが過ぎた。
そして、そいつは私に世間話と称して暗い噂を教えた。きっと、アタシを子どもだと思ってバカにしたかったんだと思う。気をつけて。なんて前置きをしていたけど、ただのいじわるにしか聞こえなかった。
その噂は「フッド家は盗人の家族」というものだった。修道院を助けたのも元盗人の孤児のため。それが感謝されなくなったのは聖母様の戒めだと。
盗みをするのは悪い人間がやることだと思っていたから。そういう考えもあるのかな、なんて思い始めていたある日のことだった。
私は鳥と競争をして走り回っていた。美しい声の鳥が、アタシの遊び相手だった。
お母様は、木陰で優しく見守ってくれて。それがこの時のアタシにとっての幸せだった。走り回って疲れた後は膝枕をしてくれた。そして、夏風に揺られながらふたりで話していた。その頃は、アタシを私って呼んでも良い頃だった。
「お母様、あの鳥はなんて言うの?」
「あなたは、どう思う?」
「クピル、って呼んでる」
「そう。どうしてかしら」
「クーピル、って鳴いて、アタシを呼ぶの」
「……そう。お友だちになれた?」
「うん。私はそう思ってる」
「ふふ。良かったわね」
「うん」
「今日は、倫理のお話をしましょう」
「はい。お母様」
「では、盗人の罪について。自由に話してみて?」
「えっと、行商人からよく話を聞くの。人のものを盗るのは悪いこと?」
「あなたはどう思うのかしら」
「わかんない。でも、盗まれた人は、盗んでると思う」
「どういうことかしら」
「売ってた首かけ時計。買ってもらったよね」
「えぇ。そうね」
「あれね、落としたら、パコンって外れて。写真が出てきた」
「……そう」
「ふたりの写真。すごくキレイな人だったから、あの商人のお嫁さんじゃない」
「ふふふ。どうしてそう思うの?」
「えっと、あの人は冷たいの。すごく冷たくて、氷……ううん。水みたいだった。それに……」
「それに?」
「ふたりで、写ってたの。女の人」
「あら……」
「姉妹っていう感じじゃなくて。恋人。なのかなって思った」
「そう」
「それで、えっと。どっちもね、違う人だったの。行商人と。だからその時計は盗んだ物だと思う」
「わからないわよ。人は変わるものだから」
「写真だけじゃないの。鎖の色が違った。時計は金。でも、鎖は銀だった。しかも、根元に少しだけ金色の鎖が残ってたから、これって引きちぎったって事だよね」
「メル。あなたは本当に賢い子ね」
「えへへ……」
「ひとつ、真実を告げるわ」
「え?」
「あの商人は、あなたの言う通り盗みなどの大罪ばかり犯していた人間から仕入れているの。商人は盗人ではないわ。けれどその商売相手がそうなの。その手口としては、慎ましやかに暮らす者を力でねじ伏せ、脅す人間たち。とても残酷なことだけれど、実際に行われていることだわ」
「わかんないよ。その商人も、盗人も。なんでそんなことするんだろう。おなかいっぱいご飯、食べれれば、それが幸せでしょ? 余ったら、ほしいひとにあげたらみんな幸せになれるよ」
「そうね。でも、よく聞いて。メル。人の欲望は果てがないの。ひとつ手に入れば、またひとつ。ふたつ手に入れば、みつ。よっつ。そして永遠にそれを求め続けるの。結果、人を貶めてでも手に入れようとする。私たちはそんな世界で生きているの。ごめんね、あなたにはキレイな世界だけを見せてあげたかったけれど。これからあなたの生きる道のために。こんなことを伝えなければならない私たちを赦してね」
「……やだなぁ」
「ふふ。でもね、悪あるところに正義あり。ロビンフッドは知ってるわよね」
「『常に貧しき者と虐げられている者の味方であり、豊かな者から奪い、貧者に分け与え、自衛と正当な場合以外は殺人を犯さず、腐敗しきった者を正す』だね」
「そう、それがあなたのお父様。だからね……盗み、謀りは懲罰のために行われるの」
「お父さん……悪い人と同じことしてる」
「そうね。メル。その捉え方を忘れてはいけないわ」
「えっと……うん、わかった……でも、怒られるかと思った」
「怒るものですか。おやつのつまみ食いはきちんと叱るけれど。あのね、メル。正義と悪は表裏一体、生死一如。わかるわね」
「本で読んだ。遠い国の言葉だね」
「えぇ。そうよ」
「言葉は知ってるけど、意味は難しいよ。お母様」
「そうね、でも貴女は自分で考えていかないといけないの」
「そっか……わかった。たくさん知る、たくさん考える」
「えぇ。そうよ。必ずしも与えられた道を行かなくてもいいの。だから、あなたは貴女が正しいと思った道を――
――行きなさい。メル」
太陽が与えてくれた温かな日常は、すべてを焼き尽くす業火へと変貌する。肺を灼いていく炎たち。私はただ泣きじゃくってお母様にすがりつく以外、できなかった。私は畏れた。炎の神が荒れ狂ったように突然に、激しく燃えさかる。
それでもなお、お母様は木陰で涼むときのように。優しく、凜として私に告げた。
「あなたは生きるの。あなたにはまだ、やることがあるわ。その代わりに私たちは、裁かれるの」
「なんで!? お父様は悪い人をやっつけて貧しい人を助けたんでしょ。だったら!」
「それでは、だめなの。時代は変わったのよ。懲悪なれど罰することは私たち民には許されない。だから、これはその報復」
「どうして……どうして……」
「メル。母と父。そしてフッド家は穢されて堕つわけはいきません。死よりも惨いことはいくらでもあるのです。ならば私たちは、尊厳とともに」
「やだ! 私も死ぬ! お母さんがいないな……」
――パンッ!
初めてだった。お母様に頬をぶたれたのは。
悲しいとか、どうして、とか。そういうことの前にこれが本当に大変なことなんだっていうのがわかった。燃えていく私たちの家。お父様は、この部屋の前で、私たちを庇ってお亡くなりになられた。お父様も、罪を償うと言っていた。
お父様の死は悲しいけれど仕方がないことだと、諦められた。そういう眼をしていたから。でも私は、母様。母様と離れることだけは、いやだった。だから、ぶたれても泣きわめいて駄々をこねた。最初で最後の駄々だった。
「いやだ! お母様が死ぬなら私も死ぬ! 痛いのも、お母様に嫌われてもいいからいっしょにいたい!」
「……そう、仕方のない子ね。私は今から『液体の銀』になります。それをお持ちなさい。そうすれば、私も、お父様もただ、銀のままに。もちろんあなたもね。銀には悪を退ける力があると言います。ですから、あなたは守られるでしょう」
「そんなの、わかんないよ!」
「理解する者を探しなさい。錬金術師たちなら、何か知っているはずです。いずれ辿り着きます。大丈夫よ。メル。液体の銀となりて。わたくしはあなたとともにあります。あなたをひとりになんかさせないわ」
「そん……な……」
「時間がないの。愛しているわ、メル」
「お母様……」
「愛し娘、メル。詠め『母よ、液体の銀となれ。然らばいずれ、元の形へと』」
「わかり、ました……『母よ、液体の銀となれ。然らばいずれ、元の形へと』」
「良い子よ。メル。あなたはただ、正しく……」
私は小瓶を持って地下道を走り抜けた。ただ、走った。悲しみなど感じないように。涙など、見えないように。母の言うようにただ、正しく――
「――ってな感じ。かな、それからは街の中、なんか錬金術師に関係ありそうなもんを探しながらちょっと食べ物をいただいただけだよ」
「うぅうううううう……」
「アイリス……そんな泣くなよ」
「うううううううう……」
「マリアまで……うっとうしいなぁ……」
「ほら、甘えていいのよ。メルちゃん」
「ひっく……今は……いいよ……めるちゃん」
「はぁ……まぁ、じゃあ遠慮なく」
「おっぱいはだめ!」
「けち」
「ふふ。よしよし……それで。どうしてあの宝石箱を?」
「なんだろう。わかんないけど、母ちゃんが導いてくれたような気がした」
「お母様、とは呼ばないのね」
「うん、生まれがバレれば迫害にあうから。店の人とかの真似してたけど、見についちゃって。ま、いっかって。アタシの中でお母様だろうと母ちゃんだろうと同じ人だから」
「唯神論ね」
「なんだって?」
「ふふ。なんでもないわ」
「ねぇ。お母さん」
「なぁに? アイリス」
「お父様ってなに?」
「もう。本で読んだでしょう? 今のこの世界には既にいない、男性という存在。両親の片方よ」
「『月と太陽』の太陽?」
「そうね。うーん……そっちは分かってるのね……もう一度勉強し直さないと」
「むー」
「あー、えっと。アタシ帰っていいか?」
「今日はもう遅いわ。泊まっていくでしょう?」
「……アイリスがいいなら」
「いいよー。めるちゃんのおはなしもっと聞きたいー」
「ふ、ふんっ」
「てれてる」
「照れてるわねぇ」
「だぁ!」
「いっしょにお風呂入ろ! めるちゃん」
「え? いっしょに?」
「うん。いつもはお母さんとはいるけど。今日はめるちゃんといっしょに入ってあげる」
「あらぁ。フラれちゃったわぁ」
「い、いや。いいよ。アタシは」
「めるちゃんくさいよ」
「げ」
「ふふ。ほら、いっておいで」
「なぁ。ホントクサいのか? マリア」
「野性的な香りだわ」
「う。わかったよ! 入るよ! もう……」
私はメルちゃんの手をとってお風呂へと向かった。まさか、あんなことになるなんて。今はまだ知るよしもなかった……。