第二章 流れる銀と盗賊と
Ⅰ 瓶詰めの母
「ふふ……いいじゃない。もっとさわらせて……」
「やぁだぁ」
「ふふふ……」
お母さんとお風呂に入ると、いつもこれをされます。おなかをふにふにさわれられて、なでられて。そうすると私はくすぐったくて変な声が出ちゃいます。
『ゾクゾクゾク!!』
「わぁっ! お母さん、また!?」
「い、いやな予感がするわぁ……」
「もう……びっくりするよぅ……」
「ねぇー。せっかくアイリスのもちもちお肌を堪能してたのにぃ」
「くすぐったいよー」
「もう、恥ずかしがっちゃって」
「うう……」
お母さんのゾクゾクが最近ちょっと多いような気がする。どういうものなのか説明してもらいたいんだけど「ゾクゾクゾク……なのよねぇ」としか教えてくれない、というか本人も分かってないのかな。
お風呂から上がって身体を拭いてもらって。髪を乾かすと朝が始まる。お風呂は夜だったり、朝だったり、ばらばらなの。
今日は『スワッグ』を創る日。アリエスさんのところの依頼で。始まりと終わりの麦にくっつけるお花らしくて。アトリエの中に咲いている子たちの中で、一番きれいな状態で保存してあるドライフラワーをいくつか選ぶ。
「そうそう、折らないようにね。うん、良い感じよ。はい。よくできました」
「……」
「ふふ。かわいい。これはなにをイメージしたの?」
「穂、の感じでななめに『ぶわわわわぁ』ってやりたかったの……」
「ふふふ。切りすぎてちっちゃくなっちゃたわねぇ」
「む……言わないでよ……もう……」
「いいのよ。あなたが大切に作ったっていうのが一番うれしいんだから。お母さん、渡してくるわね。保管方法とかも、教えてあげないとだから。アイリスはちょっとお留守番してて」
「えぇー。私も行きたい」
「だぁめ。空き巣が多いって聞くから。アイリスがアトリエを守るの」
「むー……」
「バラたちも守ってくれると思うけれど。一応ね、よろしくねぇ」
スワッグを持ってお母さんはぱたぱたと走って行った。お母さんの後を追うようにぽんっ、ぽんっとお花が咲いていく。お母さんはご機嫌だ。
お留守番、ちゃんとやらなきゃ! って初めは思ったんだけど、すぐに飽きてしまって。ぼーっとしてた。でも、それもすぐに飽きてしまって、本を読むことにした。お母さんの子どもを産むための勉強、なんだけど。私はまだ難しい本は読めない。だから、お母さんが書いてくれた「れんきんじゅつにゅうもん」という本を読むのがせいいっぱいだった。お母さんから聞けば、なんとなく分かるんだけどなぁ。他の人が書いたやつ。なんかいじわるしてるような気がする。「真鍮なれど、月として、土、すなわち月」なんて。あたまが痛くなってくる……。そう言えばお母さんが「暗号化されてる」って言ってたけど。そもそも「あんごうか」の意味も分からないから。パンの種類かなぁなんて思ってた。
パン、そう言えばアリエスさんのところに届けに行くだけだからすぐに帰ってくるよね。きっといっぱいパンをもらってきてくれるから紅茶でも入れておこう。
私は本を閉じて台所に行った。
「こうちゃ♪ こうちゃ♪ おこうてぃー♪」
お母さんが精製してくれた水をやかんに入れて、火のマークが書いてある台に置く。マークを軽くポンっと叩くと、だんだん湯気が出てきてお湯になる。叩き方が重要で強くやりすぎるとぐつぐつして火傷しちゃう。この絶妙な力加減で『ポンっ』が大事なの。そして、三分くらい待つ……。
音が鳴ったらできあがり。それにしても、空き巣。怖いなぁ。もしきたら私どうすれば――
――ガタンっ。
「あ」
「ふぇ?」
『ピイィィィィ』
「きゃぁあああ!! だれぇぇぇ!?」
「やべっ」
お母さんの宝石箱のところに、ひとり。私くらいの小さな子どもがいて。宝石箱を盗もうとしているじゃあありませんか! と絵本のまねをしてる場合じゃない。なんとかしたいけど。私、闘うとかできなくて。なんとなく、わたわたしながらヤカンを持つのだった。
「か、かねおいてけぇ!」
「それは盗む側のセリフだろ!?」
「ちが……えっと、それ。宝石箱。おいてけぇ。たぶん、だいじなやつなの!!」
「じゃ、なおさらだなぁ」
そんなことを言いながら小さな子どもは走り去ってしまった(私もこどもだけど)。
「こ、怖かったぁ……じゃない!」
どうしたら、いいんだろう。とりあえず追いかけなきゃなんだけど。でも私お留守番だし。それよりも、お母さんがいないのに私が行ってどうするんだろう。
あわあわしているとほわほわが聞こえた。いつものお母さんの足音だ。
「ただいま」
「あきすぅ!」
「なにかの詠唱かしら」
「きたの!! どろぼう!」
「ふふふ。落ちついて」
「え。あ、うん」
「なにを盗られたの? お花とかなら、また育てれば良いわよ」
「宝箱! 大事なのが入ってるんでしょ?」
「アイリス」
「ぴぇ!」
「特徴を教えて。あと、何分前に来たの。その子」
「あ、ああああ、あああああ、ち、ちっちゃい子、そ、その。男の子みたいだけど? 声、女の子で……なんか……あわあわわ……」
「はぁ……『マリア・フローレンスの名の下に命ず。クライミングローズ、人ならざる盗人を捕らえよ」
お母さんが鉢に手をかざすと、白いバラがにょきにょきと伸びた。かと思ったらドアからすごい勢いで蔓を伸ばして。びっくりしているうちにその子どもが、ここに、来た。
変な帽子、くるくるの髪、服はボロボロ。するどい目に真っ白な肌。短いズボン、くつにはぼろぼろになった羽みたいなのがついていた。
でも、首にかけている懐中時計。ヒビがキラキラと銀色に光っている。
宝石箱を開けて、中を見ている最中だった。なんだか、不思議そうな顔をしながら。
「なんだよ。手紙? 絵? こんなもん盗んでも……は?」
よく見ると、その子どもの足下は土ごとえぐれている。まさか……。
「クライミングローズはあなたも、あなたの在る土も捕らえていますよ。おいたが過ぎるわ。ねぇ。お嬢ちゃん」
「くそ……って、女じゃねぇ!」
「あ、女の子なんだ。どおりでちっちゃいなぁって」
「うるせぇ! お前だってちびじゃねぇか」
「がーん……好きでちびじゃないもん……」
「牛乳飲まないからだろ! アタシは毎日飲んでるぞ!」
「成長しないの! いわないでよぅ!」
「努力がたんねー!」
「う……」
(アイリス。ひとついいかしら)
(うん……)
(人か、ホムンクルスか。どちらで、扱われたい?)
(えっと……人。がいい)
(そう。なら)
「なにコソコソ話してんだよ!」
「この子ねぇ。レーズンパンばっかり食べるのよ」
「レーズン……干しぶどうか?」
「ふふ。そうそう。だから、栄養がたらないのかも」
「……栄養がたらないのはアタシもいっしょだ。そっか、干しぶどう好きなのか」
「う、うん」
「じゃあいっしょだ。好きな食いもんがいっしょのやつは友だちだから。パンじゃないけど、干しぶどう。一個だけやる」
「ん……ありがと……あなたは食べないの?」
「うひぃ。『あなた』なんて言うなよ。『お前』でいい」
「名前は? 私、あなたの名前を呼んでみたい」
「……メル」
「める」
「メ・ル!」
「めるちゃん」
「だぁ! ちゃんと発音しろよ! メ」
「メ」
「ル!」
「る」
「だぁ! おばさん!」
「ふふふ。ごめんなさいねぇ。この子、舌っ足らずなのよねぇ」
「ごめんね……めるちゃん……」
「はぁ……もういい……」
「ねぇ、めるちゃん」
「なんだよ」
「次、お母さんのこと『おばさん』って言ったらお花の栄養にしちゃうから」
「ひぃ!」
「ふふ。いいのよぅ。私の歳だと誰から見てもおばさんどころかおばあちゃんだわ」
「そんなことないだろ。母ちゃんみたいでキレイだ」
「まぁ……お上手……」
「ねぇ、める」
「うぉ……呼び捨てになった」
「どうしてお母さんをくどくの? 怒るよ」
「待て待て待て、なんだよこいつもぅ。おば……えっと」
「マリア。マリア・フローレンスよ」
「マリア、こいつ怖いよ」
「ふふふ。この子ね、私のことになると見境がなくなるの。あと、頭も良くなるのよ。口説くなんて言葉、いつ知ったのかしら」
「いや、あんたがお母さんなんだろ。ちゃんとしつけろ!」
「これがいいんじゃないの。むくれちゃって。かわいい。ねぇー。アイリス」
「ぶぅ……」
「アイリスって言うのか。かわいい名前だな」
「あ……ありがと……」
「どんな意味があるんだ?」
「『すべての花々のように美しく、可憐。儚く、強く、速く。人滅びても永劫へ』」
「どこかで聞いたことがあるな……アイリス、つまりアヤメだろ?」
「あら。よくご存じで。古語に『いずれ菖蒲か杜若』という言葉があるの。それは百花りょうら……」
「わぁかったわかった。そんな難しいこと言われても分かんないよ。見かけ通り学なしなんだから」
「うそおっしゃいな」
「っ……」
「アヤメを知るには、ある程度古代歴史を学ばないといけないわ。それも、現存するアイリスの花と同義、ということも理解しているわね。ならばかなり限定された知識、それを得るには『虹の女神への賛美』を読む必要があるわ。私だって写本しか持っていないのに。恐らくそれは原本なのでしょうね。ならば、イリス信仰があり、同義としてヘルメスの家系のみ。すなわち、どこの家の出かくらいは絞り込める。メルちゃんあなた」
「没落貴族の子ね」
「っ! うるさい!」
「ぼつらくきぞく?」
「過去に栄華を極め、時代背景や謀りにより堕ちた貴族の事よ」
「うるさい!」
「この子に罪はないわ。ただ、その血が流れているというだけで迫害されてきたのでしょう。どこの家なの?」
「ちっ……分かってるくせに……フッド家だよ」
「そう。それで……」
「なんだよ!! お前まで母ちゃんを馬鹿にするのか」
「違うわ。それで身軽なのね。って言いたかっただけよ」
「う。そ、そっか……ごめん」
うつむくメルちゃん(心の中ならちゃんと言えるのだ。えっへん)をぎゅっと抱きしめるお母さん。目が、とろんとして、気持ちよさそう。でも、私の視線に気づいて暴れ出した。そして、ついでに私もお母さんと仲良くしてるのがおもしろくなくて暴れ出す。
「はっ、なっ、せっ、よ!」
「やだやだやだ!」
「ふふ……赤ちゃんがふたりになっちゃったわ」
「がー!」
「やー!」
「ふふ、ねぇ。メルちゃん。今までずっとがんばってきたのでしょう。お家は?」
「う……もうない……あるのは……液体になった母ちゃんだけ」
少し、怯えながらメルちゃんはポケットから小瓶を出す。そのビンの中には、透明じゃない水が入っていた。
「……これをどこで?」
「母ちゃんが溶けて、小瓶に入った。だからアタシは母ちゃんを蘇らせるために生きていかなきゃなんない」
「そう。方法はあるの?」
「う。わかんないよ」
「メルちゃん。じゃあ、あなたの夢」
「お手伝いさせて?」
「へ? そ、そんなすぐに信用できるかよ。目的は」
「ちょっと、ね。野暮用があって。その手の知識が必要なの。もしかしたらその小瓶から多くのことを得られるかもしれなくて。だから、目的は無形の銀の研究かしら」
「失敗したときの代償は」
「私が母となりましょう」
「お母さん!?」
「それは……うれしいなぁ……アタシの話を信じてくれただけじゃなくて、母ちゃんにもなってくれるのか」
「もし、その小瓶が使えなくなったら。の話よ」
「あ、そうか……じゃあ、母ちゃんにはなってくれないんだな」
「どうして? 失敗するかもしれないわよ?」
「マリアは、成功する。眼。眼がそう言ってる。その眼は裏切らないやつの眼だ。アタシを逃がしてくれた母ちゃんと同じ、だから失敗しない」
「……聡い子ね」
「お母さんをとるなー!!」
私のお母さんが他の子のお母さんになるのなんていやだったから。ぎゃーすか騒いでいると。私もいっしょに抱きしめられてしまう。私は、これをされると弱くって。その香り。温かさでなにも言えなくなってしまう。
「んむ……」
「アイリス、あばれないの。大丈夫。私はあなたのお母さんよ」
「ふぁい……」
「大丈夫よ。大きな赤ちゃんたち。こどもに心配なんて似合わないわ。お母さんに任せなさい。お腹空いたでしょう。まずは食事にしましょうね」
そう言ってお母さんは台所に行ってしまった。ぽつんと取り残される私たち。ケンカになるかと思ったら。耳まで真っ赤にしてそっぽを向いたメルちゃんはぽつり「ありがと、な」とつぶやいた。
「にひ」
「うわ。なんだその笑い方」
「んーん。めるちゃんかぁわいい」
「だぁ! 同じような見た目のやつに言われたかないわ!」
なんだか、お家が賑やかで楽しくなりそうだなぁ。
……この時は本当にそう思ったの。