水と炭酸水
予定通り三十分後に合流し、私達は外に出た。とりあえず丘を登ってみることにした。上の方にはサクレクール寺院という観光名所があるはずだった。
歩いてみて思ったのだが、案外モンマルトルは修学旅行で行った観光名所っぽいということだった。
お土産物屋が多くて、雑多に物が積み上がっている。お土産物屋ではないのかもしれないが、ダンボールにいっぱいの服が丸めて詰め込まれている激安アパレルショップなんかもあった。
モンマルトルというのは、下町だということは情報として知っていたが、なんとなく早速実感した。
他にもダンボールに入った果物を斜めがけに店先に陳列している個人商店や、そこかしこに色とりどりのカフェがあった。
建物はどれもが堅牢な石造りで(といっても、本当には石ではなくて別の建材なのかもしれないが)、何より扉の背がとても高いことが印象的だった。
それだけで開放感が違う。街行く人はかなり背が高い人が多いけれど、だから扉の背が高いというだけではないように思った。
街を歩いているだけで圧倒された。
私の贔屓目ももちろんあるのだろうが、これだけ堅牢で大きくて、その上機能性だけではない美まで住環境に求めている文化都市があるのだと衝撃を受けた。
街行く多くの人は観光客のようだったけど、それは来るだろうなぁと思った。
もちろん日本の紙と木の繊細な文化が好きという人もいるだろうが。
「コンビニが無いんだね」
カズナリ君が言った。
「ね」
私達は個人商店に入ってみて、水を買った。
「あっ、炭酸水だったわ」
カズナリ君が驚いたように言う。
「私の飲む?」
私が買ったのは、運良くふつうの水だった。
「うん」
カズナリ君が私の水を飲んだ。
「俺のも飲む?」
カズナリ君が炭酸水を渡してくる。
「うん」
私は炭酸水を飲んだ。思ったよりもずっと刺激の強い炭酸だった。舌がビリビリした。
坂道を登っていたら、今度は階段に行き当たった。
もう私達は地図を見ていなかった。せっかくだから街中を探検してみようという雰囲気になって、スマホに頼る気分ではなくなっていたのだ。
階段の前には、電動式のキックボードが乗り捨ててあった。小銭を入れて、楽に観光できるアイテムのようで、結構乗っている人を見かける。
「おっ、にゃんこ」
カズナリ君が指差した先には、壁に描かれた猫らしきキャラクターの顔があった。目がバッテン印になっている。街のそこかしこには落書きがしてあった。
しかし、落書きと言って良いものか、どれもかなり高い技術で描かれているように見え、街に彩りを添えていた。落書きというよりも、グラフィティといった方が良いのだろう。
「ホントだ。隣の女の人は、きれいだね」
猫の隣には、女性の裸の絵が描かれていた。スラッとした体型で、フランス美女という感じだ。当然のように、自然と胸も大きい。私から見てだが。
「そうだね」
カズナリ君が同意する。
「ふーん」
「えっ、サエさんがフッたんじゃん」
「別にー」
私はとっとと階段を登った。
「待ってよ、サエさーん」
道路を挟んで、さらに階段が続いていた。カズナリ君が私の前に立って、へばっている私に手を伸ばす。
勝ったような笑顔で微笑まれる。
私はムキになって、今度は二段飛ばしで階段を登って行った。
階段を登りきった先には、木に隠れて白磁の巨大な茶器のような建物が見えた。
目の前が開けてような感覚があった。あれが、サクレクール寺院だろうか。
「おっ、あれが例の・・・」
隣に来たカズナリ君が言う。息一つ切れていない。
「カズ、ナリ君」
私は息を切らして言った。
「ありが、と、連れて、きてくれて」
「そんな死にそうな声で言わないでよ」
見上げると、カズナリ君が可笑しそうに、でもやさしげに微笑んでいる。
「行きますか」
カズナリ君が懲りずに手を差し出す。大きな手のひらを柔らかく上に開いて。その仕草はおちゃらけているようで、とても優雅で、浮かれるには絶妙な加減に見えた。
「うん」
私は、その大きな手に、手を重ねた。
「エスコートよろしく」
「まかせて」
カズナリ君が適当な調子で言う。その調子が心地よかった。