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サクレクール寺院

 結論から言うと、さっき目の前に見えた白い建物は、サクレクール寺院ではなかった。市立公園にある何らかの建物だったらしい。

 何かはよくわからなかったが、とても大きくて歴史を感じさせる様式の建物だった。

「ちがったね」
「ね」

 私達はその建物の岩っぽい壁をペタペタ触りながらうなずきあった。

 そこを右に折れて少し歩くと、サクレクール寺院がすぐにあった。

「あった!」
「あった!」

 自然と繋いだ手に力が入った。

 サクレクール寺院はモンマルトルの丘の上にあるのに、入り口にはさらに階段が設えて高台にあった。さらには、大きな門の上には二人の騎士が馬にまたがって剣を掲げている。

 サクレクール寺院の真正面に立って見上げると、圧倒された。

「サエさん、サエさん」

 けれど、カズナリ君は後ろを振り返り、言った。

「見て」

 言われて振り返ると、眼下にパリが一望できる景色が広がっていた。飛行機雲が二本線を引いている青空に、白を基調とした無数の建物が地平線まで続いている。

 急にパノラマの視覚になって、脳が開けた感じになる。

「すごー」

 思わず声が出る。

「ねー」

 私達は一旦手を離して、体全体で振り返った。風が気持ちいい。

 たしかに観光本には載っていたけれど、これほどとは、と思う景色だった。

「やっぱり寺院とかは、良いところに建てるんだねえ」
「そうだね。ちょっとご利益ある感じするもんね。アレとか」

 カズナリ君が目で示した先には、ウェディングドレス姿の花嫁と、花婿らしき人がいた。花嫁はポーズを作り、花婿は低い姿勢で写真を撮っていた。

 見ると、他にもカップルらしき人々は多く、まだ午前なのに階段に座っては二人寄り添っている。

 中には彼女が彼氏の上に乗っかり、真正面からハグしているカップルもいた。お互いしか目に入っていない様子だ。景色を見なさい。

「サクレクール寺院って、恋愛の神様なの?」とカズナリ君が聞く。
「いや、そういう神社みたいなことはなかったと思うけど・・・」

 しかし、カップルからしたら、神のご利益、というか恩寵のようなものがあるのかもしれない。神の愛と彼らにとっての愛は近いものがあるのかもしれない。

「日本だと、罰当たりってなりそうなものだけど、そういう感じはないね」

 私は考え考え言った。

「そうだね。ここでは何も隠す必要はないのかも」

 そう言って、カズナリ君は私を見て微笑んだ。手をやわらかくつないでくる。

「観光名所に来て、ただ浮かれてるだけって説もあると思うけど」

 私がそう返すと「それはあるな」とカズナリ君は笑った。

 私達はまた振り返って、サクレクール寺院の中へと向かうことにした。カズナリ君はつないだ腕を上げ、私はその中でくるりとダンスするみたいに回った。

 私達も傍から見れば、十分浮かれているだろう。


 サクレクール寺院の中に入ると、そもそも教会であることがよく分かる。

 長さ五十メートルもある大広間に、よく映画で見るような木製の長椅子が何十個と並べてある。その椅子のそこかしこに人が座り、キリストに祈っている。

 ドーム型の建物は、なんとなく原爆ドームを思わせた。このように天井が丸い建物は他に私は知らないからだろう。

 半球状の壁には、様々な意匠が凝らされていた。

 窓の形は角が丸い氷の結晶のように複雑だし、頭上を見上げれば天使が四人彫られて人々を見守っている。

 そして、なんと言っても真正面にキリストの絵が描かれていて、神々しさを演出する黄金色と灰色の色調が目を引いた。

 寺院の中をぐるっと一周でき、キリスト教の偉人を祀るミュージアムのようになっていた。

 寺院を出ると「ぷはぁ」とカズナリ君が息を吐いた。

「なんか緊張した」

 その気持ちはわかった。観光名所であると同時に信仰の地だから、やはり自分たちの異物感は多少なりとも感じた。

「サエさんって、意外と文化的造詣が深いわけではないよね」
「うっ」

 カズナリ君が痛いところをついてきた。

「特にキリスト教に興味あるという感じでもないし。なんでモンマルトルの丘に来たかったの?」
「まぁ、旅行本を絵本みたいに見てたから、憧れてて。かわいいし・・・」
「うすっ」
「うっさいなー、別にいいでしょー。まぁ、あとは、両親が来たことあるって話聞いてたから、来てみたかったのかも」
「ふーん。サエさんの両親ってどんな人?」
「うーん、いい加減な人かな~。息子が怪しい隣人にたぶらかされてても気にしないくらいには」
「なるほど。それは危険だなぁ」
「うん、ホントにー」

 私達はお互い悪い笑顔で微笑み合った。


 小さい頃に母が一度だけ話してくれた。

 モンマルトルの丘に、若い頃二人で行ったのよって。まるで夢見る少女のようだった。それ以来、そこは私にとって特別な響きを持つようになった。

 まるでお姫様と王子様が本当にいて、幸せに暮らしている絵本の世界を想像した。

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