79.欲張りなキス
ビニールのかかったジャケットを見せ、ゆるやかに二つ折りし紙袋の中に入れる。
それを逢坂のデスクの上に置き、ペコリと一礼した。
「おれのジャケットだと、最初からわかっていたのか?」
なぜか逢坂も有吉と同じことを問うてくる。
「はい。私が居眠りしちゃったときにかけてくださったの、逢坂社長ですよね。そのまま返すのは失礼かと思い、クリーニングに出しました。お返しするのが遅くなって申し訳ありません」
逢坂が有吉のほうに意味ありげな視線を向けたような気がしたが、ちひろはあまり気にしなかった。
逢坂は椅子から立ち上がると、ちひろに声をかける。
「行くか。そろそろ」
「はい」
逢坂とちひろは、プレゼンテーションパーティに出席するため、社員に見送られながら会社をあとにした。
「タクシーを拾うか」
「あ、ちょっと待ってください」
ちひろは急いで一階の花屋へと向かい、赤い薔薇を一本調達する。
戻ってくると、逢坂の胸ポケットにそれをそっと差し込んだ。
「これで、初めて会ったときの赤い薔薇のおじさまになりました。すっごくステキです」
ちひろが笑うと、逢坂も笑う。
目尻に皺が寄って、とても優しい表情だ。
「どうしていつもサングラスなんですか? ないほうが格好いいんですけど」
あどけなくそう問うと、逢坂の答えはある意味ちひろの想像の斜め上であった。
「単なるドライアイと疲れ目防止だ。PCの画面を見続けていたら、目が乾燥して疲れるからな」
「はあ……」
(サングラスと無精ヒゲのおかげで、赤い薔薇のおじさまが逢坂社長とつながらなかったんですけど……)
逢坂が照れくさそうに髪をかき上げると、すっと手を伸ばしてきた。
彼の大きくて節くれ立った指が、そっとちひろの耳もとあたりの髪を撫でる。
「……そういえば、褒美がまだだったな」
低く渋い声でそう言われ、ドキンと心臓が高鳴る。
褒美と聞き、ちひろの顔が熱くなってしまった。
キスをしてほしいとねだったことを、彼は覚えていてくれたのだ。
でも、あれからちひろの気持ちが、少しばかり変わってしまっている。もっと欲張りになってしまったのだ。
「私……その、逢坂社長のキスじゃなく……」