78.長谷川さんのことが気になるんです
あの日、ホテルのバーで逢坂はフラれた後輩の話をしていた。
(華やかな結婚式……少し年配の女性だけど、とても綺麗で……あの新婦さんが長谷川さんだったんだ! 逢坂社長、もしかして今でも彼女のことを……?)
逢坂の、長谷川への想いを問うのは、余計なお世話というものだろうか。
何しろ彼女はすでに人妻だ。
まだ好きなのだとしても、逢坂にはどうしようもないはず。
(モヤモヤしているくらいなら訊いたほうがいいわ。長谷川さんのこと……)
「あのっ……」
しかし、ちひろが口を開いた瞬間。
「おはようございます」
ほかの社員が出勤してきたので、口をつぐむしかなかった。
逢坂が自然な態度で給湯室から出ていくと、黄色い悲鳴があちこちから飛んでくる。
「きゃー! 逢坂社長! ステキ!」
「久しぶりですねえ。社長の正装」
女性社員が逢坂を取り巻き、スーツ姿を褒めちぎっている。
(訊きたいなあ、長谷川さんのこと。……迷惑かなあ)
ちひろはデスクに戻ると、持ってきた紙袋からクリーニングされたジャケットを取り出した。
「おはよう。今日は可愛いね。プレゼンテーションパーティだっけ」
有吉が現れると、すぐにちひろのそばに近づいてきた。
いつもの爽やかな笑顔を向けてくる。
「はい。そうです」
「ぼくも行きたかったなあ。ちひろちゃんをエスコートしたかった」
拗ねた口調でそう言われ、ちひろは笑うしかない。
「そう言ってくれて嬉しいです。でも、逢坂社長が一緒に行ってくれることになりました」
「ちぇっ。今度はぼくを誘ってね」
(有吉さんって優しいな。私がずっとぼっちでいたから、気を遣ってくれるんだよね)
手に持つジャケットを見て、有吉が目を細める。
「それは……誰のかな?」
「私が居眠りしちゃったときに、逢坂社長がかけてくださったジャケットです」
有吉は眉間に皺を寄せると、ひょいと肩を竦めた。
「なーんだ、わかっていたんだ。残念」
「どういう意味ですか?」
「それ、ぼくのだと思わなかったの?」
「思わないですよ。だってフレグランスが逢坂社長の香りですから」
有吉がむっとした表情を見せたが、ちひろにはなぜ機嫌を害してしまうのかわからず困ってしまう。
(あれ? 何か怒らせるようなこと言ったかな?)
ふて腐れた顔で腕を組む有吉を置いて、ちひろはジャケットを持ち逢坂のデスクへ向かう。
「逢坂社長。これ、ありがとうございました。クリーニングしておきました」