(17)ストーカーの末路
ストーカーの終わりは、ふられた時と同様、唐突にやってきた。
ある朝、いつもと同じように自転車で追走していると、彼女がいつもとは違う道へと進んだ。
知らぬ顔をして通り過ぎようかとも思ったが、それには道幅が狭かったし、あまりに白々し過ぎた。押し退けるわけにもいかないし、Uターンするのも明らかに間抜けだ。やむなく自分も自転車を降りて、彼女の前に立った。
「おはよ」
先に口を開いたのは彼女だった。
にこりともせず、かといって怒っているふうでもない。久しぶりに至近距離で真正面から見る顔。朝の風に乗って微かに届く甘い香り。
思わず卒倒しそうになるのを踏ん張ったといえば大袈裟に過ぎるが、それくらいのインパクトがあった。
「お、おはよう」
とりあえず挨拶を返した。
「いつまで続ける気?」
「続けるって……ストーカーのこと?」
「ストーカーだっていう自覚があるんだ」
「まあ、多少なりとも」
久しぶりに二人きりで交わしたのが、そんな間抜けな会話だった。Uターンなんかしなくても、ストーカーは十分に間抜けだと思い知らされた。
こそこそ撮った写真を送り付けたりもしなかったし、郵便受けを覗いたりもしていない。今日の服装は可愛かったねとか、髪を切ったね、似合っているよとか、今日食べていた皿うどんが美味しそうだったねとか、そんな感想を届けたこともなかった。本当にそっと見守っているだけ。どちらかといえば守護神のような、それが言い過ぎなら背後霊でもいい。自分の存在をアピールするような真似はしていないつもりだったから、見抜かれていたことはショックでもあったけれど、一方でさすがだなと感心したりもした。
「——ったく」
彼女は小さくため息をついて、何かを吹っ切ったかのように困惑の表情を真顔に変えた。だが、その一瞬、笑顔が垣間見えたのは錯覚だったのかどうか。
「そんなことしなくてもさあ、サークルはずっと一緒なんだし、顔を合わせる機会はいくらでもあるじゃない」
それについて特に反論はなかった。
「大丈夫?」
何がと思ったけれど、大丈夫と答えた。
「わたしが、他の男の子と付き合い始めたらどうする?」
これは想定外の質問だった。もちろんそれが最も懸念すべき事態には違いない。事が起こってから、想定外ですなんて政治家や役人みたいなことを言っても始まらない。
ストーカーとは、そんな、好きな女の子が他の男と楽しそうに過ごしている場面でも見たいと思うものなのだろうか。そんな場面だからこそ確認したくなるのだろうか。その結果、嫉妬に燃えて堪え切れなくなって相手の男をどうにかしようとするのか。無理心中という方向もあり得るか。自分のものにならないならいっそ、と。世の中にはそんな犯罪も多いのかもしれない。
そんなことが頭の中を駆け巡った。
「そんなの、その時になってみないと分からない」
彼女の前では正直だった。自分の心に忠実だった。それが言動に表せたかどうかは別にして、少なくとも嘘はなかった。
それなのに、どうしてつき合い始める前と後とで関係が変わってしまったのだろう。変わってしまったことに自分では気づいてすらいなかった。ずっと同じように大事に大切に愛おしく思っていた。それでも彼女から変わったと言われてしまった。
変わること、それは仕方のないことなのかもしれない。爆発して飛び出しそうになる心臓を
そんな守りたいもの、失いたくないもの、かけがえのないものができてしまったのだ。変わらないはずがない。彼女を想う気持ちは強くなりこそすれ、これっぽっちも色褪せはしなかった。
他の女の子など目にも入らなかった。失礼ながら外見だけなら、もっと綺麗な女の子も可愛い女の子もいたかもしれない。それでも、どんな女の子にも代替の利かない存在だった。
そして、これは
それでも、それなのに、別れを告げられた。
理由は、長い年月を経て今日知った。
変わったことがいけなかったのだと。
それはもしかしたら変わり方の問題だったのかもしれない。
でも、何故だろう。
どうして、それだけのことで、たったそれだけのことで、どうして諦めてしまわなければいけなかったのだろう。諦めてしまったのだろう。
失いたくないと意識するようになった。それだけのことだったはず。
どうすべきだったのか。
どうすればよかったのか。
彼女に対する不満はなかった。
彼女の方に不満があるなら、もっと文句を言ってくれればよかったのに——。そんな不満が、長い時を経て少しだけ浮かび上がった。
いや。それはお互いさまなのかもしれない。彼女の前では正直でいたつもりだったけれど、それは単に嘘がないというだけで、全てをさらけ出してはいなかったのだろう。互いにもっと思いをぶつけ合うべきだったのだろう。喧嘩の一つや二つするくらいに。
そうすれば、もしかしたら関係は壊れずに済んだかもしれない。
あの時、ストーカーに対峙した彼女は、ため息に言葉を乗せるようにして言った。
「分かったわよ」
何を分かってくれたのか、分からなかった。
「でも、盗撮はいやだ」
黙って頷いた。
約束は守る自信があった。
「はっきりしないお天気ね」
彼女は空を見上げて、また自転車に
そのうしろ姿が、ストーカーとして見た最後の彼女だ。
あとを追わず見送ったその姿が見えなくなったのと同時に、ストーカーを卒業した。