31.初めてのお手伝いは暗号から
「君はまだ研修のひとつも受けていない段階だろう。実務を何ひとつやっていないのに、表層だけを見てできないかもなどと、何をくだらんことを言っている」
逢坂の言いたいことは理解できるが、どの角度から見ても、ちひろ程度の経験値でやっていけると思えない。
(簡単な伝票仕事しかしてこなかった私に、エッチなインナー関係の商品企画や開発って……敷居が高すぎる)
言葉に詰まっていると、彼がこう言い切った。
「最初から君がこの業界についてこられるとは思っていない。おれは、ゆっくりと育てるつもりでいる。ほかの連中だってそうだ。異業種から入ってきた社員だって何人もいる。取りかかる前から合わないかもなんて、気弱な泣き言を零すんじゃない」
そこまで言われてしまっては、ちひろが根性なしで情けない奴になってしまう。
実際のところ情けない奴であっているのだが、認めてしまうには少しばかりなけなしのプライドが邪魔をした。
「……わかりました。頑張ってみます」
小さくそう返すと、逢坂は深く頷く。
「とりあえず研修を受けなさい。合う、合わないはそれから考えても遅くはないだろう?」
「はい」
「まずはハイブランドチームのリーダー、高木の補佐から初めてくれ」
ちひろは一礼すると、肩を落とした状態で席に戻る。
すると、周囲の視線はますます冷ややかになっていた。
「エロくてエッチだってさ」
「私たちに対しても失礼よね」
(そういう意味じゃないんだけど……自分の能力不足を説明したかっただけなのに、言いかたを失敗してしまった……)
彼女たちは、ちひろが口にした「エッチなインナーが恥ずかしい」という部分が気に入らなかったようで、小さな声でヒソヒソと離している。
(どうしよう。謝りたいけど、謝れる雰囲気じゃないし……)
すると逢坂は、営業に出ると言い残し、オフィスを出ていってしまった。
そのうち、みなそれぞれの仕事を始めてしまい、冷ややかな空気だけが残されてしまう。
――ということで、雰囲気の悪いまま研修一日目に突入することになる。
§§§
一日目。ハイブランドチームでの研修。
チームリーダーの高木は外見も派手なら、経歴や言動も派手。
英語とフランス語ができるトライリンガルだという。
リーダーシップをこれでもかと発揮し、5人の社員ををきびきびとまとめ上げている。
バイリンガルですらこれまで周囲にいなかったので、3カ国語が堪能だなんてちひろにとっては別次元のひとみたいだ。
フランスのデザイナーや台湾からの生地業者とやりとりしている姿など、ドラマさながらの光景である。
「中杢さん」
「は、はいっ!」
そんな彼女に呼ばれて赴くと、色とりどりの布の束を渡された。
「マテリアルサンプルをミラノに送りたいの。インボイスお願い」
「はい?」
しょっぱなから暗号みたいな仕事を依頼されて、棒立ちになってしまう。