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十二話 一夜幻之丞

 階段を下りた先の広間の中央に、小太郎と同年代らしき総髪の男が、明かりを灯した二本の燭台に挟まれるようにして鎮座していた。男の背後、少し離れた暗がりに、上から気配を感じたもう一人がいるようだ。


「よくこられた。風魔小太郎殿。拙者、一夜の頭領を務めております、一夜幻之丞(いちやげんのじょう)と申します。以後お見知りおきを」


 幻之丞が深々と頭をさげる。
 やはりこの男もかと、小太郎は内心ため息をつく。一夜衆頭領を名乗るその男もまた、これまで見てきた里の者同様に美しかったのである。二本の蝋燭の淡い光に照らされたその顔は、幻想的ですらあった。こう美しい顔ばかり見せられると、美しく育ったと密かに自慢に思っていた自分の愛娘が平凡以下に思えてくる。
 小太郎は幻之丞に勧められ、幻之丞の正面に敷かれた敷物の上に腰をおろした。


「わしが来ることを知っておられたようだが、理由もご存知か?」

「存知てはおりませぬ。が、ある程度推測することはできますな。おそらくは、里見家の八犬士の子孫に関してではございますまいかな」


 わかっているではないかと小太郎がしかめっ面で頷くのを見て、苦笑を浮かべつつ幻之丞は言葉を続ける。


「残念ながら、我らもお売りできるほどの新鮮な情報を手にいれてはおりませぬ。ただ、昨夜の騒ぎを引き起こした八犬士と名乗った者たちが、かの八犬士の子孫であることは事実のようでございますな」

「だが、やつらは一ヶ所に押し込められておるのではなかったか」


 小太郎の問いに幻之丞は表情を崩した。


「さすがは小太郎殿。ご存知でございましたか。確かに八犬士の家族らはひとところに集められておるようでございます。
 今回表に出てきたのは、おそらく外部に協力者がいるからでございましょう。
 それに、今は彼らを忌み嫌い目をつけておられた義堯様が彼らどころではなくなりましたからな。その間に義弘様との間になにかやり取りがあったのかもしれませぬ」

「……はっきり申すが、そのようなことはどうでもよい。わしが知りたいのは彼奴らの使う術についてよ。お主、すでに昨夜のことまで耳に入っておるようだが、彼奴らの術についてなにか知らぬか?」


 幻之丞は肩を落しつつ首を横に振る。


「それを知っておれば、今頃、氏康様に売らせていただいておるのですがな。
 ただ、彼ら自身は、彼らが使う術を術とは考えず、呪いと考えているようでございますな。その名も『呪言』と申しているようで……」
 

 そう言われて小太郎はどきりとした。つい先ほど、彼らの美しさに関して、呪いではないかと考えたばかりだ。


「初代の八犬士たちが常人を超える力を授かったのは、元は玉梓という女の呪詛に端を発していると聞き及んでおります。八犬士のその尋常ならざる力の象徴として、八つの珠をそれぞれが所持していたとか……。その珠は丶大(ちゅうだい)法師と申す者が、安房の四方に安置されている仏像の目としてはめ込んだらしいのですが、半年ほど前にそれがなくなったそうにございます」

「彼奴らが盗ったと?」

「そうかもしれませぬし、そうでないかもしれませぬ。ただ一度は祖先が手にしていた力。再び手にしようとしても不思議ではござらん。北条様の軍勢を八人で打ち破ったのが、すでに人知を超えておる証拠。いくら風魔の方々でも、無策で挑めば無事ではすみますまい」
 

 小太郎は腕を組んで考え込んでいたが、じろりと幻之丞をねめつけて言った。


「わしをここまで引き入れて、そんな話を聞かせるのは何故だ。わしに何を売りつけるつもりだ」
 

 幻之丞は先ほど氏康に売れるほどの情報は持っていないと言った。なのに氏康の使命を果たすために情報を求めてきた小太郎を、彼らの懐まで導いた。
 これは何故か? 氏康に売れぬのに、小太郎に売れる情報があると言うのか?


「先ほども申しました通り、売れる情報はございませぬ。彼らの呪いの情報は、直接八犬士と相対して得るしかござらん」

「それでは!」


 遅いと言おうとした小太郎を、幻之丞は手を前にかざして制す。


「たとえ得る情報が少なくとも、活用するまでの時が短くとも、彼らの呪いに対抗し、戦に勝利する手立てを思いつけばよい」

「……その手立てを売るというのか」

「正確には、手立てを思いつく術を売ると言いますか……お貸ししたいのですよ」
 

 幻之丞はそう言って、手をぱんとうった。
 すると幻之丞の背後で灯りが灯る。若くそしてやはりと言うべきか、美しい女の顔が浮かぶ。


「この娘、名を乙霧(おときり)と申します」


 幻之丞に名前を呼ばれ、乙霧は妖艶に微笑む。
 小太郎は背筋に冷たいものが走るのを感じた。
 この娘は違う。
 目の前にいる幻之丞はもちろん、小太郎をここまで案内した少年達とも、他の里の者達とも違う。
 異質な美しさが、そこにはあった。

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