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八話 戦後処理

 捕えられた三名の騎馬武者が縄で縛られ、生野(いくの)の前に引っ立てられて来た。
 彼らを引っ立ててきたのは、髪の毛さえない骨と皮だけの枯れ枝のような女―――――犬村家のお礼が、三人の膝裏を順々に蹴りつけ彼らを(ひざまづ)かせる。


(ふみ)代わりは三人もいれば充分だろ、長老?」

「うむ。三人もおれば、一人は生きて帰るじゃろうて。ご苦労じゃったな、お礼」

 
 お礼の声に応え、縛り上げられた彼らの前に、両瞼をしっかりと閉ざした老人犬山|狂節が、杖をつきつつ進み出た。
 彼らが怯えた目で狂節を見る。普段であれば、薄汚い死にぞこない程度にしか映らなかったであろうが、部隊を壊滅させられたいまとなっては、その姿が死神のように見える。


「さて、皆は少し離れておれよ。大丈夫じゃとは思うが、念のためじゃ」
 
「そうだね。それじゃあ、こいつらは長老に任せて、あたしらはもうひと働きといこう。物資を捨ててってくれたみたいだし、死んだ連中の武具なんかも使えるのが結構ある。それらなんかも集めとこうか。
 小三治、お信磨。あんたらはあたしと一緒にあいつらの残した物資の回収。吉乃、あんたは他の三人をまとめて荷車に乗せて、長老から離れたところで休んでな。いいね」


 お礼は慣れた感じで他の八犬士にきびきびと指示をだしてゆく。
 生野がちらりとお礼を見るが、お礼が頷くのを見ると、ほんのりと笑って、大人しく荷車の上で横になる。
 お礼たち三人が立ち去り、吉乃が他の三人を乗せた荷車を引いて離れ、その場には狂節と騎馬武者三名が残された。
 狂節は、若き八犬士たちの気配が遠ざかると、杖で数度地面をつき、武者たちに語りかけた。


「さて、お主たちは小田原より出立した者たちで間違いあるまいな」


 三人は狂節の雰囲気に呑まれ、狂節の目が見えぬのに黙ったまま頷いてしまったが、目の見えぬ狂節は特に返事を期待していた様子もなく言葉を続ける。


「お主らはこれより小田原に戻り、氏康に伝えるのじゃ。小田原とお主の白髪首、我ら里見八犬士がいただくぞと」
 

 そこまでいうと狂節は三人に顔をずいと近づけた。


「我、貫く忠は、我が命より発す」


 狂節の言葉に応えるように、閉じられた瞼の隙間から光が漏れだす。


「我が目を見よ」
 

 狂節が右目の瞼を持ち上げる。そこに目玉はなかった。替わりに『発』の文字が浮かぶ光る半珠がはまっており、三人の視線が光る半珠に釘づけとなる。ふと眼窩から半珠がはずれ、狂節の足元にぽとりと落ちた。
 三人の視線はそのまま動かず、眼窩にぽっかりと空いた闇に吸い込まれる。闇から耳障りな羽音をたてて数匹の蚊が飛び出す。蚊は三人の体に取りつき血を貪るが、三人は追い払う仕草さえ見せず、眼窩の空洞に見入りされるがまま……。
 狂節が光の弱まった『発』の半珠を拾い上げ、眼窩の前で振ると、食事を終えた蚊たちが巣穴へと戻っていく。狂節は最後の一匹が戻るのを羽音で確認し、再び眼窩に半珠をはめ込む。
 それから間もなくして、お礼が三頭の馬を連れて戻ってきた。


「終わったみたいだね」

「うむ。そちらはどうじゃった」

「ああ、兵糧も含めて荷車四台分てところかな。いま向こうでお信磨と小三治がまとめてくれてるよ。安兵衛ならそれくらい|牽《ひ》けるだろうさ」
 

 言いつつ、呆然と座り込んでいる三人の武者の後ろに立つと、刃についた血が乾きはじめている小刀で、彼らを拘束していた縄を、彼らの体に触れぬように慎重に切る。


「ほら、馬も返してやるよ。あたしらもすぐに小田原に向かうからね。ぐずぐずしていると、あんたらがたどり着く前に北条が滅んじまうよ。急ぎな!」
 

 三人はお礼に言われるまま馬に跨り、すぐさま馬を駆り立てた。小田原に早く危機を伝えねばならぬという使命感からではなかろう。この得体の知れぬ者たちから、少しでも早く離れたかったからに違いない。
 彼らが馬で駆け去ってのち、八犬士はゆっくりと時間をかけて、北条軍が運んできた物資や、逃げた者が落して行った物、死者の身につけていた物で使えそうな武具等を荷車に乗せ、落ちないように縄でしっかりと固定する作業に従事した。
 その作業ももう間もなく終わる。
 荷物を積んだ荷車を縦一列に並べて縄で繋ぎ、先頭の荷車の引手には安兵衛が縄でしっかりと括りつけられていた。


「本命の手柄じゃないんだ。いざという時は置いて逃げるんだよ」
 

 お礼が血を拭いた小刀を、安兵衛の腰に結ばれた紐の間に差し込む。


「心配ねえよ、姉御。おいらが全力をだしゃあ、ついてこられる奴なんざいやしねえよ」
 

 お礼が安兵衛の額を軽く小突いた。


「馬鹿だねえ。それであんたの心の臓が止まっちまったらどうすんだい」

「死ぬのなんて怖くねえ」
 

 唇を尖らし、安兵衛が|反駁《はんばく》する。


「……そうじゃない。ここにいる全員死ぬのは覚悟のうえさ。でも命を使い果たすのは小田原を落とす為にだ。あんたの弟の将来はあんたの手でつかむんだよ」
 

 安兵衛はお礼の言葉に俯いて思案するが、すぐに顔をあげた。


「……うん。そうだった。ごめんよ、姉御。あいつのためにも、おいら必ず戻るよ」
 

 聞きたい言葉を聞き、お礼は安兵衛の頭を愛しそうに撫でてからそばを離れる。


「よし、それじゃあ、ひとっ走り行ってくるよ。生野の兄貴、おいらが戻る前に、小田原を落としちまわないでくれよ」
 

 生野が笑って頷くのを見ると、安兵衛は表情を引き締めた。


「我、仁を貫くは、我が命を全うするが如く!」

 
 安兵衛が胸に抱いた石臼を回し始め、両足の半珠の光が強まり始めると、安兵衛の鉄の足に再び命の息吹が通う。
 安兵衛が荷車ごとゆっくりと前進する。安兵衛が徐々に腕の動きを速めると、それにともない前進する速度も速まっていく。物資を満載にした荷車を、四台も引いているとは思えない速度で、安兵衛は手を振ることもなく七人から遠ざかって行った。
 

「よし。我らも行くとするかのう。生野よ」


 安兵衛が完全に見えなくなるまで見送ると、狂節の言葉を合図に、残った八犬士も歩き始める。
 北条の居城小田原城に向かって。
 一族の未来に向かって。

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