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第1話 骨の竜と教授

 白骨の怪物たちが、広間を埋め尽くしていた。

 複雑に枝分かれした角を持つ、鹿のようなもの。
 反り返った上向きの牙を生やした、猪のようなもの。
 長大な体から鎌首をもたげて牙を剥く、蛇のようなもの。
 羽毛を失った翼を大きく広げた、鳥のようなもの。

 その他、雑多とも言える数多くの骨の獣たちが群れをなし、光を宿さぬ虚な眼窩で侵入者を睨み付けていた。

 広間の入り口には、一人の男が立ち尽くしていた。いや、顔立ちや身に纏う学生服から、彼はまだ少年と呼ぶべき年齢と見て取れる。
 短く刈り揃えられた髪は暗褐色。目付きの悪い、陰鬱そうな印象を与える少年だった。群青色の冬服は、この国に五年ほど前に新設されたばかりの学院の生徒であることを示している。
 少年は背中に、鞘に納められたその身長と変わらぬ長さの大刀を背負っていた。彼の四肢は鍛えられているようだが、見るものが見れば戦士としての力量はまだまだ未熟であることがわかるだろう。

 予想外の光景にその身を強張らせていた少年であったが、その間も骨の獣たちは、彼に襲い掛かる様子も、逃げ出す様子もなかった。時が凍りついたかのように、微動だにしない。

 大刀の柄に手をやりながらも、じりじりと後退りを始めていた少年の視線が、広間の奥に立つ主の姿をとらえる。

 その獣――いや、竜は、無数の骨の獣を従え、迷宮の王のごとく広間の奥に(たたず)んでいた。
 竜の姿に、少年の心臓が大きく跳ねた。従者のように左右に控える骨たちの間を抜け、王の(もと)へと歩を進める。

 それは一見、ある種のトカゲやワニに似た姿をしていたが、それらよりもはるかに大きい。少年の見上げる頭骨の天辺(てっぺん)が、彼の背丈の倍を超える高さにあった。
 発達した二本の後ろ足のみで、前後に伸びた巨体を支えている。前足は鋭い三本の鉤爪を備えているものの、後ろ足に比べれば小さく、地に付けられることはなかった。
 その頭は、体に比べ不釣り合いなまでに大きく、開かれた顎にはわずかに曲がった牙がびっしりと並んでいる。体の後方からは、バランスを取るかのように長い尻尾がうねりながら伸びていた。

 ふと、少年の視界の端を文字がかすめた。

 -暴食竜(レマルゴサウルス)

 その言葉を認識した瞬間――少年の全身の血が、沸騰した。

   ◇

 元はと言えば、同級生の落とし物を渡しに来ただけだったのだ。
 燃えさかる炎のような、鮮やかな赤髪が目を引く少女だった。

 大きな戦いを乗り越えてきたこの国には、英雄と呼ばれる存在も決して珍しくはない。このリーフ国立学院においては、そのご子息、ご息女という者たちが何人も籍を置いている。彼女もたしか、新入生の中で早々と有名人のひとりになっていたはず。
 とはいえ、訳あって他の同級生と交流の少ない少年には、彼女の名を思い出すこともままならないのだが。

 学院からの帰り道、少年は少女のカバンから転がり落ちた手帳を拾った。それに気付くことなく、近くの建物に入って行った少女を追いかけ、たどり着いた先がこの予想外に大きな広間。
 そこで少年が見たものは、まるで孤児院で聞いた物語に出てくる、魔物の巣食う迷宮の光景だった。

 そして今、背中の大刀を抜き放った少年は、気が付けば少女に押さえこまれていた。
 大刀を構え、駆け出そうとした瞬間、足を払われ、後ろから突き倒された。右腕を踏みつけられ、思わず大刀を手放す。

「動かないで」
 少女は冷たい光を宿した紺碧の瞳で少年を睨み付けながら、その背に膝を下ろし、体重を掛けて動きを封じにかかる。

「ここに一体、何の用?」
「は、離せ……っ!」
 押さえ付けられながらも、体を捻り、少年は拘束から逃れようとする。普段から大刀を担いでいるだけあり、力だけなら少年にもそれなりにある。少女を押し退けながら上体を捻った。

「こいつは……っ! 俺の家族と、村の仇なんだ!!」
「…………!」

 少年の言葉に、それまで表情の乏しかった少女の顔に驚きと戸惑いがかすかに浮かび、力が一瞬だけ緩む。
 そして、やみくもに振り回された少年の左手が、少女の顔をかすめそうになった瞬間――
 少女のものではない腕が伸び、少年の手首を掴み取った。
 うつ伏せに倒れた少年からは見えなかったが、もしこの現場に居合わせた者が他にいたら、いなかったはずの一人の男が、突如出現したかのように見えたであろう。

「過保護……」
 そんな少女の声とともに、 少年の背から彼女の重さが消える。

「いかんのう。街中でそんなものを振り回しては」
 突如現れたその声の主は、どうやら老人のようだった。
 ただ、少年の手首を押さえたその腕だけは、そこに刻まれたシワに似合わず、意外なほど力強かった。
「あ……」
 その言葉に、少年は少しだけ理性を取り戻した。
 立ち上がった少年の目に写ったのは、初老と言える年齢の白衣の男だった。後ろへと撫で付けられた髪はすっかり白くなっているが、背筋はまっすぐに伸びていた。

「家族の仇と言ったな?」
 その老人が少年の顔を覗き込みながらつぶやいた。思いの外に鋭いその眼差しに、少年は気圧《けお》される。
「な、何だよ、あんた」
「わしか? 入学式にも顔を出しておったんじゃがのう……」
 老人は一瞬、しょんぼりしたような表情を見せたが、すぐに立ち直って少年へと向き直る。
「記憶に残っていないのならば、何度でも名乗ってやろう。わしの名はアイザック・ローレンス! ヴェルリーフ都立学院博物科教授にして、このリーフ国立博物館の館長になる男じゃ!」

 少年が自分も名乗るべきなのかと悩んでいるうちに、教授を名乗った男の方が先に口を開いた。
「お主、もしや……レオナルド・オーウェンか?」
「なっ!? 何で、おれの名前を……?」
 突然自分の名を言い当てられ、レオことレオナルド少年は上体をのけぞらせつつ後ずさりする。

「タリア嬢……院長から頼まれておった。孤児院から一人行くからよろしくとな」
「タリア先生が……」
「村の話も聞いているぞ。お主の気持ちも、わからんとは言わん。じゃが、動かぬ骨に当たってもなんにもなるまいよ」
「あ、あんたに、何がわかるんだよ!」
「八年前、お主の村を襲った個体は、その数日後にこのリーフ公国の軍と傭兵隊によって討伐されておる。よもや、それを知らずにこれまでの歳月を過ごしておったわけでもあるまい」
 その話なら、確かにレオも聞いたことがあった。そして、その際に多くの犠牲が出たことも。

「その死骸は、兵士たちの怒りを買ったせいか、そのまま焼かれたそうじゃ。」
 そう言うと教授は、骨の竜へと視線を送る。

「この骨格標本は別の個体じゃ。わしがこの国にいる間、レマルゴサウルスは二度、街や村に被害を及ぼしている。普段はこの国の北にある山脈に人知れず生息しておるもんじゃがな」
 何も言わないレオの方を横目でちらりと窺いつつ、教授の話が続く。

「こやつは、十五年ほど前に山を下りて人里近くに姿を現したものじゃ。幸い避難が早くから行われたため、人には被害は出なんだが、ある村の施設がかなり破壊されておった。じゃが、もう一つ幸いなことに、我が国の誇る英雄たちを集めることができてのう。なんとか被害を出さずに仕留めることができたんじゃ」
 頭に血を上らせながらも、少年はうまく言い返す言葉を見つけることができない。

「お主は本物を見たことがあるか?」
「本物?」
 そうじゃ、と教授はうなずく。
「こいつが、本物じゃねえのかよ」
 少年が差したのは、目前にある竜の骨だ。
「そうではない。生きたレマルゴサウルスじゃ」
「いや……それはない……」
「大型肉食獣の前では、一人の人間などちっぽけなものじゃ。あれは今のお主が一人で戦いを挑めるような代物ではないぞ」

 レマルゴサウルスに村を襲われ、崩れた家の下敷きになったせいで一人生き残った少年は、その顔を怒りで真っ赤に染め上げる。
「そんなもん、やってみなけりゃわからねえだろうが……!」

 ふむ、と教授を名乗る老人は一つため息をついた。

「ならば、その目で確かめるがいい! お主の言う家族の仇の、真の姿を!!」

 そんな叫びとともに、教授は大袈裟な身振りで両腕を振り上げる。何かを鷲掴むように曲げられた右手の指の間に、まるで手品のように半透明の球体が現れた。
 教授の声に呼応するかのように、その掌に包まれた宝珠が閃光を放つ。だが、その光からは不思議なほど眩しさは感じられない。ただ、深い霧に包まれたかのように、視界が白一色に塗り潰されただけだ。

 芝居がかった教授の声が響き、眼前の『霧』が揺らぐ。

「始まるぞ! これは、今から十五年前、我が国の北東部におけるレマルゴサウルスとの戦いの記録! さあ、刮目せよ!」

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