バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

結人と夜月の過去 ~小学校一年生⑦~




病院


誰も通らない静かな廊下。 派手な色などなく、とてもシンプルな光景だった。 ただ一つ明るく光っているのは“手術中”という赤い文字だけ。
それを心配そうな表情で見つめながら、今結人は母と一緒に廊下のベンチに腰をかけている。 結人たちは、理玖と一緒に救急車に乗り病院までやってきたのだ。
事故に遭ったことはすぐに学校へ報告し、彼の親へも連絡はついているだろう。 そして理玖のことはすぐ学校中に広まり、同じ学年の生徒には結構知れ渡っていた。
「結人、大丈夫?」
「・・・うん」
一度“手術中”という文字から目をそらし、俯きながら返事をする。 結人は怖くてたまらなかった。 恐怖で身体が少し震えていた。 その理由は、本人でもよく分かっていない。

理玖がこのまま目覚めないと思うのが怖いのだろうか。 それとも、彼がいない状態で夜月たちと一緒に行動を共にすることが、より苦痛になると思い怖いのだろうか。
いや、それとも――――これから先のことに、ただ不安を感じているだけなのだろうか。 

気まずい空気が漂う中、数十分後――――遠くから、聞き慣れた声が聞こえてきた。
「ユイ!」
途端、結人は声の方へ視線を移す。 そこには夜月と未来と悠斗、彼らの母親。 そして、理玖の母親も走ってこちらへ向かってきていた。
「理玖は?」
息を切らせながら、理玖の母は問う。
「理玖くんは、まだ・・・」
結人の母は心配そうな表情で“手術中”という文字を見つめながら、気まずそうに答えた。 それを聞いて、彼女はより不安な表情を浮かべる。
「なぁ、ユイのお母さん! 理玖はどうしたんだ?」
「理玖に何があったの?」
未来と悠斗が続けて、結人の母に質問をする。 そう問われても、母は実際何があったのか見ていないため、答えることができない。 
未来たちと彼らの母親が交ざって話をしている中、突然ある一人の少年が結人の腕を思い切り強く掴んできた。

「色折。 ちょっと来い」

「え・・・?」

鋭い目付きでいつも以上に低い声で放たれた言葉に、一瞬にして恐怖を感じる。 
そして――――言い放った夜月は理玖について話している未来たちをよそに、結人の腕を引っ張りこの場から離れた。
「ッ・・・」
あまりにも乱暴にで、掴まれた腕はかなり強く握られていたため、その痛さに思わず顔を歪める。
そんな中、自分の目の前にいる夜月の背中を見つめながら、自問自答をした。
―――夜月くん、怒っている・・・?
―――どうして、そんなに怒っているの・・・?
疑問の答えが出ないまま、二人は静かで少し薄暗い場所まで足を運んだ。 そして周りに誰もいないことを確認すると、夜月は勢いよく結人を突き飛ばし壁にぶつける。
「うッ・・・」
夜月よりも軽くて小さい身体は子供である彼の力だけでも簡単に吹き飛び、背中を強打した。 
だがそんな痛みを感じているのも束の間、突き放した直後すぐに結人の首を両手で掴んでくる。
「くッ・・・」
そして徐々に力を入れ、首を絞めていった。 
結人は突然の出来事で何が起こっているのか理解ができないままだが、自分が今置かれている状況をどうにかしようと必死に抵抗する。
だがすればする程、彼の力は増していった。 そして――――夜月は結人のことを睨み付けながら、静かに言葉を放っていく。

「・・・今日の放課後、理玖はお前の家へ行くと言っていた」

―――え・・・?
首を絞められたまま、その言葉の意味について必死に頭を働かせた。
―――理玖、が、僕の家に・・・?
―――どう、して・・・。

「夜月、くん・・・!」

頭を働かせて答えを導かせようとするが、呼吸があまりできず酸素が脳に届かないため、考えることにあまり集中ができない。 そしてなおも首を絞めながら、夜月は言葉を続けた。

「お前らの間で何があったのかは知らないけど・・・。 理玖がお前の家へ行かなければ、理玖は事故に遭わなかったんだ!」

「ッ・・・」

力強い言葉と共に彼の手にはより力が入り、首をどんどん締めていく。 そしてついに、結人の足が地面から少し浮いてしまった。

「夜月、くん・・・! 放、して・・・!」

苦しさにもがきながらも、夜月に向かって必死に訴える。 だが彼はそんな結人のことなんて何も考えず、更に手に力を込めた。

「だから・・・お前はもうここで終わりだ。 理玖がこのまま目覚めなかったら、どうしてくれるんだよ!」

―ギシ。

「うッ・・・」

力を込められ酸素が上手く脳に届かず、意識は朦朧し始める。 そして――――

「も、う、無理・・・ッ! 苦、し・・・ッ!」

結人が意識を手放そうとした――――その瞬間。

「ッ、夜月! ユイを放せ!」

「ちッ」

未来と悠斗が結人たちを発見し、この場まで走って駆け付けてくれた。 夜月は二人が来ても首を絞め続けていたが、未来に無理矢理抑えられ嫌でも手を放す。
「ごほッ、けほッ、ごほッ、は、はぁ、はぁ・・・ッ、けほッ」
その瞬間、結人は力なくその場に倒れ込み咳き込んだ。 そんな背中を、悠斗は心配そうに優しくさする。
苦しそうに咳き込んでいる姿を見て表情を歪ませた未来は、夜月を解放し真剣な表情で尋ねた。
「おい夜月。 お前今、ユイに何をしていた?」
「・・・別に」
目をそらし何の感情もこもっていない返事に、思わず声を張り上げる。
「もしこのまま夜月が絞め続けていたら、ユイは確実に死んでいたんだぞ!」
「それがどうした」
「ッ・・・」
“ユイは死んでいた”という発言をしても何食わぬ顔を貫き通す彼に、未来は睨み付けた。
「・・・今すぐあの場へ戻って、ユイのお母さんにこのことを言ってもいいんだぜ」
「ッ・・・」
流石にその発言には夜月も反応を見せ、言葉を詰まらせる。 その反応を見た未来は、来た道を振り返りながら小さな声で言葉を発した。
「・・・でも今は、ユイよりも理玖の方を気にかけるべきだ」
「ッ、理玖は!」
「まだ手術中だよ」
「・・・」
理玖の名を出されまたもや夜月はすぐに反応するが、返事を聞いて再び暗い表情を見せる。
「けほッ、くッ、はぁッ、はッ・・・」
結人はなおも、咳き込み続けていた。 呼吸が苦しい。 心も苦しい。 だが結人は今そんな心境なのに、涙は一滴も出なかった。
―――僕の、せいなのか・・・?
―――夜月くんの言った通り、僕は理玖たちと出会わない方がよかったのかな・・・。
あまりの苦しさに、自分の胸に手を当てる。
―――苦、しい・・・。
―――どうして僕が、こんな目に遭わなくちゃいけないんだよ・・・!

―――ねぇ、真宮・・・助けてよ。

静岡で一番仲がよかった友達の顔が、脳裏に浮かんだ。 今いない友達に、助けを求めても無意味だと分かっていながら。
―――僕は、どうしたらいいんだよ・・・。
―――どうして僕は、こんなにも夜月くんに嫌われているんだよ・・・!
―――もう、耐えられない・・・。
―――もうみんなとは、本当に関わらない方がいいのかな・・・。
―――・・・でも、そう思った時に理玖は事故に遭った。
―――僕がみんなと距離を置いたら、また誰かが傷付くの?
結人は咳き込み、悠斗はなおも隣で優しく背中をさすってくれている。
―――いや・・・そんなこと、ないよね。
―――理玖が目覚めても、しばらくはきっと入院生活だ。
―――だから理玖は、必要以上に僕には絡んでこない。
―――これを機会に、みんなとは距離を置こう。
―――理玖もきっと一度あんな目に遭ったから、僕がみんなの輪から抜けても何も言わないはずだ。
―――うん・・・そうしよう。

―――そうしたら夜月くんは・・・僕を、許してくれるかな?

「ユイ」
「?」
突然悠斗は名を呼び、自分の首に巻いてあるマフラーを外して結人に手渡した。
「大丈夫? これ、使って」
「え?」
「・・・首に付いている手の跡が、酷いから」
その言葉を聞くと彼から素直にマフラーを受け取り、礼を言う。 

そしてみんな揃って手術室の前まで戻ると、結人の母はすぐに息子の異変に気付いた。
「結人? そのマフラーは?」
「寒いから、悠斗に借りたんだ」
「そう」
母の問いに、無理して笑顔を作り言葉を返す。 そして――――無事に手術は終了したが、理玖の意識はまだ戻らなかった。


しおり