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変わりゆくモノ9

 オーガストの理を読み解く速度はありえないほどに速いようで、それでいて掌握するのも速く、絶対的とも言えるほどに強大な存在である部屋の主を相手に、既に表層よりもやや深い場所を読み取る作業に移行している。
 とはいえ、相手も圧倒的格上である事を示すかの如く、眠っている無防備な状態にもかかわらず、そこまでしか侵入を許していない。
 それでもオーガストにとって興味のある情報はそこまででも十分だったのか、今は深く潜る作業ではなく、今調べている深さの情報を精査していく作業に集中していた。
 オーガストが現在調べているのは、まだほとんど表面とも言える程度の浅い部分とはいえ、それでも普通は主を調べる事自体が出来ない。それ以前にこの巨大な部屋に辿り着く事も不可能なのだが、その理由が。

(ふむ。この部屋の主は、ある意味僕の生みの親ともいえるのか。この主こそがあの世界を創造した本当の存在だとはね・・・というか、あの世界はこの主が見ている夢の世界だったのか・・・ふむ)

 本来世界というモノは、眠っている部屋の主が定めた巨大な部屋の中のみを指した。というより、今でも世界と言える場所にはこの巨大な部屋しか存在していない。
 しかし、オーガストをはじめとした様々な存在が生まれ育った世界というものが別に存在している。それはオーガストがこの場に居る事で証明しているとも言えるが、オーガストが部屋の主を調べた結果、実際はそれは現在部屋の主が見ている夢の話でしかなかったようだ。
 なので、もしもここで部屋の主を起こしてしまうと、あの世界は一瞬で消えてなくなるという事になる。
 オーガストとしてはそれでも別に構わないとは思うが、その場合自分はどうなるのだろうかと、少し興味が湧いた。
 それはそれとしても、オーガストとしては始まりの神と一度対面してみたいとも思っているので、今はその時ではないのだろう。その前に、せっかくなので今はその夢の世界について学ぶ時だろう。
 そう思い、現在オーガストは部屋の主を調べながらその情報を集めている最中であった。始まりの神と対面するのはいいが、その時に世界が消えてしまっては面白くないのだから。
 そういう訳で、出来るだけ起こさないようにしながら、オーガストは慎重に部屋の主を調べていく。
 夢の世界だけではなく、興味深い情報はそれこそ山のようにある。というより、部屋の主の情報は全てが新しい発見のようであった。
 それからも、オーガストは集中して情報収集に当たる。その表情はとても幸せそうで、それでいて瞳にはギラギラとした闘志が宿っている。
 現在のオーガストは、生きてきた中で最も幸せな時間を経験していた。なにせ、ずっとずっと探していた自分よりも格上の絶対者が目の前にいて、その絶対者の情報はどれもこれもが見た事のない情報ばかりという宝の山。そんな状況である、幸せでないはずがない。ただ残念なのは、あまりにも存在自体に差がありすぎる事か。

(いや、それは幸いなのだろう。容易に辿り着けない頂きとは、実に越えがいのあるというものだ。まあもっとも、その弊害として大して深くまで探れないという事だろうか)

 オーガストが部屋の主を調べて分かった事の一つに、実力差がある。もっともそれは最初から解っていた事なのだが、より詳しく解った事で、オーガストでは何をしても部屋の主を起こす事さえ出来ないという事が判明した。
 例えば、オーガストが部屋の主目掛けて攻撃魔法を全力で放ったとしても、部屋の主は起きるどころか無傷のままだろう。それはつまり、現在のオーガストの攻撃は、部屋の主にとっては虫に刺された以下でしかないという事。
 無論、何がきっかけで目を覚ますか分からないので、引き続き慎重に行動はするが。
 とにかく、それだけの差があるのだ、オーガストがはしゃぐのも無理はない。それに記録の浅層しか調べられないというのに、どれもかれもが新しい情報というは正しく夢のようであった。
 戦いにならない代わりに、貪欲なまでに情報収集をしていくオーガスト。それらを咀嚼してその身の糧とするのも忘れない。
 それからどれだけの時間が経ったのか。
 いくら時の存在しない世界とはいえ、微動だにせず気が遠くなるほど長く調べていたオーガストは、呼吸を思い出したかのように息を吸って顔を上げる。

(ふむ。ふむふむ。なるほどなるほど。これはそろそろ始まりの神に会いに行っても問題なさそうだな)

 楽しそうに何度も何度も頷くと、オーガストは口元に小さな笑みを浮かべて一旦元いた世界に戻る事にする。この世界への道は既に拓いているので、仮に来た時に通った道が使えずとも問題ない。

(この主もまだまだ目を覚まさないだろうし)

 眼下で眠っている部屋の主を上空から見下ろしながら、オーガストはその眠りの深さに問題ないと結論付ける。
 この世界への道を確保し、部屋の主は当分夢の中。始まりの神への対処の仕方も理解したので、これで十分だと判断したオーガストは、名残惜しくも一度元居た世界に戻るのだった。





 すーすーと規則正しい小さな寝息が響く、子ども部屋と仕事部屋を混ぜたような部屋。四方の壁には棚がずらりと並び、暖炉には温かな火が揺らいでいる。
 懐かしさと無機質さが同居する部屋。来た者に実家を思わせるような温かな部屋でありながら、事務的な冷たさを内包している部屋。実に奇妙でありながら、ありふれた見た目のその部屋ではあるが、唯一大きさだけがおかしかった。
 壁に並ぶ棚や一つだけ設置されている扉は、どれも高さが七十メートルほどで、部屋の天井に至っては百メートルに達している。
 棚に置かれているぬいぐるみも高さは十メートルほどで、壁に埋め込まれている窓は高さが十メートルを優に越えていた。幅も勿論相応に広く、それらを全て内に抱え込んでいる部屋は先が霞みそうなほどの広大さだ。
 そんな大きな部屋の中を、夢の中から迷い込んだのか小さな小さな人間が飛んでいる。あちらこちらを興味深げに飛び回る姿は、羽は無いが物語の中に登場する妖精を想起させる。
 その人間はあちらこちらを飛び回った後、引き出しに穴を開けたりと悪戯をしていた。その様は本当に物語に登場する妖精のようであった。
 暫くして悪戯に飽きたのか、人間は部屋の中央で天井から吊り下げている寝具で揺られながら寝ている部屋の主を覗き込む。
 部屋の主は深い深い眠りについていて、起きる様子は無い。
 人間はそのままじっと部屋の主を眺め続けると、どれだけそうしていたか、何かを思い出したかのように顔を上げて部屋の主が見ている夢の中へと戻っていってしまった。
 人間が戻った事で、再びすーすーと規則正しい小さな寝息が響く静かな部屋に戻る。
 しかしその寝息が、人間が戻って直ぐに一瞬だけ止まった事に気づく者は誰も居なかった。その部屋には部屋の主以外には誰も居ないのでそれも当然ではあるが。
 先程の一瞬の静寂が気のせいであるかのように、変わらず部屋には規則正しい小さな寝息が響いていく。一瞬でもそれが途切れるような事はもう無かった。





 巨大な部屋から戻ってきたオーガストは、まずは急ぎ来た道を戻って壁の外に出る。
 一度通った道なので、どれぐらいの距離があるかは把握している。それに一本道なので、迷うような事はまず無いだろう。
 オーガストは巨大な部屋でやり残した事が山ほど出来たので、早く戻りたいと逸る気持ちを抑えながら急ぎ道を引き返していく。

(俄然、始まりの神には挨拶しておかなければならなくなったからな)

 来た道を急いで戻りながらオーガストは心の中でそう呟き、ふふふと思わず口から不気味な笑いを零す。
 元々オーガストは始まりの神に会う予定ではあった。というより、それを目的に世界を渡っていた訳だが、巨大な部屋に行った事でそこに更に出会う理由が追加されていた。

(それにしても、まさか始まりの神の正体があの部屋の主だったとはね。あそこまで辿り着いて調べなければ分からなかった事とはいえ、楽しみが増えたな)

 始まりの神の正体。それは世界を渡り始めた当初からずっと不明であり、それを今まで探ってもいたのだが、オーガストは思わぬところでその答えを得る。
 オーガストが調べた限りだが、どうやらこの世界は巨大な部屋の主が見ている夢であるらしい。そして始まりの神とは、この夢の世界に於いての巨大な部屋の主という訳だ。
 始まりの神は、この世界を創造した神だ。そしてこの世界は、実は巨大な部屋の主が見ている夢の中であった。その二つを知れば、考えるまでもなく答えに辿り着くだろうが、オーガストは念の為にその辺りもしっかりと調べてきている。そうして裏取りも済んでいるので、間違いはないだろう。
 そして、だからこそ難しい相手でもあった。

(始まりの神があの部屋の主であっても、この世界に於いては敵わないほどに強大という訳ではない。だが、この世界があの主の見ている夢の中なのであれば、始まりの神を殺す訳にはいかないだろう。話はしたいが、出来れば敵対も避けたいぐらいだ)

 オーガストの調べた結果に基づいた推測ではあるが、変に刺激をして部屋の主が目を覚ましてしまうと、この世界は消滅してしまうだろう。この世界は夢の中の世界なのだからそれは当然に思えた。そして、この世界が崩壊した時にオーガストはどうなるのかだが。

(おそらく、この世界に居る時にこの世界が崩壊してしまうと、その崩壊に巻き込まれて僕も消滅してしまうだろう。だが、この世界が消滅する時にあの部屋か、存在するか分からないが、夢の中ではない別の世界に居れば消滅は免れるだろう。消滅にこの世界出身かどうかは関係なさそうだったし。だが問題は消滅の速度だ。仮に始まりの神を害してあの主が目を覚ましてしまったと想定すると・・・おそらく消滅は一瞬だろうから、避難は無理そうだな)

 そう予測しているので、せっかくの寝ている相手と話が出来る機会とはいえ、オーガストは始まりの神を介して部屋の主を変に刺激したくはなかった。幸い、オーガストは今回の事であの部屋の主を知ったので、今まで始まりの神に対して抱いていた戦闘欲は奇麗さっぱり消滅していた。
 もう戦おうなどとは考えていないので、オーガストは移動しながら、さてどう話をするかと思案する。
 暫く思案したところで、ふとある考えが頭を過ぎり、思わず足を止めて考えてしまう。

(そもそも始まりの神に部屋の主の記憶というか、意識はあるのだろうか? この世界は部屋の主の夢。その中で始まりの神に完全になりきっているという可能性もあるだろう。その場合、完全に別人とも言えそうだ。それに、この世界であの部屋の話をして、それが目を覚ますきっかけになったりしないだろうか? 極力刺激はしたくないが、話はしてみたいし・・・それとなく遠回しに尋ねてみるべきか。うーん・・・)

 オーガストは思案する。おそらく最善の行動は会わないだろう。それはオーガスト自身もよく解っているが、元々会う予定だったというのもあり、今更会わないというのもなんだか収まりが悪い。
 かといって、会話で変な刺激を与えて目を覚ますきっかけになってしまっても困ってしまう。オーガストは別に自身の消滅を恐れている訳ではないのだが、せっかく楽しめそうな相手を見つけたのだから、もう少し研究してみたいという気持ちもあった。
 どうしたものかと暫く悩むも、とりあえず会ってみてから考えるかと、オーガストは悩むのを止める。
 オーガストは元々絶対的な力を持っていたので、今までそれで大抵の事は思い通りに運んでいたというのもあり、オーガストはあまり深く思考するという事を最近ほとんどしていなかった。
 何もかも、それこそ突拍子もない思いつきでさえもその通りに事を運ぶことが出来ていたので、最近しっかりと考えた事は壁の調査や部屋の調査ぐらい。そもそもオーガストは人との距離感や会話の内容などの場の流れなどというモノとは無縁に生きてきたのだ、誰かに配慮するなどオーガストにとっては馴染みの薄い話だろう。
 始まりの神への配慮。それについてオーガストは多少は理解しているも、本当の意味ではまるで理解していない。
 だが、その理解していないという事はオーガストも理解しているので、結果として悩んでいた内容を投げたという訳だ。そもそもオーガストは自身の欲望のままに動いているだけなのだから、そんな配慮はとうの昔に捨てている。
 移動を再開したオーガストは、とりあえず始まりの神を害さないという事だけを念頭に置く事にした。長いこと始まりの神を探った結果、既にそこには絶対の差が生まれている事は把握しているので、たとえ始まりの神が攻撃してきたとしても何の問題もないだろう。
 それから時が過ぎ、なんとか壁の外に出る。行きと比べれば半分ほどで戻ってこれたかもしれない。
 壁を越えたオーガストは、とりあえず近くの世界に移動する。
 到着した世界を調べた後、あの部屋で得た知識が役立つか、またあの部屋に合わせて魔法を組み上げていたので、こちらの世界に合った魔法にちゃんと戻っているのか確認の為に調べた世界を滅ぼしてみた。

(ふむ。微妙に感覚がずれているな。知識の方は問題ない。おかげで威力は上がっている)

 虚無の中、オーガストは今し方行使した魔法の感覚を思い出して、そう評する。そして、感覚をしっかりと戻す為に次の世界へと移動していく。
 そうして三つ目の世界を虚無に変えた辺りで感覚をしっかりと取り戻したオーガストは、そろそろ始まりの神の許へと一気に移動するかと考え、幾つもの世界を軽々と跳び越す。
 オーガストが一気に移動した先は、全方位に星が無数に瞬く空間。壁の向こうの幻影そのままの場所であった。
 そこに到着したオーガストは、周囲を探って始まりの神を探す。

(ふむ。向こう側か)

 どうやらオーガストが向かっていたのを察したようで、始まりの神は離れるように移動している最中だったようだ。しかしそれも、直ぐにオーガストに捕捉されてしまう。

「・・・・・・」

 一気に跳んできたオーガストから離れようと移動している始まりの神を捕捉しながら、オーガストは追いかけずにその場で腕を組んで思案する。
 追うのは簡単だが、どうせ直ぐに逃げられてしまうだろう。それでもオーガストの方が速いので、追いかけっこはそう長くは続かない。しかしそれでは面白くないし、何より普通に追いついても警戒されるだけだ。
 そう考えたところで、ちょっと先回りでもしてみるかとオーガストは気楽に思う。
 オーガストが跳んできたのを察したという事は、始まりの神は随分と鋭敏な感覚の持ち主のようではあるが、しかしそうと解っているならばやりようはいくらでもある。
 そう考えたオーガストは、口元を僅かに歪めて小さく笑う。とりあえず驚かして格の違いを教え、抵抗する気を失せさせようという作戦だ。
 捕捉している始まりの神の進路を思い描くと、その到達点を予測する。終点でなくとも途中で密かに合流出来ればいいので、その辺りは気楽なものだ。
 そうして進路を割り出したオーガストは、彼我の移動速度を比べ、少し余裕を持って合流地点を決める。
 始まりの神に合流する場所を定めたオーガストは、その場から一瞬で姿を消した。


 一瞬で姿を消したオーガストが次に現れたのは、先程の場所と似たような景色の場所。
 オーガストは常に現在地を把握するようにしているので、到着した場所が先程まで居た場所とは違う場所である事はしっかりと理解しているが、これが並の者であれば、いくら自らの力で移動したとしても同じ場所に戻されたのではないかと疑っていたかもしれない。
 しかしオーガストにはそんな事は関係ないので、周囲の景色などどうだってよく、それよりも今の興味は始まりの神の動向へと向いていた。
 オーガストが捕捉している限り、始まりの神はまだオーガストが進路上に移動した事には気づいていないようで、現在もオーガストが予測した進路を通って向かってきている。
 それを確認しながら、オーガストはどうやって始まりの神を驚かせようかと思案する。一応幾つか案はあるが少し考えて、やはりここは奇をてらうよりも普通に驚かせた方が解りやすいかと結論付けた。
 その方法は至って単純で、背後から声を掛けるというもの。なんだったら肩を叩くぐらいしてもいいかもしれない。気易ければ跳びかかって負ぶさってもいいのだが、初対面でそれは流石にやりすぎだろうと、オーガストは頭の中で即座に却下する。恐がらせすぎたり、警戒させすぎてもいけないのだ。
 あとは移動している相手にどうやって声を掛けるかだが、それは普通に後を追いながら声を掛ければ問題ないだろう。
 そう決めたところで、オーガストは始まりの神相手という事で引き続き全力で気配を消しながら、捕捉している対象の動きに注視しながらじっと待つ。
 そうして待機する事数十秒ほど。遠くからオーガストの居る方向へと滑るようにして飛んでくる物体が見えてくる。
 一秒ごとに時が飛んだように一気に近くなるそれは、見た目は巨大な人間。ただ人間を基にしているというだけで、大きさ以外にも違いはあり、人間と違って腕が三対六本で、脚は二対四本在った。
 腕は人間と同じように肩から生える一対二本と、肩甲骨辺りから羽のように生えている二対四本で、脚は二組が縦に並ぶように四本生えている。
 他にも顔は両肩の辺りとその中央から一つずつ生えており、計三つ。それぞれが独立しているのか、三つ共に別々の方向へと顔を向けているので、それぞれがそれぞれに周囲を警戒していると思われた。
 始まりの神に性別というものが存在するのかは分からないが、見た目はどう見ても男。他に目についたのは、中央の頭は金色の豪奢な冠を被っているのだが、その両側の頭は何故か色とりどりの花の冠をしていた。それも片方は明るい色の花の冠だが、もう片方は寂しい色の花の冠だった。
 見た限り上半身は裸で、下半身は虹色の褌のような物を締めている。
 そんな色々と異様な風体ではあるが、オーガストの捕捉が間違っていなければ、それが始まりの神で間違いないだろう。
 腕を振り、背中の腕を警戒してか威嚇するように広げ、前後の脚を揃えて動かすという奇妙な姿勢で駆けてきている。その移動速度はもの凄く、まるで飛んでいるような速さだ。顔は三つともに必死な形相なので、余程オーガストが恐いらしい。
 何だか憐れみさえ感じてしまう見た目だが、オーガストはそれを見ても特に何も思わず、背の高さの違いから飛んで声を掛けた方がいいななどと暢気に考えていた。
 そして、とうとう始まりの神はオーガストに気がつくことなくもの凄い速度でオーガストの目の前を駆け抜けていく。それを一瞬見送った後、オーガストは始まりの神の後について駆け出す。
 二人の間には結構な身長差があるようで、オーガストでは始まりの神の膝上程度までしか届いていない。しかしその分視界には入りづらいようで、左右の頭できょろきょろと周囲を警戒しているというのに見つかっていない。接触しそうな距離で走っているというのも関係しているのだろう。
 そんな身長差がありながらも、オーガストは平然と始まりの神の速度についていく。
 移動速度を確かめる為に暫しそうして並走したオーガストは、これならば問題ないと確信して、見つからないように密かに、しかし一気に始まりの神の真後ろで飛びあがった。
 そうして飛び上がったオーガストは、始まりの神の耳にしっかりと届くように近づき、大きな声で声を掛ける。

「そんなに急いでどちらまで?」

 それは大きな声ではあったが、しかし叫んでいる感じはなく、むしろ不意に耳元で囁かれたような恐ろしさがあった。

「ヒャッ!!」

 その声がしっかり届いた始まりの神は、一瞬で身体中の血が凍りついたかのような冷たさに襲われる。それと同時に見た目にそぐわぬ可愛らしい悲鳴を上げると共に、真後ろに居るのが誰か直ぐに理解した。

(いつの間に!!?)

 あまりに突然の事に始まりの神は走り続けながらも、これからどうすればいいのかと必死に考える。

「少し話をしませんか?」

 その間もオーガストは話し掛ける。どれだけ始まりの神が速度を上げようとも、その距離は全く変わらない。
 始まりの神はその事に恐怖しながらも、逃げられないと理解して腹をくくって足を止めた。
 そんな始まりの神の行動を予期していたかのように、オーガストも同時に移動を止めた。それがまた始まりの神の恐怖を煽る。どう足掻いても相手の手のひらの上なのだと。
 立ち止まった始まりの神に、オーガストは最初の関門を突破したと内心で頷く。このまま始まりの神が止まることなく走り続けていたとしたら、少々手荒い方法を採らなければならなかったかもしれなかった。無論、その前に色々と手は尽くすつもりではあったが。
 足を止めた始まりの神は、ゆっくりとした動きで振り返る。始まりの神が振り返った先に居たのは、予想通りの人物であった。
 その人物であるオーガストは、改めて始まりの神に目を向ける。
 頭や手足の数はともかく、上半身裸に下半身は虹色に輝く褌一丁というのは、どう見ても変質者であった。
 そんな何処かの祭りから抜けだしてきたのかと問いたくなるような恰好ではあるが、それでもオーガストが長いこと探して捕捉してきた相手であるのは間違いないので、これでも始まりの神であるのは間違いないだろう。おそらく。
 ・・・若干違うかな? とオーガストにも僅かに不安が過ぎったが、始まりの神から感じる質があの部屋の主と近いので、やはり間違いではないだろう。
 自分の感覚を信じて、始まりの神であるとして話を進める事にしたオーガストは、とりあえず相手の格好については触れないで、自己紹介を交えた挨拶を簡単に済ませた後、今回来たのは話がしたいだけで争うつもりはないという旨をしっかりと伝えてみた。
 そうすると、警戒するような目をオーガストに向けたままではあるが、始まりの神は「分かった」 と承諾する。
 とりあえず第二関門を突破出来たオーガストは、さていよいよ話し合いだと思いながらも、一応、念の為に、相手が本当に始まりの神であるのか確かめる為に「貴方は始まりの神で間違いないか」 と問い掛けてみた。
 それに重々しく始まりの神は頷き、そうであると肯定する。それを何故だか若干残念に思いつつも、オーガストは確認が取れたと話し始める。といっても、そう難しい事を話す訳ではない。
 先程のこの世界を創ったのが始まりの神で合っているのかという問いから始まり、それを始まり神が肯定した後は、この世界の成り立ちについて簡単に説明してもらっただけだ。
 そんな説明の最後にオーガストは始まりの神へと、「貴方は何処からやってきたのか」 といった問い掛けをしてみたのだが、始まりの神もそこは分からないという。気がつけば何も無いこの世界に居たらしい。
 それもしょうがないかと思いつつ、オーガストは始まりの神はあの部屋の主としての記憶や意識は持ち合わせていないようだと結論付けた。しかし、繋がってはいるのだろう。始まりの神に認識が無いだけで。

(つまりは、始まりの神を通してこの世界を見て体験しているということ。始まりの神の意識に関しては完全に別物と考えていいのだろう。・・・当てが外れたな)

 部屋の主との会話。それを期待していたオーガストだが、どうやらそれは叶わないようだ。それでもまぁ、これでも世界創造の神ではあるので、話してみる価値はあるのだろうが。
 部屋の主との会話は今後のお楽しみということにして、とりあえず始まりの神について話を聞く事にする。
 そもそも始まりの神というのが何をしているのか、オーガストはしっかりと把握している訳ではない。世界の維持に努めているというのを知っているぐらいだ。なので、始まりの神との会話もほどほどに有意義な時間ではあった。
 いくら始まりの神に自覚は無いとはいえ、よく視れば部屋の主とは繋がっているのは間違いないようなので、当初の予定通りに害する訳にはいかない。
 とりあえず、ある程度の時間言葉を交わした後、オーガストは穏やかな雰囲気のまま始まりの神と別れる。
 そのままあの部屋へと続く道を目指して移動を始めるも、オーガストはその道中で始まりの神との会話を振り返り、敵対はしていないと改めて確認する。
 そうして始まりの神との対話を終えたオーガストは、これでいよいよこの世界に対する興味が無くなってきていた。
 それでも一瞬、生まれた世界に戻ってみるべきかという考えが頭の端に浮かびはしたが、直ぐにその考えは霧散する。今はそれよりも、あの世界について解明する方が先だろう。
 見た事もない世界。オーガストの直観では、あれこそが始まりの世界だと思われた。そんな場所を調べられる機会などずっと在るとは限らない。もしかしたら、もう向こうの世界には渡れないという可能性もあるのだから。
 そんな事を思いつつ、オーガストは向こうへの渡り方を頭の中で反復していく。向こう側を調べていけば、いずれあの主にも手が届きそうな気もしていた。それぐらいあの世界は初めての知識ばかりで、それはオーガストの知識欲を大いに刺激してくれる。
 ああ楽しみだ。そう思いながら、オーガストは移動速度を上げていく。
 オーガストがあの世界を知ってからまだそれほど時間は経っていないが、それでも今が今までで一番充実しているという実感を抱いていた。
 あの世界への道は、ある程度場が安定していれば何処からでも開く事が出来るのは知っているが、まだ二度目なので、オーガストは念の為に同じ道から行く予定。
 それから逸る気持ちを抑えるように時間を掛けて戻り、以前に通った場所に到着すると最早壁を越えるのも楽々こなし、オーガストは一本道をひたすらに進んでいく。
 そしてその終点に到着したところで、問題なくあの部屋のみ存在している世界に渡るのだった。

しおり