二十九話
「……どうするんですか、リーダー」
殴り飛ばした男の下へと向かって行く俺を呆然と眺めていた一人が様子を窺うように、初めに声を上げていた大男へと声を掛けていた。
「どうするもこうするもねえよ」
「それじゃあ……?」
「逃してくれるってんなら、逃げるに限る。そのくらいあの兄ちゃんはやべえ。推し量る以前に、まるで力の底が見えねえ」
ゴクリと。
どこからか、嚥下する音が静まり返った場に響く。
「そもそも、オレの見立てが確かならあの兄ちゃん、拳を振るう事は門外な筈だ」
「あれ、で……ですか?」
目線は遠くにまで殴り飛ばされていた『切り裂きジャック』と名乗った男に目をやる。
拳一発で瀕死にまで追い込まれていた光景を目にしていたからなのか、大男の言葉が信じられないとばかりに目を剥いていた。
「オレも魔法を使う人間だから分かる。魔法ってのはそもそも、溜めが必要なんだよ。なのに、あの兄ちゃんはタイムラグなしで凍らせてた。オレたちへの警告の時もだ。まるで、『氷』を己自身の手足のように扱ってやがる。見る限り、体術も相当仕込まれてんだろうが恐らく———」
俄かには信じられないが。
そう言いたげに大男は目を細め、注視するように俺に視線を向けながら断定する。
「———あの兄ちゃんは、魔法使いだ」
吹き込む風が言葉をさらい、正しく俺が魔法使いであると言い当てた男に感心しながらも、敵意は既に失せていると確信。
けれど、もしもの時の為にと一瞬で辺りを凍らせられるように警戒を続けながら俺は『狂撃』にて殴り飛ばした男の下へと歩み寄る。
吐血でもしたのか。
口周りはべたりと血に塗れており、地に横たわるようにぐったりと倒れ伏していた。
息は———ある。
胸部付近が僅かに起伏を繰り返しているのがその証左。
そして、数十メートルあった距離は目と鼻の先と言える程に詰まり、俺は攫い屋の男の意識が残っていると仮定して声を上げる。
「急所を外したのにはワケがあるんだ」
頭部を狙っていたならば、恐らく男は既に亡き者になっていた筈だ。だというにもかかわらず、俺は腹部に狙いを定め、拳を振り抜いた。
「あんたには、クライアントの情報を吐いてもらう」
クライアントとはつまり、奴隷商の事。
男を攫い屋として都合よく活用していた奴隷商の情報を吐けと言った瞬間、ぴくりと男の指が動揺からか、震えた。
「あんたの末路は二つ。クライアントである奴隷商に引き渡されるか、売り払われるか。その二つだよ」
俺は間違っても、優しい人間ではない。
善意には善意を。
悪意には悪意を返す人間だ。相手が、俺やアウレールに害意をなす者であるならば、悪意を返す事に一切の容赦が消える。それ程までに失いたくないのだ。
けれどそれと同時。
一方的に受けたあの『エルフ』への恩返しもしておきたかった。
『エルフ』とは、特に同族意識が強い人種だ。それを肌で実感した俺だからこそ、ある目的ゆえに今回に限って、二度とこういう事がないように心を折りにいくような方法を取っていなかった。
弓の扱いが上手い口の悪い『エルフ』———クラウスとの約束を守る上でも、これから俺の取る行動は悪手かもしれない。でも、俺に取っては必要不可欠だった。
「俺は、可能な限り奴隷商に捕らわれた『エルフ』を解放したいと思ってる」
これは、アウレールにすら教えていない事。
『エルフ』は恩讐を忘れない。ならば、俺も恩には恩で返すしかないだろうと思い、決めていた事の一つ。
俺は、アウレールと旅する上で人間の都合で捕らわれてしまった『エルフ』を解放するつもりでいた。それが、俺なりに出した答えであり、恩の返し方。
「でも恐らく、奴隷商というやつは俺みたいな常連でもないヤツに、貴族御用達の愛玩人形と捉えられている『エルフ』を売るとは思えないし、例え売る意思があっても値段を吹っかけられるのがオチだろうね」
だから。
「そこで、あんただ」
生かした理由の全てが、ここに帰結する。
「聞けばあんた、元Aランクなんでしょ? 奴隷として売ればさぞ値がつく事だろうね。だけど、一つだけあんたが助かる道がある。……クライアントに対して何かしらの弱味をあんたがもし握ってるのなら、それを使ってクライアントを脅せ。そして捕らえている『エルフ』がいるならば、俺たちに渡すように言いくるめろ」
もちろん、『エルフ』が捕らわれているという前提条件ありきの発言。
仮にいないならば、目の前のくたびれた男に用は無い。
二度とこう言った事ができないように奴隷に堕とす事に、逡巡はない。
「それが出来ないというなら、あんたに選択肢がなくなるだけ」
意識はあるだろうに、一向に頑として起き上がるどころか、返事すらしない男。
面倒臭い。そんな事を思いながらも、無理矢理に連れて行くしかないかと諦める。
そして、首根っこを掴もうとした瞬間だった。
だらんと脱力した状態となっていた男の左手に力がこもる。次いで五本の指に力が入り、身体が浮き上がる。
「こ、の時をォ、待ってたぜぇぇぇええ!!!」
それを軸として繰り出されるは———回し蹴り。
ブォンッ、と大振りに繰り出された脚撃が円弧を描き、風切り音を立てる。
けれど、それを俺は身体を仰け反らせる事で避けると同時、その隙を見て男は立ち上がり、懐に手を差し込んだ。
「ひゃはっ」
喜色ばんだ笑い声と共に顔を覗かせる白銀色の凶刃。
まだ隠し持っていたのか、と俺が呆れている間に男は体勢を整え終わる。
しかし、先の不用意な脚撃により凍り付いてしまった右の足は未だ凍り付いたまま。だが、至近距離から肉薄するだけならば、足は二本無くともさして問題はなかったのだろう。
まるでバネのように力を溜めんと足を曲げ、ぎらりと猛禽類もかくやという炯眼で狙いを定め———
「てめえの敗因はッッ!!!」
勝利の雄叫びのような、愉悦に塗れた叫び声。
既に勝ちを確信しているのか。はたまた己が手にする凶刃が今度こそ刺さると信じて疑っていないのか。
刺突の構えを取ったまま、切迫。
大地を力強く踏み込む音が耳朶を打つ。
「———この俺サマを、舐めた事だ」
けれど、俺に焦燥はない。
むしろその逆。
獲物がおめおめとやってきたとばかりに破顔し、突き刺さんと伸びてくる一撃を身をよじる事で躱し、
「コイ、ツ……!!」
一気にトップギアで相手の懐へと潜り込む。
右手を伸ばして一瞬で相手の胸ぐらを掴み、残った左の手で、男が凶刃を手にしていた方の腕をがしりとつかんで拘束。そして、背負い投げの要領で身体を捻り男を背に抱え込む。
「舐めてたのは、あんたの方だろう……っ」
インパクトの強さから、『氷』と拳の一撃。
それだけが突出しているのだと勝手に思い込んでしまっていたのか、体術が出来る人間とまで考えが及ばなかったのだろう。
殴る、蹴るだけが有効打になり得るわけじゃない。
背負って上から頭を叩きつければ意識は飛ぶし、脳が揺れる。
ふわり、と男の身体が浮いた。
辺りには大小の石やら木片やらが散らばっており、加えて足下の土はとても硬い。
男もそれを理解していたからか、目に見えて焦りが顔に現れ、静止しろとばかりに声が飛ぶ。
「ま、待ちやが———」
男の身体は俺の腰に乗り切っており、刃物を握っている方の腕は拘束済み。
片足は凍り付いている為、反撃は不可能。
「そ、らあッッッ!!!」
自分よりも身体も体重も上回る相手であるが、それに構わず背負い上げ、頭部を地面目掛けて
叩きつける!!
「ぁが、ッ———!?」
槌うつような硬質な音が地面を伝い、僅かに血飛沫が舞うが早いか、ばたりと仰向けに今度こそ男が倒れ込む。
そして凶刃を手にしていた方の手を目掛けて、思い切り踏んづける。
「ッう、ぐっ!?」
みしりと骨が軋む音が手から聞こえ、苦悶の表情を浮かべると同時、未だ握り締めていた凶器が男の手から離れ、カランと音を立てて転がり落ちた。
「あんたに、逃げるって選択肢は与えてない。人の大事なもんを奪うとほざいたヤツを俺が逃すわけないじゃん……!!」
ピキリと骨に亀裂が入り込む音がする。
メキリと骨が折れ、砕ける音がする。
容赦ない圧力に手は耐え切れず、絶えず男の口と骨から悲鳴にも似た声が上がっていた。
けれど、男の目はまだ死んでおらず、闘志の炎を燃やし、反撃のタイミングを今か今かと待っているように見えた。恐らく、そうなのだろう。
虎視眈眈とその時を狙っている。
でも、その時はもうやっては来ない。
パキリ、と。凍り付く音が鳴った。
「っ、ぐ」
パキリ、パキリと男の身体に『氷』が広がって行く。
手に、足に、身体に。
もう身体を動かさせまいと肢体が刻々と凍り付いて行き、もの言わせぬ間に首から上を除いて全身が氷漬けと化していた。
虚勢を張るためにか。
息だけできひ、と笑ってはいるが額には脂汗が浮かび、もう自分にはどうにもできないと悟っているようでもあった。
「……元Aランクが手も足も出てねえ。完全に赤子扱いじゃねえか」
遠くから、そんな声が聞こえてくる。
でもその発言には苦言を呈したかった。
「俺が強いんじゃなくて、コイツが弱過ぎるだけだよ」
ひとりごちるように、そう呟く。
少なくともマクダレーネが相手なら、不用意に向かってくる事もないし、もしそんな事が起こったならば間違いなくその行為自体が罠である。
素の実力ですら俺とはかけ離れているにもかかわらず、マクダレーネは騙し討ち、攻撃を食らったフリ、魔力切れを起こしたと様子を偽る。手段は選ばず、彼女はなんでもしてくる。
だからこそ、俺の言葉には感情がこもっていた。
弱過ぎる、と。
圧倒的な強者ですら練りに練った策を講じてくるというにもかかわらず、目の前で凍り付いている男がしてくる行為といえば、子供騙しのようなものばかり。
「俺サマが弱えたあ、ひでえ言いようじゃねえか」
息も絶え絶えに男は口を開く。
「弱いから、あんたは今そこで倒れ伏してる。……弱いから守られるだけになる。弱いから腕を斬り落とされる。弱いから自分は愚か、誰一人として守れない。だから———」
脳裏に渦巻く様々な記憶に想いを馳せながら、俺は述べる。
「———だから俺は、強くなった」
「ひ、ヒヒッ、ひひひ、ヒッヒッヒ……」
口端を吊り上げながら、男の喉が震える。
面白おかしくて仕方がないと言った形相で、男は笑い始めた。気狂いを起こした。そう捉えてもおかしくない様子。けれど、その感想が間違いであると続く発言が証明をする。
「だから強くなった、ねえ? ……成る程な。ちょいとばかし、俺ぁてめえの評価を上方修正しなきゃいけねえらしい」
だが。
「それと同時に、俺ぁてめえを嘲笑ってやらねえと気が済まねえ。守るだ? 弱いだ? ああ、そうだな。確かにてめえは強え。が、そんな口ほざくんなら。本当に守りてえんなら、てめえは俺サマをすぐに殺すべきだった。なのにそれをしねえ。その理由は……出来ねえからだ。特にてめえぐらいのガキに多い。肢体を潰せても肝心の人は殺せねえって言うやつがよォ!?」
男の言葉は、止まらない。
「ああっ、くそがッッ!!! 悲しくて仕方がねえぜ、こんなひと一人殺せねえ甘々なくそガキにいいようにされちまうなんてよォ!!!」
そしてその言葉は、実に目障りなものだった。
「———なら、試す? 俺は、それでも良いよ」
「あ?」
口を衝いて、言葉は出てきていた。
「本当に俺が、あんたみたいな悪人を本当に殺せないのかどうか」
右の足を浮かせ、男の頭部へと狙いを定める。
「なにも『狂撃』は拳だけじゃない。人の頭蓋程度、俺なら簡単に踏み砕ける」
「……ひ、ヒヒ、くひひ、あー……やっぱちげえ。ちげかったか。あー、しくじった。てめえやっぱり
はぁぁ、と深いため息が聞こえてきた。
「嗚呼、」
けれど俺はそれに構わず———
「————くそが」
男の言葉を度外視し、俺は無情に足を踏み下ろす。
何かが毀れる音が、いやに響いた。