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三十話

 ガシャリ、と砕け割れるような音を立てながらゆっくりと踏み下ろした足を宙に浮かせる。


「……ひ、ひひ、てめえってヤツは、まじでおっかねえなあ?」


 俺サマですら殺されると確信してたのに、あれがフェイクだと? おいおいふざけんじゃねぇよ。そう『切り裂きジャック』と名乗った男は言葉を締めくくる。


 すぐ側からは荒い息遣いが聞こえていた。
 きっと、その動揺は本当に俺が殺すと思っていたからこその反動だ。
 俺が足を踏み下ろした場所は、男の頭部のすぐ側。
 直前で方向をずらし、男の身体を凍らせた影響で地面に広がってしまっていた『氷』を俺は砕いていた。


 しかし、男に向けていた殺気は紛れもなく本物。
 あと少し、冷静になるのが遅かったならば恐らく、ぐしゃりと容赦なく頭蓋を砕いていたに違いない。
 それが、もしかすると起こり得たかもしれない未来の姿なのだと、根拠のない確信があった。


「まだ、あんたは殺さないよ。なんて言ったって、利用価値がある。それに勝者には、それ相応の対価を得る権利があるんだ」


 少なくとも俺は、師であるマクダレーネからそう教わった。一対一の決闘形式。勝者は敗者になんでも言うことを聞かせられる。
 そんな在り来たりな賭けを通して俺は身に染みて教わっていた。が、結果は俺の全敗。
 マクダレーネがその勝者権限———対価として、毎度家事を俺に押し付け、『家政夫』などと彼女から呼ばれていたのも記憶に新しい。


「だから、あんたを殺さず利用する」


 有無を言わせず、俺は一方的にむんずと首根っこを掴んで『切り裂きジャック』と名乗っていた男の身柄をずるずると地面と擦らせながら持ち運ぶ。


「……ひゃはは。あの状態で冷静に戻れるたぁ大したもんだ。……心配せずとももう抵抗しねえよ。あのタイミングでも不意打ちが効かねえってんならもー手の打ちようがねえしよォ。なにより、身体が言うことを聞かねえ」


 凍り付いた身体はピクリとも動かず、精々が口を開いて言葉を吐けるくらい。
 流石にお手上げであると、男は白旗を振っていた。



「そいつを連れて行くのか?」


 少し離れた場所から声がした。
 次いで、遅れて聞こえてくる「ガウっ」という小さな鳴き声。アウレールと、『ウォルフ』だ。


「うん。因果応報って事で少しだけ利用させて貰おうかなってね」
「そうか」
「それより、他の人たちは?」


 俺の耳が確かならば、直前まですぐ近くにいたはずだ。
 けれど、もう姿どころか気配すら感じられない。


「お前がそこの男を相手にしている隙に全員逃げたさ。約束は何が何でも守る。だそうだ」
「そ。なら良いよ。アウレールもありがとう」
「気にするな」


 小さく笑うアウレールと、先程までの全身を覆っていた殺気がまるで嘘のように消え失せていた俺を男は見比べ、そしておかしくて堪らないとばかりに破顔する。


「くは、くははっ!!」


 何がおかしいのか、問い質そうとした時だった。


「おい、クソガキ」


 不意に名を、呼ばれる。


「さっきの言葉、訂正だ」
「?」


 意味のわからない言葉に、俺は思わず首をかしげた。


「俺サマはてめえの事を悪人(こっち)側といったろ。それの訂正だ。間違ってもてめえは悪人(こっち)側じゃねえわ。もし仮にそうであったなら、そんな眩しい笑顔を見せるはずがねえんだ。悪意の片鱗すら見えないそのクソッタレな笑顔をなぁ。だから、断言してやるよ。てめえは悪人じゃねえ。むしろもっとタチが悪ぃ最悪の手合い。言葉でうまく表すならさしずめ、


  ———狂人側(クソ野郎)ってところかぁ?」
「ふぅん、それで?」


 別に、俺は目の前の男がどう言おうと構わなかった。
 所詮は他人の捉え方であり、何を言われようとも俺自身という個が揺らぐ事なんて有りはしないのだから。


「ひゃはは。オイオイ、結構、酷え事言ったつもりなのにてめえは何も言い返さねえのかよ」


 酷いも何も。


「言い返す気は無いよ。だってそれ、事実だし」


 自分がどうしようもなくおかしくて、狂っている事なんてとうの昔に自覚をしている。
 いいや、違う。周りにとっては狂っているであろうとも、俺にとってはそれが正常なのだ。
 何もおかしくは無い。これ以上なく正しい。だから、そう断言されようと柳に風と受け流すことが出来る。


「そもそも、この世界自体が優しく無いんだ。狂ってるくらいで丁度いいよ」
「くひ、ひひひ、きひひひひ! ひゃはははは!!」


 『エルフの里』で面倒を見てもらう事となった際、俺がマクダレーネから何よりもまず先に教えられたのは『氷』でも、『体術』でもない。
 とある精神論だった。


 人は一線を越える時、何らかの覚悟や理由を持ってはじめてそれを成す事が出来る。
 剣が扱える。だから、人を殺せる。とはならない。
 その二つは必ずしもイコールで繋がるものではない。


 マクダレーネも知ってたんだろう。
 当時の俺が、人を殺せない事くらい。


 誰かに殺されかけていた。だから、自分も人を殺せる。
 そんな暴論は普通成り立たない。たとえ刃物で刺された経験があるものでも、いざ自分が刺す側に回ってしまった際、躊躇いなくその凶刃を突き出せる人間はごく僅かだ。


 だからこその精神論だった。
 きっと、俺にも覚悟を決める時がやってくる。ゆえにマクダレーネは言った。
 何も失いたくないならば、『鬼』になれと。


 だが、彼女は俺の胸中を知ってか。
 それを常に実行に移せとは言わなかった。


「誰が非難しようと、俺は俺が正しいと思った事を貫くだけ。だって後悔したくないじゃん。自分を歪めた挙句、取り返しのつかない事になってみなよ。その時を境に一生涯、俺は俺を許せなくなる。だから、殺すよ。殺すしかない時は、迷わず」
「くくくっ。おっかねえおっかねえ。実におっかねえ。普段は善人面してるってのに、最善の道を模索するどころか、立ちふさがる障害は力尽くで退かす事しか考えの候補に入ってねえ。しかもその考えに余念が入り込めるような様子は毛ほどもねえ。いやあ、見事なまでに綺麗に狂ってやがる」


 交渉のしようがねえ相手。
 てめえを分析すればするほど、最悪な手合いだと思い知らされちまう。と言葉を付け加える。


「そりゃ、そうじゃん。戦いは勝者が全て。敗者には何も許されてない。何一つとして、選べない。だから、俺はあんたを利用する。そこに拒否は許されてないんだ」


 これ以上話していても無駄だと判断し、男の身柄をずるずると引摺るように運んで行く。


「待て待て待て。話を強引に切ってんじゃねえよ」
「これ以上は無駄だと思うけど」
「くひひ、それが俺サマを雇っていたクライアントの事でも、かよ?」


 言葉を聞いた途端、俺は強引に歩み進めていた足を止めた。


「てめえにゃ余計なお世話だろうが、俺サマのクライアントも相当なクズだぜ? ま、気をつけな」


 なにせ。


「なんてったって、奴隷商人(あいつら)は誰よりも金にがめついからよォ。んで、それあってか掃いて捨てるほど金を貯めこんでやがる。言うなればあいつらの『奴隷館(ホーム)』は金に物言わせたからくり屋敷。だから何をするにせよ気をつけるこったな」
「なんでそんな事を俺に?」


 さっきまで頑なに黙り込んでた癖に。
 加えて、男は俺に対して好意的な感情を持ち合わせてはいないはずだ。罠か何かと思いながら俺は尋ねる。


「逆立ちしても勝てねえと分かった今、隠す意味もねえ。それに、俺サマは悪党だぜえ? 元々あの奴隷商人の事は好かねえ。他人の不幸は蜜の味ってなぁ? あいつにゃ、俺サマよりもっと地獄を見てもらおうじゃねえか。くひひひ、ひゃはははは!!! だから、良い事を教えてやる。確か、向こう数日の間で『エルフ』を売るっつー話を聞いた。いるぜ? てめえの目当ては、よ」
「そっか」


 実に、悪党らしい考え方。
 どうせなら他人も道連れに。
 そんなクソッタレな理由だったからか、どうしてか男の発言には信憑性があるような気がした。


「でも、なんでクズなの? その奴隷商人はさ」


 人道的な職業でないとはいえ、一応は国から認められている仕事だ。恨まれる事も大いにあるだろう。けれど、それだけクズと呼ぶには早計だ。囚われている『エルフ』を助ける以上、対応をより良いものにする為にも聞いて損はないだろう。
 どうにも目の前の男は気分が高揚しており、今ならなんでも喋ってくれるような様子だ。
 だからと、何となしに尋ねてみた質問。


 けれど、俺は数秒先。
 聞かなければ良かったと、どうしようもなく後悔をしてしまう。心底、その時の発言を悔やむ事となる。


 知らぬが花。
 割り切れかけていた過去の思い出が、無遠慮に掘り返される。押さえ付けていた何かが、弾け飛ぶ。


「そりゃ、てめえ。アイツは裏でこそこそと奴隷に奴隷らしい仕打ちをしてるってのもあるが、何より、常連の貴族ですら金で売るようなヤツだぜ?」


 おれのしこうが、とまる。
 何故か、欠けていたパズルのピースがカチリとはまるような音が幻聴された。


「酒の席でそりゃ愉しそうに語ってたぜ。散々に金を巻き上げた貴族のガキを罠に嵌めるだけで金貨100枚の大仕事。自分のバックには、そのガキ以上の爵位持ち貴族がつくっていう安全な仕事だ。貴族に恨みを持った獣人をけしかけて、そのガキをぶち殺したんだと。遺体は見つからなかったらしいが、見つかった血痕は壮絶。死んだのは確実で、それももう2年も前の話だぜ。場所までは覚えちゃいねえが、どっかの誰かが墓を立てたらしい。確か、名は————」


 仕方ないと思っていた。
 奴隷の気持ちは痛いほど分かる。だからこそ、あれは仕方がないと思っていた。俺があの時引き取った獣人の兄妹は幼かった。分別も、優しさも、真偽も、何もかも冷静に判断する事は難しい年頃であった。


 奴隷にされた。
 それも、人間に。
 ひどい仕打ちを受けた。
 それは、貴族から。


 だから、それらを加味して俺は忘れようと努めていた。
 アウレールにも、あの事は忘れてくれと言っていた。


 ああ、気持ちが悪い。
 最悪だ。最悪の気分だ。ぐちゃぐちゃにかき混ぜられるようなクソみたいな感覚。


 本当———



「ナハト・ツェネグィアっつったっけか」



 聞くんじゃなかった。

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