二十七話
それから、一日。
『
空模様は未だ晴れ晴れとしておらず、暗雲が其処彼処に点在しているものの、昨日よりは陽の光が射し込んでいた。
ツァイス・ファンカとの用事は既に済んでいたのだが、どうして俺がここに居るのか。
その理由こそが昨日の別れ際の出来事に起因している。
彼女ではなく、セスタと、慌てた様子で駆け込んで戻ってきたもう一人の門番——ベリアスから街を出る際はもう一度だけ屋敷に寄って欲しいと言われていたからなのだ。
「にしても、何の用なんだろうね?」
そう言ってアウレールに尋ねる俺と、彼女の身格好は昨日の夜までとは少し異なっており、怪しげな黒のパーカーコートにすっぽりと覆われている。
今でこそフードの部分を被っていないものの、被ればアウレールの『エルフ』特有の耳も綺麗さっぱり隠れる事となるのは確認済み。
夜中の間に開いていた服屋に寄り、少々高く付いたが二着ほど購入していたのだ。
「さてな。何か伝えたい事か、渡したいものか。あの急ぎようから何かを渡したかったのかもな」
そう言いながら、彼女はポケットから巾着袋のようなものを取り出す。更にその中。
収められていたビーフジャーキーのようなものを手に取り、追従していた白いもこもこ——『ウォルフ』に向けて差し出した。
「ガウっ!!」
ぶんぶん。と嬉しそうに尻尾を振りながら、昨日のうちに購入していた『ウォルフ』へのおやつであるジャーキーに飛びつき、ばくんとそれを奪い取るように口に含む。
程なくしてむしゃむしゃと咀嚼音を数秒ほど響かせた後、おやつは跡形もなく胃の中に収められ、鼻をひくつかせながら次をくれという『ウォルフ』のおねだりが始まりを告げた。
「何かを渡したい、かあ」
『ウォルフ』はアウレールの事も自分より強者であると捉えているのか。俺と変わらず従順な態度を見せている。
彼女も自身に対して害がないと判断しているのか、こうして昨日から餌付けを頻りに行なっており、今ではすっかり仲良しだ。
それにしても、渡す物があるとしても……一体なんだろう?
そんな事を考えていると、覚えのある声が俺の鼓膜を揺らした。
「よっ。朝が早えんだな。坊主に嬢ちゃん」
「ガウっ!」
不意に聞こえてきた挨拶の言葉。
声のした方を向くと、そこには見覚えのある人物——セスタがそこにはいた。
「悪りぃ悪りぃ。『
まるで俺も居るぞとばかりに自身の存在を知らせるが如き吠えに対して、申し訳なさそうにセスタは訂正。
視線を落として『ウォルフ』にも挨拶が向けられた。
その態度に満足をしたのか。
『ウォルフ』はご満悦な様子で再びアウレールへ顔を擦り付け、おやつのおねだりを始めていた。
「それで、用っていうのは?」
「ああ、それなんだがな。もうちっとでベリアスのやつが戻ってくると思うからよ……」
屋敷から見てギルドが位置する方角にセスタは目を向け、誰かを探すように頭を動かす。
「お、来た来た」
弾んだ声で待っていた言わんばかりに破顔。
駆け込んでくる人影はこれまた覚えのある人物——ベリアスであった。
「おっ、と。少し遅かったみたいですね。申し訳ありません」
駆け込んで来たにもかかわらず、息切れ一つしていないところは流石というべきか。
僅かに肩が上がってはいるものの、流石は領主の娘であるツァイス・ファンカが住む屋敷の門番を務める人物だ。
そんな彼の手には、見覚えのない大きな赤い首輪が一つと、鉄製のカードのようなものが二つ。
もしや、それが渡したいものなのだろうかと思い、セスタを見ると俺の内心を察したのか鷹揚と頷いた。
「屋敷に寄って欲しかった理由というのが、コレですね。この従魔用の首輪と、ギルドカード。この二点」
「……従魔用?」
「ええ。そこの『ウォルフ』と共に行動をするつもりでしょう?」
もしや違いましたか? と付け足すように問い掛けてくるベリアスに向けて俺はかぶりを振る。
何故ならば、妙に懐いてしまったこの『ウォルフ』と俺は一緒に行動をする気満々であったから。きっとそれはアウレールも同様に。
「でしたら、これがないと不便でしょう。魔物である『ウォルフ』が街に出入りする上で必要となって来ますので」
そう言われながら、俺は首輪を受け取る。
「ただ一つ、ご注意を頂きたいのですが、その首輪を付けて『ウォルフ』が行動する限り、『ウォルフ』への責任がお二方に発生します。なのでそこだけご注意頂ければ」
要するに、『ウォルフ』が起こした問題は、俺たちの監督責任となるという事だ。
ちらりと視線を『ウォルフ』へ移すと、おやつが美味しいのか、ずっとアウレールにおねだりを続けておりむしゃむしゃと咀嚼音を響かせている。
この人畜無害そうな『ウォルフ』であればなんの問題もないだろうと堪らず破顔しているとそれにつられてか、ベリアスも時同じくして、つられ笑いを浮かべていた。
「それと、これがギルドカードとなります」
差し出された二枚の鉄製のカード。
一枚にはナハト。もう一枚のカードにはアウレールと、名前が刻み込まれている。
何やら複雑な紋様も入り込んでおり、一言で表すなら不思議なカードであった。
「本音をいうと、Aまで一気に引き上げたかったんですけどね……」
「やっぱダメだったか」
「ええ。領主権限を以ってしてもBが限界でした」
「ま、Aは色々と面倒事も絡んでくるし仕方ないと言えば仕方ない気もするんだが、まあ無理は言えねえか」
すっかり蚊帳の外になりながらも話は進む。
一体なんの事なのやらと首を傾げていると、セスタがバツが悪そうにくしゃりと髪を掻きながら口を開いた。
「いや、な。坊主だけでも何かと都合が良いだろうから冒険者ランクをAに引き上げてやろうって昨日のうちに話してたんだが、やっぱり『特別依頼』だったのがネックらしくてよ。悪りぃが、Bで勘弁してくれ」
「『特別依頼』?」
「ああ、坊主たちが受けた依頼にはランクの制限がなかっただろ? 通常はランク制限をつける決まりなんで、そういう特別な依頼の事は『特別依頼』って言われてんだ」
「へえ」
依頼にも色んな種類があるんだなあと得心しながらも、アウレールと名前が刻まれた方のカードを『ウォルフ』と戯れるアウレールへ渡す。
「はい、これアウレールの分」
「ん? カード?」
話を聞いていなかったのか。
これは何だとばかりに不思議そうに手渡したカードを手に取り見詰めている。
「そ。ギルドカードなんだってさ。当分はお金に困る事は無いだろうけど、多分、持っておいて損はないと思うからさ」
「ああ、成る程」
そう言って、彼女は鉄製のギルドカードを受け取り、おやつが収められた巾着袋を入れていた方とは別のポケットへそれを仕舞う。
「ギルドカードは、ギルドにて依頼を受ける際に使用するのでその時に提示してもらえれば問題なく依頼を受けられる筈です」
「ん。オーケー。そういう事ならちゃんと覚えておくよ」
持ってるだけではダメなのだと己自身に言い聞かせながら、俺もアウレールと同様にギルドカードをポケットへと仕舞う。
「そういえば、ツェネグィアに向かうんでした、よね?」
「うん。そうだけどどうかした?」
用事は全て済んだという事なのか。
話は変わり、俺たちの行く先の事へと移行。
「ツェネグィアはあまり、良い噂を聞かないもので。くれぐれもお気を付けて」
「もちろん。一応あそこ、生まれ故郷だからね。どうしようもなく暮らし難い街っていうのは誰よりも知ってるよ」
そう言うや否や、俺はパーカーコートに備え付けられたフードを引っ張り、頭から被る。
倣うように、アウレールも程なくして被った。
「お嬢は朝が弱くてな。見送りは難しいからって伝言を預かってる。『気を付けなさいよ』だと、よ」
「ん。確かに。じゃあ俺からは分かったって伝えておいて」
「あいよ。余計なお世話と分かっちゃいるが、気を付けろよ。油断は何よりの大敵だぜ?」
「まっさか。油断なんてする筈ないよ。警戒心で溢れてるからご心配なく」
笑いながら、俺はその言葉を最後に彼らに背を向けた。
「んじゃ、達者でな。坊主に嬢ちゃん」
ベルトリアの街を後にすべく、歩き出す。
背後から聞こえてきた言葉に対し、軽く手を挙げ、はいよと返事を返した。
良い人たちだったな。
そんな事を思いながらも、俺は歩みを進めるのだった。