十五話
「あの坊主を止めなくても良いのかよ、嬢ちゃん」
「……?」
セスタと呼ばれていた門番が不意に、アウレールに向けてそう尋ねていた。しかし、問いかけられた当の本人はといえば、どうしてそんなことを聞くのか? と小首を傾げ心底疑問を抱いているような様子であり、堪らずセスタは乱暴に髪を掻きむしる。
「……『エルフ』って種族は又聞きした話だが、戦闘民族なんだろ? だったら、ベリアスのヤツの実力も何となくは分かるだろうに」
そう言うセスタの視線の先には、力試しの用意をする二人の姿。この男は、心配をしてくれているのだと。
先の発言で理解しているアウレールは、なんだそんな事かと、相好を崩した。
「分かったところで、どうも出来ない。二年前ならまだしも、今の私ではナハトを止められはしないんだからな。実力差もそうだが、何より止める理由がない」
二年前ならば、危ないからと止めていただろう。
無謀だからと声高々に叫んだ事だろう。
けれど、今となってはそれが無駄だという事は、誰よりもアウレールが理解していた。今までのナハトという少年はいわば檻の中の鳥。
やることなす事全てに制限が付きまとい、満足に自身がしたいと思える行動を取ることが出来ていなかった。そして、そんな鳥が檻から飛び出たのが二年も前の話。
今や、自分自身の力だけで自由に空を飛び回ることが出来るようになっている。
「あんなに楽しそうな表情を浮かべるヤツを、私はとてもじゃないが止めれないな」
アウレールの視線の先に映る少年はといえば、高ぶる感情を隠しきれないのか。待ち切れないといった面貌で終始口角を歪めている。
「はぁ……」
呆れ混じりのため息が聞こえてきた。
「随分と自信家ならしいが……プライドがへし折れてもしらないぜ?」
「自信家? ナハトが?」
「ベリアスと戦うってのにあの態度だなんて、そうとしか思えないだろうがよ」
その発言に、思わずアウレールは小さな笑みをもらした。
「……?」
今度は、セスタが首をかしげる番であった。
「あぁ、悪い。別に悪気があって笑ってるわけじゃないんだが……思わず笑ってしまうくらい、それだけはあり得ないんだ」
全ての事情を知るアウレールだからこそ断じる。
『氷』の魔法を扱えるようになってから一年。
そのせいで自ずとマクダレーネとのマンツーマンでしか己を鍛える事しか出来なかったナハトが自信家? それは、絶対にあり得なかった。
負けしかしらず、徹頭徹尾、最後の最後までコテンパンに打ちのめされてきた彼は、ひたすらに貪欲。
きっと、今だってどれだけ己の力が通用するのか知りたいだけ。自信などとは程遠い感情を抱くがゆえに、侮りや、怠慢などは何があろうとあり得ない。
「あり得ない?」
「ああ、あり得ないんだ。だから……そう、だな。少し辺りが寒くなるかもしれないな」
あくまで可能性の一つであるが、きっと、そうなるだろうなという確信染みたものを抱きながら、苦笑いした。
「ただ、一つ確実に言える事は——」
強調をしたいのか、殊更に言葉を区切り、間を溜めてから言葉を発する。アウレールの知るありのままを。
掛け値なしの賞賛を。
「私が知る限り、
「こりゃ、随分な信頼を寄せてるようで。オレの目にはただの坊主にしか見えないが……そんなに凄いのか?」
また一度とナハトを注視するも、やはり何も収獲らしい収獲を得られなかったセスタはアウレールに問い掛けた。
その言葉に、彼女はもう何度目か分からない笑みをもらした。
「ならば、逆に問うが———」
何度として目にしてきた規格外の『氷』を脳裏に思い浮かべながら、
「———あたり一帯を無造作に氷原へと変える者に、貴方は出会った事があるか?」
さも、自分の事のように。
アウレールは得意げに、そう口にした。
◆◇◆◇◆
力試しと言っても至極簡易なもので、屋敷のすぐ目の前。開けた広い庭で行われる運びとなっていた。
「得物は、本当に要らないんですか?」
「生憎と剣の才能は無いと言われててね。それに俺は、魔法使いだよ」
正眼に剣を構える門番の男——ベリアスに見せつけるように、俺は手袋を取り、ポケットへと仕舞う。
「随分と精巧な義手ですね」
「『氷』の魔法だけが唯一の自慢でね。マクダレーネからも『氷』だけは褒められてたんだ」
「成る程」
と言うことはその義手は自作ですか、と。
感心するベリアスは僅かに目を見張っていた。
「それで、俺は貴方に参ったと言わせれば勝ち」
「ええ。逆に、貴方が続行不可能の状態になったその瞬間、貴方の負けとなります」
「徒手空拳や、魔法の使用は可能、と。うん、俺の方は問題ないよ」
ぐー、ぱー。と手を閉じ、開きと行為を繰り返し、特に目立った問題は無しと確認。
少し辺りの温度が高いせいで、本調子とはいかないがそれについては、始まってから対処をしようと決め込む。
「一応、模造剣ではありますが……」
刃といえる刃が備え付けられていない小綺麗な剣を見せつけ、ギラリと剣身に反射した光が眩く輝いた。
「多少の怪我についてはご容赦を」
「オーケー。そこについては問題ないよ」
「——でしたら」
始めましょうか、と。
ベリアスの言葉を契機として、空気に緊張が走った。
観客は二人。
門の方から視線が二つほど。
言わずもがな眠たげにしていた門番の一人と、アウレールである。
ジッと見つめてくる視線は直に感じられ、無様を晒すわけにはいかないよなあ、と気合が入る。
「ああ、うん」
言葉と同時。パキリと、足下に薄氷が広がった。
それが始動の合図。
「始めよっか」
恐ろしいまでに静謐で、それでいて清涼な笑みを浮かべた直後。思い切り大地を踏みしめ、凍りついた地面を容赦なく蹴りつける。
面貌は移り変わり、愉悦に口を円弧に裂かせながら肉薄。そして手には強く握られた拳が一つ。
身体を虚空に躍らせ、刹那の時間に距離をゼロへと縮めるその肉薄速度は———
「速っ…………」
満足に言葉を紡ぐ事すら許さない。
目を見開き、呆然とするベリアスに向けてマクダレーネ直伝の拳撃——『狂撃』を見舞わんと引き絞った拳を振り抜き、
けれど、狙いを定めた腹部へ食い込むような感触は一向にやって来ず、代わりにがきん、と重々しい金属音が氷の拳と模造剣によって生み出され、これでもかと言わんばかりに鼓膜を殴る。
「やり、ますね……」
カタカタと拳と模造剣が鍔迫り合う音が数秒ほど木霊するも、『狂撃』による攻撃はただの一撃とは一線を介す。
全体重を乗せ、その上特有の繰り出し方法により、その威力は更に倍加。
「っ、ぐッ!?」
刻々と表情は険しくなって行き、そして———
『狂撃』による一撃に耐えきれず、大きく弓なりに身体をのけぞるも、それに構わず思い切り後方へと俺はベリアスを殴り飛ばした。
そして、その衝撃により二度、三度とボールのように地面を跳ね、建物に衝突する轟音を響かせた後、仰向けに倒れ込む。
「ベリアス!!?」
外野から驚愕に染まった声が聞こえるも、それを気にする事なく俺はベリアスが殴り飛ばされた際に地面をすれた事で生まれ、立ち込めていた砂煙越しにいるであろう男へと意識を集中させていた。
しかし、堪らず俺は視線を拳に落とす。
「身体、引いたかあ」
流石だなと思った。
いきなりの接近に驚いた表情を見せたものの、即座に対応。耐えきれないと判断するや否、威力を殺すべく殴り飛ばされる方向へと身体を引く。素直に凄いと、そう思ってしまった。
「いきなり一撃入れられてしまうとは……やります、ねえ」
ゆらりと立ち上がる人影が一つ。
「です、が——」
砂煙に隠れるように、ゆらりと姿が搔き消える。
目を惑わす足捌き。
けれど。
パキリ、パキリと音を立てて『氷』が侵食を始めた。
ひゅう、と俺を中心に冷たい風が吹き、
身体を半回転させ、身をよじる事でいつの間にやら迫っていた一撃を悠々と躱してみせる。
「ッ、これを、躱しますか……!!!」
「生憎と、見えてるんでね」
「は、ははっ、これ程の身のこなしが出来るにもかかわらず、魔法使い、ですか!」
そう言いながら、続け様に剣を翻し一閃。
そのまま斬り上げ、薙ぎ、刺突を加えた後、袈裟に振り下ろす。
洗練された連撃に、幾らか身体を掠めはするも、致命傷には程遠く、またしてもベリアスは瞠目した。
「いや、はや。魔力が異常なまでに込められた義手から尋常ではないと思っていましたが、これ程とは……」
———ですが。
「このくらい、して貰わなければ話にもなりません」
にぃ、と口角がつり上がり、相好が崩れる。
同時、距離を取らんと、ベリアスが飛び退いた。
なにか、くる。
そう確信したからこそ、師であるマクダレーネの言葉が脳裏を過ぎった。
『良いか、ナハト。相手が何かしてくると感じたならば、即座に潰しにかかれ。いちいち待ってやる必要なぞあるまいて。特に対人ともなると、何かが来ると身構えた結果、厄介ごとに発展してしまうケースは多くての。じゃから、お主は何かが来ると感じたら一切合切を凍らせい。それで万事解決よ』
だから、俺は浮かべる。
辺り一面に広がる氷原を。
あのマクダレーネをして、厄介極まりないと言わせしめた『氷』を。ニヒルに笑いながら、俺は謝罪をする。
「悪いけど、長々と付き合う気はないんだ」
お金は欲しいけど、さっさと手に入れて早いところ用事を済ませたい。それが俺の偽らざる本音。
それに、何と無くの実力はもう分かった。
何より俺は、強さを欲するが、間違っても戦闘狂じゃあない。だから、無闇矢鱈に戦闘を長引かせることは好まない。可能ならばさっさと終わらせる。
ゆえに。
「“広がれ———」
零度の氷がパキリパキリと音を立てて広がって行く。
どうにも、目の前の男は魔法使いという事に疑問を抱いていたようだが、俺は間違っても戦士じゃない。
徒手空拳はイマイチといわれ。
剣にいたっては無茶苦茶なチャンバラと揶揄された俺である。
だから、身を以て知って貰おう。
俺は、『氷』の魔法使いであると。
「————氷原世界”———!!」
絶対零度の氷が大地に奔ると共に、凍て付かせる風が吹き、景色はうつろう。
そして、『氷』の世界が、眼前を支配した。