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十話

「なんで、助けた」


 不意を討つつもりなのか。
 アウレールに『ジャヴァリー変異種』と呼ばれた個体は再度姿を消し、見失ってしまう。
 お陰で時間に余裕がほんの少し生まれたからだろう。
 不服そうにクラウスは、パンパンと服についた土を手で払いながら立ち上がり、俺に向かってそう問い掛けた。


「なんで?」


 だって、助けないと致命傷を負っていたかもしれないじゃん。


 と、続けざまに言おうと試みるも、それより早くクラウスの声が聞こえた。


「てめえに対して悪感情を抱いているおれを助ける義理なんて、てめえには無いはずだ」


 悪感情。
 その言葉に心当たりはある。
 そもそも『氷』魔法を使うキッカケとなった出来事もこのクラウスによって齎されたものであるのだから。


 執拗に人間を嫌う『エルフ』
 それが、彼——クラウスだ。
 俺以上にそのことを理解する己自身だからこそ、尋ねずにはいられなかったのだ。


「義理ならあるよ」


 平然と言う。


「マクダレーネが三人でなければ倒せないと、そう言っていた。だから俺は『ジャヴァリー』倒す為に貴方を助けた。それじゃ不満?」
「……不満だと言えば、別に理由でも出てくんのか?」


 俺は、辺りを見回す。
 件の『ジャヴァリー』の気配は近くに居らず、少しくらいならば話しても問題ないと判断をした。


「そもそも、貴方は大きな勘違いをしてる。相手が自分に対して悪感情を持ってるから見殺しにする? そんな事をしてたら今頃どこもかしこも死体の山じゃん。それに、きっと俺は嫌悪の目で見られる事に誰よりも慣れてる。だから今更その程度で騒ぎ立てるつもりは毛頭ないよ」


 これが、理由だった。
 俺を嫌っているひとと好き好んで関わろうとは思わないけれど、長年、親族連中から理不尽に命を狙われ続けていた身から言わせて貰えるならば、クラウスは可愛いものだ。


 それに、恐らく彼が人間を嫌う理由はキチンとあるだろうし、俺に説教のような事をした時も間違った事は決して口にしていなかった。
 理不尽ではない。
 それだけで、俺からしてみれば誰もが随分と良心的なひととして映るし、納得すら出来てしまう。


「これでも、理不尽に十五年間晒されてきた身でね。今更、その程度の小言を気にするような人間でもないさ」


 けれど。


 意味有りげに笑いながらあるフレーズを俺は思い起こしていた。


 ———『エルフは、恩讐を忘れない』


「でももし、これを貴方が恩と捉えてくれるなら……、今度は貴方が俺を守ってよ。それで、とんとんだ」


 すると、クラウスは鳩が豆鉄砲を食ったような面持ちをみせた。まるでそれは、本気か? と言葉の真偽を問うようでもあり。


「……人間嫌いのおれに、人間の背中を守れ、と?」
「嫌ならご飯でも良いよ?」


 縁があれば、ご飯でも奢ってよ。
 それは、奴隷として見受けした者たちに言っていた言葉の一つ。最早口癖の一つと言っても間違いではなかった。


 程なくして


「ふん」


 自嘲気味にほんの少し、クラウスは笑う。
 毒気を抜かれたと言わんばかりの様子だ。


「エルフは、恩讐を忘れねえ」


 それは『エルフ』という種族の者であれば魂レベルで刻み込まれた言葉の一つであり、キマリ。道理。摂理。


「たとえ相手が人間だろうと、恩には報いる。それだけは揺らがない」


 そう言って、クラウスは背に担いでいた洋弓を手に取り、矢を収めていた(えびら)から、矢を一つ手にする。


「……認めてやるよ。『ジャヴァリー(アイツ)』を斃す為にはてめえの力が必要だとよ。だから、今回だけだ」


 隣を見ると、ふふ、とアウレールが微かに笑んでいた。
 まるで、こうなる事を予見していたかのように。


「改めて確認するが、てめえはあの『ジャヴァリー』の居場所を察知出来る。それは間違いじゃねえだろうな?」
「うん、間違ってない。それと、もう少しだけ気温を下げさせて貰えるなら索敵範囲も多分上げられると——」
「なら、さっさとそうしろ。その方が都合が良い」


 即答であった。


「後、どうせてめえは『ジャヴァリー』の倒し方を知らねえだろ?」



 その問い掛けに、俺はコクリと首肯する。


「なら、今後『ジャヴァリー』を探知した時はその直ぐ側。若しくはその方角に位置する木を思い切り凍らせろ」


 その行為がどんな意味を持つのかを理解出来ず、俺は堪らず頭上に疑問符を浮かべていると程なくしてアウレールの声で回答が聞こえてきた。


「『ジャヴァリー』にはどうにも規則性があるらしいんだ。それを見つけるのがクラウスは得意でな。恐らく、規則性を見つけておきたいんだろう」


 以前、アウレールが言っていた頭脳派。
 という言葉が脳裏を掠める。
 成る程。確かに頭脳派だなと、これは納得せざるを得なかった。


 そんなこんなと話しているうちに時間は過ぎ去り。


「動いた!!」


 十二分に距離を取り、様子見に徹していた筈の『ジャヴァリー変異種』が突として動き出す。
 熱を持った何かが走り動く感覚を肌で感じ、察知するや否、動いた場所を思い切り凍て付かせる——ッ!!


 パキリ、と一瞬にして氷が木を覆い、氷像が出来上がる。それが一つ、二つ、三つと次々に完成されて行き、同時。クラウスが洗練された所作にて矢をつがえ、


「『ジャヴァリー』の習性を考えりゃ——」


 魔力を(やじり)に纏わせ、殺傷力を高めに高めた矢が


「どうせここに居るんだろ!!?」



 ——まるで吸い込まれるかのように、放たれる。


 一直線に駆け走る一矢。
 程なくしてガキン、と。金属同士が打ち合ったかのような鈍い衝突音が轟き、クラウスは忌々しげに顔を歪めた。


「……随分と硬え皮膚した『ジャヴァリー』だなおい」


 森に愛された種族であり、特別目の良い『エルフ』だからこそ、視認が出来ていた。
 放たれた矢が直撃はしたものの、あまりの硬さに折れ曲り、残骸と成り果てた矢だったものを。


 そして、呼応するように『ジャヴァリー』の周囲の温度が上昇して行く。ぶるん、と鼻を鳴らし、心なし身体が紅潮を始めていた。


「……怒ったか」


 と、アウレールが言う。
 視力の良い二人は目で見えているようだが、俺の視力では豆粒にしかどう頑張っても見えない。
 温度で何となく感じ取れてはいるが、やはり明瞭に見えていないのは不都合が過ぎた。


 そして、次の瞬間。
 急激に温度が高まって行き、『ジャヴァリー』の場所だけ唐紅に輝き始める。
 パカリと顎門を開き、口内で赤い光が集束をしていた。
 目標は此方。けれど、アウレールやクラウスに焦りは無く、寧ろ今日一番の落ち着きを見せていた。


「焦る必要はない」


 そう言って、アウレールが一歩前へ出た。
 どうしてか、クラウスは箙から再度矢を取り、つがえて次の攻撃に備えていた。


「てめえも用意しとけ。探知だけ、ってわけでもねえだろ」


 まるで追撃が来ると知っているかのような物言い。
 だが、尋ねずとも数秒後には全てが判明する。


 だから俺は言われるがままに右の袖を捲り上げた。
 同時、顔を覗かせる人工製の氷腕。
 程なくしてパキパキと音を立て、手のひらの中に短剣が創造された。


「あの咆哮はアウレールが何とかする。だが、あの『ジャヴァリー』がそれだけでくたばるとはとてもじゃねえが思えねえ。だから、弱ってるところを一気に叩く。長引けば長引く程、体力的におれたちにとって不利になる。分かったか」
「オーケー。体力面に不安があるのは一番俺が分かってるし、異論はないよ」


 キイイィン。と音を立てていた集束音が徐々に小さくなって行く。そして、咆哮(ブレス)を放つと思われたその直前。


「凍れ」


 朗々とした声が鼓膜を揺らした。


 瞬間。
 パキリ、と『ジャヴァリー変異種』の口元だけがピンポイントに凍てつく。そして、集束した筈のエネルギーは、突如として発射口であった場所が塞がった事で行き場を失い———


「—————ッッ!!?」


 何が起こったのか。
 理解するより早くどかん、と『ジャヴァリー』が待機していた場所で爆発音が鼓膜を食い破るが如き大音量で鳴り響き、続いて黒色の火薬臭い煙が『ジャヴァリー』の目から、口から、鼻から吹き上がった。


「気ぃ抜くんじゃねえぞ」


 あれでも尚、仕留め切れちゃいない。
 言外にそう伝えるクラウスの言葉に気を引き締め、


「……ッ」


 突き刺す程の殺意があたり一帯に容赦なく走り抜ける。
 それこそが、始動の兆候。


 自滅行為に堪らず白目を向いていた『ジャヴァリー』であったが、すぐ様理性の色を再度灯して持ち前の敏捷性を駆使し、身体を跳ねさせた。
 虚空に身を躍らせた突進決殺。


 『ジャヴァリー』の狙いは言わずもがな、


「クソガキ!!! 2秒で良い!!! そいつの足を止めやがれ!!!!!」


 アウレールの下へと向かう『ジャヴァリー』との間に入るように、俺が文字通り身を挺して割り込む。


「ナハトッ!?」
「オーケー!!! そのオーダー承った!!!!」


 イメージは極寒。
 眼前の景色全て、何もかもを凍て付かせるように。
 数十メートルと離れていた距離を、刹那の時間のうちにゼロへと縮める『ジャヴァリー』の脚力に瞠目しながらも、俺はイメージを言葉に変え、乱暴に叫び散らす。


「凍、れえええええええぇぇぇええ!!!!」


 パキリ、と音を立て、『ジャヴァリー』の身体が氷に侵食され始める。
 それは刻々と範囲が広がって行き、『ジャヴァリー』の動きもこれで止まるかと。そう思われた時だった。


 ピシリと亀裂が走るような音が空気を斬り裂いた。
 伝染するようにそれは鼓膜へとたどり着き、この程度か? と言わんばかりに鼻を鳴らす『ジャヴァリー』の頭部は気付けば、俺の腹部へとめり込んでいた。


「ぅ、あ、ぐッッッ!!?」


 ミシミシと肋骨を含め、内臓など全て何もかもを圧迫し、壊し尽くすような勢い。
 しかし、そんな痛獄も長くは続かず、突進してきた『ジャヴァリー』の勢いに逆らう事なく後方へと思い切り突き飛ばされる。


 突き飛ばされた衝撃により、何度もボールのように地面を跳ね、地面を転がった末に木の幹に衝突。
 身体の中のどこからか、喉元にまで昇ってきた液体が喉に絡みつき、堪らず吐き出すと水を打ったかのような軽快な音が口から飛び出した赤い液体と共に鳴り響いた。


「これ、は効、いた……っ」


 身体中。
 至る所から血を流しながら俺はそう呟くも、程なくしてその献身を称えんとする大声が大気を縦横無尽に斬り裂いた。


「良くやったクソガキ!!!!」


 ぎり、ぎりと限界まで引き絞った弓矢。
 洗練されたソレは、俺が身を挺して作り出したあの刹那の瞬間に既に放たれいた。


 皮膚が硬いならば、柔らかいであろう場所を狙えば良い。その思考を以ってして、彼は射抜いていたのだ。


「ガアアアアアアアァァァアアアッッッ!!!?」


 『ジャヴァリー』の、右の瞳を。


 痛みに身悶えし、咆哮染みた叫び声を漏らす『ジャヴァリー変異種』。
 鏃は頭部を貫いており、これで終わり。
 そう思われた時だった。


 『ジャヴァリー』の尾が、俊敏にしなる。


「ッ、ぐぁッ———!?」


 ボキリ、と。
 クラウスの右の腕に直撃したその尾は壊撃の音を確かに響かせ、


「クラウス!!!」


 アウレールすらも巻き込み、俺とは別の場所へ力任せに吹き飛ばす。
 遅れて、ずしんと槌打ったかのような重鈍な音が鳴り、あまりの衝撃に辺りの大地が振動した———。

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