其の五
それは黒狼団を殲滅させたあの夜から四日が過ぎた日のことであった。
この間、フランソワーズは目的の盗賊団掃討を果したというのに、なぜかすぐに国都には帰還せず、そのままグレーザー男爵の本邸に拠を移してそこに居座っていた。
そこで何をしていたのかというと、男爵や四騎士団長らをひきつれて鹿狩りやキツネ狩りに興じたり、領内にある湖に船をだして、今がシーズン真っ直中というマス釣りを愉しんだりと、ようは遊んでばかりいたのである。
かくしてあの夜から四日が過ぎていたのだが、あと一刻ほどで五日目を迎えようとしていた時分。
自身に割り当てられた邸内の部屋で書物に目を通していたランマルは、にわかに女王に召し出された。談話室まですぐに来るように命じられたのである。
こんな夜更けになんだろうと、いぶかりつつランマルが部屋を訪れたとき。
その部屋にはすでにフランソワーズはむろん、ヒルデガルドら四騎士団長の姿もあった。
丸い大理石造りのテーブルを囲む彼女たちは無言のまま、なぜか一様に硬い表情を浮かべていた。
そのことを敏感に察知したランマルは不審をおぼえたのだが、ともかく一礼して席に着くと、さっそくフランソワーズに問うた。
「いったい何事でございましょうか、陛下?」
「国都から急使が来たのよ。クレイモア伯爵が送ってきたね」
「クレイモア伯爵の?」
ランマルは軽く首をひねり、
「それで伯爵はなんと?」
「伯爵が言うには、どうやら国都で謀反が起きたらしいわね」
「ほう、謀反ですか。それはまた……」
フランソワーズのなにげない語調もあって、ランマルは一瞬首肯しかけたのだが、すぐにその言葉がもつ重大すぎる意味に気づき、ぎょっと目玉をむいた。
「む、謀反ですとっ!?」
おもわず声を高くさせたランマルに、フランソワーズは皮肉っぽく笑ったみせた。
「そうよ。あの不満分子どもがとうとうなけなしの勇気を総動員して、重いへなちょこ腰を上げたらしいわね」
というフランソワーズの声にはどこか愉快そうな響きがあったが、ランマルはというととてもじゃないが平静を保つのは無理だった。
混乱する頭と胸中を落ち着かせるので精一杯だったのだが、それはランマルにかぎったことではない。
若いながらに胆力に優れているはずの四人の騎士団長たちですら、その表情は硬く、重苦しい沈黙を守っている。
ともかくクレイモア伯爵から送られてきた密書には、次のようなことが記されていた。
それは、フランソワーズが盗賊団討伐のために国都を発った日から五日後のことであった。
いわゆる反女王派と称される彼らは、国都郊外にあるダイトン将軍の屋敷に極秘裏に集合した。
名目は将軍の軍歴三十三年周年を祝う宴というものだったが、会合に集結した彼らは邸内で秘かに女王の打倒を誓う決起集会を開き、そのための組織【救国王侯同盟】なるものを結成したという。
反女王派の一員と見なされて会合に誘われ、そればかりかその場に居合わせたために否応なく反女王同盟に参画させられたクレイモア伯爵によれば、結集した貴族は百人を超すという。
これはオ・ワーリ王国の全貴族の七割にのぼる数である。
その決起集会において彼らは女王フランソワーズ一世の「専横」を糾弾し、このまま女王の治世が続けばオ・ワーリ王国は滅亡しかねないという「危機感」を表明し、ことのついでに即位そのものも「無効」であると断言し、ついにはオ・ワーリ王国に正統なる秩序と正義を回復するための「行動」を起こすべきと高らかに宣言し、それはすぐに実行に移された。
決起集会の翌日。ダイトン将軍率いる国軍と、貴族たちが所有する私兵団とによって組織された同盟軍によって、国都および王城は瞬く間に占領されてしまったのである。
青天の霹靂ともいうべき事態に直面して狼狽する王城の人々をよそに、ダイトン将軍はまず三人の副宰相を捕らえ、城内の一室に監禁して城の支配権を握ると、女王の廃立を一方的に宣言し、国都中にその触れを出したという……。
それまでフランソワーズの説明をなかば惚けた態で聞いていたランマルは、やがて自己を回復させると、ふと脳裏に浮かんだ疑問を吐露した。
「それにしても、あのダイトン将軍にこれだけの統率力があったとは意外です。いくら大将軍とはいえ、他の貴族たちがよくも素直に従っているものです」
いかに国軍の司令官であろうと武門の名家出身であろうと、ダイトン将軍はつまるところ騎士階級の人間である。
おそらくは例の【天下布武】の話を利用し、反女王派の貴族たちの危機感と反発心をあおって決起させ、彼らを謀反に走らせたことはランマルには容易に想像できるが、それでも疑問が残る。
爵位も領地もない下級貴族たちはともかく、ペニンシュラ侯爵やヒルトン伯爵のような大臣経験もある大貴族から見れば、ダイトン将軍は家柄や格式において一枚も二枚も劣る人物である。
いくら女王の野心に危機感をおぼえたからといって、はるか格下のダイトン将軍の呼びかけに応じて謀反に加担したばかりか、軍勢の主将を託し、あまつさえその指揮下に入って唯々諾々と将軍に従っていることがランマルには不思議でならなかった。
そんな疑問をランマルが口にすると、フランソワーズがせせら笑いまじりに応じた。
「そりゃそうよ。ダイトン将軍など、しょせん虎の威を借りるキツネでしかないのだからね。あのヒゲに貴族たちを従わせる力量などあるわけないわ」
「……威を借りるキツネ? それはどういうことでしょうか?」
「つまり貴族たちは、ダイトン将軍なんかに従っているわけではないということよ」
ますます意味がわからなかったので、さらにランマルが訊き継ごうとしたとき。同席するヒルデガルドが先に声を発した。
「じつはクレイモア伯爵の書状には、さらに続きがあります。伯爵いわく、救国王侯同盟なる反乱勢力の盟主に就いたのは、王国宰相カルマン大公殿下であると……」
「な、なんですと、殿下が!?」
またしても目玉をむいたランマルに、ヒルデガルドが重々しくうなずく。
「そうです、ランマル卿。貴族たちに決起を呼びかけたのも、反女王同盟を結成させたのも、蜂起して国都を占領させたとのもすべてはカルマン殿下の御名においてです。ダイトン将軍はその手足となって動いたにすぎない。そう伯爵は文に記しています」
「…………」
もはやランマルは声もなかった。
たしかにダイトン将軍ら不満分子一党は、女王打倒の大義名分を得ようとカルマン大公の担ぎ出しを考えていたようではあるが、まさか本当に担がれることになろうとは……。
呆然とした態で沈黙を守るランマルの耳に、フランソワーズのぼやく声が聞こえてきた。
「それにしても、兄上も存外浅慮なところがあったのね。王族きっての良識家だと思っていたのに、まさかこんな軽挙に加担するとはがっかりよ。そう思わない?」
声を向けられたランマルも四騎士団長も沈黙で応じた。
相手が相手なだけに、どう応じていいかとっさに判断できなかったのだ。
しかし、事が事である以上、いつまでも黙ってばかりもいられない。
ランマルはひとつ息をのんでからフランソワーズに問うた。
「して陛下。これからいかがされるおつもりですか?」
「そうねぇ……」
カップから昇る紅茶の湯気を見つめながらフランソワーズはしばし黙したが、それも長いことではなかった。
「とりあえず、明日にでも全軍でカナン領に移ることにするわ。ここにいたらグレーザー男爵にも迷惑をかけてしまうからね」
「……カナン領ですと?」
フランソワーズの一語に、ランマルは困惑したように目をパチクリさせた。
フランソワーズが口にしたカナン領とは、国土の西部にある天領のひとつである。
天領とは、王家が国都以外に所有している地方領のことだ。
そのひとつであるカナン領は国土の西端に位置する、面積のほとんどを鬱蒼たる深い森林で占められた辺境の領地である。
今はもう使われていない、静養のために築かれた古城がひとつあるだけで、他にはこれといってなにもない辺ぴな場所のはず。すくなくともランマルはそう記憶していたのだが……。
「なにゆえカナン領などに赴かれるのですか、陛下?」
「きまっているでしょう。その地を拠点に国都へ進撃するのよ。賊軍どもから私の都と城をこの手に取り戻すためにね」
理解不能な指示を下すフランソワーズに、ランマルと四騎士団長たちは呆気の表情を交わしあったのだが、ふとランマルがフランソワーズに視線を転じたとき。
その顔には、なにやら意味ありげな微笑があったのである。