其の四
「ば、爆発しました!」
ふいに噴きあがったランマルの声に、ワインを呑むフランソワーズの手がぴたりと止まった。
それまで腰を降ろしていた革張りのソファーから立ち上がり、ゆっくりとした歩調でランマルの傍へと歩み寄ながら質した。
「それで、爆発したのはどの部屋かしら?」
「はっ。あれは屋敷本館の……ええと、位置からしておそらくは談話室かと存じます」
「本館の談話室というと、純金の女神像を使った仕掛けをほどこした部屋ね」
「さようにございます」
ランマルが応じたまさにその瞬間、新たな爆発音が鼓膜をうった。
それも一度ではなく、立て続けに二度三度と。
その爆音に反応するようにランマルは慌てて手にする遠眼鏡を覗きこんだ。
そして、目に飛びこんできた光景におもわず息を呑む。
「こ、これは凄い……!」
ランマルが驚嘆の声を漏らしたのも無理はない。
覗きこむ遠眼鏡の先で、総三階建ての屋敷に備えつけられた百を超えるガラス窓が、けたたましい異音と苛烈な炎をともなって次々と吹き飛んでいるのだ。
否、吹き飛んでいるのは窓だけではなかった。
屋敷の屋根や外壁までもが、総毛立つような亀裂音を轟かせながら縦横に裂け、そこから赤黒い炎が火柱となって噴き出し、今や男爵屋敷はもうもうたる火炎と黒煙に包まれていた。
火の爆ぜる音に風の吠える音が重なり、まるで見えざる火龍が暴れ狂っているようであった。
凄絶としか言いようのない光景に、ランマルがなかば惚けたように遠眼鏡を覗きこんでいると、その横にフランソワーズがやってきた。
「ランマル、遠眼鏡を貸しなさい」
「は、はい」
うやうやしく差しだされた遠眼鏡を受け取り、フランソワーズは中を覗きこんだ。
たちまちその口もとが、底知れない愉悦に湾曲にゆがむ。
「フフフ。どうやら最初の爆発で、他の部屋の樽にも引火したようね。それにしても凄い炎と爆発ね。ここまで熱気が伝わってくるなんて」
〈ここ〉という一語を聞きとがめたランマルは、炎上と爆発を続ける男爵邸を遠くに一瞥した後、さりげなく周囲を見まわした。
フランソワーズとランマルが現在立っているこの場所は、男爵邸から見て北東の方角にある高台の頂上であった。
樺や椎の樹木が競うように生え繁るこの高台は、男爵邸からは三百メイルほど離れた場所にあるのだが、爆発が生む熱気と余波はこの高台の、それも頂上にまで伝わってきていた。屋敷で生じている爆発の猛烈さがうかがい知れた。
そんな爆発を繰り返す屋敷を、まるで華麗な歌劇でも鑑賞しているかのような表情で遠眼鏡越しに眺めている女王に、傍らに立つランマルが声を向けた。
「それにしましても陛下。黒狼団がわが騎士団を四方に散開させたその日のうちに襲撃してくるとは意外でした。少なくとも二、三日は屋敷内外の下調べなどに時間を費やすものと思っておりました。ま、われわれとしては助かりましたが……」
語尾にランマルの本音と実感がこもっていた。
それも当然だろう。なにしろ日没と同時に屋敷からひそかにこの高台に移り、黒狼団が屋敷を襲撃してくるのを夜明けまで待つ。
そして屋敷内に仕掛けた爆薬で賊たちを一気に殲滅する。それが終わるまで、屋敷から高台に移ること何日も続けるというのがフランソワーズの策であったのだから。
幸いにも黒狼団がその日のうちに襲撃してきたからよかったものの、あと何日こんなことを続けるハメになるのだろうかと、ランマルは内心でヒヤヒヤしていたのだ。
そんなランマルの心中を察したのか。遠眼鏡を覗きこみながらフランソワーズが応じた。
「だから言ったでしょう。連中がミノー王国の兵士なら、まちがいなく一両日中にもあらわれるって。おそらく私の首には高額の報酬がかけられているでしょうし、その女王が近日中にも国都に帰還すると聞かされては、みすみす報酬を逃してたまるかと目の色を変えてすぐにでも襲撃してくることは、私には簡単に読めていたわよ」
「ははっ。陛下のご慧眼、恐れいりました。しかしながらあの様子ですと、生存者は期待できないものかと……」
ランマルはふたたび屋敷の方角を眺めやった。
屋敷はあいかわらずごうごうと猛火と黒煙を噴きあげている。
あの状況では屋敷内に忍びこんだ盗賊たちは、一人残らずケシズミになっていること疑いなかった。
むろん盗賊団の殲滅が今度の出征の目的であるからそれじたいは問題ないのだが、しかし今回の作戦には、盗賊団の正体がミノー王国の兵士であることを明らかにするという別の目的もある。
そのためにも一人か二人くらいは生存者がいてくれないと困るのである。
ランマルがそのことについて言及すると、
「うーん、そうね。ちょっと仕掛けた火薬の量が多すぎたかしらね」
と、想定以上の猛烈な爆発と炎にさすがのフランソワーズも困った様子であったが、
「ま、一人くらいなら運よく生き残るんじゃない?」
という女王の返答に、「結局、運まかせかよ」とランマルは内心でため息するのだった。
だが、ランマルの懸念も杞憂で終わった。
時を経て翌朝、生存者捜索のために高台を降りていた護衛の騎士たちが、一人だけ生き残っていた盗賊を発見したのである。
湖の畔で気を失っていたところを発見され、尋問のためにフランソワーズの前に引きすえられてきたのは頭目のクルーガーであった。
あの凄絶な爆発と炎から奇跡的に逃れたものの、身体は火煙によって真っ黒にすすこけ、もちろん火傷も負っている。
おまけに逃げる際に屋敷内の階段から転げ落ち、腕と足の骨が折れているとかで、口からは苦悶のうめき声が漏れていたが意識ははっきりとしていた。
ともかくフランソワーズが尋問役となって、さっそく尋問が始まった。
縄縛りにされた姿でひざまずくクルーガーの鼻先にサーベルを突きつけながら、フランソワーズがごう然たる一語を投げつける。
「さあ、白状おし。お前たちの正体は盗賊などではなくミノー王国の兵士ね?」
「ふん、なんのことかわからんね」
クルーガーは吐き捨てた。この期におよんでまでシラを切りとおすつもりらしい。
その理由がミノー王家への忠誠心なのかどうかは知らないが、この四方八方敵だらけの状況下でたいした度胸であると、ランマルなどは内心で感心したものである。
ふてくされた態でそっぽを向くクルーガーをちらりと見やった後、ランマルはフランソワーズにささやいた。
「いかがいたしますか、陛下。この者、自白する気などさらさらないようです。まったく太い奴です」
「いいじゃない、いいじゃない。ガッツがあるほうがこちらとしても存分に尋問が愉しめるというものよ。ウフフ」
「…………」
「それよりもランマル。すぐに四騎士団に使者を送りなさい。作戦は終結した。全軍、速やかに帰還するようにとね」
「はっ、かしこまりました」
うやうやしい一礼でランマルが応じると、フランソワーズは待機させていた四輪馬車に乗りこみ、焼失した屋敷に変わる新たな本営と定めたグレーザー男爵の本邸へと馬車を走らせた。
かくして黒狼団掃討作戦は、ここに終了したのである。
女王が国都を発って、わずか十日目のことであった。