其の七
ランマルは、気持ち声調を整えてから口を開いた。
「たしかにミノー国王が、先王オーギュスト十四世の御代より義兄という立場からなにかとわが国にちょっかい――いや、干渉の手を伸ばしてきていたことは承知しております。しかしながらそのオーギュスト王はすでに鬼籍に入られ、妹君たるマレーヌ王太后も隠棲されている御身。いったいミノー国王はいかなる思惑があって、今この時期にわが国に干渉しようとしているのでしょうか?」
「あら、わからないの? 明敏なお前らしくないわね」
「と、申されますと?」
「私の治世をひっくり返したいと思っているのは、なにも国内の人間ばかりではないということよ、ランマル」
「な、なんと……!?」
フランソワーズの一語に、ランマルは驚きに声を詰まらせた。
それも当然であろう。ミノー国王ドゥーク三世がオ・ワーリ王国の王権転覆を陰から謀っている。暗にそう言っているのだから。
それが事実とすれば、もはや「ちょっかい」レベルの話ではなくなるだけに、ランマルとしては声を詰まらせる以外なかったのだが、それでもひとつ息を呑み、重い口調でフランソワーズに質した。
「……それで、昨今の農民たちの蜂起にミノー王国が関与していることが仮に事実だとして、陛下はいかがされるおつもりなのですか?」
「そうねえ……」
そう言ったきりフランソワーズは沈黙し、手にするティーカップ内の紅茶を軽く回していたが、それも長いことではなかった。
「まあ、ミノー王国に関しては私も性急に結論を出す気はないわ。確たる証拠があるわけでもないし、連中がボロを出すまで静観することにするわ。それに、今は他に優先しなければならないことがあることだし」
「優先しなければならないというのは?」
「きまっているでしょう。国内の反女王派を皆殺しにするのよ。一人残らずね」
女王らしからぬ苛烈なその物言いにランマルは「うっ」と内心でうめいたが、隣国の王がフランソワーズの「失脚」を画策している可能性がでてきた以上、皆殺しはともかくとして、国内に潜在する反女王派を放置しておけないこともまた事実であった。
今は不平農民レベルにとどまっていても、いつなんどき反女王派の貴族や将軍らがミノー国王と手を組んで、王権転覆に乗りだしてくるかわかったものではないからだ。
とはいうものの、「じゃあ、どうすればいいの?」と言われると、ランマルにはどう対処すればいいのか正直答えは見いだせない。
ダイトン将軍のようにわかりやすい「反女王キャラ」は別として、ほとんどの廷臣が内心ではともかく表面的には忠誠を誓っているように装っているため、誰が反女王派なのか見分けがつかないからだ。
潜在的な反女王派を特定するのは、なかなか困難なことにランマルには思われた。
そんな自身の懸念をランマルが遠慮がちに進言すると、なんとも意味ありげな微笑が女王の口もとを飾った。
「心配いらないわ、すでに手は打っているから」
「えっ、それは?」
「お前はクレイモア伯爵という人物を知っている?」
「クレイモア伯爵……?」
唐突に問われてランマル返答に窮したものの、すぐさま思考と記憶力をフル回転させて、該当する人名と顔を思いだした。
そうはいっても王城で二、三度見かけただけの、真っ白な髪をした初老の貴族という以外、ランマルはよく知らなかったが。
「はい、いちおう、お名前は存じあげておりますが、それでその伯爵がなにか?」
「そのクレイモア伯爵の屋敷では、毎月一定の日に、とても興味深いパーティーが秘密裏に開かれているのよ」
「パーティー?」
フランソワーズは小さくうなずき、事情を明かした。
フランソワーズの言うところでは、クレイモア伯爵なる貴族は毎月一定の日に、自身の別邸で年代物ワインの品評会なるものを催しているのだが、それは表向きの顔。
実態は国内の反女王派の貴族や騎士たちを招き、屋敷の地下室で女王に対する罵詈雑言をかわす、いわゆる「糾弾会」だという。
糾弾会というとなにやら不穏な気配がただようが、つまるところ現在の宮廷内にあってうだつが上がらない連中が、アルコールの力を借りて愚痴を漏らしあい、女王への罵詈雑言をかわしあってうっぷんを晴らしているというだけの話だと、フランソワーズは笑いながら言う。
最初は伯爵の近辺に諜者でも放って調べたのかと思ったランマルであったが、ある疑念が脳裏に浮かんだ。
「……ひょっとして、陛下自らが件の伯爵を陰から操って、そのような会合をあえて開かせておいでなのでは?」
「正解!」
フランソワーズは興がった笑いを発し、語をつないだ。
「ほんと、お前は聡い子ね。そのとおり、伯爵は私の命で糾弾会を開いて国内の不平分子どものあぶりだしをしているのよ。ま、始めた当初はさすがに警戒してほとんど集まらなかったらしいけど、今ではクチコミで評判が広がり、けっこうな人数が集まっているようよ。ちなみに今月の開催日は今日の夜」
「今宵と?」
「そう。今頃、伯爵の屋敷にぞろぞろと集まっている頃かしらねえ。私に踊らされているとも知らずに……」
そう言ってフランソワーズは薄く笑った。
†
クレイモア伯爵の別邸は、国都の中心部から西に十フォートメイル(十キロ)ほど離れた地にある、椎や白樺といった木々が生え茂る閑静な郊外にあった。
普段ではあれば昼夜を通して静けさを保っている場所なのだが、今宵、馬のいななきや馬蹄の響きがその静けさを破っていた。
宮廷屈指のワイン通でならす屋敷の主人が催す品評会に、ワイン愛好家を「自称」する名士たちが妻子などを連れて訪れていたのである。
それは、まさに絢爛豪華な貴顕淑女の宴といえた。
クレイモア伯爵の招待に応じ、屋敷を訪れた名士の数は百名にもおよんだ。
多くは貴族や騎士とその妻子であるが、中にはクレイモア家と取引をかわす商人たちや、伯爵の庇護下にある音楽家、建築家、詩人、彫刻家、画家といった芸術家などの姿もある。
絢爛たる光彩を放つ豪奢なクリスタル・シャンデリアの下。屋敷の大ホールに集まった礼服やドレス姿の貴族や名士たちは、赤白バランスよくそろえられた主人自慢のビンテージワインを堪能しながら、それに劣らない豪勢な料理に舌鼓をうつなどして華やかな品評会を堪能していたのだが、その一方で、屋敷の地下では絢爛さや華麗さとは無縁の、醜悪な罵詈雑言に満ちた知られざる陰の会合が開かれていたことを知る者は、参列者のごく一部の者だけであった。
大ホールで華やかな宴が催されている同時分。
五十余りの階段で隔てられた地下室に屋敷の主人たるクレイモア伯爵の姿はあった。
地下室といっても、そこは大貴族の屋敷にある地下室。市井の民家にありがちな、ネズミが徘徊しているような物置代わりの部屋などではない。
伯爵邸の地下室はワインカラーを基調として配色された、重厚さと華やかさを備えた印象の部屋で、天井の位置も高く、広さにいたっては市井の民家一軒がまるまるおさまるであろう。
室内のいたるところには絵画、彫像、陶器品の群。さらに大理石造りのディナーテーブルに黒革張りのソファー、厚手の手織り絨毯などが絶妙に配置されていて、豪奢すぎるほどの室内空間をつくりだしている。
だが、そんな豪奢な造りの地下室に集った貴顕の人々は、それらの芸術品を愛でる気はさらさらなかったようである。
さらに言えば、ディナーテーブル上に並べられた伯爵自慢のワインの群にも、ほとんど関心がなかった。
それも当然で、今の彼らは逸品物のワインにではなく、自分たちが仕える主君への底知れない憎悪に酔っていたのだ。
「おのれ、小娘め! 増長しおってっ!」
ダイトン将軍の発したこの怒号が陰気な会合の幕開けであった。
たちまち賛同のうなずきと同種の糾弾が参列者の間に連鎖した。