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是正9

 罠を回収したところで、プラタに現状を確認する。クリスタロスさんと話をして罠を調べるだけでもそれなりの時間が経過しているから、そろそろいい頃合いかと思うのだが。

「プラタ。オクト達の状況はどんな感じ?」
「はい。偵察に出していた魔物を戻して戦線に加えましたが、創造した魔物の一体が少し前に消滅しました。他もそろそろ限界がきており、妹君自身も満身創痍といったところです」
「ふむ。じゃあ、そろそろ頃合いかな?」
「創造した魔物が全て消滅するのを待ってからでもよろしいのでは?」
「それはそれで追い詰め過ぎな気がするけれど?」
「むしろ、それぐらいの絶望を与えても、まだ足りない可能性も在りますが?」
「そうかな?」
「はい。私はそう存じます」

 プラタの言葉を聞いて、首を捻りながらノヴェルに関する記憶を掘り起こす。
 ノヴェルはオクトと違ってお淑やかでお嬢様っぽい感じの妹だ。いつも微笑んでいるような印象があるが、そこまで精神的に強かったかな? ・・・うーん、決めた事には頑固だったような気もするが、それとこれとは違うだろうし。
 そんな妹だったような? と、腕を組んで思い出そうとするが、兄さんの身体を借りていた時の記憶も大分希薄になってきているので、自信は無い。これは身体が移った影響というよりは、単なる時間経過による忘却だろうと思う。ノヴェルの事は、普段生活するうえでそれほど重要という訳でもなかったし。というか、この身体になってプラタから話が出るまで大して思い出しもしなかった。
 そんな相手の記憶である。いくらジーニアス魔法学園に入学する前は割と頻繁に話をしていたとはいえ、そこまで強く記憶に残っているものではない。人は使わなければ忘れていく生き物なのだからしょうがない。
 さて、そんな申し訳程度の記憶にあるノヴェルという人物を思い出した後、プラタの言う通りだったような? という事にした。
 プラタがそう言うのであれば、その可能性が高いのだろう。というか、ほとんど記憶にないのだからしょうがない。

「じゃあ、もう少し様子を見てみようか」
「それがよろしいかと」

 恭しく頭を下げるプラタ。であれば、まだ少し時間があるようだし、やる事も無いので準備運動がてら軽く修練でもしようかな。





「はぁ」

 迫りくる魔物の群れを眺め、少女は疲れた息を吐き出す。

「追加・・・いえ、終わらせに来たといったところですか」

 大きな怪我は無いものの、疲労で動きが鈍っている身体を億劫そうに伸ばして、まずは周囲に居た魔物をさっさと一掃する。周囲には中級の魔物がわらわらと群がっていたのだが、少女にとってはその程度、物の数にも入らない。それでも魔物の数が常軌を逸して多すぎるので、消しても消しても次々と群がってきて、終わりがみえてこない。
 そのせいで少女の身体に疲労が蓄積されていき、体内の魔力量もどんどんと減っていくので、このままではそう遠くない内に少女の死でもって、この無限の牢獄の幕も引かれる事だろう。
 もっとも、それは少女一人であった場合の話。少女の影には、少女が休憩中に魔物の相手をしてくれる仲間の魔物が潜んでいた。
 しかしそれも、目の前の光景に無意味に思えてきたが。

「まずは全ての魔物を影の外へ。偵察に出していた魔物は、オクト達にこの現状を伝える使いに出しておきましょう」

 自分に確認するようにそう口にして、影から魔物を二体呼び出す。二体とも羽を生やし、鎧を着た人間の様な姿をした真っ白な魔物。その魔物は、真っ黒か暗い色がほとんどな魔物の中にあって、一種異形の存在。
 その魔物を視界に収め、少女は優雅に笑う。それは虚勢ではあるが、そんなものでも身体を動かす力になるのであれば、いくらでも使用する。形振り構っている余裕など、最早少女には残っていない。それだけ少女に向かってきている魔物の群れは強大な力を内包していた。

「数はそこそこ。数だけで判断すれば今までよりも少ないぐらいですが、質が明らかに上。今までの魔物がいかに雑魚ばかりであったのかが解りますね」

 迫りくる魔物が射程圏内に入ったところで、少女は初手から盛大に魔法を放つ。
 強力な魔法が魔物達に襲い掛かり、先陣を切った魔物達がそれだけで消滅してしまう。しかし、魔物達に怯んだ様子は無い。

「はぁ、はぁ。奥の方が厄介ですが、今はこの数もまた厄介ですね」

 もうそこまで迫ってきた魔物達へと、少女の影から出てきた魔物達が斬りかかる。その手には、剣身の長い細身の剣が握られており、白銀に陽光を反射していた。
 それは魔物としては明らかに異質。羽を隠してしまえば、真っ白な鎧を身に纏った人間と言えば通ってしまいそうな見た目をしている時点で異様だというのに、剣を携えているというのもまた通常の魔物とは異なる。
 強さも異常で、仮にも上級の魔物がそこらの雑魚と同じように斬り捨てられていく。
 魔物達は何の抵抗もなく斬り捨てられていくが、少女の仲間の魔物が魔法を使用した形跡は無い。しかし、おそらくその剣自体が魔法道具か魔法の剣なのだろう。
 それを少女が用意しなくとも所持していたというのは、何でもありの魔物とはいえ明らかにおかしな事であった。しかし、こんな時にはとても頼りになるので、少女にとってはそこはどうでもいい話であった。
 少女の魔法と仲間の魔物の活躍によって、敵の先鋒は何とか撃退出来た。しかし、全体の数は減っても、厄介な相手は無傷で健在。
 それに数自体も減ってはいるはずなのに、その実感が湧かないぐらいには多い。
 仲間の魔物が活躍している間、少女は僅かでも体力を回復させようと息を整えながら休憩する。

(奥の魔物は引き続き様子見ですか)

 少女は前方を睨みつつ、迂回する形で攻撃してくる魔物に対処していく。そのせいで休憩していてもあまり休まらないのだが、対処しなければやられるのは少女の方だ。
 せめてもう一人仲間がいればと思いつつ、伝令に走らせている仲間の魔物が戻ってくるのを待つ。

(援軍は望めないでしょうね)

 休憩しながら、少女は現状を頭に思い浮かべる。
 現在少女を含めて三人がハンバーグ公国を護っている。無論、三人だけでは一国を護るには力が不足しているので、それぞれが創造した魔物も参戦させていた。
 そうして魔物達の群れから国を護って戦っていたが、流石に一日中戦っていては疲弊してしまう。魔物達はそんな事はないのだが、少女達は人間なので休息が必要だった。なので、丁度少女達は予備戦力兼交代要員として控えさせていた魔物と交代しているところであった。
 少女もそろそろ交代しようと思っていたところで、この襲撃である。少女だけは手持ちの戦力が少し多かったので未だに耐えてはいるが、相手の増援の戦力が明らかに今までと異なり強大過ぎる。

(疲弊の度合いが激しいですね。体力はまだしも、そろそろ魔力が尽きそうです)

 立っているのも辛い状態ながらも、何とか側面や背面から攻めてくる魔物に対処していた少女だったが、そろそろ意識が朦朧としてきていた。
 そこへ伝令に走らせていた魔物が帰ってくる。しかも援軍として、同じように偵察任務に就いていた、少女の姉が創造した魔物が付いてきていた。
 少女はその魔物達に周辺の対処を頼むと、もう限界とばかりにその場に腰を下ろす。

「はぁ、はぁ。流石にふらふらしますね」

 頭を抑えて蹲るように座る少女は、靄が掛かった様な視界の中で周囲に目を向ける。
 そこでは仲間の魔物達が敵の魔物を倒していっている。今はまだ何とか均衡が保てているが、離れた場所に居る魔物が動き出したら終わるだろう。

(・・・口惜しいですが、あれはどうしようもないですね)

 現在の自分達の戦力と相手の推定の戦力を比べて、少女は口惜しそうに唇を噛む。
 そうしながらも、この場をどうするべきか朦朧とする頭を回転させている少女は、いくら仲間の魔物に護られているとはいえ、不自然なまでに魔物達が少女の許へとやってこない事に気づいていない。
 それを成している薄い結界の存在も、少女の朦朧としている視界には映っていないようだ。
 暫くそうして休んでいると、少女の意識も大分はっきりとしてくる。しかしそこで前線が動き、戦っていた仲間の魔物が一体消滅する。

「ッ!!」

 様子見は終わりとばかりに一気に距離を詰めてきた奥の魔物の攻撃により、サクサクと上級の魔物を倒していた少女が創造した魔物の一体は、あっさりと消滅してしまった。それは悪夢以外の何物でもないが、その悪夢もまだ始まったばかり。
 次は、前方で戦っていたもう一体の魔物。今度は警戒していたので僅かに抵抗出来たものの、やはりあっさりと消滅してしまった。
 どうするべきかと逡巡するも、逃げる以外の選択肢が思い浮かばない。だが、逃げられるとは到底思えない。

(私が足手まといですね。他に援軍も望めませんし、来ても勝てないでしょう。疲労があまり溜まっていない状態で、連携出来れば何とかいけそうですが・・・いえ、それでも相手の数が多すぎますか)

 少女は勝てるかどうか計算して、相手の数に諦める。それは最初から分かっていた事だった。
 抗う手段がないままに、残っていた二体の魔物も蹂躙されていく。そしてすぐに少女は独りになってしまう。まだ疲れはほとんど抜けていないので、抗う手段も無く絶体絶命。

(覚悟は最初から決めているので、死ぬのは嫌ですが受け入れましょう。ですが、そうなると後ろは護りきれませんね)

 既に魔物が入り込んでいるようだが、それでもまだ何とかなるだろう。しかし、ここでこの強い魔物達をなんとかしなければ、それも叶わなくなる。
 そして、それは不可能だろう。少女にはもう抗う術がないのだから。それでも少女は目を逸らすことなく魔物へと鋭い視線を向け続ける。

「・・・・・・・・・」

 そこで背後からは大きな音が遠くから聞こえてくる。魔物の侵攻はかなり進んでいるようだ。それどころか同じように強い魔物がハンバーグ公国へと到着したのが分かった。

(・・・終わりですね)

 魔物の薙ぐ腕を視界に収めながら、少女は小さく笑う。出来れば最期にお兄様にお会いしたかったなと思いながら。
 そうして終わりを迎えようとした瞬間、迫る魔物の腕が消滅する。
 それを視認した少女は、視線を横へとずらした。そうすると、そこには見覚えがないはずなのに見覚えのある、背の高い青年が立っていた。
 少女はその青年を認識すると、記憶に在る青年の名を口にする。

「ジュライ・・・兄さん」

 それは少女が慕う兄に少し似た見た目の男。だが、兄よりも背は高い。しかし、兄と違って凡庸な雰囲気を醸している。
 少女にとってはその男も兄に当たるのだが、少女は表面上は兄とその男を呼んでいるが、内心では微塵も兄などとは認めてはいなかった。それは、少女に記憶があるから。
 二人の兄に当たるオーガストという人物は絶大な力を有し、不可能無きその力でもって世界を改変した。自分と弟であるジュライの立ち位置を交代するという改変を。
 ジュライは本来既に死んでいた人物なので、それによりオーガストという存在は、実際はどうあれ立ち位置的には死者となったはずだったのだが、その改変の際にオーガストは数名の記憶をそのままにしておいた。少女はその一人だ。
 少女はオーガストから事の概要を大まかにだが聞かされている。それを知っているが故に、実際はオーガストからの提案でオーガストが決めた事だとしても、少女にとってジュライは、慕っているオーガストから何もかもを奪った簒奪者でしかない。
 なので兄とは微塵も思っていないのだが、世界が改変された事は知っているので、しょうがなく兄と呼ぶことにしていた。
 そんな存在だが、少女は別にジュライを嫌っている訳ではない。関わり合いにはなりたくないが、正直少女には興味の無い男でしかない。だが、もしもこの世に好悪の二択しかないのであれば、間違いなく悪感情を抱いているだろう。
 突然現れたジュライに少女は訝しげな目を向けながら、それでも一応助けられたというのは理解出来た。

「大丈夫?」
「えっと・・・この度は危ないところを助けていただきありがとうございます」

 心配そうに訊いてくるジュライに、少女は戸惑いながらも立ち上がると、お礼を口にしながら、優雅な所作で礼をした。そんな他人行儀な妹に、ジュライは微かに苦笑を漏らす。

「ノヴェルが無事で良かったよ。とりあえず周辺は片しておくから、その間は休んでいて」

 気楽にそういうと、ジュライは周辺に居る魔物達へと攻撃を開始する。
 今まで現状維持が精一杯であった魔物の群れを、少女が勝てないと思っていた強大な魔物を、ジュライは全て等しく羽虫を払うかの如く滅していく。その光景に少女、ノヴェルは内心で苦々しい顔を浮かべる。
 ノヴェルにとってオーガストから離れたジュライなど興味の対象外。近寄れば嫌悪しかないような存在ではあるが、その力は本物で、ノヴェルにとってはその力は遠い存在。未だに背中が見えたかどうかといった距離だろうか。
 無論、ノヴェルが慕うオーガストには遥かに及ばぬが、それでも強力な魔法使いが揃うノヴェルの兄弟の中でも、オーガストを除けば圧倒的にジュライは抜きんでている。
 それはオーガストから貰った身体ばかりが原因ではなく、ジュライ本人の資質も十分に高い事に由来しているのだが、ジュライ本人にはその自覚は無い。何故ならば、ずっと傍にオーガストが居たので、比較対象がそちらになってしまっているからだ。種火と太陽を比べても意味がないというのに。
 しかし、こうして外に出て戦ってみると、その実力がよく解るというもの。
 上級の魔物どころか元支配層に居た魔物ですら、ジュライにとっては雑魚同然。魔物の群れですら、ジュライがその気であれば既に殲滅されている。流石に今でもハンバーグ公国全土を囲むようにしている魔物を一気に殲滅するという芸当は難しいが、それでも片面ぐらいであれば問題ない。特に敵と味方が分かれている場合は楽なものだ。
 しかし今回ジュライが来たのはハンバーグ公国を護る為ではなく、オクト達をジュライが建国した国へと避難させる為。
 なので、まずは話がしやすい環境を作る為に、周囲の魔物の数を減らしているところであった。
 そんなジュライの姿を視界に収めながら、ノヴェルは休憩しつつ、疑問を抱く。

(何故今来たのでしょうか?)

 そもそも何故来たのかは分からないが、ノヴェルをギリギリで助けたのは偶然であったのかもしれない。
 それは、もっと早くに来てくれていれば創造した魔物が消滅せずに済んだし、ハンバーグ公国だって魔物に蹂躙されずに済んだのに、という身勝手な願望が思わせる妄想なのかもしれないが、ノヴェルにはジュライの登場が何処か狙ったものであるように思えてしょうがなかった。
 しかし仮にそうであったとしても、何を狙っての登場であったのかは分からない。ノヴェルは自分に恩を売る為だろうか? と考えたが、それであればもっと早くに助けられた方が恩を感じられただろう。ノヴェルは既に色々失って死を受け入れていたのだから、今更助けられたからといって、感謝こそすれ恩までは感じていない。
 では何故か? と思うも、情報が少なすぎて答えは出ない。ノヴェルはジュライが今まで何処に居たのかさえ知らないのだから。

(もっとも、狙いはこの後の行動で分かるでしょうが)

 そう思うと、ノヴェルはジュライの行動を注視しながらも、しっかりと休憩を行う。これから何があっても最低限行動が出来るように。
 それだけノヴェルにとってジュライとは、敵とまでいかないにせよ、近くに居るのであれば警戒すべき相手であった。
 ジュライが周辺の魔物を掃討した事により、平原に狭い範囲ながらも空白地帯が生まれる。
 その空白地帯を作り終えると、ジュライはその中心で休んでいるノヴェルの許に歩み寄っていく。

「これで一時的には大丈夫だろう」

 周辺を掃討後、ジュライはそこに結界を張り魔物の侵入を防ぐ。これにより、結界が張られている間は安全だろう。張られている結界は強固なものなので、周囲に居る魔物程度では壊せそうもなかった。
 やはりまだまだ遠い。周囲の様子を確認しながらノヴェルはそう思うも、とりあえず一旦それは横に措く。

「それで、今回はどうされたのですか?」

 目の前で立ち止まったジュライへと、ノヴェルが問い掛ける。

「人間界が魔物に襲撃されたのを聞いてね、急いでやってきたんだ。でも、到着した時には既に手遅れでね」

 悲しげな様子でそう答えるジュライに、ノヴェルは「そうでしたか」 と同情するように頷きつつ、内心では、そんなはずはないだろうと考えていた。
 先程ジュライがノヴェルを助けに来た時に使用したのは、転移魔法であった。人間界では魔法道具で決まった場所に移動する為の魔法ではあるが、どうやらジュライはそれを自分の意思で行使出来るらしい。
 勿論使用出来る範囲などはあるのだろうが、こんな魔物だらけの平原でノヴェルの近くを狙って移動出来る程度には精度の高い転移を、周辺を警戒していたノヴェルの警戒範囲の外側から行使可能というのは、先程の転移で確認済みだ。いくら戦闘中なうえに弱っていたとはいえ、それでもノヴェルの警戒範囲は平原と防壁の一部辺りまでの広さはあった。
 そんな長距離転移の使い手が、魔物に襲撃を受けてから数十時間経過した現在にやっと到着するなどありえないだろう。ノヴェルはどうやってかまでは知らないが、ジュライが遠隔地の情報を収集出来る手段を擁しているのも知っていた。
 そういったものを繋ぎ合わせて考えれば、人間界が魔物に襲撃にあっていると結構初期の段階から知っていて、わざと先程の瞬間を狙ってやってきた可能性が高いとノヴェルは推測していた。勿論確証も物証も無いが、その程度は可能な力を持っているだろうぐらいには、ノヴェルはジュライという人物を評価している。

「もうハンバーグ公国以外は亡んでしまったようだし、ハンバーグ公国も魔物の襲撃で風前の灯。今から魔物を全て倒したところで、国としては維持出来ないだろう」
「・・・・・・」

 本当に悲しそうな感じで言葉を紡いでいるジュライの言葉を聞きながら、ノヴェルはどんどん冷めていく思いを抱く。だが、相手の目的を知らない事には対処も出来ないので、真剣な面持ちで話に耳を傾ける。

「オクト達がまだ戦っているのは把握しているが、既に防御結界も破られてしまったようだし、公都まで魔物は到着してしまったようだ」
「そう、ですか」
「ああ。もう数分と掛からずに公都も落ちるだろう」

 現在のハンバーグ公国の護りは、魔物の襲撃を受けていた国境付近に集中している。なので、一度内部に侵入されてしまうと、かなり脆かった。
 それを知っているだけに、ノヴェルはやるせない気持ちでいっぱいになる。自分にもっと力があれば。そうは思うも、少し前までの自分と比べれば格段に成長しているので、怠けていた訳ではない。なので、ノヴェルの力だけではどうやったって防げない事態だったのだろう。その事が理解出来るからこそ、より惨めにも思えた。
 それからもジュライは現状について説明をしていく。内容を纏めれば、もうどうしようもないという事だろう。そのうえで、ジュライはノヴェルに手を差し伸べて告げる。

「ボクは人間界の外で国を興したんだ。そこに来ないだろうか? ハンバーグ公国についてはもう手遅れではあるが、オクト達はまだ助けられる」

 ノヴェルは差し出された手に視線を向けた後、ああなるほどと納得する。

(つまりは私達を助ける為にここに来たのですね。避難させる為にハンバーグ公国が落ちるのを待って)

 答えに行き着いてみれば、実に単純なものであった。だがしかし、それはノヴェルが教えられたジュライの人物像とはかけ離れた行動のようにも思えた。

(誰かに入れ知恵されたのか、それとも何かあったのか)

 それについては答えは分からない。それでも不自然と思うだけの行動ではあった。しかし、目の前に救いの手がある事には変わりはない。
 結局どう推測したところで、現在ノヴェルが選ぶべきは、その手を取るのか取らないのかの二択のみ。
 手を取るのであれば、ジュライの国でオクト達と一緒に暮らす事になるだろう。手を取らないのであれば、このままハンバーグ公国と共に終わるだけ。
 ノヴェルは一瞬迷った結果、ジュライが差し出した手を取る事に決めた。別に死が恐い訳ではないが、やはりもう一度敬愛するオーガストに会いたいという想いが捨てきれなかったから。
 それにノヴェルは、ハンバーグ公国の最強位であるクル・デーレ・フィーリャ・ドゥーカ・エローエに付き合って役目を助けてはいるが、ノヴェル自身はハンバーグ公国はあまり好きではなかった。
 そうしてノヴェルがジュライの手を取ると、ジュライは嬉しそうに笑みを浮かべる。それを見て、やはり今回の行動は誰かの入れ知恵か、何かこういう行動をとらせる切っ掛けがあったのだろうと、ノヴェルは改めて考えたのだった。





 ノヴェルのおかげでオクト達の回収は直ぐに終わった。ハンバーグ公国が魔物の侵入後に直ぐに落ちたのも要因だろう。
 ともかく、これで三人の回収は完了した。三人の残っていた魔物も同じく回収したが、ノヴェルと共に戦っていた魔物は全員消滅している。ほとんどがノヴェルが創造した魔物だったようだが、中にはオクトが創造した魔物も含まれていたらしい。
 まあなんにせよ、三人をボクの国に連れてくる事に成功した。現在魔物は各人の影の中に入っている。
 心配だったのと、どういった場所に住むのかの興味から、プラタに案内されるオクト達三人に付いてやってきたのは、新しく建設した街ではなく、ボクの暮らしている拠点のある街の外れ。
 ・・・国もだが、各街にも何かしら名前を付けなければならないな。そこを指したり案内する時に少々不便だ。
 オクト達を案内した先は、街の外れに立ち並ぶ建物の一つ。防壁に近いので、建物の背が高い。何階建て何だろうか? 人間界の感覚でいえば五階か六階建てぐらいかな?
 その背の高い建物は、茶色が少し混じった様な乳白色の外壁に、表面を櫛で撫でたかのように細い横線が全体に浮かんでいる。見上げていると妙な圧迫感を覚えるが、頑丈そうなので崩れたりはしないだろう。
 プラタの先導で中へと入ると、一階の高さは二メートルちょっとぐらいなので、人間界の建物とそう変わらないようだ。
 磨かれた床石を踏みながら奥へと進む。この足下の石はよく見れば細かな凹凸があるようで、見た目と違って滑り難そう。
 玄関から少し奥に入ったところに階段があった。それを使って上へと上がっていく。
 そのまま三階へと上ると、そこには左右に延びる長い廊下と、壁に一定間隔で並ぶ多数の扉。どうやらこの建物は集合住宅のようだ。
 プラタは少し廊下を進み一つの扉の前で立ち止まると、その扉とそれを挟む左右の扉を指差してオクト達に告げる。

「ここと、その左右が貴女達の部屋です。どの部屋を誰が使うかは御自由に御決めください。では、まずは室内に案内します」

 そう言って目の前の扉を開けると、プラタは室内に入っていく。
 その後に続いてボク達が入る。ボクは見学なので最後尾だ。
 見た目に反して室内は結構広く、ジーニアス魔法学園の寮よりも広いだろう。部屋数はあまり変わらないが、一部屋一部屋が大きく、ゆったりと出来る。
 トイレ風呂完備なうえに、台所もある。一人で暮らすには贅沢なぐらいだ。まぁ、だだっ広い部屋とでっかいお風呂を一人で使用しているので、人の事は全く言えないが。
 部屋には採光用の窓が取り付けられているが、時間帯によっては防壁の影に覆われてしまう。それでも十分明るいが、室内には明かりを灯す魔法道具が取り付けられてあった。しかも明るさの調節も出来るらしい。
 この時点で既に人間界を越えているが、問題はどうやってここで生活していくかだ。
 生きていくうえでは食事が必要だし、お金だって必要だ。働くにしても、オクト達は人間の言葉しか操れないからな。
 そういう訳で、まずは勉強らしい。その間の生活資金は支給されるらしいが、それも期限付きなので、早めに最低限よく使われる言葉だけでも覚えなければならないだろう。
 因みに、この勉強会にはセフィラ達も出席しているらしい。オクト達には遅れている分をまずは別に実施するらしいが。
 そしてこの勉強会では、言葉だけではなくこの辺りの一般的な教養も教えてくれるとか・・・ボクも習いたいぐらいだ。
 その辺りを一通り説明し終えた後、この建物に住んでいる者を紹介すると言われて一旦外に出る。それと共にオクト達は、戻ってくるまでに誰がどの部屋にするか決めておくようにとプラタに告げられていた。
 まずは同じ階層の住民の紹介から行われていく。
 部屋の前まで行き扉を叩くと、中から誰かしらが出てくる。不在の部屋は通りがかりに扉の前で説明していたので、不在かどうかは分かっているらしい。流石はプラタだ。
 建物の住民は、全体的に人間に近しい種族が多く、その中でもあまり違いが大きくない者が住んでいるみたい。
 それに住民の数はあまり多くは無いようで、直ぐに次の階層の案内もされた。
 住民の数が多くは無いとはいえ、上ったり下りたりと階段を使って移動しているので割と疲れた。時間もかかったし。
 とりあえず、建物の住民への挨拶を終える。セフィラ達も同じ建物で、オクト達が割り当てられた部屋の上の階層だった。
 部屋のある階層に戻ってきた後、最後に隠されるようにひっそりと設置してあった昇降機の存在を案内される。これも自由に使っていいという事だったが、最後に紹介したのは確実にわざとだろう。お茶目なのか何なのか。オクト達の体力でも見たかったのだろうか?
 そうして一通りの案内が終わった後、扉の前で誰がどの部屋にするのか問われる。オクト達は移動中に話し合っていたので、既に決めていたようだ。
 その後、各自が自分の部屋にと決めた扉に付いている取っ手に触れて中へと入る。
 プラタの話では、これで個人認証の登録が完了したので、これからは家主であれば自由に扉の開閉が出来るらしいが、それ以外では扉は開かないらしい。まぁ、拠点の様に認証に失敗したからとて攻撃される訳ではないようだが。ただし、強引に開けようとすればその限りではなく、防犯目的で設置されている魔法が起動してしまうらしい。
 そういった一通りの説明を、三人も部屋の中へ入る前に受けていた。
 部屋を決めた三人が室内に入るのを見届けた後、プラタと共に建物を出る。
 今日は朝からずっと救助したり説明したりと色々とやっていたので、外はすっかり夜だ。
 離れた場所に在る街灯が照らす薄暗い道をプラタと並んで歩く。別に転移して戻ってもよかったのだが、夜道を歩くなんてそうそうある事ではないので、ゆっくり歩いて堪能することにしたのだ。市場帰りの時は急いでいるし、人混みを通るので忙しない感じなので、ゆっくりは難しい。
 今日は隣にプラタも居るし、急ぐ必要もないだろう。食事も少しぐらい遅れても問題ないだろうし。
 それにしても、今日は上手くいった。ジャニュ姉さんの事があったので、最初はどうなる事かと心配だったが、追い詰めてから手を差し伸べたのがよかったのかな? でも一番は、周囲に誰も居なかった事だろう。居ても魔物だけ。
 そんな状況では虚勢を張る必要もないので、受け入れやすかったんだと思う。護るべき対象も亡ぶ寸前だったし。
 これが解っていれば、ジャニュ姉さんも救えたかもしれないのだが。そう考えてしまうも、もう過ぎてしまった事だ、忘れよう。教訓としては覚えておくが。
 それにしても、もう随分と寒い季節になったな。ここは人間界よりも季節が少しずれているが、その分寒い季節が長く、更には冷えるので、普通に歩いていると凍えて動けなくなりそうだ。しかし、温かくする魔法道具を使用すればそれも解決する。自作だが、今のところ十分な成果を出している。

「ここも賑やかになっていくね」
「そうで御座いますね。これもご主人様の遍く照らす御威光のおかげかと」
「そんな事はないが・・・まあいいか。それよりも、この国の名前って決まっているの?」
「いえ。それはご主人様が御決めになられる事かと」
「そう? うーん・・・シトリー達も交えて話し合って決めればいいんじゃない?」
「御随意に」
「じゃあ今日は遅いし、明日以降で都合がいい時間にでも話し合う場を設けようか」
「畏まりました。調整は御任せ下さい」
「いいの? ありがとう」

 日程の細かな調整はプラタがしてくれるのであれば、ボクは連絡を待つだけでいいか。楽でいいが、なんだか申し訳ないな。
 それでも、ボクが行うよりは遥かに効率よく行ってくれるだろうから、任せるとしよう。しかし自分で言い出してなんだが国名か・・・何がいいんだろう?

「プラタは何か国名の候補はあるの?」
「候補ですか? そうですね・・・国家ジュライでは如何でしょうか?」
「ボクの名前を国の名前に付けなくてもいいんじゃないかな?」

 いくらなんでもただでさえ名前だけの国主だというのに、それが国の名前になるのは流石に勘弁してほしい。せめて名実ともに国主だと胸を張って言えるのであればそれで問題ないのだろうが、そこまでの自信はまだないのだから。
 今回のジャニュ姉さんの一件で、少しだけ国主としての自覚のようなものが芽生えた程度だし。

「偉大なる方の名を世界に知らしめるのは当然かと」
「うーん・・・」

 まあ確かに、統治者の名前を冠する国は珍しくないだろう。しかし、ボクの場合は虚名みたいなもので、実際はプラタ達の活躍のおかげだ。いや、実際にボクは何もしていないのだが。
 その中でも特にプラタが功労者なのだが、仮にそれぐらいの活躍をボクがしているのであれば、名前が国名であってもそこまで抵抗は感じなかったかもしれない。
 だが現実は非情なもので、ボクは何もしていないうえに実力が伴っていない。民を護るにも、今のままでは圧倒的に力が不足している状態だ。
 その辺りをこれから鍛え直さないとと考えていたところなので、プラタの提案は断固として却下しておく

「流石に自分の名前を国名にするのは身の丈に合っていないかな」
「そんな事は御座いません。ご主人様ほど素晴らしい方は他には居りません」
「・・・そう言ってくれるのは嬉しいけどね。でも、それは受け入れられないな。せめてもう少し強くなったのであれば考えたけれど、今のボクでは足りていないよ」
「そんな事はないと存じますが・・・」

 不満げなプラタに、苦笑を返す。プラタの中でのボクはどれだけ大きな存在になっているのだろうか。恐くて訊けないが、等身大以上に大きな存在になっているのは確かだろう。
 その期待に応えられるぐらいにはなりたいが、その為にもまずは修練だな。
 最初の目標としては、プラタやシトリーに追いつく事。次に追い越す事。最終的には死の支配者にも勝てるぐらいにはなりたいものだ。それ以上の存在も居るが、それについては目標にする気にもなれないほどに高すぎるので横に措く。
 とにかく、不服そうではあるが、プラタはボクの言葉を受け入れてくれたようだ。それ以上の事は何も言ってはこない。出来るだけプラタの要望は叶えてあげたいところだが、こればっかりはそうもいかないからな。
 ついでなので街の方も訊いてみたが、そちらも名前がまだ無いようだった。それでは不便なので、その辺りも国名と一緒に決めてしまおうと思い、それをプラタに告げた。現在建設中の街も含めて五つあるからな。国名と併せて六つの名付け。それだけで大変なのが分かった。名付けはあまり得意ではない。
 名前について思案しながら拠点に戻る。街中は何処でも道は整備されているので、街外れでも歩きやすい。
 中央に在る拠点へと大通りを迂回するようにして辿り着いた頃には、もう夜も大分更けていた。
 それでも歩き通しでお腹が空いたので、プラタにどうするか問われて軽く夜食を食べる事にする。
 食堂に移動すると、直ぐにシトリーが料理を運んできてくれる。今回は普段の半分ぐらいの量で、食べやすいように小さなパンに野菜と肉を挟んだものが用意された。それが三つ。こぶし大よりも一回り程小さいパンに器用に具材を挟んでいるものだ。
 それを一つ手に取り口に運ぶ。
 手のひらで隠せそうなパンは硬く、しっかりとしている。だがそのまま食べられないほどの硬さではないので、まずは一口口に入れる。流石に小さくとも一口で食べるには若干大きいので、とりあえず半分。
 噛み応えのあるパンの硬さと、野菜のシャキシャキとした小気味良い食感。どちらも美味しいが地味な味だ。しかしそこに、肉の濃いめの味が染みてくる。
 肉の味付けはやや辛めではあるが、野菜の水分とパンの芳醇な味わいが辛味を薄めてくれて、辛さはあまり感じない。
 それをしっかりと噛みながら食べ終え、残った半分を口に入れる。たった一つ食べただけだが、かなりお腹に溜まったような感じがする。
 そのまま二つ目、三つ目とパンを食べ終えると、いつもよりも量が少ないというのにお腹いっぱいになってしまった。
 満足しながら食休みをしていると、食器を回収したシトリーが温かいお茶を出してくれる。それをちびりちびりと飲みながらのんびりすると、お茶を飲み終わったところで食堂を後にした。
 食堂から小部屋に移動すると、プラタに見送られて地下三階に転移する。
 そこから自室に戻ると、お風呂に入ってから就寝する事にする。久しぶりの自室に何だか気が抜けたのか、寝台で横になって目を閉じれば、直ぐに意識が落ちていった。





 カチャリと硬質な物同士がぶつかった様なごく小さな音が響く。
 その音に反応したのは、影の様に黒い肌をした女性。肌とは対照的に白一色の目を、その音を立てた者に向ける。
 黒い肌の女性の視線の先では、逆に不自然なほどに真っ白な肌の女性が、手にした紅茶の入った陶器製の器を、机の上に置かれていた同じ陶器製の受け皿の上に置いた後に、遠くへと視線を向けていた。
 現在二人が居るのは、朝日の射す森の中。新緑が目に眩しい森の中で、品の良い机と椅子を設置して紅茶を楽しんでいた。傍には爬虫類のような肌の女性が給仕として立っている。
 小鳥の囀りもない静かなその森の中で、肌の白い女性が視線を手元に移す。それを見計らって、肌の黒い女性が面白そうに声を掛けた。

「やっと始まったね」

 その声の主へと、肌の白い女性は視線を向ける。その瞳の奥には何やら怪しい光が揺らめいている。

「そうですね。向こうが動き出したという事は、あちらも作業が完了したという事でしょう」

 そんな白い肌の女性の言葉に、黒い肌の女性は小さく肩を竦めて「まぁ、そういう事になるね」 と、今度は関心なさそうに口にした。

「では、そろそろ版図を拡げるとしましょうか」
「あちらとの連携は?」
「可能でしょうが、必要ないでしょう? あのままこちらとは反対方向へと進むでしょうし」
「まぁ・・・確かにそうか」

 黒い肌の女性が一気に紅茶を呷る。そうして空になった器を机に置くと、すかさず給仕の女性が紅茶のおかわりを注いだ。

「で、向こうが動いたという事は、あっちも何かしら進展がある頃合いか」
「そうですね。門は完成し、一応繋ぐ事にも成功したようですよ」
「ほぅ」

 今度は白い肌の女性が興味なさげに返すと、黒い肌の女性の瞳が好戦的に光る。
 しかし、それを見た白い肌の女性は、困ったように息を吐き出す。

「まだ起動まではしていないようなので、新たな来訪者はもう少し先でしょうが、それでも貴方が気にするほどの相手ではありませんよ。私ですら物足りない様な相手でしょうし」
「まぁ、そうだろう。だが、新しい可能性を所持しているかもしれない。今は強者よりもそれの方が欲しい。そうすれば、私は更に上へと行ける気がするからね」
「それは羨ましいですね。私も高みを目指したいところですが、貴方の速度には若干付いていけていない」
「それでも十分だろう?」
「いいえ。貴方ですらまだまだ足りていないのです。であれば、この程度では不足も不足ですよ」
「それはまぁ、そうだが・・・しかし、今以上となるとこの世界じゃ足りないだろうさ」
「ですから不満なんですよ。しかし、任を放り出す訳にはいきませんから」
「そりゃそうだ」

 白い肌の女性の言い分に、黒い肌の女性は当然だとばかりに頷く。その後に何か思案するも、小さく首を横に振る。

「ま、こちらが新しい可能性を手に入れたら、そのまま向こうに行って丁度いいのがないか探してみるさ」
「・・・そうですね。私はここから離れられない以上、それしか望みはないですね」
「こっちは色々動けるからね、今回が無理でも他を探しに行ってやるさ」
「・・・ありがとうございます。頼りにしていますよ」
「ああ、任せておけ」

 力強く頷いた黒い肌の女性へと、白い肌の女性は僅かに羨望の混じったような視線を向ける。出来る事なら自力でどうにかしたかったと、その瞳は訴えていた。

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