(閑話)守りたいもの
くそっ、何でだ! どうしてこうなった!?
こんなの、俺が求めた世界じゃない。俺が望んだ冒険じゃない。
一年前この世界に来た時、やっと息を吸えた気がした。
親からも疎まれ続けていた俺を必要としてくれる。このままの俺を認めてくれる。俺が俺で居られる場所をやっと見つけたと思ってた。
だから訓練にだって前向きに頑張れたし、人であれ動物であれモンスターであれ、命を奪うその行為にだって向き合った。望まれるまま行動した。
アスーに召喚された連中は皆、本当の自分で居られる場所としてこの世界を受け入れていたと思う。本当の意味で仲間だったんだ。
「考え事とは余裕だな、本田!」
「やめろ、吉野! 天笠も、吉野を止めてくれよ!」
「天笠、何ぼーっとしてるんだ! アミール様の敵を排除するんだろ? 加勢しろ!」
吉野のスキルは分身らしく、宮本と吉野が斬り結んでいるのに気を取られている俺にもう一人の吉野が襲い掛かってきた。その質量はとても幻影とは思えない。こちらも本気で殺しに行かないと、簡単にやられてしまいそうだ。
斬りかかってくる吉野を止めるよう俺が叫ぶと、吉野もまた俺達を殺せと天笠に怒鳴る。
幸いなのは、何故か天笠が攻撃を仕掛けてこないということか。
俺より吉野の方が強いのだろう。猫が獲物を弄ぶかのように、手足に浅い傷が増えていく。
圧倒的な強者から向けられる殺意。かつての友人に殺される恐怖。こんなの、俺は望んでいない。
人数のアドバンテージなんて最初からない。そもそもこっちは戦えない子供を庇いながらなんだ。
どんどんと数を増やした吉野に四方八方から斬りかかられて、さらに深山が剣戟の合間に魔法を飛ばしてくる。南海は……本庄と睨み合ったまま動いていないが、あいつの事だ。まさかあの蛇みたいなデカブツを呼び出して終わりってことはないだろう。
現に戦い慣れているはずのアルベルトさんも苦戦していた。
絶対絶命、ってやつか。
「亮ちゃん」
「小島……」
俺の後ろで、不安そうに俺を呼ぶ声がする。
いつだって俺の後ろについてきた幼馴染。思えば、小島はこの世界で再会してからずっと俺を日本へ連れ帰ろうとしていた。俺がもっと早く応じていれば、小島は今頃日本にいたはずだ。
こんな状況に俺が巻き込んだ。全部、俺のせいだ。
なら、せめて……。
「小島、今すぐ日本に帰れ!」
「亮ちゃん?!」
小島の声が震えていた。中学に上がってすぐの頃俺が名前で呼ぶなって怒ってからずっと本田って呼んでいたのに、無意識なのか昔の呼び方に戻っている。
不安に満ちた小島の声。知っているよ。覚えている。後ろを見なくったってわかる。こういう時、お前はいつだって泣く寸前なんだ。
「大丈夫、俺も明日すぐ帰る。日本で会おう」
今までごめん、という言葉は照れくさくて小さくなってしまった。
日本に帰ると言ったことに驚いたのか吉野が目を見開いていた。攻撃の手が緩む。
返事をしない小島に構わず、俺は叫ぶ。
「
「お、おう! ルナ!」
「な、だ、誰だ?!」
吉野の動きが完全に止まる。
攻撃してくる可能性があったから振り返れないけど、きっとルナさんが来たのだろう。
亮、と俺を呼ぶ小島の声が最後まで言い終わらないうちに消えた。
よし、これで俺はもう何も思い残すことはない。
殺られる前に殺ってやる、と剣を構え直す。だが、その剣を振り下ろすことはついになかった。
「な、何だよそれ。何なんだよ……」
「え? 帰ったの? 本当に?」
「帰れるのか、マジで」
「私達も、帰れるの……?」
ルナさんが小島を連れ帰る様子に気付いたんだろう。
4人とも戦意を削がれたように武器を取り落としていた。天笠は涙を流している。
拍子抜けと言えば拍子抜けだが、かつての友人と戦わずに済むならそれが一番良いに決まってる。
「もう良いだろう? 勇者である俺達以外、アミールに敵う奴はこの世界にいないって聞いてる。そして、俺達は全員戦わずに帰ることを選ぶ」
本庄が戦意を失くした4人に語りかける。争うのをやめようと。話をしようと。
俺も、劣勢だった宮本達もこれで戦闘が終わったと思って大きく息を吐きながら尻餅をつくように床に座り込んだ。
レベルの高さから考えるに天笠達も多くの命を奪ってきたのだろう。アミール様とやらに言われてか自発的にかは知らないが。そのことを悔やむかのような、愕然としながら膝を折る様子は少し前の俺達を見ているようだった。
「……けるな。ふざけるなよ。今更帰れるなんて」
「そうよ。今までの私達のしてきたことは何だったの……。今更、あの世界に帰れるわけ……」
肩を震わせていた南海が憤慨したように床を殴り、それに同調するように深山も剣を再び握る。
漏れ聞こえる怨嗟の声。
わかるよ。俺もそうだった。帰れると聞かされた時、実際に目の前で日本に帰るところを見せられた時、初めて人を殺した時の恐怖と吐き気が蘇った。ゲーム感覚で嬉々として人を殺すようになっていた自分に、血で汚れた自分に嫌悪した。
もう日本でぬくぬくと暮らしていた俺じゃない。もうあの世界には戻れない。こっちの世界こそが俺の生きる場所だと言い聞かせた。
『……そうだ……もっと怒れ……怒りに身を任せよ……力を望め……』
「!?」
深山が剣に手をかけたことでアルベルトさんも再び警戒し、緊張した空気に戻りかけたその時、ふいに地の底から響くような声が聞こえてきた。
誰だ、と聞くまでもなく、天笠達がアミール様、と呼ぶ。一気に緊張が走った。
これが
「そうだ……アミール様のご期待に応えねば……」
「アミール様に仇なす者を討つ……それこそ、私達の使命……」
ゆらり、と4人が立ち上がった。様子がおかしい。
ブツブツとアミールの名を呼びながら武器に手をかける。俺達も慌てて武器を構え直した。
「やめろ! もうこれ以上戦う意味はない!」
先生の声ももう届かないようだった。
空気がどんどんと重くなる。
突然4人のスマホが同時に鳴る。4つの異なるメロディーが不協和音を奏でる。聞く者を不安にさせるような音。その音に思わず顔を顰めるが、4人は無表情なままだ。
4人を包み込むように黒い靄のようなものが漂い出す。スマホから。いや、正確にはそのイヤホンジャックに刺さった黒い石から。
殺意が部屋を満たし、息苦しい。冷たい汗が背中を流れ、ぞわり、と鳥肌が浮くのを感じる。
これが、アミール? これが、暗黒破壊神?
なるほど、まだ敵わないはずだ、と納得する。まだその気配に軽く触れただけだというのに、恐怖で手足が震える。歯の根がカチカチと音を立てる。
少しでも動けば一瞬で命を奪われる予感で、俺は動くことができなかった。
「「「「……力を、お貸しください。アミール様」」」」
4人が定まらない視線のままポツリと呟く。
パキンッ、と黒い石が同時に砕け散った。音が止む。一気に膨れ上がった黒い靄が4人を包み、その姿を覆い隠してしまった。
「構えろ! 来るぞ!」
アルベルトさんが叫んだ。その声で、まるで呪縛から解かれたかのように体が反応する。
それまで感じていた4人の気配が変質した。まるでモンスターのような、どす黒い殺意の塊がそこにあった。
慌てて身を起こす。ゆらり、と靄が動く。
刹那、靄を引き千切って現れた影に吹き飛ばされた。
――俺が覚えているのはここまでだった。